★ 国内現地の新しい動き


自由化に立ち向かう肥後のあか牛

農政評論家 山本 文二郎


明るさと取り戻すあか牛

  牛肉の貿易自由化がこの4月からいよいよ実施される。関税も初年度の70%か
ら毎年10%ずつ引き下げられて93年度には50%に下がる。市場が解放された
肉用牛業界は生き残りをかけての正念場を迎える。

  そこで、輸入肉の影響を受けやすい褐牛(あか牛)の産地・熊本県を尋ね、自由
化にどう対処しようとしているのか、農業や肉用牛関係者に聞いてみた。意外だっ
たのは、自由化に自信を取り戻しつつあることだった。黒牛でさえ輸入牛肉にどう
対抗するか不安のある中で、肉質では黒牛に劣るとされるあか牛はきっと悲観的な
ムードに支配され、停滞の色を濃くしているのではないか、と想定しての熊本入り
だった。

  明るさを取り戻し始めたのには、それなりの背景があった。自由化に対応する道
は@肉質の向上で輸入肉との差別化を進める。A徹底したコスト削減、の二つであ
る。特に肉質の向上は自由化への最大の課題で、最近、肉質の極めて優れた種雄牛
が育成され、また肥育技術の進歩で肉質改良への手がかりできたことが自信を取り
戻すきっかけとなった。

  しかも、種雄牛の造成には受精卵移植の技術が優良牛の選択に応用されるように
なり、造成期間も従来の42カ月から22カ月に短縮できるようになった。さらに、
生体に超音波を当てることによって肉質、特に脂肪交雑の状況が高い精度で分かる
ようになってきたことがあげられる。

  農業分野の中で体質が最も保守的とされているのはコメ、養蚕、和牛の三つであ
る。同じ畜産の中でも酪農、養豚、養鶏に比べ肉用牛は対象的に保守的だ。これま
で経験と感に頼りがちだった肉用牛業界にも近代技術の積極的な応用が始まり、合
理的な考えが強まってきたといえよう。

  その背景にあるのは、牛肉自由化の危機感である。“必要は発明の母”といわれ
るが、この危機意識が自由化対策を早めた。かつての石油危機が省エネルギー技術
の積極的な開発、人減らし、もの減らし、カネ減らしの徹底した企業の体質改善の
きっかけになったのと共通しているといえよう。


あか牛の来歴と特性

  ところで、あか牛は昔、熊本県を中心に北海道の道南、秋田県、関東地方、長野
県、高知県、九州と広い範囲にわたって飼われていた。現在、肉専用種は全国で1
66万頭ほどいる。このうち褐毛和種といわれるあか牛が16万4,000頭、ざ
っと1割ほどを占める。あか牛の繁殖雌牛は7万2,500頭で、熊本県には5万
4,000頭の4分の3が集中している。第二位の高知が5,200頭、三位の秋
田が3,800頭、四位の長崎が3,000頭となっていて、あか牛といえば肥後
牛といわれるのもここからだ。黒牛の飼われている天草地方を除いて、全県的に分
布し、やまなみハイウエーで大分県から熊本県に入ると、広大な阿蘇の高原にのん
びり草をはむ牛の姿はその代表的な風景である。

写真・冬の寒さの中でのんびりと草をはむあか牛、遠くにかすむは阿蘇山
(熊本県阿蘇郡産山村で)

  あか牛は昔、在来の牛と輸入された朝鮮牛が交雑しながら、その上地になじんで
増えていったものとされている。当時のあか牛は毛色も、体型も雑多で小型だった。
明治の40年前後から国が牛の改良に積極的に取り組むようになって、外国種との
交配による改良が進められていった。熊本県にはスイスから導入されたシンメンタ
ール種、中でも明治末期に入ったルデー号が肥後あか牛の改良の基礎牛となった。
土佐牛は始めにシンメンタールとの交配も行われたが成績が思わしくなく、朝鮮牛
との交配が中心となっていった。肥後牛と土佐牛の違いはここからでてきたようだ。

