★論 壇


牛肉価格についての一つのアプローチ

株式会社ゼンチク常務取締役 秋山 律


1.はじめに

  今度、誠に光栄なことながら畜産振興事業団から業界を代表する情報誌に、一文
を掲載していただける機会をいただきましたので、とても素人っぽく食肉業界をと
らえて見ようと駄文をおめにかけることにいたしました。自由化を目前にしてもっ
と前から、こうした議論をしておくべきだったと反省をしたり、どうしようもなか
ったと思ったりする昨今であります。

  永年、食肉関係の仕事に携わってきて、どうも業界外の人達に、すんなり納得し
てもらえない問題が、特に価格に関することで多いように思う。

  勿論、機会あるごとに流通のメカニズムのなかで、どのような価格変化があるの
か、説明はしてきているのだが、果たしてよくご理解いただけていないような顔つ
きをされることが多く実は簡単な事ゆえに、説明が難しいと改めて感ずる。

  「結局は、複雑な(?)流通機構にあるわけですね。」などと結論づけられてし
まうと、複雑でも何でもない、この業界には一般的な事なのに、なぜそういった結
論をつけたがるのか、多少ひねくれて考えることもしばしばである。

  そこで、もっとよくわかってもらえるように、いくつかの例え話をすることにし
てみた。ひとつには自動車であり、ひとつには木材といった、非常に馴染みのある
ものと、あまり馴染みのないものとで考えてみるアプローチを思い付いたのである。

  工業製品である自動車だったらどうなるのであろうか。鉄鋼製のシャーシーにエ
ンジンを取り付け、ハンドルをつけ、タイヤを嵌込み、ボディーをかぶせ、各種の
計器類を装着し塗装する。プロセスを経るごとに重量が増えていく。それに応じて
値段も高くなっているはずである。出来上りの自動車の値段を見て、鋼材がいくら
で、タイヤ一本がいくらだから、などといって、使用されている材料の価格を足し
上げて、これと自動車の値段をくらべて見る人がいるだろうか。

  これにひきかえ、我々の世界はどうであろうか。プロセスを経る度に、細分化さ
れ、成形され、見映がよくなっていくほどに、生体の価格から離れていく。離れれ
ば離れていくほど、価格に対する消費者の不信感をつのらせることになる。また、
プロセスを経る度に、部位間の価格差が鮮明になってくる。この辺りをもってうま
く教えてあげる手だてはないものか、と常日頃、悩んだりしている。誠に報われる
ことの少ない、誉められることの少ない、信頼されることの少ない仕事をしてきた
ことだ、と被害妄想にならざるを得ないことが多い。

  もうひとつ、我々の扱っているものと同じようなプロセスを辿っている商品はな
いものか、と色々考えてみた。そこで思い当ったのが木材である。森林から丸太と
して切り出され、それから製材され、規格品がつくれていくこのプロセス、それに
輸入材もある。また、銘木と呼ばれているものもある。木材をおっかけてみれば、
色々なヒントが得られるかもしれない。このアナロジーに対して、異論が出てくる
事もあえて承知の上で、木材、さらには林業といったものを眺めてみよう。

2.木材とアナロジー(A)

  木材なり林業なりについてはもとより素人である。素人がこういう問題提起をす
ることは誤解を招く恐れがある、とのそしりを受けることは覚悟の上である。類似
点は類似点として認めるとしても、木材のことをそのまま牛肉に援用して、牛肉の
価格に対する説明に説得力が増すのであろうか。相違点があり過ぎるのではないか。
相違点に目をつむって、類似点だけをとり出して、嬉々としていては、事の本質を
見誤るのではないか、など危惧される点が多々あることは重々承知の上である。

  とはいえ、やはり素人は素人である。紙数の無駄になるかもしれないが、客観的
なことだけを述べるしか他に方法はないかもしれない。そこで、とにかく「林業白
書」(平成元年度版)を繙いて、木材、林業に関するアウトラインを描いてみよう。
白書に語らせよう。

  「従来の木材の使用分野への鉄やプラスティック等の進出とともに価格面などで
競争力を強めている外材の輸入増加が続くなかで、国産材は供給体制に立ち遅れが
みられることなどから、最近の木材需要の拡大過程においても供給量の停滞が続い
ており、自給率は3割を下回っている。」

