★巻頭言


牛肉輸入自由化をめぐる内外の論議

専修大学教授 森  宏


1.はじめに‥‥個人的体験
  日本の新聞・雑誌を眺めていると、米国は「日本バッシング」に血道を上げてい
るような印象を受ける。農産物、特に牛肉、最近では米市場開放問題で通商代表部
(USTR)、前同代表・現農務長官みずからが陣頭指揮を取っているように報道
されている。生産者や加工・輸出業者達の間で、わが国市場についてきわめて強い
関心が持たれている。従ってまたわが国市場の研究も十分なされているだろうとい
うことになる。

  しかし実態は全く違う。筆者は83年度1年間、その後毎年春・夏それぞれ2ヶ
月づつ滞米・研究生活をしてきたが、それらの経験をふまえ、そういう認識は正し
くないと自信を持って断言できる。4〜5日程度ワシントンDCに飛び、それ用に
アレンジされた会合に出て、そのまま帰国した人達がつくり話をしているとは思わ
ないが、そのような見方は事実から遠い。84年春1年間の留学から帰って、「あ
ちら」でもてなかったうらみつらみを綴った筆者の雑文を読んで、「われわれ日本
の米国研究者の間では、日米の間の認識はいわば望遠鏡の両端から眺め合っている
ようなものだといっている」と、かっての同僚山本満(現一橋大学)はコメントさ
れた。言い得て妙である。

  今年8月初めにバンクーバーの米国農業経済学会の大会で、筆者等も日本の牛肉
の保護率について報告することを許された。共同研究者の一人で最初の留学(64
年)以来の友人Gormanは最近こう言ってきた。学会に来るついでにLas Cruces(New 
Mexico州立大の所在地)をprincipallocationにしてはどうだ。今度は日本企業の
米国におけるインテグレーションの研究をやりたい。“I need your help but I 
have no money”と、農務省ERSにかけあったが今年度の予算はゼロ、ただし来
年度につないでもらっている。自分の大学は農学部が50万ドルの赤字で、これを
消す迄は空席の教員の補充もできないのが実状だと。他方、Idaho大の若い共同研
究者Linがしばらく前、大学の試験場のinternational trade関係projectsの一
環として、筆者がこの夏2ヶ月アイダホに来るための費用として5,000ドル(航空
賃、アパート代、レンタカー代等を含む)と、かれがその後日本に2週間調査にく
る費用として1,500ドル(日本ではほとんど筆者宅に泊るのでホテル、食費はただ
に近い)を計上した。しかしその計画見積りはさし戻された。理由は「大学・試験
場は旅行代理店を経営している訳ではない」であった。筆者も家内も水泳は年の割
にかなりいい線を行っているつもりだが、まさか太平洋を泳いで渡る訳にはいかな
いことくらい心得ている。

  豪州もそのような点に関しては、大同小異である。4月上旬米国の帰途、NZの
Massey大でシンポがあり、日本の牛肉市場の展望について報告した。その後、シド
ニーに寄って、この春Linと一緒にやった日本の新規格の下における枝肉(含輸
入のチルドカーカス)の市場評価に関する多変量解析結果について報告をしてもよ
いと、AMLCのその分野の責任者(と筆者が思っていた人間)に手紙を出してお
いた。行ってみると人影はまばらで、AMLC以外の人はだれもいない。少々様子
がおかしいので、「私の理解は、私の報告を希望するならNZとシドニー間のextra
の航空賃と、シドニーのホテル代をそちらで持ってくれることであり、2回の手紙
にもそう明記しておいた。そのように了解してよろしいか」と確認を求めたところ、
「自分にはこのボールペン一本の支出の権限もない」とにべもない返事。「それで
は話が違うから、配付した資料は回収して帰る以外にない」と席をたちたい気持ち
であった。余り楽しくない気分であったが、曲りなりにも報告し、質疑にも丁寧に
解答した。素敵なボールペンを記念にくれたが、こちらから形通りにせよ礼状を出
したのに、むこうからは何の音沙汰もない。あの式や表の出所や、もっと詳しい数
字が欲しいなどといった問い合わせもない。