  肥後牛は皮膚の色がビワの熟れたような褐色で、背は黒牛より高く大型だ。これ
に比べて、土佐牛の体高は黒牛とほぼ同じで、眼の回りや鼻、ひづめに黒色のある
のが特徴となっている。肥後牛は褐色以外の色がでると淘汰の対象にして改良を進
め、今日の肥後牛の登録は熊本市にある日本あか牛登録協会が、土佐牛は全国和牛
登録協会が扱っており、別組織になっている。

  あか牛の特徴は体が丈夫で、索引力が強く、ぬかるみの田でも長時間にわたって
耕作ができる。黒牛より暑さに強く、草の利用性が高くうえに早熟で、性格は温順、
子供でも扱いやすとい役用の牛だった。泌乳量は1期で950〜1,000キロ、
黒牛の700キロ弱に比べると大変に多い。それだけ子育てに適している。

  こうした優れた特徴を持ちながら、肉質が黒牛に比べると見劣りする。例えば、
大阪市場の88年の格付けを見ると、黒牛が3,4,5,の上位等級がほぼ30%
ずつ占めているのに、あか牛は3が半分弱、2が4割弱で、上位の4が1割、5が
わずか2%強にすぎない。あか牛は輸入牛肉に対抗するうえで一番重要な肉質の面
で弱味があった。

  88年に日米間で牛肉の市場開放について交渉が妥結、同年以降輸入枠が毎年拡
大されて、昨年は国産牛肉と輸入牛肉とがほぼ同量になった。このため、1,2の
下位等級の牛肉が輸入肉に圧迫され、かなりの値下がりとなった。これとは対象的
に5,4の上位等級は所得向上に伴う堅調な需要でむしろ値上がりしており、等級
間格差が拡大してきている。自由化になればこの傾向はさらに強まると予想されて
いる。こうしたところから、自由化に対応するためには、4以上の高級肉の生産を
目指す必要があるとされるようになってきた。

  自由化決定ころから、あか牛業界では先行き不安感から黒牛に切り替えた方がよ
いのではないかとの声がで、外からも切り替えを奨める意見がでてきたのである。
こうした声を反映して、農家が子取り生産に見切りをつけ、繁殖牛飼養農家数が年
々減り続けている。


救世主の第十光丸の出現

  自由化が迫る中で、あか牛が生き残るためには肉質の改良が緊急の課題となって
きた。そうしたところへ救世主のように現れたのが種雄牛の第十光丸であった。8
9年の暮れから90年11月にかけて、農家に飼育されていた第十光丸の子供38
頭の肉質調査が実施された。その成績は平均の出荷月齡が23.1カ月で体重70
0キロ、5等級が16%、4等級が55%、3等級が24%、2等級以下がわずか
5%、4等級以上が71%、3等級以上が95%、これまでに考えられなかった優
れた結果がでたのである。第十光丸はちょうど島根県に生まれた糸桜、飛騨の安福
と同じケースになりそうだと大きな期待が寄せられたのである。糸桜、安福は黒牛
改良の有力な基礎牛となり、これらの種雄牛の凍結精液は以上な高値で取り引きさ
れ、この血が入っている子牛は10万円も高く売れるというほどの人気を呼んだ。
第十光丸の出現は自由化への対応策にメドが立ってきたとして、関係者は小踊りし、
自信を取り戻すきっかけともなったのである。

写真・「第十光丸」
熊本県が待ちに待った肉質最高の種雄牛
(熊本県農業研究センター畜産研究所)

  第十光丸が生まれるまでには、それなりの長期にわたる改良への努力の積み重ね
があった。耕うん機の普及によって“役”としての役割の終わったあか牛が肉用牛
としての改良に重点が置かれるようになったのは30年代後半だ。あか牛は粗飼料
の高い利用性や早熟性が特性で、そうした経済性が追求されていった。体高や胸囲、
体重、1日増体量などの改良が進められた。

  イネでも同じで、外から観察できる背の高さ、茎の太さ、早熟性、耐病性などは
選抜の対象になりやすく、そうした点の改良は手掛けやすい。だが、コメが美味し
いかどうかは食べてみないと分からない。食味の選抜はどうしても育種の後半に入
ってからになる。牛も体型の改良は比較的やりやすいが、肉質の改良になると難し
い。イネでも食味と耐倒伏性、耐病性、多収性とはなかなか両立しにくい。例えば、
食味のよいコシヒカリやササニシキはイネとしては弱く、藤坂系のイネは極めて丈
夫だがまずいのが欠点だ。牛でも増体量のよいのと肉質とはなかなか両立しにくい。
肉質は食べてみなければ分からない。その判定には時間がかかる。しかも、肉質が
特に重視されるようになったのはそう前のことではなかった。