  「…丸太の段階では使用価値の高い製材、合板用の丸太が優先的に選別され、細
かいものや曲がりの大きいものなど製材、合板に使えない丸太は主として木材チッ
プ、パルプ用に使われている。また林地残材として、樹木の梢端部や枝、切株等の
丸太生産の対象とならない部分についても一部が回収され、主として木材のチップ
用に使われている。」

  「加工の段階では、工場残材として、丸太から製材品を製造する際に生じる端材
や、丸太を回転させながら薄くスライスして合板用の単板を製造した後に残る新材
等が有効に利用され…」

  「…製材用の木材については主な流通経路を見ると、外材については港湾に整備
された巨大なストックポイントを拠点とする大規模で効率的な流通が行われており、
商流と物流の分離が進んでいる。これに対して、国産材は、全国的に分散した産地
から消費地までの間に小規模で多段階の流通機構が形成されており、商流と物流が
一体となった流通が一般に行われている。このことが国産材のコストを引上げる原
因の一つとなっている。」

  「…国産材丸太の流通の主要な担い手となっている厚木卸売市場においては、品
質に差の少ない丸太についても現物を見て行うセリや入札による取引が多く、また、
取引の単位となる丸太の量についても…大量取引が多くみられる外材に比べ極めて
小さなものとなっている。」

  「丸太から製材品を生産する製材工場についてみると…国産材工場の多くは、国
産材の産地に所在し、樹種、太さなどが異なる様々な丸太から規格、寸法が異なる
多種多様な製材品を少量ずつ生産し、…外材工場の多くは、港湾周辺に立地し、均
一な丸太から特定の規格、寸法の製材品を大量に生産しており、高性能機械の導入
等により生産性を高めている。」

  「木材の産地側においても、地域の銘柄材や伝統的な技能を生かした特色のある
木造住宅を開発し、直接消費地に供給しようとする取組が数多くみられる。国産材
の有効利用を促進していく上で、このような取組の一層の進展が期待されている。」

  「…製材品を使う側においては、均質大量需要にも適合する信頼性の高い工業製
品として木材が求められており、量的にまとまりのある木材の安定供給に加え、品
質面においても狙いの少ない乾燥材に対するニーズが高まっている。」

  「現在流通している製材品の規格、寸法は日本農林規格(JAS)に定められて
いるが、製材品を使う側にとって必ずしも使い易いものとはなっておらず、新たに
製材規格の必要性が高まっている。」

  白書の記述を辿ってみた。目減り、歩留りなどについての支援材料というよりか、
国産材と外材の違いが余計に浮彫りにされる結果となったのかもしれない。当面は
木材にアナロジーの対象を求めたことの意義は小さい。この点については、後で再
び論ずる事があるであろう。

3.東京価格とNY価格

  二番目によく聞かれる点は内外価格差についてである。農水省が7月27日に発
表した「食料品の価格水準の日米比較調査の概要」によれば、今回の調査の結果を
特徴的に捉えれば、次の通りだとしている。

@  東京における食生活をニューヨークで営んだ場合には、食料品価格の総平均水
 準は、東京を100としてニューヨーク110となり、ニューヨークの方が割高
 となる。これはいわゆる日本型食生活を特徴づける食品群において、米は別とし
 て、まぐろ、いか等の生鮮魚介、ほうれんそう、だいこん等の生鮮野菜、豆腐、
 干しのりの乾物・加工品類など、ニューヨークの方がおおむね割高なものがかな
 りあることになる。

A  一方、ニューヨークにおける食生活を東京で営んだ場合には、食料価格の総平
 均は、ニューヨークを100として東京147となり、東京の方がかなり割高と
 なる。これは欧米型食生活を特長づける食品(例えば、牛肉・鶏肉等の生鮮肉、
 ベーコン・コンビーフ等の加工肉、牛乳・乳製品、オレンジジュース等の飲料)
 が、いずれも東京でかなり割高であるためである。

