★ 国内現地の新しい動き


ようやく生産意欲が回復してきた繁殖牛経営

農政評論家 山本文二郎


 全国のあちらこちらを尋ねながら、帰り際にまた訪れたいと思う代表的な県が宮
崎県である。気候が大変に温暖、狂騒の大都市から離れていることもあって、せか
せかせずに人情が豊かで、どこか心がひかれる県である。その宮崎県に1年半ぶり
肉用牛の取材で訪れた。

  宮崎県は肉用牛の飼養では鹿児島県、北海道に次いで全国第3位、飼育頭数は8
9年で21万7800頭である。第2位の北海道は乳用種が圧倒的で、和牛では鹿
児島県に次いで2位だ。肉用牛を飼っている農家は89年2月で2万6500戸、
同県の農家戸数は7万5000戸ほどであるから、3戸に1戸以上が肉用牛を飼養
している。こんな牛に親しみを持っている県はもう少ない。しかも、宮崎県は子牛
生産県で、2歳未満を含めた子取り用めす牛が9万頭もいる。88年に生まれた子
牛はざっと6万3500頭、その半分以上が肥育素牛として県外に出荷されていく。

  そうした宮崎県だが、子牛生産は83年から86年にかけての子牛価格の異常な
低落の痛手からまだまだ回復していない。いまでこそ子牛1頭が50万円もしてい
るが、その頃は25万円前後だった。ひどいときには20万円を割ることさえあっ
た。いまの半値以下である。牛肉の自由化を心配して、多くの農家が可愛がってい
た牛を手放していった。子牛が暴落する前の82年頃に比べると飼養農家が約70
00戸、2割以上も激しく減った。子牛生産もこの間にちょうど1万頭も減ってし
まったのである。

  子牛の異常な安値の反動で、87年頃から今度は異常な高値を呼ぶようになった。
この高値につれて農家の子牛生産意欲がようやく出始めてきた。いままでならば、
これだけ高値になれば子牛生産の意欲が本格的に盛り上がってきてもよさそうであ
るが、91年からの牛肉自由化を控えて子取り農家はまだまだ慎重だ。そこで宮崎
県の子取り用めす牛の6割近くもいる都城市を中心とする北諸県、小林市を中心と
する西諸県地方を尋ねてみた。この地方の西には霧島の山が冬空に美しく姿をみせ
ていた。

  尋ねた農家は都城市庄内の宮島貞治さん(63歳)と西諸県郡高原町後川内の石
山松男さん(47歳)の2人である。現在、宮島さんは繁殖用の成雌牛を29頭、
育成牛4頭、子牛を20頭飼っている。石山さんの経営規模は成雌牛が18頭で、
子牛を14頭を出荷用に育てている。繁殖経営としては大規模クラスに入る。高原
町には千戸ほどの繁殖農家がいるが、石山さんクラスは十数戸にすぎない。都城農
協管内の繁殖農家は約六千戸だが、繁殖牛20頭以上になると42戸、全体の1%
にも満たないのである。繁殖経営ではエリート中のエリートといってよいだろう。

  2人とも、どちらかというと口数が少なく地味な人柄だ。他人を押し退けてまで、
前へでる人ではない。だが、他人の話をよく聞いて地域の農家をまとめていくのに
は、打ってつけの人柄という。宮島さんは都城農協の和牛生産部会の副会長、庄内
畜産振興協議会の会長を務めていて、和牛振興には骨身惜しまずに農家の指導に当
たっている。石山さんもいろいろ質問しても、遠慮しがちに答えられる、決して成
果を得意になって話す人ではない。だが、宮島さんと同じように高原町の畜産振興
会の役員をして若い人の相談によく乗って後継者育成に力を尽くしている。人望が
あり底力のある農家というのはこういう農家を指すのであろう。