  こうした改良を通じて、40年代の入ってくるとあか牛は第五光浦系、浜玉系、
重玉、朝栄系、蘇久系など7系統ができあがってくる。これらの系統をさかのぼる
と、先に述べたルデー号に行き着く。このうち第五光浦丸が現在、肉質改良の大黒
柱になっているのだ。第五光浦は昭和32年に人吉市から球磨川の上流川辺川に沿
って五木村に向かう途中の相良村四浦に生まれた。ちょうど但馬牛の故郷、兵庫県
美方郡の温泉町照来、美方町小代のように山深い里である。日本の優れた牛の多く
はこうした山里の農家によって造成されてきたものだ。

  第五光浦の孫の光武になって、県は優れた素質に目をつけ、県有牛として買い上
げている。その子が第二光丸と第三光丸で、第二光丸の子が第十光丸となっている。
現在、あか牛の肉質改良の基礎牛となっているのは第三光丸、第十光丸、波丸の3
頭である。第三光丸、第十光丸は第五光浦の系統で、波丸は重玉系となっている。
第三光丸は80年生まれで、現在も活躍中だ。第十光丸は平坦部の下益城郡小川町
の農家が育成したもので、後に県有牛となっている。肥後のあか牛の改良は第五光
浦系を中心に県と農家の協力の積み重ねの上に築かれてきたといえよう。

写真・勢ぞろいした県有のあか牛種雄牛
(熊本県農業研究センター畜産研究所で)


進むあか牛の改良技術

  こうした種雄牛の改良は黒牛でも行われているのであって、特段目新しいもので
はない。熊本県にとって画期的な意義を持つようになったのは@自由化を前に、い
ままで求め続けてきた肉質が優れ遺伝能力が高い種雄牛がたまたま造成されたA受
精卵移植の技術進歩によって、さらに短期間で優良種雄牛の造成が見込めるように
なりB89年から実用化に入った超音波による肉質検査方法が肥育牛、繁殖雌牛、
種雄牛の造成に利用が可能となってきた、などからである。

  これまでも優良種雄牛の造成は遺伝理論にしたがって、それなりに合理的に進め
られてきた。だが、これまでの手法では種雄牛の肉質が優れているかは後代検定に
頼らざるを得ないし、割ってみなければ肉質は分からない。遺伝理論に基づいて造
成を進めているといっても、かなり経験と感に頼っているのが現状だった。それが
バイテクとハイテク技術の進歩によって新しい段階を迎えるようになったところに
画期的な意義があり、それが自由化の前に見通しがついたところに幸運があったと
いえるだろう。


軌道に乗る受精卵移植による種牛造成

 熊本県は受精卵移植による種雄牛造成の先進県である。3年間ほどの試験研究を
経て89年から本格化してきた。

  特定の優良種雄牛から精液を採取し凍結保存するが、年間に凍結精液を約7,0
00本とれるといわれ、その種雄牛を10年間使用したとして約7万本になる。受
胎効率を50%としてざっと3万5,000本が有効に使える。

  この種雄牛の種を優良な雌牛の供卵牛に交配し、その供卵牛から受精卵を回収す
る。卵は1回に7個ほど、年間3回ほど採れるので、ざっと二十個ほど回収できる
勘定だ。受精卵を凍結保存し、試験場や農家の繁殖牛を借り腹として子牛を生ませ
る。生まれた子牛はすべて兄弟牛となる。

  このうち1頭を種雄牛の候補と選定し、残りを研究所で飼育したり農家に委託し
て並行して育てる。種雄牛の候補以外は育成してから割って、肉にサシがよく入っ
ているかなど肉質が調査される。割った牛は候補牛の兄弟なので、種雄牛候補の肉
質が推定できるようになる。肉質がよければ種雄牛として育て、悪ければ淘汰し、
種雄牛の選別が早くできるようになるのである。

