★ 国内現地の新しい動き


自由化本番・・・迎え撃つ肉牛生産者

財団法人 新農政研究所 理事長 松浦龍雄


  いよいよ4月1日から牛肉の輸入自由化がスタートする。平成2年度に畜産振興
事業団と牛肉を約33万t輸入した。ところが期中売却できず持ち越し在庫が約6
万tに達するそうで、4月以降事業団体はこの在庫を毎月6,000tずつ計画売
却すると言われる。もう牛肉の需給調整業務から手を引いた事業団としては極力赤
字減らしに進むのは当然のことである。その売却が市況にどんな影響を与えるかは、
輸入業者みずからの責任で判断すべきだ。いわば事業団の大棚おろしを睨みながら
自分の輸入品目、数量を決めるべきである。それが自由経済というものだ。

  そのことはよく判るのだが、予想通りというか肝心の牛肉市況は昨年後半からパ
ッとしない地合がつづいている。実質的には自由化がもう始まっていたからだ。そ
してひとり和牛高が特に上モノで続いている。もし自由化なんかしなければもっと
上昇したと言う人もあろう。それは結果論だ。要するに和牛肉と輸入肉は需要の性
格がちがうのである。まったく別の商品と言い切るのはいささか乱暴である。しか
し少なくともこれだけ景気の好況が持続しているかぎり和牛肉の特に上モノは堅調
だろう。かりに不況局面に転じてくると、和牛肉にモロに影響が出るだろう。いず
れにせよ和牛肉の需要はここ当分年間10万tから15万t程度しかあるまいとい
うのが私の予測である。そもそも供給力がそれで精いっぱいかなと思うからである。

  これにひきかえ乳牛肉、とくに乳用雄肥育は輸入肉と競い合っている。特にスソ
物には明らかに影響がある。自由化の関税は70%から50%まで毎年引き下げら
れる。この50%に下がった時がしとつの正念場となろうと多くの観測が一致して
いる。輸入肉と国産肉がこのあたりまでくると正面衝突するはず。それまでは現在
のような不透明な地合いがつづくだろう。輸入商社や卸小売商、量販店、外食店チ
ェーンなどそれぞれに対策に工夫をこらしている。

  肉牛生産農家だって例外ではない。特に肥育段階はモロに輸入肉と競争しなけれ
ばならない。企業とは違った生産者らしい工夫があるはずである。生産者としては
まさか肥育舎をからっぽにはできない。毎日牛を飼いながら、生産コストを極力圧
縮し、有利販売の工夫をこらすより仕様がない。

  例年なら値上がりするはずの昨年末豚価が低落して騒然となった。供給過剰とい
うよりも、家庭用需要の停滞に加えて、骨やスジを外すカット職人の人手不足とい
う思わぬ落し穴があった。とにかく市況予測はむずかしい。人手不足となると、輸
入相手国でキレイに脂肪も削らせて部位別ボックスで輸入すればよい。単に豚価だ
けでなく、牛肉にだって影響するだろう。

  ところで輸入肉と直接競り合うのは肥育生産者である。従来この分野の畜産行政
は比較的手薄だった。子牛繁殖、とくに和牛こそ政策目標である。牛乳生産のつい
でに生まれる雄子牛の肥育なんて、いわば副産物、副収入の感覚である。これは政
策のスジ道として理解できる。しかしこのような政策の谷間にあると、生産者はむ
しろ自由な発想で生き残りを考え、政策に依存しないものだ。乳用雄種の肥育はこ
の20年で目を見張るほど、一気に規模拡大が進行した。


訪問農家のあらまし

 今回は栃木県下の4経営体に焦点を絞った。

  まず南那須町に畜産基地事業で入植した若い加藤朝己さん(32才)は1人で9
00頭を飼養管理している。また氏家町の小菅圭介さん(55才)和彦さん(26
才)親子は1,200頭規模である。もう1,000頭規模肥育は全国で珍しくな
い。アメリカの企業経営は10万頭規模だが、あちらは企業、こちらは家族経営な
のだから、実質はもう大差はなくなっている。

