★ 国内現地の新しい動き


但馬牛の改良に取り組む県や農家―牛肉自由化の防波堤―

(財)農政調査委員会専門調査員 山本 文二郎


−但馬牛のふるさと−

 但馬牛は兵庫県の日本海側にある但馬地方で、農民が長い年月をかけてつくりあ
げた世界に誇る肉質最高の名牛である。和牛が牛肉の貿易自由化後も大きな影響を
受けずに、いまのところ堅調な足取りをたどっているのも、但馬牛の遺伝子を活用
して輸入牛肉との差別化ができたからに他ならない。

 但馬は美方、城崎、出石、養父、朝来の5郡でできていて、中でも美方郡が但馬
牛の一番のふるさとである。美方郡は標高400メートルの春来峠で北と南に分かれ、
北の浜坂町、温泉町、南の美方町、村岡町の4町で構成されている。この中でも温
泉、美方、村岡の3町が但馬牛の主産地となっている。

 いまでこそトンネルが開通しているが、昔は春来峠は難所だった。その峠に前田
純孝の「牛の背に 我も乗せずや 草刈り女 春来三里に あふ人もなし」の歌碑
が立っている。そのくらい淋しいところだった。春来峠に立って但馬の里をみると、
山また山、谷間にムラが見え隠れし、棚田が稜線に向ってはい上がっている。冬に
なると、雪が田やムラを1メートルも覆う。

 この雪深い里でムラ人は家の中で牛とともに生きてきた。「たじまの山の村では、
人間が牛にからだをすりよせて生きている。牛が人間にからだをすりよせて生きて
いる…」とある作者が書いている。春から秋にかけて、子供が牛を山に追い上げる。
牛は終日山を駆けて草を食み足腰を鍛え、渓流の清水を飲んで育っていった。昔か
ら「水質良きところに良牛あり」とよくいわれたが、但馬の山は花崗岩や玄武岩が
多く水質に恵まれている。

 但馬のムラ人は、はい上がるような棚田でも耕作ができるような小回りのきく小
振りの牛に、また子供でも扱いやすい温順な牛に育てていった。春の農耕を前に、
但馬牛は摂津や河内へ、その一部は紀伊を通って伊勢へ、また京都から近江へと農
耕用に売られていった。それが肥育されて肉質の素晴らしい近江牛、三田牛、松阪
牛となった。そこでの肉質の情報が但馬に伝えられ、また優れた牛の一部が但馬に
戻って改良に使われた。

 但馬牛はこうした山深い里の自然と農民の愛情と汗によって創りあげられたもの
なのである。和牛を自由化から救う貴重な文化財といえるだろう。


―「蔓」による優良形質の固定化―

 現在、和牛の主産地は九州や東北に移っているが、もともとは中国地方から兵庫
県にかけてであった。ここには二つの和牛の育成地があった。東は氷ノ山、西は道
後山で、この山を取り囲む地域でそれぞれ特徴を持った牛が育てあげられていった。
標高1300メートルの道後山には島根県の仁多郡、広島県の比婆郡、岡山県の阿哲郡、
鳥取県の日野郡など優れた牛の育成地が取り巻いている。

 東の氷ノ山は標高1500メートルで、そこから四つの水系が日本海に流れでている。
西の岸田川は温泉町を通って浜坂町から日本海へ。矢田川が美方町から流れでて村
岡町で湯舟川が合流、香住町で日本海へ。八木川が関宮町から八鹿町で円山川と合
流し、豊岡市と城崎町を経て日本海へ。矢田川と八木川との間に竹野川が流れてい
る。

 この四つの川に沿って、それぞれ特徴のある但馬牛の系統が創られていった。こ
の系統を「蔓」と呼んでいる。岸田川水系では「ふき蔓」、矢田川水系では「あつ
た蔓」、竹野川水系では「よし蔓」、八木川水系では「やぎだに蔓」が形成された。
ふき蔓、あつた蔓、よし蔓、中でも前二者が但馬牛づくりの中核となってきた系統
である。