B  これらの結果を総合して、東京100に対してニューヨーク87という日米の
 総合的な食料品の平均的価格水準の比較値が導き出された。

  さて、この結果について思いを巡らせてみよう。NYに住む平均的なアメリカ人
は、生鮮魚介、生鮮野菜、乾物、加工品類などいわゆる日本型食生活を特徴づける
食品群の価格が、東京と比べて高いと不平を言うだろうか。おそらく「NO」であ
る。また、わざわざ東京まで買いにくるだろうか。このも「NO」である。

  一方、東京に住む平均的な日本人は、欧米型食生活を特徴づける牛肉をはじめと
する食品群の価格がNYより高いと不満を表明するだろうか。「YES」である。
そうかといって、NYまで買出しに行くか、といえば「NO」である。

  これは、世界的にみて、日本型食生活を営む人の数が、欧米型食生活を営んでい
る人より圧倒的に少ないことにもよるであろう。NYで日本型食品群を食べたいと
思っているアメリカ人と、東京で欧米型食品群を食べたいと思っている日本人の数
を考えてみれば、内外価格差に対する反応が異なるのは当然のことであろう。

  東京での欧米型商品群の割高に対する不満は、欧米型食品群が日本人の間で普遍
的になってきたということでもある。だとすれば、東京とNYでの共通した食品群、
例えば、牛肉についてみれば、それは産地がどこであれ国際商品になってきたとい
うことである。国際商品になってきたがゆえに、内外価格差が問題にされるのであ
る。

  今年の経済白書は第3章第5節で内外価格差の問題を採り上げ、「生産活動の成
果は、多くの場合、市場取引を通じて消費者に配分され、競争的な市場経済システ
ムでは、価格が需要調節のバロメーターとして働く、…物価水準や価格の伸縮性の
程度は市場メカニズムが十分機能しているかどうかを判定するための一つのバロメ
ーターである」とし、「内外価格差は為替レートの短期的変動の影響を受けるとは
いうものの、…円高になった場合、数年たっても貿易財価格差が縮小しないことは、
消費者行動の要因に加え、市場機構の動きを阻害する何らかの構造的問題点がある
と考える方が自然であろう。」と述べている。

  そして、「貿易財輸出入が可能な財については、もし輸出入に何ら障害がなけれ
ば、国際間の価格裁定によって、長期的な均衡においては、価格差はたかだか輸送
コストと税制の差など合理的な範囲内に収まるはずである(いわゆる一物一価の成
立)。しかし、現実には、様々な理由から、内外価格差の程度はその範囲を超えて
いる。」としている。

  ここで、「市場メカニズムが十分機能している」とか「国際間の価格裁定」とか、
ということは、国内的にだけでなく、国際的にも価格を通じて需給の調節が行われ
る、ということである。来年の4月以降、輸入される牛肉には高率関税が課せられ
るものの、数量の規制はなくなる。牛肉全体が国際商品、貿易財としての位置づけ
を明確にすることになる。価格を一つの大きな指標として、需給量が調節され、し
かも、その価格は内外価格差の縮小に向けて動くことになる。

  自由化を目前にして、最近多くなってきた質問は、自由化後、安くなるのですか、
というもの。これはこれまで述べてきた文脈からすれば、完全かどうかは別にして、
貿易財となるのであるから、長期的には安くなる方向にある、或は、内外価格差は
縮小に向かうはずである、ということになろう。いずれにせよ、貿易財としての衣
も着ることになるのであるから、貿易財として牛肉が論じられることだけは間違い
ない。

4.木材とアナロジー(B)

  再び「林業白書」に語らせてみよう。「木材は古くから入手、加工が容易であり
軽くて丈夫な材料として、住宅や家具はもとより社寺…等の建造物から樽、桶…等
の日用品に至るまで幅広く使われ、木の文化の伝統が培われてきた。鉄やプラステ
ィック等が従来の木材の使用分野に進出した今日においても、木材は、住宅、家具、
紙等様々な用途に使われ、国民生活を支える基礎資料として欠くことのできないも
のとなっている。」