2  日本の牛肉市場・輸入に関する研究
  わが国の牛肉に関する経済的研究関心は、主として速水(佑)(1978〜79
年)とLogworth,J.W.(1983年)の2人によって国際的なひろがりをもったと
言ってよいように思われる。

  速水は国内的には1978年に「政策構想フォーラム」の提言として、輸入課徴
金を原資とする不足払いと組合せた輸入の即時自由化を主張した。他方国際的には
米国農業経済学会の機関誌Amer.J.Ag.Econ.,Vol.61に“Trade Benefits to All:
A Design of the Beef Import Liberalization in Japan”,1979を発表した。
筆者は今春Linにならって速水の同上英文論文を読み返してみたが、短いpaper
でsimpleなモデルながら実態認識はrealisticで、現在でも通用するものがある。
輸入のchilled,grain-fed beef(のちに「高級牛肉」HQBと呼ばれるようにな
る)は、わが国の乳用種の牛肉に質的に相当する。輸入牛肉でもgrainfedとgrass
-fedの間に品質評価面で相当な差がみれらるetc.である。

  あの当時わが国の農業経済学者の多くは、農水や農業団体と同一歩調できわめて
irrationalに、“ハヤミ・バッシング”に終始した。速水も頭にきたのであろう、
不生産的な論争にエネルギーを使い、冷徹に実態認識を深めようとする姿勢に欠け
ていた。速水はわが国では正当に評価されなかった。かれはその後、Anderson,本
間等と商品分野を農産物全体に拡大し、農業の保護率の国際的・時系列比較にシフ
トした。かれの若い協力者達は日本の牛肉の特殊性には目をつぶり、いわば“beef 
is beef”(後述)、“rice is rice”の前提で、わが国の卸売価格と国際価格の
単純比較で保護率の推計を行った。多品目の多数国間の比較推計をする場合、ある
程度大胆な一般化は必要だが、日本の牛肉については、そうした一般化は許容範囲
をこえていると筆者は考えている。

  日本の牛肉は米国に比べ7〜8倍高い。輸入枠が撤廃され、事業団の介入がなく
なれば、日本の牛肉輸入は10倍近くに増えるに違いないとの想定の下に、米国は
執拗に自由化を求めてきた。取りあえず1977/78年のMTNにおいて、高級
牛肉の輸入枠を1983年度末迄に30,800トンにふやす合意を取り付けることに成
功した。上記のような想定はいまからみればかなり現実離れしているようにうつる
かもしれないが、その当時は笑い事ではなかった。農務省きっての日本通Coyleも8
2〜83年当時、畜産局の『食肉関係資料』(The Meat Statistics in Japan)に
記載されている国産の牛肉の卸売価格−東京市場の去勢和牛の「上」のそれ−と、
grass-fedや、HQBでもShort PlateやSq.Cut Chuckなどの低価格部位を多く含ん
だ平均輸入価格とを比較して、日本の牛肉は何倍高いと農務省その他の公式文書に
発表していた。

  77/78年のMTN合意のきれる1984年春をひかえ、自由化に対する恐れ
はわが国の生産者の間に広まった。84年度からの自由化を阻止するためか、農水
も農業団体も自由化すれば「大変・大変」と騒ぎたてた。即自自由化ならともかく
段階的自由化はそう恐れる必要はないといった発言(唯是)は、まるで農民の敵、
国賊であるかのように扱われた。枝肉の卸売価格は殆ど下らなかったのにも拘らず、
82〜84年にかけて和牛の子牛価格は崩落し、1頭20万円をきるところもでた。
和牛の母群の食いつぶしが進み、わが国は貴重な資源の相当量を失った。容易に取
り返しのつかない損失であった。「愛国心」の余り、冷静にデータの吟味・分析も
せず、自由化すれば「壊滅的な打撃云々」ともっともらしく発言した農経学者の多
くは、今や深く自省する必要があるように思われる。