 先に述べたように、但馬は山深い里で、牛が山を越えて行き来することが難しい。
水系に沿って交配が繰り返された。近親交配になりやすく、農家は不良遺伝子の排
除をしながら、優良形質の固定化に努めていった。特定の優良形質に関与する複雑
な遺伝子が近親交配を通じてホモ化された系統を蔓と呼んだのである。芋のつるの
ように血筋をたどることができるというわけだ。古い蔓は百数十年前にできていた
という。

 この系統の中で、その蔓特有の優良形質を完全に備えている牛を「蔓牛」と呼ん
でいた。蔓牛を造成するためには優れた鑑識眼と経験が求められ、苦心を重ねて改
良・固定していったのである。こうして粗食に耐え、狭い棚田で敏捷に働き、多産
長命、肉質に優れ、子供でも扱いやすいおとなしい牛が創られていった。


―人工授精の普及でオス中心の改良へ―

 昔、近代遺伝学を応用できる環境になかったため、蔓の改良はメスを中心に進め
られた。オス一頭で数十頭のメスに自然交配をして優良メスの系統繁殖をはかって
いった。先に述べたように、美方町で形成されたのがあつた蔓、温泉町で育成され
たのがふき蔓、城崎郡がよし蔓であった。

 昭和30年代に入ると液状精液が、続いて凍結精液の利用が軌道に乗るようになっ
てきた。自然交配のときはオス一頭に対してメス数十頭が限度であったが、凍結精
液を利用した人工授精が普及しはじめると、オス一頭の対象となるメス牛は飛躍的
に拡大していった。それまでのメス中心の改良から、オス中心の改良へと変わって
いったのである。

 牛の名はオスが漢字、メスがひら仮名で書かれる。美方町で戦前から戦後にかけ
て活躍したのがあつた蔓の系統の田尻号であった。やや小柄であったが、皮膚が薄
く柔軟で体がしまっていて、特に肉質に優れ繁殖力が旺盛、優良形質の遺伝力が抜
群であった。田尻号は中土井号の6代目の子孫に当たるところから、この系統を中
土井系と呼んでいる。同じように、温泉町のふき蔓は同系統の優良種雄牛の熊波号
の子孫が主力となったところから熊波系と呼び、城崎郡のよし蔓は城一系(城崎一)
と勘右エ門系の2系統となっている。現在、兵庫県で供与されている但馬牛の種雄
牛はこの4系統に分類され、中でも中土井系が大半を占めている。

 現在、全国で登録されている種雄牛は約1,200頭であるが、このうち22%が美方
産となっている。牛肉の市場開放と絡んで近年は、島根のメスに但馬牛のオスをか
けるのが好まれ、このため但馬牛の種雄牛の需要が根強い。毎年、6月に養父家畜
市場で15ヵ月齢前後の種雄牛候補の取引が行われるが、東北や九州からも県や農協
が盛んに買い付けにくる。500万円くらいで取引されるのが多いが、毎年1,000万円
を超えるのが2、3頭でる。昨年は最高が1,300万円だった。これまでの最高は1,6
00万円、但馬牛の人気がいかに高いかが分かろう。

 村岡町丸味の森脇薫明さんは30歳代中ころの働き盛りだ。春来峠近くの標高400
メートルのところで繁殖牛30頭を飼育する大型農家である。生まれたオス子牛の中
から2、3頭を種雄牛に育てている種雄牛育成農家でもある。森脇さんは「牛肉自
由化で但馬牛の値打ちが上がった。アメリカさんのお陰ですよ」と自信ありげに話
すのだった。


