◎女性ジャーナリストへの便り


日本の農産物貿易戦略は?の問に答えて

畜産局 牛乳乳製品課長 遠藤保雄


日本の農産物貿易戦略は?の問に答えて

 先日、元ニュース・キャスター木元教子さん(現乳業協議会事務局長)の主宰す
る女性ジャーナリスト等のメンバーからなる研究会で話をする機会があった。話題
は、私の在米日本大使館参事官勤務時代を振り返っての「構造変革期の日米農産物
交渉」体験談であった。1986年から89年にかけ、農産物12品目交渉、牛肉
・かんきつ交渉、コメ301条提訴問題、ウルグァイ・ラウンド農業交渉という4
大交渉が相次いだが、これら交渉を通じ、米側には一つの長期的対応戦略があった
のではないか、という点につき、私なりに分析し解説した。

  この会合への参加者の関心からすれば、場違いな話であったかもしれない。しか
し、日本テレビ社会情報局プロデューサー中村寿美子氏、TBS報道センター川戸
恵子氏、読売新聞経済部稲沢裕子氏など、第一線で活躍中の女性ジャーナリストか
ら核心をつく御質問をいただいた。

  質問は、@米国の戦略的対応に対し、日本側はいかなる戦略で臨んだのか、A交
渉に際し、日本側交渉当事者は国内消費者の利益をいかに反映すべく対応したのか、
B現在、国際政治・経済社会の中で、経済大国日本の果す役割への期待は極めて大
きくなっている。かかる状況の下、各種国際交渉での日本政府の対応は、交渉ポジ
ションに統一性がなかったり、外圧利用等他国まかせであったりで、いわば国際的
座標軸に沿ったものになっていないのではないか、また、国民にも分りにくいもの
となっていないか…などであった。

  率直に言って、これら質問に対する答えに窮した。それは外でもない。農業や食
品産業の利害を反映した現在の農政の座標軸に対し極めて重い課題が提起されたも
のであったからだ。

  いずれにせよ、対外農産物交渉に当たり腐心するのは、@国際化の進展をにらみ
つつ農業や食品産業の体質強化をいかに図るかを基本とし、併せて、A消費者の利
益の確保、B諸外国の利害への配慮という点をいかに調和させ、解決策を見い出す
かにある。

  日本の農業保護、助成は、@財政支出による助成、A輸入国境措置による保護に
より行われている。特に日本の場合、他の先進国と比べた場合、後者による保護、
しかも輸入割当制による保護の度合が高いとされている。

  しかし、日本経済の国際化が否応なしに進む中で、以上の輸入調整措置について
は、国の内外でそのあり方につき大きな論議を巻き起した。

  諸外国からは、第1に、貿易立国日本が輸出面では自由貿易、輸入面では保護主
義という二律背反の施策をとるのは容認できない。という批判が出された。第2に、
国民所得水準を反映して、日本の食品市場の潜在成長性への期待の高まりから、市
場開放への強い要請が出された。

  他方、国内的にも、第1に、国民1千万人が海外渡航する時代となる中で、食料
品を含む諸物価の内外価格差に対する国民の批判の高まり、更には適切な輸入政策
の活用による安価で良質、多様な食品供給へのニーズの高まりが出てきた。第2に、
食品についても、円高と国民の嗜好の多様化に伴い最終商品形態での輸入が進み、
かかる状況下で、原料高の製品安に対応し食品産業が海外の割安な原料を求めて原
料の多角的選択、更には立地移転(いわゆる産業の空洞化)する可能性が出てきた。

  以上から言えるのは、第1に、日本経済の国際化の進展度の高まりに従い、輸入
保護水準の是正要求、内外価格差是正の要求が加速度的に進むという環境が譲成さ
れていることだ。

  第2に、国際化の進展に伴い農業サイドの自助努力による経営体質強化とそれに
よる内外コスト差の縮小努力が、目下、当然ながら展開されている。しかし、問題
は、農業が土地利用・自然対話型産業という特性を有し、生産性向上の難しさ、資
本回転の遅さ、地代面の制約に直面する産業である点だ。従って、そのコスト削減
のスピードは、輸入保護水準是正の要求の速度に追いつかないのが現状だ。

  従って、過去の対外農産物交渉の歴史が証明しているように、農業サイドには自
由化問題に対する大きな拒否反応が常に存在してきた。そして、先の参議院選挙で
は、自由化と農産物価格引下げという政策に対し、農政不信という判断すら下され
た。

  以上のような状況をふまえた場合、「国際化という座標軸をふまえ、消費者の利
益を考慮し、“戦略的”農産物交渉方針を考えるべし」という女性ジャーナリスト
諸氏の指摘に対する回答を見い出すことは、仲々容易ではない。

  しかし、回答の手掛りを探る為に、次のような図を考えてみた。

図.日本経済国際化の進展度

  縦軸に輸入保護水準(=内外コスト差)をとり、横軸に日本経済の国際化の進展
度をとった。曲線Aとして、農業者のコスト合理化努力を反映したコスト漸減カー
ブを想定する。曲線Bは、輸入保護水準是正要求乃至内外コスト差是正要求のカー
ブであり、前述したように国際化の進展度合に応じ大きく変化していくと想定する。

  上図における問題の第1は、曲線Aの傾斜度だ、これは農業の体質強化によるコ
ストダウンの程度いかんにより決るもので農業者もこの範囲での国境調整の緩和な
らば容認しえる。但し、そこには、農業の構造調整コストが付随的に伴う実態を見
落としてはならない。

  問題の第2は、曲線Aと曲線Bの格差の拡がりだ。輸入調整の緩和が曲線Bに沿
って行われるならば、国内農産物価格が国際価格に急速に接近していくことから、
消費者の利益は確保され食品産業の空洞化も防止されよう。しかし、この場合には
農業サイドにとって、自助努力にコスト引下げという限度を越えた価格引下げを要
求される。このための農業収入の激減、農村・地方経済の疫弊につながらざるをえ
ない。もし、これを放置すれば、国内的な摩擦のコストが生じ、場合によっては、
市場開放による国民経済的な利益を凌駕してしまう可能性すらある。従って、ここ
に示唆されているのは、農業の体質強化だけでは内外コスト差の縮小が難しい場合
には、新しい視点での助成の導入(摩擦の負のコストを除去する手当て)が必要で
はないか、という点だ。換言すれば、農産物の輸入調整のあり方を考えていく際に
は、国際化、消費者の利益、農業体質の強化、食品産業基盤の強化、等の多元的要
請に応える必要があるが、その場合、農業の分野だけで対応するには限界があり、
国民経済的な規模での対処が必要なことが暗示されている。

  目下、ウルグアイラウンド農業交渉が進展しているが、日本は食糧安全保障論を、
米国は可変課徴金や輸入割当制の「関税化」構想を、ECは可変課徴金の根幹の維
持を前提とした改革構想を提起している。今後、国際交渉の場で多角的論議が展開
されていこうが、日本にとって注目すべき論議の核心は上述した内外コスト差をい
かなる方途で調整していくかである。

  その場合、対処の方向は、財政上の制約に加え、農民の不安に十分応えうるか、
国民・消費者から支持がえられるか、ガットとの整合性がどうなるか等の問題にい
かに答えていくかである。

  いずれにせよ、国民的論議により、どの途を選んでいくべきか‥‥農政の一端に
参画する者として、今日も模索が続く。


元のページに戻る