1年1産の実現
  この2人の優れた成績をまず紹介しよう。

  第一は子牛生産にとって一番大事な繁殖成績が大変によいことである。石山さん
の場合は平均の分娩間隔が355日で1年1産を上回っている。宮島さんも石山さ
んと同じようにほぼ1年1産を達成している。宮崎県平均で分娩間隔が14〜15
カ月、西諸県群で13.7カ月に比べると非常に優れており、繁殖農家の目標であ
る1年1産を実現している。それには、それ相応の繁殖技術が確立しているうえに
牛の管理が十分に行われているからだ。

  第二は収益性が非常に高く、所得率もずば抜けてよい。石山さんの場合は所得率
が58%、宮島さんの場合はやや低いが43%になっている。西諸県地方が管轄す
る小林農業改良普及所が10頭以上規模農家を調査したところによると、成績のよ
い農家で30%台、一般に30%以下となっている。この高収益を上げるには総合
的な経営力がなければとても実現できるものではない。

  91年4月から牛肉の自由化がいよいよ実施される。これからの肉用牛経営は自
由化時代にただ生き残ればよいのではない。肉用牛によって好成績を上げ、国際的
に競争力を持った経営として安定し、発展していくことが重要なのである。そこで、
2人の経営を具体的に取り上げてみよう。

  宮島さん、石山さんを尋ねてまず感じたことは、予想通りに牛舎が貧弱なことだ
った。経営内容の良さは牛舎の立派さに反比例する、これが長い取材経験から得た
一つの結論だ。宮島さんが55年に新築した8頭収容の200uの牛舎を例にとる
と、建設費はわずか100万円である。自分の山から木を伐りだし、主として自家
労力でつくっている。主な経費は屋根のスレート代の70万円だ。石山さんも同じ
である。49年に建てた130uの牛舎の建設費が20万円、一昨年増築した70
uの牛舎がたったの8万円、手作りのうえに材料の木は自分の山から伐った間伐材
だ。サイロだって石山さんは三基、合計150m3あるが、経費を掛けないようにブ
ロックの簡単なもので取得価格は35万円である。宮島さんも4基、合計220m3
だが、コンクリート2基に80万円かけた外は素掘りトレンチでお金をかけていな
い。

  機械・器具も同様である。宮島さんはトラクター2台持っているが、1台の34
馬力の方は280万円で新品を買ったが、54馬力の方は鹿児島県のある町役場で
10年使っていた中古を50万円で買い、修繕しながらすでに4年も使っている。
新品で買えば500万円はする。石山さんも一昨年、中古の40馬力のトラクター
を80万円で買った。新品なら結構400万円くらいはする。大事に使えばまだ1
0年は十分に持つという。

  耕耘機などをみるとモデル・チェンジがある度に買い替えたりする農家がある。
つい少し前のこと、北陸のある集落を視察したときだ。そこでは後継者に農作業へ
の関心を持ってもらうために冷房付きコンバインを買っている。農家としての根性
が基本的に違う。かっこ良い農業では国際化時代を乗り切れない。繁殖牛20頭規
模になると機械・器具に2000万円くらいかかるといわれるが、宮島さんはコー
ンハベスター、マニアスプレッダー、ダンプなど含めて購入費が755万円である。
機械をメーカーから安く直接仕入れている。石山さんもほぼ同じ内容で750万円
である。要するに使えるものなら中古でも徹底的に利用し、無駄なお金は一切使わ
ないようにしているのだ。

  こうして、石山さんは現在、借入金が28万円ほど残っているが、今年中に完済
してしまう予定である。宮島さんは55年に田を30アール購入し、農地取得資金
を400万円借りたが、現在234万円残っている。昨年、牛舎改造や堆肥舎の増
設、屋敷改造に300万円使ったが、すべて現金だ。宮島さんが繁殖経営の規模拡
大に取り組み始めたのは40年代の始めで、石山さんは40年代後半からである。
本格的に繁殖経営に取り組むようになってから、一貫してできるだけ借金をしない
ことに徹してきている。「若い人は平気で借金する。1000万円くらいの借金は
ざらにある。借金すれば金利を付けて返済しなければならない。本年の自由化を控
えてできるだけ借入を少なくしておくことが経営の基本だ。」と宮島さんは言う。

