離島農業における子牛生産の重要性と課題

九州大学農学部助教授 甲斐 諭


1.はじめに

 国内で肉用牛生産を維持し、発展させることの主目的は国民に牛肉を安定的に供
給することである。だが、それのみならず、肉用牛経営の立地している農山村は、
生産の場であるとともに、農業者と地域住民の生活の場であり、そこでの肉用牛生
産の維持は国土を保全し、緑豊かな環境を守るなど市場では評価できにくい多面的
な機能を有しており、国民生活の安定に大きく貢献している。

 しかし、わが国の肉用牛を取りまく状況は国際的競争と不況による需給不均衡と
価格低迷にさらされ、現在、後継者の減少、高齢化の進行、地域社会の活力低下な
どの難問が山積しており、魅力ある肉用牛生産の実現と離島・中山間地域を含む地
域社会の活性化を図ることが強く求められている。

 特に、離島では、野菜等高収益作物の生産が困難であり、しかもそれらの流通が
円滑に行えないために、子牛生産が地域農業の基幹作目になり、子牛生産の維持発
展と円滑な流通が期待されている。

 小稿の目的は、離島農業において重要性を増している子牛生産を維持発展させる
ための課題を検討することである。
 

2.調査対象地の概要

(1) 自然的条件

 長崎県の下五島地域(福江市、富江町、玉之浦町、三井楽町、岐宿町)は九州の
最西端に位置し、長崎港から西へ約100qの東シナ海上に位置する福江島を中心と
する島々から構成されている地域である。

 地形は極めて複雑であり、海岸線はリアス式海岸で、荒波による海蝕崖が連なっ
ている。福江島には沖積層の水田地帯が分布しているが、全体に農地率と水田率が
低い。また、福江島南部には鬼岳山麓の広大な玄武岩の台地が形成されている。

 対馬暖流の影響で海洋性気候を呈し、温暖で無霜地帯も多く、夏は比較的冷涼で
ある。年間平均気温は16.5℃、降水量は2,300o程度である。しかし、6〜8月の
連続干天の頻度が高い。年間平均風速は3.5b/秒で季節風が強く、冬場は曇天の
日が多い。

 下五島地域の総土地面積は3万9,476haで、長崎県の9.7%を占めている。総土
地面積に占める耕地面積(耕地率)は16.2%であり、県平均の15.5%より高い。

(2) 社会的条件

 総世帯数は1万8,458世帯で、長崎県の3.5%に過ぎない。同様に総人口は4万9,
972人で、長崎県の3.2%である。

 農家率は15.5%で、県平均の10.5%よりかなり高い。また、農家人口率をみると
28.7%であり、県平均の20.0%より高い。最近の5年間の農家数の減少率は県平均
が13.4%であるが、福江市では17.8%、富江町では29.1%、玉之浦町では32.3%、
三井楽町では26%、岐宿町では17.4%である。このように、何れの市町でも農家数
の減少率が県平均より高い実態にある。

 農家1戸当たり耕地面積をみると長崎県平均が115aであるが、下五島地域では概
して1戸当たり耕地面積が広い。ちなみに、福江市では233a、富江町では258a、玉
之浦町では179a、三井楽町では344a、岐宿町では155aである。これは前述のように
県平均を上回る激しい農家数の減少に起因している。

(3) 農業粗生産額に占める肉用牛の比重

 下五島地域の市町の農業粗生産額の合計値は83億1,300万円であり、長崎県の農
業粗生産額1,674億円の約5%である。長崎県に占める下五島地域の耕地面積構成
比は10.1%であるので、耕地面積の割には農業粗生産額の構成比が低いと言えよう。
農業粗生産額に占める野菜の比重をみると長崎県の構成比は17.2%であるが、下五
島地域の野菜の構成比は10%以下である。肉用牛の長崎県の構成比は10.7%である
が、福江市(22.2%)、玉之浦町(36.7%)、三井楽町(23.7%)では非常に高い。
また、豚の長崎県の構成比は10.2%であるが、富江町(22.7%)、岐宿町(23.6%)
では非常に高い。

 この下五島地域のように九州の離島では肉用牛生産が地域の主要な農業部門にな
っており、最近の子牛価格の下落は地域農業を危機に直面させている。離島におけ
る肉用牛生産の再活性化が期待されている。


3.下五島地域の肉用牛生産・流通の概要

(1) 子牛価格の最近の急落

 下五島地域の肉用牛は和牛が主体であり、飼養戸数は長崎県の10%、飼養頭数は
長崎県の8.7%である。1戸当たり飼養頭数は7.1頭であり、県平均の8.1頭より少
ない。福江市は最も飼養戸数、頭数ともに多いが、1戸当たり頭数が6.7頭と少な
い。岐宿町での1戸当たり頭数は5.6頭である。