  そういうなかで1983年夏、BEEF IN JAPAN-Politics, Production, Marketing 
& Tradeが、豪州のクインズランド大のLongworth, J.W.によって世に送り出された。
3回にわたって京都大をべースに滞日し、周到な文献渉猟と克明なききとり・実態
調査をもとに、わが国の牛肉の消費・流通・輸入・生産を幅広くカバーした重厚な
労作であった。Longworthの主たる関心の一つは、輸入諸規制によってわが国の“b
utchers’guild”に与えられてきた“unofficial,hidden subsidies”の大きさの
発見にあったように思われる。速水も彼の系列のAndersonもそのことに強い同感と
関心を示したが、筆者にはそれが日本の牛肉問題の基本的なものであったとは思え
ない。そのような留保付で筆者は同書をFOODPOLISY誌のために書評し、きわめて高
い評価を与えた。

  書評ののった同誌(Feb.'86)が送られてきた時、筆者は同誌編集者の並々な
らぬ力量に感服した。本の題名の上に、1ポイント大きな活字で、When beef is 
not  beefとの見出しが付けられていた。

  筆者はそれ以降この表現、“beef is not beef”in Japanを多用することになる。
荏開津や筆者の米国の同僚等も援用してくれたが、元はFOOD POLICY誌の編集者に
あり、その大元はLongworthその人のわが国牛肉市場観にある。かれは、明らかに
牛肉は日本では一つの同質財から程遠い。しかしデータの制約から研究者達は単一
の合成財「牛肉」として研究してこざるをえなかった」(p.21)と認識し、牛肉
市場をSuper,PopularとProcessingに3分割ないし、“Popular”部門を和牛(上
以下)・高級輸入牛肉と乳用牛(中)・チルドgrass-fed牛肉の2つのsub-segments
にわけて、4分割した。かれの弱さはそのような部門区分が科学的検定にたえる経
済統計数値で裏打ちされることなく、かれあるいはかれの周辺の人達の主観的判断
に基くことであった。

  かれは輸入牛肉の卸売価格ないし現物相場のデータを持っていなかったように思
われる。しかしその事は外国の研究者だけに限らず、国内の研究者の大半に共通す
ることであった。1985年に農業総合研究所の『所報』に発表され、十二分過ぎ
る注目を集めた大賀・稲葉(弘)シミュレーションも、同一の弱さを持っていた。
かれらは輸入高級牛肉は国産の乳用去勢(中)と全く同一であるとの前提のもとに
モデルを組み、枠拡大・自由化のシミュレーションを行った。

  筆者は1977年度からの輸入牛肉のカット別週別の関東仲間相場を入手する幸
運に恵まれた。稲葉(敏:現早大)と和牛(中)、乳去勢(中)、輸入の冷凍高級
牛肉、冷蔵および冷凍grass-fed牛肉の主要部位別の価格の経時的動きを相関分析
したところ、大賀等の言う「輸入高級牛肉=国産乳去勢」あるいはLongworthのい
う「冷蔵grass-fed beef=国産乳去勢(中)」との想定は、少くとも現実の卸売市
場取引においては妥当しないのではないかとの強い疑問が生じた。予期せざる結果
であったが、筆者等はその疑問を幾つかの場で発表した。しかし大賀等の研究者の
みならず、行政面でも注目されなかった。

  事業団の重要な機能の一つは、国産牛肉の卸売価格安定である。その事業が成功
するための大前提は、輸入牛肉は和牛とは直接競合しないであろうが、乳用種とは
相当程度代替的である。同時に国産の乳用種のいいものは、和牛との間に競合関係
を持っている。従って、輸入牛肉の市場操作で国産の乳用種の価格を動かせば、和
牛の価格にも間接的ながら安定化作用を及ぼし得るであろうというものであった。
輸入牛肉と乳用牛肉との間の競合関係がきわめて弱いらしいことを認めるのは、L
IPCの安定事業の基礎的条件を疑うことになりかねなかった。