  「木材は、断熱性、湿度調節の働きなどの優れた性能に加え、木目の美しさ、適
度の柔かさなどの特性をもっている。近年、国民の生活に対する意識が物の豊かさ
から心の豊かさを求める方向へと変化している中で、このような特性を持つ木材は、
快適で心の安らぐ空間を作り出す素材としても見直されてきている。」

  「…環境保全の観点から、エネルギー消費の削減による二酸化炭素の排出抑制が
求められるとともに、二酸化炭素を吸収し固定する働きを持つ森林の重要性が再確
認されている。森林の産物である木材は、自然の循環の中で永続的に再生産するこ
とが可能であるとともに、製材品の製造等の加工に必要なエネルギー消費が総体的
に少ない資材であり、環境問題の観点においても優れた特性をもっている。」

  最初の方でのアナロジーでは、細分化されるプロセスに観点をおいたが、ここで
は、資材として出発し、家というトータルなものへの寄与について考えてみたい。
床材として、柱として、あるいは、床柱として、家を形つくっていく上で、木材は
必要不可欠な資材であると同時に、そこには、他の資材とのバランスの中で、木も
しくは家の文化が培われている。経済的論議を離れて、文化が存在しているのであ
る。木材は誠に素晴らしい、心を豊かにしている感性財なのである。

  こう考えてみると、牛肉、いや食肉全般についても、ほぼ同じようなことがいえ
るのではなかろうか。基礎資材としてスタートしながら、これに他のものを組み合
せる、盛り合わせるなどして、料理という一つの文化が形成されているのではある
まいか。料理ということになれば、そこには原価計算を超えて何らかの潤いを求め
る、雰囲気がある、感性(うまみも含めて)ある財が存在しなければならないので
ある。

  先の「林業白書」の記述の中で、最後に需要だと思える点は、環境保全について
である。木材、森林、林業は環境保全に役立っている、ということである。伐採し
ないで放っておいたら、それでよいかといえば、そうでもないようだ。また、切り
過ぎると、森林が荒廃していくなど、そのマイナス面を特に強調するまでのことは
あるまい。自然環境保護のためには木材が切り出される側面が多分にあるように思
える。とすれば、木材は優れた環境財ということができる。木材があるが故に、自
然環境が保護されている、ということである。こう考えることができるならば、木
材のコストのなかには、自然保護コストが入っている、と見てもよいのではなかろ
うか。

  牛肉、いや食肉全般、もっと言えば畜産についても、自然保護コストという視点
が入ってくる余地が充分にあるように思える。木材とのアナロジーで言えば、牛肉
も感性財であり、環境財である。

5.結び

  主として牛肉の価格を巡る問題点について、木材とアナロジーを交えて考えてき
た。何時でも人から聞かれて、どう説明したら納得して貰えるのだろうか、理解を
求めることができるのか。これで悩みが全てふっ切れたとは言い難い。何かの整理
の糸口はできたのかな、という感じである。

  貿易財、感性財、そして環境財の三つの視点から眺めてきた。感性財にあっては、
コスト意識は当然にあるものの、そこに付加される価値にどれだけの意義を見出し、
納得するか、というところに力点が置かれるので、しばらく、貿易財と環境財につ
いて考えた方がよいであろう。

  牛肉は来年の自由化によって、貿易財としての色合を濃くしている。価格の透明
さがなお一層、求められることになる。価格は生産者に対しても消費者に対しても、
また、国の内外に対しても充分に説明できるものでなければならない。しかし、工
業製品と同じ手法で価格を解明することだけが全てではないように思える。

  ここで、このような視点から環境財なる考え方を持ち出してみたものである。い
くら市場のメカニズムが決定し、決定された価格が万能であるとするのが全てであ
ると考えてよいものだろうか。そうなると、市場メカニズムとはどうなっているの
か、さらに言えば、自然と係わりのあるものについて、市場メカニズム万全でよい
ものだろうか、消費者の在り方と自然の守り方との調和かもっと考えられてしかる
べきではなかろうか。

  消費者の顔が見え、生産者の顔も見える、もっと言えば、日本人の顔も見え、地
球人の顔も見える価格というのが目指されなければならないように思える。三年後
にはまたタフな政府間協議が開始される。この時のために、色々な理論武装をもう
用意しておかなければなるまい。


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