 ところで下五島地域の和牛は「五島牛」として高い評価を受け、県内外、九州内
外から子牛の購入者が集まっている。しかし、牛肉輸入自由化以降、子牛価格が低
下し、子牛生産経営の収益性が極度に悪化している。ちなみに、最近(93年9月13
日)の五島家畜市場の1頭当たり子牛価格は雌が17.0万円、去勢が28.4万円、平均
22.9万円まで低下している。

(2) 子牛生産の低コスト戦略

 子牛価格が牛肉輸入自由化の影響を受けて急速に低下し、収益性が悪化している
ので、経営を維持発展させるにはコスト節減と育種改良が必要である。

 具体的には、まず、繁殖牛飼養頭数規模を拡大することである。繁殖牛の拡大と
ともに子牛生産のための1頭当たり労働時間が急速に短縮される。全国的なデータ
であるが、2〜4頭層では150.1時間、5〜9頭層では123.6時間、10頭以上層では
94.9時間に省力化されている。下五島地域の子牛生産は労働時間が長いことが低収
益性の主因であるので、繁殖牛飼養頭数規模の拡大が不可欠である。福江市におい
ては行政と農協の努力によって頭数が徐々に増加してた。このような努力が下五島
の全域において展開されることを望みたい。

 第2には従来の青刈主体の給与体系からサイレージや乾草などの自給粗飼料の増
産により、粗飼料生産給与の労働時間を短縮し、飼料生産のコスト節減を図ること
である。

 これには水田裏や今後増加することが予想される遊休耕地、放棄地などの活用が
考えられる。だが、これらの農地は従来のままでは作業効率が悪いので、基盤整備
と利用権の集積並びに連担化により自給粗飼料生産基盤を整備して、作業効率を高
めことが肝要である。

 また、共同作業、共同貯蔵飼料の生産など共同化による大型機械の効率的利用も
重要である。

 第3は育種改良によって肉質の良い系統の和子牛を生産することはもちろんであ
るが、成長の早い、1日当たり増体量の大きい子牛を生産することも非常に重要で
ある。概して、両系統は矛盾する傾向にあるが、これの調整が今後の育種課題であ
る。

 第4は子牛生産から肥育まで個別一貫経営を目指すことである。従来、繁殖と肥
育は両立しないという意見が多かったが、既に各地で、個別一貫経営が成立し、優
秀な成績を挙げている。これには技術と資本が必要であり、限られた生産者しか出
来ないかもしれないが、若い有能の後継者にはせび収得してもらいたい経営技術で
ある。

 第5は繁殖と肥育を地域内で行う地域一貫経営である。今後ますます貴重になっ
ていく子牛を島外に移出するのはあまり経済的ではない。貴重な資源に付加価値を
つけて、最終製品として移出していくことが、下五島地域の肉牛生産の課題である。


4.子牛生産経営の現状

(1) 主婦による子牛生産

 福江市に住む主婦のNさんが経営の主体であり、ご主人は消防署に勤務する公務
員である。水田100a(飼料作物20a、水稲80a)、畑140a(夏:トウモロコシ・ソル
ゴー、冬:イタリアン・エンバク)を耕作し、繁殖牛11頭、育成牛2頭、子牛6
頭の計19頭を飼養している兼業農家である。

 平成3年は8頭の子牛を販売し、約400万円の販売収入を得ていたが、子牛価格
が急落した平成4年は子牛6頭を出荷し、255万円の販売収入を得ている。6頭の
うち4頭が去勢であり、1頭平均50.8万円で出荷しているが、これは市場平均の去
勢子牛価格の45.6万円より高い。また、2頭は雌であるが、これは25.6万円で、市
場の雌子牛価格の36.2万円より安い。

 平成4年には老廃牛を2頭出荷しているが、そのうちの1頭は11産し、他の1頭
は5産した後の出荷であった。この販売収入は2頭で27万円でしかなかった。

 同時に、育成牛を2頭繁殖牛に繰り入れているが、この2頭を前述の市場で販売
した2頭の雌子牛と同額と評価するなら育成牛の評価額は51.2万円である。

 従って、平成4年の総収入は333.2(=255+27+51.2)万円となる。

 平成4年の現金経営費をみると濃厚飼料費61.6万円、小農具費7.4万円、種付け
料13.0万円、諸検査費1.9万円、衛生費1.1万円、共済掛け金15.4万円、サイロ利用
料3.7万円、畜舎支払い28.9万円、爪切り代1.1万円、牧草種子費5.6万円、肥料代
4.4万円、光熱電気料5.2万円、出荷手数料1.1万円、その他1.6万円の計152.0万円
であった。