―増体性から肉質重視へ―

 こうして、牛肉自由化とともに但馬牛評価は一段と上がってきたが、一方で自由
化は但馬牛の改良や種雄牛の育成に少なからぬ影響を与え、改めて解決を迫られる
ようになってきた。第一は肉質が重視されるようになって、改良が難しくなってき
たことだ。増体性などは外形をみれば判定がつき改良しやすい。肉質となると、肉
をみないと分からない。稲の品種改良でも多収性や耐病性、耐倒伏性などは判定し
やすいが、味については食べてみないと分からない。コシヒカリが育成されたのは
56年、すでに40年近くなるが、いまだにコシヒカリを超える品種がでていないのを
みても、質の改良が如何に難しいか分かろう。

 第二は、種雄牛でも繁殖牛でも4系統の中で肉質の優れた中土井系への依存を強
め、他の3系統が軽視されるようになってきたことである。1系統に大きく依存す
ると近親繁殖の弊害が心配され、将来の需要の変化によって再び増体性が求められ
るようになることも考えられ、他系統をどう維持、育成していくか改めて問われて
きたことだ。

 第三は、但馬牛の改良を一層進め、また系統の維持をはかるためには、優良繁殖
牛を裾広く確保していくことが不可欠の条件になる。だが、但馬の繁殖牛農家は極
めて零細なうえに、飼育農家が高齢化している。但馬牛の高値にもかかわらず飼育
農家は減少を続けており、これからもさらに減り続けるだろう。このため但馬牛の
振興は今後、中堅層の大規模農家の育成と若手後継者の参入にかかっているといっ
てよい。但馬牛は自由化の防波堤であり、日本の牛を守るためにも施策の重点化が
強く求められるようになってきた。


―中土井系の繁栄―

 ところで、牛肉の肉質が特に重視されるようになってきたのは70年代後半からだ。
牛肉の市場開放を巡って日米交渉が激しくなるに伴い、輸入牛肉に対抗するために
肉質の良い種雄牛の凍結精液への需要が急速に高まってきた。こうした動きを反映
して、但馬牛の種雄牛でも系統によって浮沈が激しくなり、系統間の交替が進んだ
のである。

 兵庫県畜産試験場の本場と但馬分場に繋留されている種雄牛は73年には24頭であ
った。このうち熊波系が11頭、中土井系が8頭、城崎系が5頭であった。但馬牛は
他県の牛に比べると増体量では劣る。しかし、但馬牛の中でも増体の良い系統と劣
る系統があって、熊波系は但馬牛の中では比較的増体性がよい。中土井系は増体性
では劣るが、肉質で優れているという特徴を持っている。兵庫県で70年代前半まで
主として供与されていた凍結精液は熊波系であった。

 70年代後半に入って肉質が重視されるようになると中土井系に人気が集まるよう
になった。これに伴って熊波系はだんだん影が薄くなってきた。92年の県有種雄牛
の系統構成に端的に現われている。全体で41頭、このうち中土井系が35頭、熊波系
が2頭、城崎系が4頭となっている。かつて種雄牛の主流であった熊波系が大きく
後退していることが分かろう。いまや中土井系の全盛時代で、岸田川系から矢田川
系へと重点が移った。但馬牛の種雄牛が脚光を浴びているように見えながら、実は
但馬牛の中でも激しい盛衰をたどっているのである。

 繁殖農家が自由化に対応して経営の安定をはかろうとすれば、肉質の良い中土井
系の凍結精液に人気が集まるのは当然であろう。だが、但馬牛の維持、改良という
視点に立つと話は別になってくる。人工授精の普及によって精液が一般の繁殖農家
ばかりか種雄牛の育種農家にも広く使用されるようになると、特定の種雄牛に集中
し、計画交配ができなくなる。このため、近親交配が進んで近交係数が上がり弊害
が心配される。さらに純粋系統牛が減って、将来、種雄牛の生産、改良に支障をき
たす恐れがでてくる。すでに、兵庫県産の強みである肉質面でも斉一性が欠けたり
枝肉成績が落ちるなどの現象がみられるようになってきたという。