  これまでは、生産された種雄牛の候補が一人前に育ち、タネつけして生まれた子
牛を育てて産肉能力や肉質の検定をできるまでには42カ月ほどかかった。受精卵
移植を利用すると種雄牛としての能力を判定するのに22カ月ですみ、それだけ優
良種雄牛の造成が早くなる。しかも、牛は1年に1頭しか生まない。借り腹を利用
すれば、1年に兄弟牛20頭の調査ができるのだ。すでに同研究所では受精卵移植
による種雄牛が造成されてきており、名前の前にETをつけた種雄牛が畜舎につな
がれている。これから受精卵移植による種雄牛のピッチが早まってこよう。

  県の畜産研究所(89年、熊本県農業研究センターの発足により畜産試験場は同
センターの畜産研究所となる)は当面、3頭の優良種雄牛を核に肉質改良を積極的
に進めていくが、限られた種雄牛の交配を継続すると、近親交配のよる遺伝子の単
純化で、能力の後退が進む恐れがある。このため、それぞれの特質を持った優良種
雄牛の凍結精液を多様に、また計画的に保存するように努めている。


超音波による肉質測定が実用化へ

  実用化段階に入ったもう一つの新しい技術は超音波による肉質の測定である。超
音波が筋肉の中を伝わることによって、筋肉や脂肪の組織を測定する技術は以前か
ら研究されてきた。宮崎大学農学部の原田宏助教授が従来の機械を改良、開発した
家畜生体肉質測定装置「スーパーアイ・ミート」は精度が非常に高くなった。測定
装置を牛に当てると、ディスプレー画面にサシの入り具合いや脂肪の厚さ、ロース
しんの大きさなどが映し出され、画像写真をプリントすることができる。

  89年秋に開かれた熊本県畜産共進会で、あか牛72頭、黒牛2頭、ホルスタイ
ン6頭を対象にスーパーアイ・ミートで脂肪の厚さ、ロースしんの大きさ、脂肪交
雑について実地試験を行った。特に重要なのは脂肪交雑の判定で、測定装置による
推定値と実際に割って肉質判定した結果とは75%くらいの確率で適合していた。
精度が大変高くなったうえに、機械が小型化したこともあって実用化段階に入って
きた。これからもハイテク技術の開発でさらに改良が加えられ、一層精度が高くな
っていくだろう。

  この測定装置は今後、@肥育牛への利用A優良種雄牛の造成B優良繁殖雌牛の造
成、の三点で利用が可能となり、大きな成果が期待できる見通しが立ってきた。

  まず、考えられるのは肥育牛への利用である。肥育開始から終了まで時間の経過
にしたがって産肉形成の変化が追跡できる。脂肪の蓄積やロースしんの発育が何カ
月くらいが一番盛んになり、またピークを過ぎるか、などが分かる。それにしたが
って、粗飼料や濃厚飼料の給与の仕方も合理的になり、経済的な肥育を進めるうえ
で、極めて重要な役割を果たすことになろう。

  また、農家段階でも肥育牛の肉質を15カ月齢ころから継続的に調べていけば、
肥育牛の脂肪の入り具合いが分かる。特に20カ月齢になると、肉質の差がディス
プレーの画面にはっきりでてくるので、肥育を続けた方が有利か、早く出荷した方
がよいか、など農家経営のうえで重要な判断ができるようになる。この測定装置の
経営改善に果たす役割は極めて大きい。あか牛は黒牛に比べると、牛による脂肪の
入り具合いの差が大きいので、されだけ測定装置の利用価値が大きいとされている。


肉質測定装置の種雄牛造成への応用

  次は優良種雄牛造成への利用である。これまでは、まず能力検定をして種雄牛候
補を決める。その候補牛にタネつけしてできた去勢牛の産肉能力の遺伝力を間接的
に調べて、成績がよければ候補牛を種雄牛として選抜してきた。従来に比べれば、
種雄牛、その子牛のデータ処理がコンピューター利用で早くなってはいるが、デー
タ収集に時間がかかる。しかも、種雄牛候補の増体能力や飼料効率が早く分かるが、
肝心の肉質がよいかどうか直接に調べられない。自由化に対処するうえで一番決め
手となるはずの肉質で正確な判断がなかなかできないのが大きな悩みとなっていた。
この測定装置を利用すれば、候補牛の産肉能力、脂肪交雑などが超音波で直接に調
べられる。優良種雄牛の選抜が精度高く、しかも早く育成できるようになってきた。