  企業肥育で有名なのは南那須町に本拠地を置く神明畜産がある。もう牛豚肉のコ
ングロマリットと言うべき同社も第一次オイルショックまでは、埼玉県川本町の養
豚家だった。それがオイルショックの相場急落を見て、一気に牛肉生産に踏み切っ
た。安い子牛をねらった相場逆張りの勝利である。現在では全国20ヵ所以上に生
産基地を持ち、年間出荷1万8,000頭規模、今年は2万頭に達する。豚は12
頭を出荷する。南那須町の畜産基地には常時2,500頭の牛を飼育する。

  第4の人は大田原市で和牛の繁殖肥育一貫経営に取り組む中村聖暉さん(46才)
を選んだ。中村さんは夫婦で繁殖雌牛100頭、育成牛40頭、肥育牛89頭とい
う規模である。和牛といえば特に繁殖経営の規模が小さい。しかし中村さんはあえ
て一貫経営に乗り出し、規模もなかなか大きい。アメリカでも繁殖肥育兼用経営だ
とせいぜい数百頭規模が結構目立つ。やたらな規模拡大はやらないようだ。そんな
目で見ると中村さんの経営はもうかなり良い線に達している。

  さて加藤さんと中村さんは、実を言うと農政調査委員会刊の「農」bP85号で
紹介され、当時私がコメントをつけた。私はコメントした農家には必ず訪問するこ
とにしているのが今回選んだ理由でもある。また小菅圭介さんは昨年茨城県石岡家
畜市場で会い、ヨモヤマ話を食堂でした。神明畜産はもちろん企業経営の代表例と
して選んだ訳である。


900頭を1人で肥育する加藤さん

  まず最初に訪問した加藤牧場はたしかに若い経営者がスマートに運営しているこ
とがよく判った。子供の時から埼玉県和光市の実家で営む肥育牛経営を手伝ってい
た加藤さんは、高校を卒業後直ちに八溝西部畜産基地開発事業に参加を決意し、5
5年に弱冠23才で入植した。もともとこの国営事業は粗飼料自給型畜産を目論で
いたはずだが、加藤さんの計画は始めから和光市の実家同様の購入飼料主体の加工
型畜産だった。余り若いので入植の名義はお兄さんから借りたが、実質は加藤さん
である。「600頭規模の肉用牛肥育場」として、ほぼ生後半年(約200kg以
上)の乳用雄子牛を導入して、生体重650kgをメドを12ヵ月肥育して出荷す
る。鉄骨スレートの畜舎2棟と付属施設である。総工費4億8千万円、償還額は1
億9百万円、「もう返済しました」と澄ました顔で語る。2棟の畜舎は20区画
(ぺン)に区切られているから800頭まで拡大が可能だ。実際は900頭入れて
いる。それだけに、1人の労働力で飼育管理をするための省力工夫は、まずペン毎
の給餌がコックをひと押し、ワンタッチで出来ることに現れている。またペン毎に
ブルで糞出し作業が出来る仕組みなので「必要に応じて早目早目に敷料交換ができ
る」「とにかく牛を常に乾燥した気持ちのよい環境におかないとストレスが生じる」
と、いかにも自分も清潔好きらしい加藤さんの弁である。もっともオガクズ主体の
堆肥の処理は周辺の農家に供給する訳だが、このあたりはなかなか大変なようであ
る。山中のため周辺農家の堆肥需要が少ないから、自分から積極的に使ってもらわ
なければならない。

  さて、加工型畜産最大の特徴である飼料は全量購入していることだ。入植当時6.
4haあった牧草畑は付近の酪農家に貸している。配合飼料はもちろんのこと粗飼
料に使うイナワラも付近の水田農家から買うことはやめて、台湾からの輸入品だ。
農家のイナワラよりも細断してある台湾ワラのほうが使いやすいと言う。

写真  1人で900頭を飼養する加藤朝己さん

  およそ考えられる限りの徹底した加工型畜産である。ついに肥育牛も豚鶏並みに
なったかとの感を深くする。これが臨海都市近郊に立地する愛知県あたりのカス肥
育と異なって栃木県の山間部に立地していることに改めて驚かされる。早い話、鹿
島立地の配合飼料工場からの輸送がひとつの問題点だろう。また量がいかにも多い
ので、それなりの買い置き在庫も予定しなければならないはずだ。