―閉鎖育種で守る純血と優良形質―

 兵庫県は但馬牛の肉質の良さを維持するために、これまでかたくなに「閉鎖育種」
を守り通してきた。他県産の種雄牛がどんなに優れた遺伝形質を持っていても、但
馬牛の改良に他県産の遺伝子を利用することはなかった。但馬牛の中だけで交配を
重ね、他県の遺伝子を入れなかったことから、これを閉鎖育種と呼んでいる。

 但馬は昔からの慣行で季節種付けをしてきた。冬から春にかけて子牛を生み、6
〜8ヵ月育てて、10月から3月にかけて毎年4回開かれる温泉町の美方家畜市場の
セリにかけられる。県はセリの前に、8月ころから繁殖農家を回って種雄牛候補に
なるような子牛をチェックしていく。優良な但馬牛は遺伝力が強いから、種雄牛候
補になるような子牛を生産する農家はほぼ見当がつく。10月初めには県がめぼしい
種雄牛候補を優先的に20頭買い上げてしまう。県はこの20頭を畜産試験場で育てて、
このうち優秀なのを5頭に絞って、県有の種雄牛として使用していく。後の15頭は
去勢して肥育し、種雄牛として使用しない。実にもったいない話である。

 同県には兵庫県種雄牛育成組合があって会員が約30人、この組合員によって種雄
牛が育成されている。この20頭を除いて市場にだされた子牛から種雄牛になれると
期待されるのを購入して、半年ほど種雄牛として育成する。繁殖用の牛と違って良
質粗飼料を十分に与え、毎日子牛を連れて1キロほど運動させて足腰を鍛える。そ
して、手入れを入念にして扱いやすい牛に育てていく。養父家畜市場で毎年6月に
なると、こうして育成された種雄牛候補が60頭ほど展示される。家畜改良事業団や
県、農協の関係者が集まって買い付けていく。兵庫県が優先的に20頭を先買いして
しまっても、優秀な種雄牛候補は1,000万円からの高値で引き取られていくのだ。

 兵庫県は県が育成した種雄牛から精液を採取する。県内の農家の繁殖牛はすべて
県から配布される凍結精液を交配に使用することになっている。農家の繁殖牛はす
べて郡の畜産農協連合会などに登録されていて、一頭一頭何代も前まで父親、母親
が分かるようになっている。県や郡畜連、農協が但馬牛の改良や肉質の向上をはか
るために、どの牛にどの種雄牛の精液を交配すればよいか、などをできるだけ計画
的に指導している。兵庫県の農家は他県の精液は使わない。それによって但馬牛の
純粋性や優れた形質を維持し、改良してきた。

 兵庫県はなぜこうした閉鎖育種を守ってきたのか。70年ころはサシの入った脂肪
の多い高級肉より赤肉の需要が増え、健康にもそれが良いとして、国は和牛の改良
方向として増体性を重視し、各県も農家もその方向で改良を進めていった。但馬牛
の評価が下がったころだった。そのころ兵庫県でも増体性を考慮して、ひところ広
島や岡山系との交配をしたこともあった。

 増体性の面では、確かに効果がでたが、但馬牛の特質である肉質の優秀性が失わ
れてしまった。一度他の遺伝子を導入すると、好ましくない遺伝子を排除するのに
何代もかかる。かつて明治時代に和牛改良のため外国種との交配が奨励され、兵庫
県でもショートホーン、デボン、ブラウン・スイス種などを導入して改良を試みた
ことがあった。増体性では改良されたが、但馬牛の特性が失われて混乱し、不良遺
伝子を排除するのに大変苦労した苦い経験がある。60年代に入っても、まだ灰白色
の毛がでるなど外国種交配の後遺症が残っていたという。