繁殖雌牛造成への利用も

  もう一つは優良繁殖牛造成への利用である。種雄牛がよくても、繁殖雌牛の素質
が悪くては子牛に悪い素質が遺伝する可能性がある。しかも、繁殖雌牛は長く使わ
れるので優良な牛を選定する必要が大きい。

  ところが、種雄牛の産肉能力や遺伝能力については大変関心が深いが、肝心の種
牛を生産する雌牛の選抜については極めて遅れているのが現状だ。例えば、授精卵
移植が急速に進歩しているが、どういう雌牛を利用して授精卵を採取するかとなる
と、検討や兄弟の肉質がよいなどに頼って選定している。こうした従来の方法では、
優良繁殖雌牛として選ばれるころには年をとってしまう。肉質の形成では3〜5産
が一番よいとされている。これでは使用年限が短くなり、効率の悪い利用の仕方に
なってしまう。

  測定装置を利用すれば、繁殖用に使われる雌牛の肉質や産肉能力の判定がしやす
くなる。繁殖雌牛は肥育牛と違って、太らせ過ぎると子牛を生まなくなって繁殖成
績に響く。肥育牛の場合、測定装置で脂肪の蓄積や交雑の仕方などを追跡しやすい
が、繁殖雌牛は脂肪の入り具合いが少なく、その子に脂肪交雑が入りやすいか肉質
がよいかなどの判定が肥育牛より難しい。

  しかし、繁殖雌牛でも脂肪の入り具合いにそれなりの分布がある。調査によると
(1- )以下が93%強に対して、(1、1+ )が6.4%となっている。肥育し
ていない段階から(1、1+ )の脂肪交雑が入っていれば、肥育すれば脂肪交雑が
入る能力が大きい。ロースしんにについても大きいのを探すこともできる。こうし
た技術進歩によって、将来、優良繁殖雌牛の造成が加速化されてこよう。


合理的な肥育技術の確立

  一方、肥育の技術解明も進んできている。これまでの肥育技術では、肥育前期に
粗飼料を十分に与えることによって、胃を強くして丈夫に育て、後期には粗飼料を
抑え濃厚飼料を多給することによって脂肪交雑をよくし肉質の向上を図る、という
のが常識であった。

  同県の畜産試験場は80年から、これまで常識となっている肥育技術でよいのか、
改めて飼料給与と肉質との関係について基礎的研究調査を実施してきた。9カ月齢
の子牛から肥育にかかり、子牛ごとに粗飼料と濃厚飼料の給与量を変え、毎月つぶ
しながら筋肉、骨格、脂肪の厚さ・入り具合いなどを地道に詳細に調査していった。

  あか牛の肥育には@高級肉生産A草利用による低コストの赤肉生産の2体系があ
るが、研究調査の結果、高級肉生産を狙う場合は従来の肥育技術体系を見直す必要
がでてきた。9カ月齢まではその後の健全な成育の土台造りのために、従来通りに
粗飼料を十分与えて丈夫な胃を作る、10〜14カ月齢になると高カロリーの餌を
与えることによってその後にサシが入りやすくなる、21〜23カ月齢で730キ
ロに仕上げるが、そのときは肉の熟成が中心で、濃厚飼料を多給すると脂肪がつき
過ぎるので、濃厚飼料をやや控えた方がよい、などの試験成績が得られたのである。
筋肉が太り、脂肪が入りやすくなるのは10〜14カ月齢のときであることが分か
ってきて、肥育前期に濃厚脂肪を抑えて粗飼料を多給する従来の常識とは逆になっ
てきた。先進農家ではすでにこうした飼料給与方式をとっているところもあるとい
う。畜産研究所では新しい肥育技術を普及するために、今年から現地の実証試験に
取り掛かる。


