◎国際シンポジウム


 

日本農政に対する国際シンポジウムに参加して

畜産振興事業団 副理事長 中瀬 信三


日本農政に対する国際シンポジウムに参加して

 去る11月9日と10日の2日間、標記のシンポジウムが市ヶ谷の国際協力セン
ターで開催されました。主催の「食料・農業政策研究センター」のお招きで参加の
機会を得たので、その模様を始め、この催しをめぐって感じたことどもについて書
いてみたいと思います。

  この催しは、内外の署名な農政学者20名を招き、日本の農政のあり方をめぐっ
て所論を展開して頂くと共に、およそ70名ほどの参加者も交えて質疑・討論を行
うと云う形式で進められました。

  前置きが聊か長くなりますが、討論の内容に入る前に、この催しが持たれるに至
った経緯を説明しておく必要があると思います。

  昨年の10月に、豪州政府の第一次産業エネルギー省の農業資源経済局(ABA
RE:日本の農水省で云えば統計情報部と官房企画室を統合したような組織)は“
JAPANESE AGRICULTURAL POLICIES-A TIME OF CHANGE ”と題する360ページほど
の研究論文を刊行し、関係各方面に配付しました。たまたまそれを入手した“農政
研究センター”は、この論文の持つ多面的な意義を評価されたのでありましょう。
小倉武一会長の陣頭指揮のもと、短期間にこれを翻訳して、「日本の農業政策」と
して刊行するとともに、内外の著名な農政学者に対し、この論文の記述を念頭にお
いた上での日本農政論の展開を依頼し、今回のシンポジウムを開催することになっ
た、と伺いました。

  それでは、このABARE論文とはどんなものかと申しますと、小倉会長の言葉
を借りれば“対日農産物輸出国の読者やわが国の農政保護無用論者を喜ばせる”一
方、反対に、わが国の農業や農政に直接携わり、これを何とか守り育てたと苦労し
ている者に反論を試みたくなるような論点の多々ある類のものと云えましょう。更
に詳しく云えば、この論文は、日本農業の各部門の内情に関する事実関係情報を詳
細に亘って収集整理し、これを比較優位性の経済原則で一刀両断的に分析して、経
済理論的見地から日本農業はかくあるべしとの見解を示すと共に、その実現を強く
期待すると云う文脈で一貫しているように思われます。

  シンポジウムでの口火を切った、この論文を実質的にとりまとめたABAREの
リースミューラー博士の基調報告の骨子は次の通りでした。

@ 昨年の日本政府の牛肉、かんきつ等の自由化決断は画期的なものであり、これ
 をきっかけに日本農業の自由化と構造調整は大いに進み、その透明度は増すもの
 と期待される。

A 米を中心とする日本農業では、規模の零細性、高齢化等にみられるように、消
 費者や納税者の負担のもとに農業生産資源の不効率利用がなされているが、自由
 化しても戸数は少なくなるが、規模拡大や農外収入等により農家の所得に関して
 は急変は起こらないであろう。

B 自由化しても日本の農業は決して亡びることはないが、内容は変化しよう。中
 でもバイオテクノロジー等先端技術を駆使した付加価値性の高い作目(例えば、
 果実、花き等)の栽培や農業用地のレジャー目的での活用等により高度化した姿
 に変貌するであろう。

C 畜産については、バイテク利用等による高品質生産は生き残るであろう。

D 食料安全保障については、非経済的な側面はあるが、問題の存在は理解できる。
 但し何らかの措置を講ずる場合は、それが他国に及ぼす影響を考えて貰う必要が
 ある。備蓄や供給国との間の長期輸入協定などは有効であろう。さらには、日本
 が完全自由化を行うことにより輸出国の生産の安全が確保されることになり、そ
 れが安全保障に役立つ事も考えられる。

   この基調報告を皮切りに、牛肉、酪農品、木材、水産物等の各論に加えて、食
 料安保論、人口問題、環境問題、国際協力問題等が次々に丸二日間論じ続けられ
 ました。論議が広汎に亘った上節目節目でのレジメも十分行われず、まとまった
 結論が出たわけでもないこともあって、限られた紙数でその詳細を紹介すること
 はむずかしいので、幾つか印象に残った論議だけを紹介するにとどめることとい
 たします。

(1)ABARE論文に対する反論としては、川野重任東大名誉教授が、「この論
  文では日本農業がいかにも全て保護主義、輸入制限で守られているように書か
  れているが、すでに大部分は自由化されており、米を主体とする極く僅かなも
  のが残されているが、それは夫々理由があってのことだ。歴史と経過を踏まえ
  て問題をみる必要がある。また、豪州の食料安保論は各国が国際分業の利益に
  そって自由貿易を徹底する限り不安はないとしているが、自由貿易徹底の世界
  は未だ実現していない。日本人は、米国の大豆禁輸を忘れ得ない。」と述べま
  した。