 兵庫県の閉鎖育種に対して国や他県からかたくな過ぎる、但馬牛は増体性が劣っ
ていてもっと改良を進めるべきだ、などと強い批判を受けてきた。だが、兵庫県は
「但馬牛に他県の遺伝子を入れれば、それは但馬牛ではなくなり、単なる和牛にす
ぎなくなる」として閉鎖育種を守り続けてきた。こうして但馬牛の近親交配を通じ
て優良形質が維持され改良されてきたのである。


―近親交配の弊害回避へ系統再編成―

 牛肉の市場開放が進むようになって、日本の和牛界は改めて但馬牛の存在価値の
重みを感じるようになった。兵庫県は子牛が市場にでる前に20頭の種雄牛候補を優
先的に買い付けて育成、5頭を残してあとを去勢する、他県からみれば実にわがま
までもったいない話と映る。だが、こうして優良種雄牛を絞ることによって高値が
維持され、あの農業条件の厳しい山深い但馬の里で種雄牛育成農家の経営の安定と
生産意欲を高めることができるのだ。それが引いては国際化時代における和牛の防
衛にもつながる。但馬牛は和牛のなかでも特別の存在なのである。

 閉鎖育種によって但馬牛の純血と優良形質を守ってきたが、近年肉質が極端に重
視されるようになって、先に述べたように但馬牛の中でも中土井系に過度に依存す
るようになってきた。このため近親交配による弊害が心配され、また純粋系統牛の
減少で、改良の基礎となる種雄牛の生産に支障をきたす恐れがでてきた。兵庫県と
して改めて改良対策が求められるようになってきた。

 兵庫県としてまず但馬地方に但馬牛改良の拠点を充実することを決め、89年から
朝来郡和田山町に施設の建設に取りかかった。これまでは養父郡養父町にある中央
農業技術センター但馬分場が種雄牛の改良の拠点となってきた。1906年(明治39年)
に県立但馬種畜場として発足、90年近い歴史の中で種雄牛や優良雌牛、検定牛を多
数繋留して精液の供給や肉質改良に大きな功績を残してきた。だが、施設が手狭で
古くなり、思い切って新築移転することになったのである。

 新しい試験場は県北農業技術センターとして農業、畜産、養蚕の三部門で構成、
中心は畜産となっている。畜産施設の建設が先行してこのほどほぼ完成、93年4月
から仕事が開始される。系統牛、育成牛、種雌牛、検定牛など7牛舎に分かれ、但
馬分場の3倍に拡充している。中央農業技術センターで肥育や人工授精を受け持ち、
県北センターでは改良に重点が置かれることになった。


―改良への課題―

 農家としては市場評価が高く安心して売れる子牛をつくろうと、中土井系の繁殖
牛に同じ系統の凍結精液を交配しようとする。値段が安くいくらで売れるかはっき
りしない熊波系や城崎系をかけたがらない。農家の経営面からみれば当然のことだ。
こうしたことが続くと、先に述べたように中土井系の近交係数が上がり、また他の
3系統の維持・確保が難しくなってくる。現在、この3系統について血統構成に特
徴を持つ種雄牛を生産するための基礎的種雌牛群が不足している。

 県としては農家の現状を考えて、熊波系や城一系、勘右エ門系の確保に力を入れ
ることになった。但馬分場には改良のための種雌牛が50頭繋留されているが、県北
センターでは3系統を主体に200頭へと4倍に拡充することになった。すでにこの
系統の優良メス牛を一部確保して農家に預託している。また、県の交配計画に協力
してくれる農家を選定して3系統のタネをつけ、生産された子牛は市場価格よりも
高くなるように、補助金を交付する方針となっている。

 種雄牛では系統の特質を固定化し純系の維持・確保に系統の再編成を進めている。
戦後、古くからのつるの再編成を進め、雌牛による「あつた」「ふき」「よし」の
3系統をつくり、さらに種雄牛による中土井、熊波、城一、勘右エ門の4系統へと
再編成している。その後、中土井系に過度に傾斜して交配を繰り返したため系統分
類が難しくなっている。