放牧をフル活用する上田尻牧野組合

  阿蘇山の麓や外輪山には広大な牧野が広がる。野草地が約1万ヘクタール、改良
草地がざっと9,000ヘクタールあって、春となれば一面草の海と化し、訪れた
人はその雄大な風景にしばしうっとりさせられるだろう。その阿蘇外輪山の東北の
一角に産山村のヒゴタイ牧場がある。ヒゴタイとは産山村の村花で、紫の美しい花
をつける。ここには名水百選の一つ池山水源があるほどの自然豊かな村である。年
の瀬も迫ったヒゴタイ牧場からみる阿蘇山や久住の山波はうっすらと雪化粧してい
た。普通なら12月になると、あか牛は山から降ろされるが、まだのんびりと草を
食んでいた。

写真.冬の牧場ではのんびり草をはむあか牛向うは久住の山々
( 熊本県阿蘇郡産山村のヒゴタイ放牧場で)

  標高1,000メートルのヒゴタイ牧場は同村の上田牧野尻組合が管理している。
上田尻の部落は50戸ほどで、明治から上田尻組合があって、牧野や道路など部落
を取り仕切ってきた。75年ころから阿蘇久住飯田高原開発事業が始まったが、こ
の受け入れをめぐって肉用牛生産に積極的なグループと牛のいない農家や零細農家
のグループの三つに分かれた。上田尻牧野組合は上田尻組合から20年契約で同組
合が持つ牧野の半分を借りて、肉用牛生産に取り組んでいる。

  上田尻牧野組合は構成員が24戸、改良草地が120ヘクタール、野草地が10
0ヘクタール、牛で310頭、肥育牛が70頭ほど飼われている。75年の発足当
初は繁殖牛が170頭で、1戸当たり7頭に過ぎなかったが、いまでは13頭に規
模拡大している。この組合の特徴は高級肉を狙わずに赤肉中心、その代わり草地を
利用しての低コスト生産にある。

 そのためにはまず、放牧のフル活動だ。放牧は牛が自分で採食するので、省力化
になり、コストがかからない。そのために、数年前からASP方式を取り入れてい
る。牧草の成育が続く8月から10月にかけて一時放牧をやめて牧草を蓄積し、1
2月に入ってから1月にかけて放牧する。野草なら10月を過ぎると栄養価が落ち
てくる。慣行の放牧では期間は4月から11月にかけてで、ASP方式では放牧期
間を伸ばすことで栄養価のある牧草を食べさせ、省力化できる。牧草はオーチャー
ド、ケンタッキー、クロバーなど5種混播となっている。飼料の節約をイナワラで
計算すると、牛が1日に食べるイナワラは約7キロ、1キロの値段がほぼ40円、
1日300円の節約となる。2カ月も放牧すれば1 頭で1万8,000円のコスト
節減につながる。ヒゴタイ牧場で寒さの中で放牧されていたのはこうしたところか
らだ。この方式が他の地域にもだんだん普及し始めているという。


ヘイレージで良質粗飼料生産

  次いでヘイレージづくりだ。阿蘇の天候は変わりやすい。良質の乾草をつくろう
とすれば、好天のもとで5日間くらい干さないといけない。阿蘇では5日も好天が
続くことはそうない。どうしても乾草の質が落ちやすい。

  その対応策として89年からヘイレージ生産に取り組み始めた。酪農なら前々か
ら利用されている技術だが、肉用牛にも使われるようになってきた。ヘイレージな
ら3日ほど乾燥して、ロールベーラーで集めて縛って、ビニールで梱包すればよい。
サイレージより気蜜性がよく良質で均質の粗飼料ができる。性能のよいロールベー
ラーができているので適期刈りができ、普通年2回刈りのところを3回刈りもでき
る。しかも、組合員が7人ほど出役して1日で250〜400キロの梱包を120
個くらいつくれる。サイレージをつくるときの3分の1の労力ですむという。


産直で販売先の安定を

  上田尻牧野組合は自由化に対応するために、販売先を安定させようと産直を手掛
けている。愛知県犬山市の無添加物販売をしている会社と年間100頭の販売契約
をしている。自然の中で粗飼料中心に育てられた粗暴の少ない赤肉を「さわやかビ
ーフ」として販売しているのだ。年間通じて同じ価格で契約しており、今年は1キ
ロで1,700円くらい、1頭の平均販売価格が65万円になるという。4月から
自由化に移行するが、もし値下がりするようなことになれば契約価格を見直すとい
う。産直を維持するためにはお互いに譲るところは譲った方がよいというわけだ。