  その点について加藤さんはすこしも気にしていない。「飼料代金の回転サイトを
除けば借金なんてありませんよ。借金までして肥育なんかやってられないですよ」
とも言う。

  子牛の入手先はもっぱら北海道産だが、県経済連や帯広の家畜商から電話一本で
10t車で1輌、2輌と買入れる。自分が出向いて家畜市場で子牛を鑑別するわけ
でもない。「来た子牛をよく観察して肥えらせて行けばよい」のだそうだ。肥育素
牛高も気にしない。

  「肥育なんて素牛代と配合飼料代と販売収入の間を泳げばよいのであって、牛肉
が安ければ素牛も安くなるはずだから、心配しませんよ。もっとも輸入牛肉との競
争でとても勝てないと判ったら、損が大きくならないうちに全部店仕舞いして転職
します」とアッケラカンである。若いとは言うが素牛観察は十分に訓練を積んでい
る自信がそうも言わせるようである。とにかく情勢変化の早読みにはかなりな資質
があると見えた。「1日の労働は午前中だけですませる」というあたり、当世の若
者気質を十分に持ちあわせている。


関西に生体出荷する小菅さん

 若者気質と言えば氏家町の小菅和彦さんもそうだった。圭介さんの養子に入るま
では牛飼いなんてまったく知らなかったそうだ。農家ではなく商人育ち。だから肥
育に対する感覚もまったく商人的に考えている。もっとも養父の圭介さんは根っか
らの農家である。経営規模は1,200頭肥育である。氏家町の自宅横に約800
頭、ほかに南那須町でやはり八溝西部畜産基地事業に参加した牧場に約400頭と
2ヵ所にわかれている。

  圭介さんの特徴のひとつは生後1週間から10日目の乳用雄子牛の哺育から始め
ることだが、その子牛の購入は茨城県石岡家畜市場で自分の目で確かめてセリ落と
す。かつて私が石岡市場を見学した時、あまり鮮やかに集中的に値ごろ感の子牛を
1人でバタバタとセリ落としていくのが目立ったので非常に印象が強烈だった。そ
の時食堂での話し合いが面白かったので、今回たずねて見ることにしたのである。
残念ながら圭介さんは他出して不在。もっぱら和彦さんから話を聞くことになった。
やはり配合飼料からイナワラまで自給粗飼料はゼロ、すべて購入である。そして飼
料メーカーの職員2人が毎日配達してきて、給餌はすべて彼らがやっていく。した
がって不断給餌である。さらに子牛哺育は常時70〜80頭はいる訳だが圭介夫人
の一手引受けだ。これは後述の中村聖暉さんも同じだが、素牛の事故は大部分哺育
段階で起こる。子供を育てるのと同じで女性のほうが発見が早いらしい。もっとも
ここでは毎日専任契約の獣医師が見回って観察している。極端な言い方をすれば圭
介さんはもっぱら子牛の仕入れ、販売出荷は親子でやり、糞出しは男手(雇い人も
いる)だが、要するに極力省力化している。また販売はもっぱら関西のある卸商へ
生体で直送する「関西方面のほうが関東より乳用雄肉の相場が常に良いから」とは
和彦さん。たしかに飛び切り高級和牛はやはり関東の消費量が多い。しかし乳用雄
となると、大衆牛肉であり、それはもともと豚肉より牛肉嗜好が強い関西のほうが
売れる。しかも関西は内蔵も含めて多彩な利用、調理方法を持っているので、それ
なりに評価してくれる訳である。小菅さんは全量、生体でトラック輸送で関西出荷
だそうである。栃木県から大東京を素通りして関西へ行くというのだからなんとな
く理屈では割り切れない感じだが、日本列島の牛肉消費パターンの複雑さを垣間見
る思いだ。