 但馬牛の改良にはそれぞれ特質を持った純系の確保が大きな課題となってきた。
新たに系統を造成するために、過去にさかのぼって系統を分類し、分類された系統
から純系の種雄牛の造成を目指している。現在は肉質が非常に重視されているが、
増体性も極めて重要であり、将来を考えて特色のある系統をきちっと整備し確保し
ておこうとしている。こうした基礎牛を県が保有することによって系統間交配をし
て市場性の高い素牛の生産体制の確立を目指しているわけだ。

 兵庫県は但馬牛を自由化の防波堤として、将来を見越して但馬牛の再編成に取り
組んでいるが、それはあくまで閉鎖育種の枠の中で実現しようとしている。例えば、
増体性の付与にしても、他県の増体性の良い牛の遺伝子を導入すれば効果が大きい
が、必ずといってよいほど肉質が落ちる。肉質を落とさないようにしようとすれば、
但馬牛の中で増体性の良い遺伝子を利用せざるをえない。そこに兵庫県の苦労があ
る。原点はあくまで肉質の維持・改良にあるといってよい。


―一体となっての改良努力―

 ところで、こうした県や畜産試験場の但馬牛の改良努力は繁殖農家や種雄牛育成
農家と一体にならないと十分な成果が挙がらない。県が買い上げる種雄牛候補は繁
殖農家が生産する。他県に売られ全国の和牛の肉質改良に貢献する種雄牛候補は種
雄牛育成農家によって手塩にかけて育てられたものだ。そして、繁殖農家は県が所
有する種雄牛の凍結精液の配布を受けて交配し、子牛を生産する。繁殖農家が優良
メス牛をそろえていないと、よい子牛が生まれない。

 よい子牛を生産するためには、優良メス牛に優れた種雄牛をかける必要があるが、
よい種雄牛と優良めす牛を交配したからといって、優れた素質を持つ種雄牛やメス
牛が生まれるとは限らない。全国で但馬系の種雄牛は300頭近くいるが、農家が競
って求めるタネは紋次郎や谷茂、安福、菊谷、安谷など10頭に満たないといわれる。
そのくらい優良種雄牛や繁殖牛の生産は難しく、偶然に左右されるところが極めて
大きい。

 毛戸照幸さんは美方町の矢田川に沿った神水集落で中土井系の繁殖牛を飼育し、
種雄牛の育成も手掛けている。根からの牛好きで、もう60歳を超えた。繁殖に取り
組んで40年近くになり、県にも種雄牛候補を何頭か買い上げてもらっている。冬は
奈良県へ杜氏として近所の農家を連れて半年近く出稼ぎにでる。「お酒だって、本
当のよい酒は山田錦と良質の酵母がないとできない。その山田錦も特定のところで
生産されたものでないとダメだ。牛だって同じこと、メスもタネも立派でないとよ
い牛は生まれない。よい牛を作るためには沢山の農家がよい牛を裾広く飼っている
ことが前提となる。そうでないと、私たちのような種雄牛育成農家が候補牛を選定
できない」と、子牛にブラシをかけながら語るのだった。

 その裾野が近年、揺らいできて将来が心配されるようになっている。但馬は谷深
い山村だ。ご他聞に洩れず、但馬も農家が高齢化し、若者は都会に出て後継者が不
足している。繁殖農家も高齢化し、牛飼いも一代限りが多くなっている。かつて牛
と寄り添いながら、牛とともに生きてきた但馬だが、いま牛を飼っている年寄りが
引退すれば、農家から牛の姿が消えていく恐れがある。


―系統維持は繁殖牛の増頭から―

 美方郡で飼われていた繁殖牛はかつては3,000頭くらいいたが、70年代後半の子
牛価格の低迷でひところ2,300頭くらいまでに減少してしまった。80年代の前半に
は但馬の肉質が評価されて、ようやく2,700頭くらいまで回復したものの、零細飼
育農家の脱落が続き、89年にはついに2,000頭を割り込むまでになった。