  産直向けの牛は一貫生産をしている。同組合で年間に250頭くらいの子牛が生
まれるが、このうち100頭くらいをそれに振り向けている。200キロくらいに
なった7カ月齢の子牛を順次肥育牛舎に入れて、22.3カ月齢で650キロに育
てて出荷する。

  肥育の仕方は赤肉生産が中心なので、肥育前期は良質ヘイレージを飽食させる。
濃厚飼料は肥育当初は1日で2キロ、だんだん増やしていくが、17カ月齢までは
制限給餌となっていて、その代わり粗飼料をふんだんに食べさせる。それによって
肥育後期の追込みに耐えられるように胃を強健に育てるのが狙いで、同時にコスト
の節減も図っている。成績はA2が60〜70%,A3が20〜30%、残りがA
4となっている。

  上田尻牧野組合は輸入粗飼料を一切使わない。輸入粗飼料にはどんな農薬が使わ
れているか分からないうえに、円相場の変動で生産費が左右されたくないからだ。
コストを下げるために、できるだけ機械を共同で利用し、機械の掃除には組合員が
全員が出役する。共同利用の長続きするコツは共同のために組合員が犠牲になるの
ではなく、それによって利益を得るようにすることだそうだ。

写真・粗飼料をたっぷり与えている上田尻牧場組合の井信行組合長さんと
(熊本県阿蘇郡産山村で)


活力に満ちる牧野組合の農家

  こうした放牧利用、低コストの良質粗飼料生産、機械利用による省力化などによ
って、肉牛の生産費は著しく下げられている。同牧野組合の組合長をしている井信
行さんの肉用牛の所得率は60%くらいと大変に高い。組合員は肉用牛生産はもち
ろんだが、そのほかに三つのグループがあって、生シイタケ、中国野菜、ホウレイ
ソウをそれぞれ生産し、肉用牛、野菜、コメの複合経営となっている。7戸それ以
外に民宿も経営している。昼食をいただいたが、自然豊かな手作りの料理が豊富に
出され、漬物だけでも20種類くらい並べられていた。久しぶりに田舎の自然その
ものの味を満喫した。機会があれば是非ぜう一度訪ねたいと思っている。

  上田尻牧野組合は活力に満ちている。組合員の平均年齢が41歳、30歳以下が
5人、32〜34歳3人と大変に若い。井組合長さんは55歳だが、経営は25歳
の息子さんに任せている。昨年11月に東京の国技館で開いた都市と村の交流会で
は熊本県から三つが出展され、その一つとして牛の丸焼きを出品した。大変に好評
で会期3日の間、毎日行列ができたほどであった。ただ、経営は安定し所得も高く、
後継者もいるのに、嫁不足が深刻な悩みとなっている。

  井組合長さんは最後に「1ドルが250円から130円に激しく円高が進む中で、
日本の企業は徹底した合理化や技術革新によって生き残っただけではなく大きく飛
躍した。ヤイターの発言が日本農業に大きく影響を与える国際化時代になったのだ。
広い視点に立って、肉用牛生産の合理化を徹底的に進めれば、将来は決して悲観し
たものではなく、農業だって、活躍する場面は広いはずだ」と結んでいた。


低コスト繁殖経営に取組む中尾さん       

  長陽村は産山村とちょうど反対側にある。外輪山の内側の同村の立野地域がある。
そこの中尾雄二さんは37歳だ。繁殖あか牛を23頭飼育しており、90年には子
牛を21頭販売した。中尾さんは76年に農林水産省の農業者大学を卒業、82年
には現在のところへ移転、本格的に繁殖経営に取り組み始めたのである。

  中尾さんの経営は大変に優れている。89年の所得率は53%と非常に高い水準
に達しており、1頭当たりの生産費も17万円台と平均的な生産費に比べて半分弱
と大変に低い。それにはいくつかの要因がある。

  まず、20戸の繁殖経営農家が共同利用地として20ヘクタールの牧草地と11
0ヘクタールの原野を共有している。井さんと同じように飼料費の節約と省力化の
ために、夏山冬里方式をとって、4月中期から12月中ころまで、そこへ放牧して
いる。