  圭介さんはかなり頑固な自分なりの見識を持ち、しかもそれを押し通ししている。
家族経営を基本としながら飼料会社の職員を巧みに雇用労働力(飼料代を実質的に
値切っている)に利用したり、獣医の専門知識と女声の細やかな観察力を併用した
りする。南那須町の牧場には牛はいるが誰もいない。給餌作業を飼料会社の職員に
任せ、獣医に牛の観察を頼むとなると、毎日通う必要もない訳である。そして牛ド
ロボウを防ぐため隣接牧場と組んで警備保障会社と契約しているのである。もとも
と粗飼料自給のための牧草畑は飼料置場になっている。農地と切り離された加工型
畜産のドライな割り切りかたを見せつけられた。もっとも償還は加藤さんが期限前
完済をしたのに、こちらは所定額を毎年支払いまだ残っている。英国の酪農は購入
飼料型から農地利用粗飼料生産に回帰しているそうだが、いったいどんな政策があ
ったのか。わが国では農地型畜産への道を改めて探らなければなるまい。いくらな
んでも肉牛まで輸入飼料依存では農業の一分野としていかにも淋しい限りだ。

写真  パドックに牛を放す中村聖暉さん


徹底してブランド化を進める神明畜産

  さて第3のタイプとして南那須町の神明畜産の活動をのぞいてみた。高橋3兄弟
の3番目、高橋三男常務が生産担当とし全国約20ヵ所さらに海外の牧場まで含め
て生産活動の指揮に走り回っている。たまたま南那須町の本部にいたので話を聞く
ことができた。

  同本部もやはり畜産基地事業に入植者として入り、現在乳用雄牛を中心に約2,
500頭の肥育を行っている。同社は第一次オイルショックまでは川本町で養豚経
営農家だったが、あの牛肉暴落、子牛安を見て、思い切って牛肉生産にシフトした。
多くの牛農家が暴落に悲鳴をあげた時に逆張りの発想、ナンピン押目買いである。
ここでも相場観の確かさが勝利の原因である。この相場観は和光市の加藤さん一家
にもあてはまる。やはりあの時期に思い切って拡大したのが現在につながっている
そうだ。

  神明畜産の発想は単に牛飼いのものではない。そこからセールス、加工さらに預
託牛という名の牛小作と手当たり次第に、牛豚肉を中心とする多角的コングロマリ
ットへ進んだ。現在年間出荷は牛1万8,000頭、豚は12万頭である。これは
いずれもスーパーチェーンに対して神明ブランドの直販、ハム、ソーセージへの加
工。これも神明ブランド。豚では鹿児島県畜試が創出した黒潮豚を薩摩黒豚として
東急などへ一手販売である。徹底した銘柄売り込みだ。

  ただし生産は全国タコの足的なのだから、各地それぞれ最寄りの配合飼料メーカ
ーから飼料を買い、銘柄は同じでも肉質まで同じという訳ではなさそうだ。それに
しても次兄が担当しているセールス活動と生産の車の車両を長兄が統括する形で破
竹の勢いで拡張が続いている。形の上ではもうレッキとした企業経営であり、とて
も農業とはいえない。ただ3兄弟が組んでいる点ではまだ農家のカラをつけた農民
企業と言えよう。加藤さんは規模は小さいが神明的である。和光市では兄さんが肉
用素牛の哺育、育成中心にやっており、「成育が遅れたりして、厄介な牛は私の所
へ送り込んでくる」とうだ。加藤さんは一応兄弟とも独立採算である。これに反し
て神明3兄弟は毛利元就3本の矢の教え通りしっかりと分担協力をしている。

  スケールも大きいから単に乳用雄牛だけではない。あの無税の輸入素牛を飼って
おり、実験的には3元交配牛もいる。「玉抜きだと思って安心していると、牝に妊
娠させており、しょうがないから生ませてみた」子牛が元気に育っていたりする。
要するにすべての試みは神明ブランド牛の生産供給に絞り込まれている。大型量販
チェーンに対して安定供給のため、牛肉ならなんでも揃うとアピールすることだ。
外国に牧場を持って輸入肉も神明ブランドという訳である。もちろん加工型畜産だ
からこれだけの急膨張ができた訳だ。もう預託牛は農協系統の専売特許ではなくな
った。飼料や素牛を農家に供給して、農家に1頭当たり1日200円で肥育するい
わば牛小作もあちらこちらに置いている。

写真  小菅さんの肥育舎はとにかくでかい(氏家町で)