 従って、現金所得は181.2(=333.2−152)万円であった。

 子牛価格が急落している平成5年の販売額は10月上旬まででわずかに4頭で80万
円でしかない実態にある。残る4頭の子牛を年内に1頭25万円で販売してもその販
売額は100万円であり、平成5年の販売総額は180万円に過ぎないものと予測される。
もし、現金経営費を平成4年と同額と仮定すると現金所得は28(=180−152)万円
に急減することになる。

 下五島地域において最近急速に繁殖牛飼養の放棄を希望する農家が増加している
が、その背景には、このような収益性の急落が影響していると考えられる。子牛価
格安定制度による価格補填金の給付が必要である。

(2) 後継者による子牛生産

 福江市に住む農業後継者のYさんは、両親とともに営農しているが、経営の主体
はYさんである。水田は皆無であり、畑600a(自作地100a、借地500a)に飼料作物
(夏:トウモロコシ・ソルゴー、冬:イタリアン・大麦)を栽培し、繁殖牛32頭、
育成牛2頭、子牛21頭の計55頭を飼養している子牛生産専業農家である。

 平成3年の子牛販売額は804万円であったが、平成4年は子牛価格の急落により、
18頭を出荷し、644万円の販売収入にとどまっている。18頭のうち9頭が去勢であ
り、9頭が雌であったが、1頭平均35.8万円で出荷している。これは市場平均の子
牛価格の41.6万円より低い。また、平成4年に老廃牛を2頭出荷しているが、その
販売額は39.4万円であり、さらに子牛を4頭自家保留しているが、この4頭の評価
額は110万円であった。

 従って、平成4年の総収入は793.4(=644+39.4+110)万円となる。

 平成4年の経営費をみると固定費が114万円で変動費が286.9万円の計400.9万円
であった。

 従って、所得は392.5(=793.4−400.9)万円であった。

 平成4年は成牛の廃用で販売収入が少なかったことが影響しているとはいえ、両
親と後継者の3人の年間所得が392.5万円ではあまりにも所得が少ないと言わざる
をえない。

 価格が急落している平成5年の販売額は1頭平均25万円で25頭出荷したと仮定す
ると625万円に急減する。もし、経営費を平成4年と同額と仮定すると所得は224.1
(=625−400.9)万円に急減することになる。 


5.むすび〜今後の課題〜

 従来、離島農業においては、肉用牛、特に子牛生産が地域農業の大きな収入源に
なっていたが、最近、子牛価格が急落し、子牛生産経営の収益性が悪化して、繁殖
牛飼養の存続が危ぶまれている。今後は、子牛価格を引き上げ、生産費を削減する
努力が必要である。

 一般的に、子牛の購買者は離島での子牛購買を回避する傾向にある。離島の零細
な市場では希望する資質の子牛を充分に集めることができず、また輸送費が掛かる
ので、子牛購買者は離島市場に集まりにくい。

 子牛購買者を集めるには、子牛の資質を高めることが重要である。特に、大口肥
育業者から購買を希望している系統を聞き、その系統の子牛を増産するような方法
で改良の促進を図る必要がある。

 生産費の削減には、多頭化による労働費の節減が有効である。しかし、狭い旧来
の畜舎で多頭飼養するには除角が必要である。除角することによって事故が減少し、
また、牛群内の競争を緩和する効果がある。

 繁殖牛の飼養には観察が重要なポイントになる。そのために従来、農家では、1
頭1頭を繋留しているが、連動スタンチョンにより、省力化が可能となるので、連
動スタンチョンの設置を推奨したい。

 離島は本土以上に老齢化が進行しており、将来は担い手の不足から繁殖牛の飼養
が衰退する危険性がある。老齢農家が繁殖牛の飼養を放棄する理由は、飼料作物の
作付と収穫の重労働に耐えなくなるからである。このような農繁期の重労働を大型
機械を用いて組織的に解消する農業管理センターの設置が今後不可欠である。農協
等が管理主体になった農業管理センターを行政の支援によって設置し、地域の農業
を維持発展させることが重要な課題である。

 子牛価格が低迷しているので、個別一貫経営を行うことも重要である。しかし、
繁殖牛舎に加えて、肥育牛舎を建設する費用が子牛生産農家にはないので、肥育牛
舎の建設費を補助する制度の新設が望まれる。行政による補助、あるには農協によ
るリース方式などが考えられる。

 個別一貫に加えて、地域一貫も重要である。地域で生産した子牛の買い支え機能
を有する農協による肥育センターの増設が望まれる。

 離島における子牛生産は地域の所得源として重要な役割を果たしてきた。また、
養蚕の衰退による休耕地を飼料畑に変えて有効利用するなど子牛生産は国土の保全
にも努めてきた。しかし、最近の子牛価格の低迷により今後は飼養放棄が続出しそ
うな様相を呈しはじめている。子牛価格安定制度における全国一律の取引価格の算
定方法を県別取引方法に改める等の改善を図り、遠隔地における子牛生産経営を早
急に救済することが重要である。


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