  日本経済が2回の石油危機と激しい円高を乗り切って、一層の成長軌道に乗るこ
とができたのは、企業の経営体質の強化にあった。ヒト、モノ、カネの徹底した減
量作戦の展開である。極力借金を返済して、自己資本の充実に努力した金利の負担
を軽くすると同時に、余裕資金を運用して稼いだのである。いわゆる財テクである。
これに比べアメリカの企業はただでさえ借金依存の体質になっているうえに、企業
買収などによって借金が増え、元利の返済が経営を圧迫している。こうしたことが
日本とアメリカの企業の経営姿勢の違いが国際競争力に差をつける大きな要因とな
ったのである。農業だって同じはずで、一般産業に比べ農業にはまだまだ甘さがあ
る。牛肉の自由化を間近かに控えて経営の強化が強く求められるようになってきて
いるが、求められているのは原点にある宮島さんや石山さんのような厳しい経営姿
勢なのである。

  こうした地味な経営姿勢は規模を拡大していった過程でも一貫して流れている。
例えば宮島さんは42年に長男の徳雄さんが農業に取り組むようになって、本格的
に繁殖雌牛の増頭に踏み切る。肉質の向上を目指して、系統を鳥取から岡山さらに
但馬へと切り替えながら、いい牛を自家保留しながら逐次拡大していった。無理し
て一挙に拡大するようなことはしていない。借入金によるのは家畜導入資金供給事
業で入れた6頭で、後は自己資金で買った3頭と自家保留である。もちろん肉質の
改良に力を入れているが、特別な優良牛を飼育して、高値で売れる子牛生産を狙う
という名人芸を目指しているわけではない。宮島さんの子牛販売の平均価格は都城
市場の平均価格とほぼ同じである。

  その代わりコストをいかに下げるかに真剣に取り組んでいる。機械や施設に金を
かけないことは述べた通りであるが、コスト引下げの有力な決め手として1年1産
を目指している。分娩間隔が伸びれば、それだけエサをただ食いされるからだ。1
年1産と一口に言うが、それを実現するためには良質粗飼料づくりから牛の管理ま
で優れた技術と努力が求められる。

  石山さんがまず力を入れているのがエサづくりである。経営面積は水田が180
アール、畑が250アールで、コメが120アール、カボチャ30アール、サトイ
モ20アール、ピーマンの施設が10アール、後は飼料作である。主な飼料作は表
作としてトウモロコシ、裏作としてイタリアンが作られていて、総収穫量は350
トン、これを通年サイレージとして給与している。一日一頭に換算すると40キロ
ほどになる。繁殖母牛としては十分だ。問題は質である。良質粗飼料を作るために、
堆きゅう肥を十分に入れて土づくりに励むとともに、適期収穫に努めている。収穫
の適期を逃すと栄養価が落ちる。小林農業改良普及所の話によると、石山さんの飼
料の栄養分析結果はTDN、タンパクなど内容が非常によいという。石山さんは年
間66万円ほど濃厚飼料を購入しているが、子牛育成用だ。母牛は粗飼料にフスマ
を加えるくらいで、購入飼料は与えていない。

  繁殖牛を健康に育て繁殖成績を上げるためには、十分に日光浴と運動をさせるこ
とである。石山さんの日課は朝9時には、牛の半分を牛舎に隣接する運動場に放つ
ことである。午後には残りの半分を交替で運動場に出す。夏は厚いので夕方から夜
にかけて放つことにしている。十分に日光浴をしながら運動させるので、石山さん
の繁殖牛はやせ気味だ。やせ気味だからこそ、繁殖成績がよくなる。宮崎県では3
〜4産とって、7歳くらいで廃牛となるのが多い。石山さんの母牛は寿命が長く、
17歳で16産目が受胎しているのがある。それだけ母牛の償却負担が軽くなる。
先に述べたように、石山さんの平均分娩間隔は1年を割って、しかも耐用年数が長
いのである。