品質の安定とコスト減を狙う中村さん

  以上三者はいずれも多少は農民的経営の痕跡は残っているものの商人的経営であ
る。これに比べると、和牛の繁殖肥育一貫経営に取り組む大田原町の中村聖暉の経
営は明らかに土と結びついた農民経営である。中村さんは繁殖雌牛100頭、ほか
に育成40頭肥育牛89頭の規模を夫婦2人の労働力でこなしていた。和牛として
は早期出荷のリミットといってよい24ヵ月肥育がメドである。和牛の本領である
シモ降り肉にするには30ヵ月の理想肥育が必要と言われるが、中村さんは「肉質
はそれほどこだわらず、一定の水準に達することでコスト安をねらっている」と語
る。そうは言うものの最近の枝肉販売の実績を見せてもらうと、例外的な1kg千
円台が1頭あったきり、だいたいkg2,400円前後に集まっている。中には2,
700円台の枝肉も出ている。どうやら肥育の技術はかなり高いようである。

  そして繁殖肥育一貫経営に踏み切ったのは自分の肥育技術に自信を持ち、素牛確
保の不安定を克服して、かつ自由化に対決するため、安い素牛を自分で生産しよう
と思い立った55年からである。もともと自給粗飼料を多用する肥育だったから繁
殖までさかのぼって行くのは当然のコースだったとも言えよう。

  ところで肥育生産の経験をもって、その上に繁殖生産に乗り込むということは、
そもそも繁殖生産者と発想から違ってくる。まず1年1産の確保を確実にする。も
ちろん発情期の見分けなどが大切なのだが、中村さんの場合、生まれた子牛を早々
と母牛から離してカーフハッチで哺育する。子牛の世話という手間のかかる仕事が
ふえる訳だが、母牛はそれだけ発情が早くなる。さらに育児のベテランである奥さ
んが受け持つことで病気の対策が早目に打てる。「主人なんか当てにならないよ」
と奥さんは自信タップリである。ひと目見るなり子牛の異常を見わけるのは育児の
経験を持つ女性にかなわないようである。このあたり小菅さんと同じである。

  これと逆に大局観は男が優れているのかどうか。中村さんの規模拡大は相場の押
目買いをすることから始まる。例えばオイルショック後の50年はわずか15頭し
か導入しないが、翌51年には素牛値下がりを見て41頭を一気に導入している。

  そして現在はすべて自家生産牛である。したがってすべて未登録牛だ。事故がな
いから家畜共済にも入らない。ただし子牛価格安定基金はすべて加入している。全
国平均が1頭当たり30万4,000円の補償価格を下回った場合、当然子牛代金
の補償がもらえるからだ。しかも中村さんの素牛生産コストはこれよりはるかに低
いはずである。合理化メリットを政策が倍増してくれる計算である。「農政に対し
て客観的に評価を下し、利用すべきものは利用し、利用できない時はさりげなく身
体をかわす」という。私が中核的担い手と判断するひとつの基準を美事にクリアし
ている。

  八郎潟の佐藤和夫さんたちは、あの寒風吹きすさぶ日本海沿いの大潟村で、水も
電気もこない悪条件を克服して、ビニールハウス畜舎に成功した。坪当たり建築単
価は5万円しない。中村さんは現在の土地条件ではこれ以上の規模拡大はできない。
しかし若干立地を移すならまだ余地はある。そこで極力投資額を押さえるため、佐
藤さんと連絡をとり、ハウス畜舎に大きな関心を持っている。

  肉用牛の繁殖肥育は我が国ではこれが極め付きという飼養類型は確立していない。
生産者それぞれが実験モルモットみたいなものだ。手探りでさまざまな工夫をして
おり、自己流で自由化を迎えるのが実情である。もちろん官僚技術陣もさまざまな
工夫を各地で実施している。だから失敗例も多い。彼らのうち最後に笑うのは誰か。
ずい分各地を見て回った私だが正直言って判断がつかない。ただ南北3,000キ
ロに長く伸びた日本列島だけに土地、気象条件ひとつとっても大きな違いがある。
こうした自然条件の大差を克服して、しかもわが国の農地に立脚した牛飼養技術が
確立されなければいけない。加工型畜産全盛といってよい現在の傾向に果たしてど
のような歯止めがかかるのか。道は遠いだろうが、今後もその見地から肉牛生産を
見て行きたいものだ。

写真  神明畜産の本拠に立つ高橋三男常務



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