 繁殖牛飼育農家はこのところ毎年、50戸くらいのテンポで減り続けており、この
10年間で半減、91年には560戸になってしまった。この内訳を飼育規模別にみると、
1頭飼いが35%、2〜4頭が44%、5〜9頭が13%、10頭以上が8%となっている。
4頭以下の零細経営が8割も占める不安定な状態となっている。但馬の年寄りは牛
とともに生きてきたので、飼える間は牛を手放さないだろうが、いまの高齢化の状
況を考えると、飼育農家数は減り続けていくに違いない。

 こうした状態が続くと、但馬牛の将来が危ぶまれる。「繁殖牛2,000頭では但馬
牛の維持・改良には不足する。中土井、熊波、城一、勘右エ門の4系統にきちっと
再編成し、但馬牛の肉質を維持しながら増体性をつけていくためには、最低3,000
頭はいる。このままでは先細りになる心配がある。但馬牛の衰退は但馬の一地方の
問題でなく、和牛全体の維持にも響いてくるのだ」と但馬牛の振興に情熱をかける
浜坂農業改良普及所の宇治伸弥さんはいうのだった。

 祖先から受け継いだ世界に誇る貴重な財産、この但馬牛をなんとかしようと「但
馬牛の振興を考える会」は立ち上がることになった。この会は美方郡の4町と美方
郡農協、美方郡畜連、浜坂農業改良普及所で構成している。前々から振興対策の話
合いを進めてきたが、このほど平成4年(92年)を基点に平成9年までの5年間の
各町毎の増頭計画をまとめ、美方郡全体として次の五つの基本方針のもとに振興計
画を進めることになった。@繁殖和牛頭数を平成9年を目標に3,000頭に増頭A和
牛の名産地にふさわしい組織づくりB楽しく夢のある飼育環境づくりC経済形質の
優れた但馬牛づくりDもうかる和牛経営で、将来は1頭40万円でも採算に合う経営
を実現できるように取り組むことになったのである。


―規模拡大と担い手育成への努力―

 この振興計画は中堅層の規模拡大と若手の新規参入に大きな期待をかけている。
85年を基点に92年にかけての規模別飼育頭数のシェアをみると、85年では4頭以下
が52%、5〜9頭が24%、10〜16頭が13%、16頭以上が10%と4頭以下が過半数を
占めていたが、92年には37%、20%、17%、26%へと変わっている。零細規模層が
繁殖牛に見切りをつけ、10頭以上層、中でも16頭以上の大規模層のシェアが著しく
上昇している。近年、農家の階層分解が急速に進んで、繁殖牛の生産構造が大きく
変わりつつあることが分かる。

 今後の5年を予想したとき、零細農家の高齢化を考えると4頭以下の零細農家の
減少は止まらないだろう。92年の美方郡の飼育農家数は520戸だが、目標の97年に
は350戸くらいに減少するだろうと見込んでいる。そうした中で、飼育頭数を2,000
頭から3,000頭へ拡大しようとすれば、零細規模の脱落を抑えながら、大規模層を
如何に育成していくかにかかってくるだろう。いまの構造変革を加速化することに
なろう。

 現に、先に述べた村岡町丸味の森脇さんのような大型繁殖農家が出始めてきた。
30歳台の中堅層で、高齢農家とは経営姿勢が基本的に違う。中土井系でも優れた繁
殖牛を系統的に揃える努力をしており、種雄牛生産にも力を入れている。県の買い
上げ対象となった種雄牛候補も何頭かだしている。種雄牛育成農家はかつて但馬や
丹波を中心に全県で60人近くいた。だが、種雄牛子牛の育成は毎日子牛を運動させ
るとか良質粗飼料を十分に与えるなど管理に手間がかかるうえに、世代交代が重な
って、だんだん減って、いまでは30人くらいになっている。森脇さんのような新し
い経営感覚を持った中堅農家が参入するようになってきた。但馬牛改良にとって喜
ばしいことだ。