  他方大賀等は、筆者達が提示した輸入牛肉と国産牛肉の間の代替関係が強くない
らしいというのは、分析の手法および期間の取り方等に問題があるという。たとえ
ば、十分なtime lagを取れば競合関係は必ずある筈であろうと、かれらのモデルの
前提条件の現実的正当性を疑おうとしなかった。その事は、大賀が1988年度の
日本農業経済学会の大会シンポジュームにおいて報告した牛肉自由化のシュミレー
ションでも、最近年のデータを追加したものの、同じ想定・同じモデルを採用して
いたことにもあらわれている。またかれの報告に対して、コメントおよび合同討論
において参会者の誰からも、上記の競合関係の前提には疑問が投げられなかった。
少なくともこれが1988年春当時のわが国の農業経済学界の主流というかほぼ全
部であったと言ってよいように思われる。

  他方筆者は米国の学界でも、Gorman等とそうした見解を発表し続けたが、ほとん
ど受け入れられることがなかった。米国の農業経済学会の機関誌Amer.J.Ag.Econ.
に2回投稿したが、きまって3人の査読者のうち1人はOK、1人はtimelyだが問
題あり、いま1人は“outright rejection”(即時棄却)で、ある時は「こういう
のはafter-dinner speechには良いかもしれないが、いやしくもjournal paperには
なり得ない」とのきついコメントが付けられていた。筆者は前述のように過去6年
間夏・春渡米し、その度に少なくとも1本づつpaperを書いたが、A.J.A.E.誌は敬
遠し、他のよりリベラル(ないしおかたくない)journalや刊行物を選んで発表し
てきた。米国の「えらい」学者の多くの場合いたって愛国者的であり、日本の乳用
種の肉の方が、米国の肉専用種のChoice肉より品質的にむしろ評価が高く、競合関
係も弱いということは、いかにも認め難いようである。

  われわれとしてはモデルに価格だけでなく量も加え、分析手法も「いまよう」に
精緻なものにしていかざるをえなかった。米国でわが国牛肉の需・給モデルを中心
的に行ってきたのは、アイオワ州立大のMeat  Export  Res.CenterのWilliamsを中
心とするエコノミスト群であった。Williamsは84〜5年当時は牛肉1本でモデル
を組んでいたが、1987頃には牛肉を“native quality”(=和牛)と、“impo
rt quality”(輸入牛+乳牛)に2分割して分析するようになった。これには“be
ef is not beef in Japan”という筆者達の発言が多少影響したのでないかと考え
ている。

  かれらは手法的にはかなりsophisticateしたモデル(AIDS)を用い、Sander
sonなどと比べるとかなり現実に近いシュミレーション結果を発表してきている。
しかしアメリカ人として、「世界一」である筈のBlackアンガスが、日本の乳用種
より下であっても、上でない。また現実の市場(取引)でも競合性が弱いとは到底
認め難いようである。ただ農務省ERSのDyck J.(Coyleの部下)は、アイオワの
連中の2分割は「不適切であり」、さらなる分割が必要であるとのevidenceがMori
他によって示されたと、農務省の公式報告書のなかで明記してくれた。しかしごく
最近アイオワ州立大のグループがまとめた日本市場への牛肉輸出のためのハンド・
ブックのなかでも、Dyckのそうした批判はかえりみられていない。

3  最近の牛肉市場の動き
  88年6月に3年後の自由化(枠撤廃)が合意され、88〜90年度の移行期間
には毎年6.0万トンづつの輸入枠拡大がきめられ、実施に移されてきた。初年度
の88年度は、恐らく多くの人にとって(筆者を含む)、まさに「異変」であった。
6.0万トンの輸入増は87年度の輸入実績に対し実に28%の増加であった。に
も拘らず、輸入牛肉の卸売価格はきわめて強含みに推移した。他方国産ものは、和
牛は10%程度上り、乳牛もほんのわずか下った程度であった。和牛のみならず乳
牛の子牛価格も、大方の予想も裏切って上昇し続けた。乳オスのぬれ子が12〜1
5万円もするといわれる程であった。88年度の6.0万トンの輸入増は、ボクシ
ングで言えば「ボデー・ブロー」で、やがて88年末には国産ものにもきいてくる
筈との見方が専門家筋には強かった。しかし現実にはそうならなかった。再度、
「いや」来年(1989年)春頃には「きいてくる」と予想されたが、それも当ら
なかった。