  宮島さんの場合は粗飼料生産がトウモロコシで260アール、イタリアンが30
0アールとなっていて総生産量が280トン、ここでも通年サイレージ方式で与え
ている。宮島さんはトウモロコシを与えすぎると、脂肪がつきすぎて受胎率が低下
するので、トウモロコシのサイレージは1日1頭当たり15キロを限度とし、イナ
ワラを十分に与えている。イナワラは80アール分、乾草にして4.4トンになる。
宮島さんは給与するエサが栄養バランスよくとれているか非常に気を使っており、
農協でもエサの質が大変によいと感心している。子牛が安かった頃に優良子牛を積
極的に保留して増頭しており、現在29頭である。頭数が多くなるに伴ってどうし
ても事故牛がでやすくなるという。昨年の子牛生産頭数は26頭で、一般農家に比
べると繁殖率ははるかに高いが、まだ1年1産に回復していない。81年頃、母牛
が15頭前後のときは1年1産だった。多頭化に伴う飼養技術の体系化はなかなか
簡単なものではないのである。

  こうした無駄な投資や無理な拡大をしない地道な経営姿勢、良質粗飼料の十分な
生産や牛の個体管理を徹底し、繁殖手帳や簿記をきちっとつけることで常に経営改
善に努め、優れた成果を達成している。石山さんの63年の成績はざっと次の通り
である。

  子牛1頭当たりの平均販売収入は、42万7000円でほぼ西諸県地方の平均く
らい。生産費は購入飼料費が一般の7万円前後に対して4万4000円と低く、繁
殖和牛や機械・施設の償却費などの償却費を含めて生産費は14万6000円とな
っている。この地方では普通20万円以上はかかっている。これを販売経費などの
管理費に事業外費用、収益を加えた経営費は17万9900円となっている。労働
費を所得として計算すると、1頭当たり所得は24万7100円、所得率が58%
になっている。宮島さんは子牛1頭当たりの平均販売収入は42万9000円で、
減価償却費などがやや高くつくこともあって、1頭当たりの経営費は24万800
0円、所得は18万2000円、所得率は42%となっいる。普通は所得率は30
%を下回るという。2人の経営がいかに優れているかが分かろう。

  県は肉用子牛価格安定事業で、保証基準価格を1頭30万円としている。小林農
業改良普及所では繁殖農家に「子牛価格30万円で成り立つように経営計画を立て
るよう」に指導しているが、石山さんはすでにその目標を達成している。宮島さん
の場合は経営の中心は息子の徳雄さんに移っており、石山さんは長男が小林地区農
協の肥育センターで肥育技術の研修をしており、次男が昨年春に高校を卒業、いま
牧場に勤めて勉強中だ。

  石山さんは将来さらに規模拡大をしたいが、いまは慎重に情勢をみている。「8
7年に牛肉の自由化を91年から実施することを決めたが、当初は深刻な打撃を受
けるのではないかと心配された。だが、予想に反して子牛価格は1頭50万円前後
という戦後の最高値をつけている。和牛の肉と輸入肉とは質的に違うことがこれで
はっきりしたが、しかしいまのような異常な高値がいつまで続くか分からない。自
由化になってから子牛価格がどう動くかをみてから増頭に踏み切りたい。」という。
ちょうどその頃には息子さんたちが農業を継ぐようになるだろうという。立派な経
営者には後継者が確保されている。しかも後継者が2人もいるのである。

  宮崎県は57〜59年の子牛価格の暴落で繁殖農家はひどい痛手を受けた。都城
農協管内だけでもこの5〜6年の間に約2000戸、3割近い農家が子取り生産に
見切りをつけていった。子牛生産を誇る宮崎県では、87年に「1万頭(繁殖牛)
増頭運動」に取り組み、振興を図っている。肉用子牛価格安定事業で、子牛の最低
価格が1頭30万円で補償されるようになっていることも、繁殖農家に安心感を与
えるようになり、ようやく増頭に明るさがみえ始めてきたようである。