(2)これに対して速水佑次郎青山学院大学教授は、内外価格差に基づいて算定し
  た名目保護率でみた日本の保護は非常に厚いとし、農業関係の政治力は農業部
  門の縮小、即ち農家のシェアーが全戸数の10%から5%になる過程で最も強
  くなる。先進国はすでにこの段階を通過したが、わが国は通過中なので保護の
  軽減は簡単には進まないだろう。日本の農業保護がいかに消費者負担を増大し、
  資源の有効利用を妨げているかを明確化し、正確な情報として農民に提供する
  ことにより、農民としても(国民経済的に)農業保護が自分達のためにならな
  いことが分り、事態が少しでも変わるのではないか。そのような観点から自分
  は農政批判者として振舞っている、と述べました。

(3)ピーターオックスフォード大学教授は、日本農業の保護は高すぎると指摘し
  ながらも、論文の計量分析手法については異を唱えるところがありました。

(4)ドネリートロント明治大学教授は、日本の政治情勢を分析し、自民党が危機
  的な現在、ABARE論文にあるように日本の農業が門戸開放に大きく前進す
  るだろうと云う見解は余りに楽観的だと述べました。

(5)食料安保問題については、嘉田良平京大助教授が基調報告で、日本にとって
  の必要性を唱え、日本はガットの場でも食料安保の重要性を主張して来ている
  が、その具体的中味が問われる時期に来ており、コンセンサス作りが急がれて
  いるとして、自分の構想を披瀝されました。この問題に関する発信は多数あり
  ましたが、コーネル大学のポールマン教授が、世界の人口が100億になって
  も世界の食糧は大丈夫との楽観論をもとに、日本の食料安保論の妥当性に疑義
  を表明したほか、結局は安全保障に伴うコスト、ベネフィット問題をどう考え
  るかというところで堂々めぐりをした感じでした。

(6)畜産関係では、ABARE論文には随所に畜産関係事項が引用又は例示され
  ているほか、各論として酪農と牛肉について章を独立させ、夫々30ページ余
  りを割いている関係もあり、七戸長生北大教授が酪農について、高橋伊一郎福
  岡大学教授が牛肉についてそれぞれ基調報告を行いました。

 七戸教授は、この論文は日本酪農に対する基本的認識が不足しているとして、日
本酪農には地域性と、夫々の地域固有の発展の経緯があることを念頭においてみる
必要があると指摘されました。

 高橋教授は、今後日本の牛肉供給の相当部分を海外に仰がねばならないとすると、
牛肉生産の国際的水平分業を理論的にも整理しておく必要があるとして、日本と米
国における穀物肥育のコスト試算について分析を試みました。これに対し、米国食
料農業政策センターのサンダーソン氏は、コスト比較をする際の牛のタイプと質は
どのようになっているかと、牛肉の内外品質格差の見方についての質問と、最近の
日本市場における牛肉在庫増加の実態とそれをどうみているかについての質問を提
起しました。これらの質問については農業総合研究所の大賀室長と私が対応しまし
たが、抽象的な議論が延々と繰り返される中で、牛肉問題だけは非常に現実かつ具
体的な事実問題が議論され、日本の牛肉問題に関する海外の関心の深さを垣間見る
思いがいたしました。

 以上が、日本農政をめぐるこの度の国際シンポジウムの極めて粗いスケッチです
が、今回のシンポジウムにおいては、諸先生のスピーチと論文を通じて日頃内側か
らしか見馴れていない日本の農業と畜産が、外側から見た目にはどう映り、どう理
解されているかを、そしてそこには未だ随分大きな懸隔のあることを実感いたしま
した。国際化の名のもとに行われるであろう、わが国の対応には苦労し、努力すべ
き点の多いことを感じさせられた次第です。

 なお、最後に今回の催しを通じて一躍スポットライトを浴びたABARE論文に
ついてコメントしておきたいと思います。

 この論文を通読してみて感ずることは、その分析や解釈の手法において、経済原
則を貫徹させようとする余り、日本の農畜産業存立の経済外的重要性の側面、政策
採択の経緯、政策意図や農民心理等の存在が軽視されている面があり、俗な例えで
云えば、蒸留水で溶いた味噌汁を飲むような想いを禁じ得ないところがあるのも事
実でした。

 しかし、畜産に関する情報の収集、分析及び提供を今後の畜産振興事業団業務の
大きな柱の1つにするべく努力中の立場に立って考えますと、豪州政府(ABAR
E)の日本の農政や関係行政措置に関する事実関係情報の蓄積と分析の水準は非常
に高く、多少事実関係の誤認誤解は散見されますが、ここ迄調べあげた組織的努力
は相当なものだと思われると共に、わが方のかなり詳細に亘る行政業務の実態がど
のように把握され、解釈されているかを知る上でも大変参考になりました。


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