★ 随想


北陸の乳業会社から

北陸乳業株式会社 常務取締役 早川博介


はじめに

 当社は、北陸地域の生乳の広域的な需給調整と市乳化の促進を図り、生乳生産の
安定的発展を図ることを目的として、昭和47年11月から株式会社として操業を開始
しているが、その歴史は、石川県購買農協連現石川県経済農協連)の直営乳業工場
として発足した昭和23年にさかのぼる。社誌には「米単作地帯であった能登地方農
業に畜産を導入して有畜化を図り、生乳出荷による農家の現金収入の確保と併せて
地域住民への牛乳供給によって体位の向上に資することを目的とした」とある。当
時「七尾牛乳」として日量150本/180t製造のスタートであったから、現在の日量
25万本/200tから見ると隔世の感があり、先人達の御苦労が社誌の随所にうかが
える。特筆すべきは、旧工場時代の昭和30年に、「農協牛乳」の商標で販売を伸ば
し、昭和40年に乳酸菌飲料「農協ヨーグル」の商標権を取得した関係から、この
「農協牛乳」の商標は、石川県経済農協連の使用に限られることになった後に、石
川県経済農協連と全農との共願による商標登録になった)ことである。前置きが長
くなったが、農協乳業プラントとして栄えある歴史を有する当社に、平成2年6月
に赴任して以来の体験を雑感的に述べることといたしたい。

乳業会社の業務開始は何時

 私は、会社の敷地内にある厚生棟の一部屋で寝起きしている。着任間もない頃、
午前3時すぎになると廊下に足音が聞こえ、ドアの開閉音が響く。何事かと思い恐
々と顔を出すと何のことはない、早出社員が作業衣に着替の最中、「御苦労さま」
の一声を掛けて、再度布団に潜り込んだことがあった。

 当社の場合、一日の業務の開始は、製造部門がボイラーの火入れの午前3時30分、
物流部門も一番車の積み込みの午前3時30分である。私の出勤時刻午前8時30分に
は、食堂で昼食がわりの朝食の弁当を食べている者がいる。顔を合わせれば自然と
頭が下がる。因みに勤務時間中私用で部屋に戻ることがあるが、午後3時位までは
何時見ても食堂に社員がいる。最初の頃は、理由が分からず面食らったものである。
昨年3月研修で畜産振興事業団職員の小沢、井上両氏が来訪した際、奥能登方面の
集乳車と行動を共にしたことがあったが、宿を午前3時に出て真暗闇の中、高低差
のある路線を走り、途中土砂崩れで迂回しなければならなかったことを思い出し、
雪深い地域での集乳業務は、さぞかし大変であろうと想像し、集乳、配送、推進の
各車の無事を祈る毎日である。

乳業ヘルパーが欲しい

 年末の挨拶で来社される方々に「お正月休みは」と聞かれる。世間一般の会話と
して「三が日」とか「大晦日から」とか答えたいところであるが、そうは問屋が卸
さない。私は、単身赴任の身の上なので、我がままと知りつつ年末年始6日間休暇
を取らせて頂くが、会社は年中無休である。今年の正月も通常の受・配乳業務に加
えて、冬休みの間の学校給食用牛乳の余乳処理のため、煉乳に受託加工しなければ
ならず、担当部署は出勤を余儀なくされた。通常の日曜、祝祭日においても受配乳、
量販店向け製品ライン稼働、入出庫業務があり社員全員が一度に休むことはかなわ
ない。従って、管理職者は、代休と今年度から導入した4週5休のスケジュール作
りに苦労する結果となる。それなら、交替要員を確保すればと云うことになるが、
この能登地域も御多聞に漏れず人手不足であり、また、余裕ある人員配置が出来る
程乳業会社は儲かっていない。「酪農産業であるから仕方がない」では済まされな
い。今年度から酪農ヘルパー制度が出来、また、世の中は年間労働1800時間を目標
に時短に努力している現在、酪農・乳業ともに魅力ある職場としなければその将来
が不安である。例えば外国人労働者を研修生としてトレーニングし、乳業ヘルパー
として派遣できないものかなどと夢想している昨今である。

牛乳の価値を見直して

 松本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台となっている「やせの断崖」近くの観光セ
ンターに立ち寄ったところ、中能登地区の銘水が250円/180tで売られていたのに
はさすがにビックリ。最近「水より安い牛乳」として話題に上る「水」は、グルメ
あるいは遊びの世界のもので、基礎的食料として位置づけられるべき牛乳と比較す
ること自体に無理があると頭の中では割り切ってはいるものの、どうも釈然としな
い。やはり牛乳の評価が低すぎる。なにも他の食品と比較してではない。酪農・乳
業の労作であり、総合的な機能性食品とも云える栄養価を持ち、衛生的に安全でお
いしい牛乳固有の商品価値がである。価格での比較を試みるなら安い生乳を産出す
る海外の牛乳の価格が対象となろうが、約87%が水分の牛乳を手間暇かけて鮮度を
落としてまで輸入出来るものであろうか。答えはノーである。であるならば比較は
経済的に無意味であり、日本の経済レベルにふさわしい正当な評価を与えて頂きた
い。この点については、消費者との接点にある量販店の方々に特に御理解をお願い
したいところである。現在の牛乳市場価格では、200t1本当たりの牛乳の乳業会
社の利益は1円にも満たない。これでは設備の抜本的な更新さえ困難なところも多
々あると思われる。
 
皆様方のご理解を

 最近、大腸菌汚染、洗浄剤等の異物混入による乳処理業の失態が報じられた。こ
の事実に関しては、食品製造業に携わる我々としては言い訳の余地がないが、あえ
て弁解させて頂けるなら、かかる凡ミスを誘発する背景が流通業界にもあったので
はないか。量販店が、新鮮な商品を提供したいがあまり、製造当日の商品の納入を
助長するムードを醸成していた嫌いがあるのではないか。

 新鮮な製品を購入したいとする消費者の心理も理解できる。また、新鮮な商品を
少しでも早く消費者に提供したいとする量販店の姿勢も分かる。しかし、乳業メー
カーは、出来上がった製品の抜き取り検査により、24時間にわたる品質の経時的変
化あるいは異物が混入していないことを確認した上で、消費者に提供する姿勢をと
っている。私自身、製造後1週間たった牛乳を1週間かけて飲んでいるが、おいし
くいただいている。量販店、消費者の方々のご理解をいただきたい。

 約1,000といわれる工場を抱える乳業界の販売競争は熾烈である。それだけに、
量販店に対して弱い立場にあるのが現状であるが、食品製造業として死守すべき姿
勢があるはずである。それを忘れたら元も子もなくなる危険性をはらんでいると、
常々思っているところである。

むすび

 思いつくままに自問自答しながら勝手なことを述べたが、これが1年半強、乳業
に身を置いた私の実感である。乳業一筋に歩まれておられる先輩諸氏には、御異論
あるいは言葉足らずの点もあろうが御容赦願いたい。最後に一言、牛乳の栄養価値
を中心としたPR事業は大事なことであり、それなりに成果が上がっていると思う
が、商品としての牛乳の経済価値について量販店、消費者に理解を得られるような
PR活動をしかるべき組織で実施して頂けたらと、お願いして筆を置くこととする。


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