 森脇さんは繁殖成績を挙げコストを下げるために、放牧に積極的に取り組んでい
る。但馬では牛は"農宝"といわれて大事に育てられてきた。かつて放牧
慣行があったが、大事な牛のこと病気や怪我をしては大変と、放牧も昼間だけだっ
た。森脇さんは少し離れたところの放牧地で昼夜放牧をしている。野草利用ではな
く積極的に牧草を作っている。「いまの牛舎が手狭なので、よい土地が手にはいれ
ば50頭規模に拡大したい」といい、子牛1頭50万円でも十分に採算の取れる経営を
確立したいと張り切っている。

 美方町石寺集落の藤原数一さんはもう72歳だ。子牛生産に取り組んで40年を超え
る。ひところ繁殖牛16頭、種雄牛2頭を飼育していた。昔なら大型農家である。い
まは歳には勝てず種雄牛2頭、繁殖牛3頭に縮小しているが、それでも毎年、種雄
牛候補を1頭はだしている。大好きな牛飼いはやめられない。「これからは若い人
の時代だ。美方町に20集落あるが、一集落に若い人が一人残って、30頭ずつ飼えば
600頭になる。専業になれば飼育も改良も真剣になる。郡全体で2,000頭では、近交
係数が高くなってしまうので、若い農家を中心に3,000頭規模に拡大する必要があ
る」と強調する。

 村岡町の井上哲也さんは20歳で、子供のときから牛が大好きで、県立農業大学を
卒業すると、直ちに念願の牛飼いになった。激減する中での農業後継者の有力な一
人である。お父さんは山仕事やシイタケ生産をしていたが、息子が農業を継いだの
を機会に一緒に牛飼いをすることになった。いろいろな資金を借りて牛舎を建て繁
殖牛11頭と育成牛を5頭飼養している。これまでに7頭生まれ、近く2頭が誕生す
る予定だ。森脇さんらが井上さんの良き相談相手となって、技術や経営指導に当た
っている。井上さんは森脇さんのように30頭規模にするのを夢みているといい、技
術がつけば種雄牛の育成も手掛けたいと願っている。

 村岡町で今年春、新規就農したのはUターン組を含めて2人、昨年はゼロ、一昨
年は1人だった。80年前後はゼロという年が続いていた。但馬牛が見直されるよう
になって、子牛価格もメスで80万円、オスで70万円前後になり、森脇さんなどのよ
うに内容のよい大規模経営の先輩がだんだん増えてきて、新規卒業者やUターン組
が勇気づけられてきている。森脇さんのところに住み込んで牛飼いの勉強をしてい
る若者がいる。先に述べた毛戸さんの息子さんも30歳を超えたところだが、近ごろ
牛の世話を積極的にやるようになったという。

 83年ころから減少をたどってきた美方の繁殖牛は89年の1,982頭を底に、回復と
までいえるかどうか楽観を許さないが、92年には2,036頭へとわずかだが増え始め
てきた。零細農家の脱落は依然として続いているが、大型農家の規模拡大が零細農
家の減少分を補えるようになってきたからだ。表面的な頭数の推移をみると、但馬
牛は停滞しているようにみえるが、質的変化は急速に進んでいる。心強い動きだ。


―和牛を守る貴重な文化財―

 但馬牛は単なる但馬地方の牛ではない。長い歴史の中で、改良に改良を重ねて肉
質では抜群の牛が作り出されたのである。牛肉自由化の中で和牛を守る貴重な文化
財でもある。但馬牛の育種、改良を進めるためにも、兵庫県の種雄牛や種雌牛の改
良計画の推進と並行して、美方郡の町や農協、農業改良普及所を挙げて振興に取り
組み、2,000頭を底に3,000頭への拡大を一日も早く実現してもらいたいものだ。


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