  耕地は現在7.6ヘクタールで、このうち転作田を含めた借地が3.2ヘクター
ルとなている。農家の老齢化のために、水田を借りて欲しいという要望が近年急激
に増えてきた。借りようと思えばいくらでも借地できるが、自家労力に限度がある
ので、いまのところ借地を増やすつもりはないという。稲の作付は5ヘクタールで、
残りに二年三年作の体系でコーンやソルゴーをサイレージに、イタリアンを乾草向
けに生産している。収量を上げるために堆肥を十分に投入して、土づくりに努めて
いる。昨年だけでもトラック70台分の堆肥を入れた。このほかに水田で採れたイ
ナワラを与えている。中尾さんの購入飼料費は1頭当たりで4万2,000円、一
般の繁殖農家の半分ですんでいる。


1年1産を実現

  もう一つの特徴は分娩間隔が89年で11.7カ月と1年を下回って非常に短い。
したがって、タネ付け回数も1.4と少ない。一般に分娩間隔は13カ月以上が多
く、1年1産が繁殖農家の悲劇とさえなっている。子牛の生産成績がよいのは、一
つは粗飼料を十分に与えて運動をさせ、足腰を鍛え過度に太らせないようにしてい
ることで、普通は耐用年数が5,6産とされるが、10産を越える牛もでている。
もう一つは発情した牛を一つのブロックに入れて注意深く観察しているからだ。

  さらにタネの選別を厳しくしている。これまでの優良な雌子牛を自家保留しなが
ら、こうしてそろえた母牛に、肉質のよい種雄牛の凍結精液をつけるようにしてい
る。最近、利用している凍結精液は第三光丸や波丸のもので、この種雄牛のタネを
つけただけで子牛価格は他の子牛より5万円近く高く売れるという。

  中尾さん85,6年ころまでは所得率が20%台で低かった。それが急激に高ま
ってきたのは資本を投下せずに、使用頭数を増やすことによって施設のフル利用が
できるようになってきたからだという。借入金も少ない。返済能力内での借金を鉄
則としており、現在の残高は400万円弱で、5年後には完全に返済できる見通し
となっている。

先進技術の農家への普及が発展のカギ

  ところで、あか牛にも上田尻牧野組合や中尾さんのような優れた経営が出現する
ようになってきた。だが、井さんや中尾さんは数少ない肉用牛経営のエリートであ
る。熊本県の繁殖経営戸数は約1万2,500戸、18カ月以上の子取り用雌牛の
1戸当たりの飼養頭数は約3頭と極めて零細だ。89年度で飼養規模が11頭以上
が400戸弱にすぎない。21頭以上に至ってはわずか65戸だ。80年には飼養
戸数が1万8,600戸、85年には1万5,300戸へと年々減り続けている。
主として5頭以下の零細農家がやめていくからである。

  自由化に対処するためには、経営規模を拡大し、技術的にも経営内容においても
優れた農家を積極的に育てることが極めて重要である。だが、それだけではとても
あか牛の維持・発展は難しい。中小規模も含めて層厚く経営の安定を図ることが大
切になっている。そのためには、あか牛の先行きに希望が持てるようにならないと
いけない。

  こうした中で、いまやあか牛の技術体系が新しい段階に入ってきた。永いこと待
ち望んでいた肉質の優れた種雄牛の造成が第十光丸の出現でやっと果たされた。そ
うした時期に、授精卵移植技術の急速な進歩、89年ころから実用化段階に入った
家畜生体肉質測定装置が重なり、一層の優良な種雄牛や繁殖雌牛の育成が期待でき
るようになり、それをスピードアップすることも可能になってきた。肥育技術にお
いても地道な基礎研究の上に、新しい肥育技術がつくられようとしている。感と経
験に頼るところが多かった肉用牛業界にも新しい技術の総合力を発揮する時代とな
ってきたのである。

  今年4月から牛肉貿易がいよいよ自由化に移行する。こうした新しい技術体系は
まだ主として試験場段階にある。農家の技術水準とは開きが大きい。しかも、農家
にはまだあか牛の将来に不安を抱く人々が多い。これからは先端技術を農家段階に
降ろして、先端技術と農家技術の差をいかに埋めていくかが、自由化時代にあか牛
の生き残る道であろう。それも時間をかけてのゆっくりでは間に合わない。ある面
では時間との競争になってきたといえそうだ。


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