  ようやく筆者達の見解をサポートする少数の人が現れた。高橋(伊)と並木(正)
であった(『牛肉自由化の新展開』1989年2月25日)。2人の老大家のおご
そかな発言に、さしもの大賀もシュミレーションの前提を変更せざるをえなかった。
すなわち、輸入高級牛肉と国産の乳牛の間に1:1,1:1.2,1:1.4の価
格比を想定して予測をやり直し、農総研の機関誌に発表した(89年9月)。

  89年度の輸入牛肉市場は、前年度とは大きく様変わりした。大半のカットの仲
間相場が87年度末の水準に大幅に低下したにも拘らず、輸入牛肉の在庫は89年
度はじめ(4月)から年末にかけて5.0万トン以上も増加した。「冷蔵庫はどこ
も輸入牛肉でいっぱい」、「中小の問屋はつぶれるところがでるのではないか」と
いう話を耳にすることが多くなった。

  こういう事態に対して、輸出国側の反応・評価はこうである。事業団がfade away
しようとすると、日本的な「見えざる障壁」が代って登場した。すなわち「悪しき
流通機構」である。卸売価格が下っても小売価格を下げようとしない。だから末端
で荷動きがわるい→在庫がふくれるのは当然という見方である。しかし筆者の知る
限り、輸入牛肉の小売価格を体系的に収集・分析しているところは、輸出国側には
どこもない。米国農務省には東京の大使館から、総務庁が毎月調査している、恐ら
く、和牛のロースの小売価格が、輸入のgrain-fed肉のproxy(近似値)として報告
されている。既述のように和牛の卸売価格はこのところ漸増傾向にあるから、その
小売価格が下らねばならない理由はない。筆者も2〜3人の仲間とこの半年程(輸
入)牛肉の小売価格を月1回づつ調べているが、輸入牛肉もS/B/Sの拡大でき
わめて多様化し、100g150円から600円くらい迄バラツイており、どれを
もって輸入牛肉の小売価格とするかは至難に近い。さらに輸入牛肉のうち直接家計
消費(小売)される場合は30%前後に過ぎないという信頼すべき推計もある。輸
入牛肉の卸売価格が下っても、地価や人件費が上れば、ステーキ定食やハンバーガ
ーの値段は多少上っても不思議でない。

  90年度には、供給ベースで輸入牛肉の割合は50%をこえる。しかし国の内外
で輸入牛肉の流通、価格形成についての研究はおそろしく立ち遅れている。実際に
商売している人を含め、ほとんどの人がその時々の感触で物を言ってきた。需要の
見通しや国内生産に対する影響についても、強気になったり、弱気になったり、振
幅が激しい。近く食料・農業政策研究センターから、JAPANESE BEEF INDUSTRY FAC
ING TRADE LIBERALIZATIONが出版される予定である。筆者のグループにも同書に1
章、“The Relation between Imported and Domestic Beef and Its Role in Anal
yzing Beef Trade Liberalization in Japan”とAppendixとして“Rates of Prote
ction in the Japanese Beef Market”を寄稿する機会を与えられた。

  著者の経済学者としての基本的姿勢は、ポップ・ソング「ケセラ・セラ」の“The 
future's not ours to see”で、将来予測はできない、またしないを通したい。た
だかなりの確かさで、将来に輸入牛肉の品質特性を不変とすれば、91年度の70
%の従価関税では輸入は余りふえないのではなかろうかという感じがする。他方、
この2〜3年続いた子牛の高値では、やがて「やけど」をする肥育農家が出てくる
のではあるまいかとの一抹の不安を拭いきれない。行政も生産者団体もその時のた
めに備えをしておいて、大きな無駄にはならないように思われる。

<後記>  本文の性質から、出所・出典に力を入れなかった。内外の人すべてに、
敬称を省略した。“In a surprisingly franktone”で書かれていると感じられる
読者もおられるかもしれない。これでも結構抑制したつもりである。なお文中、
「競合的」と「代替的」は大賀達にならい、ほぼ同義に用いた。


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