  もちろん、繁殖農家は石山さんや宮島さんのようにまだまだ慎重である。これま
でも異常な高値の後には異常な安値に見舞われるという波を繰り返してきた。その
苦い経験は忘れられない。まして来年から自由化が実施される。もう少し情勢を見
てからでも遅くないという考え方が強い。昨年11月の子牛の市場価格は48万6
000円の高値となっているが、これは総平均価格である。その中をみると、去勢
の平均が52万9000円、これに対して雌が43万7500円と9万円の大きな
開きがでている。農家の子取り生産の意欲が盛り上がってくれば、雌子牛の価格が
当然に上昇してこよう。過去の経験から子牛生産意欲が高まれば、雌が雄の価格を
上回ってくるはずだ。いまは、岩戸景気を上回るような息の長い景気に支えられて
牛肉需要が旺盛だ。この牛肉高につれて去勢牛の購買意欲が盛り上がり、それに引
きづられるように雌子牛の価格が上がっている。子牛が暴騰している割りには農家
が慎重に構えている現れであろう。

  だが、子牛生産農家はただ子牛高を眺めているだけではない。自由化を前に経営
の内部充実に力を入れている。80年前後の子牛高のとき繁殖素牛の導入や機械・
施設投資をした農家は、その後の暴落で借金返済に苦労した。高い素牛は1頭15
0万円もし、それが生んだ子牛は価格の暴落で20万円くらいにしか売れなかった
のもある。この苦い経験が忘れられない。都城農協の話によると、借入金が100
0万円以上の農家が数十戸あり、1年に200万円以上の返済をしなければならな
い農家があるという。そうした農家がいまの子牛高を積極的に活用して借金の繰り
上げ償還を急いでいるという。ここしばらく繰り上げ償還が続けば経営内容は相当
に充実してくるだろうと予測している。

  繁殖農家は当面、規模拡大よりも経営の改善に力を入れている。かつてのような
上っ調子なところがみられない。自由化を控えての極めて好ましい経営姿勢といえ
そうだ。いまのような異常な高値が続くのは無理としても、自由化後も子牛の価格
が安定すれば、農家の生産意欲が高まってくるのではないか、とみる向きが多い。
次の前進に向けての土台固めといえないこともない。宮崎県でも、いますぐ「1万
頭増頭運動」の成果を期待するのは難しいとしても、手応えを感じるようになった
としている。

  ただ心配されるのは後継者が少なくなってきたことである。例えば、都城農協が
89年2月に和牛生産部会を対象に調査したところによると、増頭したいが21%、
現状維持が75%、減らしたい3%、近いうちにやめたい1%となっているが、さ
らに増頭できない理由を問おているのに対して、高齢が27%、労働力不足が16
%、そして粗飼料不足が42%となっている。繁殖経営の基本にかかわる問題がク
ローズアップしてきている。とくに目立つのが繁殖農家の高齢化である。年が経つ
にしたがって、繁殖に見切りをつける農家が増えてこよう。規模拡大する農家の増
頭数がやめる農家の頭数を上回ればよいが、そこがどうなるのか大変に心配される
ところであろう。繁殖経営がどっしりと安定するまでには、これからも繁殖農家の
階層分解を経なければならないのだろう。

  日本経済は北風に強いといわれる。貿易の自由化、石油ショック、円高という危
機が訪れるたびに、身を引き締めて体質を強化してきてきた。一時は日本経済は崩
壊するのではないかとさえ言われたことがある。だが、結果的には、危機は日本経
済にとって次の飛躍の準備期間とさえなったのである。日本の体質は予想外に柔軟
である。そのしなやかさが日本経済の躍進の原動力となってきた。農業の国際化は
これから本格化してくる。経営の近代化に遅れているといわれてきた繁殖経営にも、
ようやく先進農家を中心に新しい意識が芽生えてきたようで、経営に対する厳しい
姿勢が見られるようになってきた。一層の前進を期待したい。


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