★ 草地酪農に夢を賭けて


−放牧主体で牛舎のない低コスト経営を展開する酪農家−

北海道上川郡清水町 出田 義国、出田 基子


 北海道日高山系剣山のふもと、標高250mのところに、私たちの出田牧場がある。

 十勝平野の向こうが朝やけに染まるころ、牧草地に寝ていた130頭のホルスタイ
ンは草を食べ始める。牛たちが満足したころ、バギー車で搾乳牛を集め、搾乳が始
まる。

 出田牧場には、ミルキングパーラーの建物が一棟あるだけで、牛の寝る牛舎はな
い。氷点下20度にもなる厳寒期も、牛たちは放牧場の雪の上で寝るのである。

 春に生まれた子牛たちも、初めて迎える雪の季節にとまどいながら、雪の上を走
り廻る。親牛たちも、うまいグラスサイレージを腹いっぱい詰め込んでは、新雪の
積もったやわらかい寝床を見つけて、実に伸び伸びと体を横たえるのだ。彼らはそ
れを当り前のことと思っている。自由で、健康で、逞しい。

入植してから

 昭和52年、離農跡地の前に立て札があった。「熊出没注意・清水町」と。そこに
入植できることになった。岩石だらけの傾斜地で、取得面積39haのうち、草地は14
haしかなかった。あとは沢と雑木と笹だった。「あんな所でできるわけがない。3
年もすれば出て行くだろう」と言われた。

 しかし夫は、「酪農には最適の土地だと直感した」と言い、牛飼いを志した学生
時代から、12年間練り続けてきた草地酪農の夢を、着々と実現していった。牧柵を
作り、初妊牛20頭を放牧した。熊笹の繁る雑木林も牧草地に変わり、年ごとに牧場
整備が進んでいった。入植3年目からの生産調整で、計画が大巾に遅れてしまい、
苦しかったが、今では牧草地も45haとなり、2人で580トンの牛乳を出荷できるよ
うになった。規模拡大が比較的スムーズにできたのも、牛舎が要らなかったからだ。
 道路も舗装され、交通の便も良くなり、訪れた人が感嘆する。「いいところです
ね」「すばらしい眺めですね」と……。

 放牧している牛たちが悠々と草を食べている。その背景の山々までが我が庭に見
える。その光景が、新築した住宅の窓から見渡せる。目を返せば、十勝平野の広が
りは雄大で、心が洗われる思いがする。そして我が家の牛乳が、また、いちばんお
いしいのだ。

 その土地に愛着を持ち、家庭生活が快適で、自分で作った農産物をおいしいと思
って食べる。それが農業の真髄だ。

放牧について

 牛は草の上で寝るのが好きだ。自分の食べる物の上で寝て、その上に糞尿を撒く
のだから、何ともぜいたくな生き物である。「牛の糞尿のしつけができたらノーベ
ル賞ものだね」と言った人がいたが、それは人間の勝手な考えだ。牛は広い土地に
施肥する役目を持って生まれてきたのだ。大地にエネルギーを還元し、地球の自然
を守ってゆく救世主だ。

 だから、岩石だらけでどうしようもないと見られた土地が、目を見張るような牧
草地に変わり、人が羨むような牧場になった。牧草の収量も確実に増え、同じ面積
で飼える牛の頭数が増え、乳量も増えていった。

 今まで米国の酪農がベストとされ、画一的な酪農を指導されてきた。放牧は牧草
地の利用率が低いと偏見を持たれ、切り捨てられてきた。コンプリートフィーディ
ングやチャレンジフィーディングなど、乳量増を追う指導がなされてきた。いかに
穀物を限界まで与えて高泌乳を追求するかが重視された。乳量増によるコストダウ
ンの努力は、乳価引き下げへと連動していった。

 生産調整で首をしめられ、乳価はキロ20円も下がり、それでもけなげにコスト低
減に努め、負債を増やして規模拡大し、体を酷使して耐えている上に、牛肉の輸入
自由化による個体販売の暴落である。粗収入が減っただけ所得も減った。

 そうなってやっと、放牧が見直され始めた。各団体が、あわててニュージーラン
ドへ視察に行く。ヨーロッパの酪農は、と考えてみる。

 放牧は牛飼いの原点だ。どんなに品質の良い乾草やサイレージでも、大地から生
えている牧草の栄養価の方が優れていることは歴然としている。牛がどんな草を好
んで食べるかを見ていれば、牧草が最高の栄養価を含んでいる草丈の短い時期に放
牧した時、きれいに食べてしまうことが分る。牛の好きな草が、牛にとっていい草
なのだ。牛が教えてくれる。

 今、世界一コストが低いとされるニュージーランドの酪農と比較すれば、北海道
での放牧は、積雪のある5か月間のハンディはあるが、乾乳期間を除けば、3か月
の差だ。それは土地の生産力でカバーし得る差だと思っている。

出田牧場の概要

1 牛舎がない

 厳寒の北海道で、牛舎を建てず、放牧主体の低コスト酪農と言われ、視察者が後
を断たない。本当に牛舎がないのを自分の目で確かめなければ信じられないらしい。
しかし、自分の目で見ても、夫の説明を聞いても、理解できない人が多いと夫は嘆
く。農耕民族の文化と遊牧民族的発想との違いらしい。

 農耕民族である日本人は、田を作り、水を管理し、米の文化を作り上げた。牛に
対しても、人間が便利に、楽に仕事ができるように牛舎を作り、管理してきたのだ。
牛舎は牛のためでなく、人間のために作られたものだ。

 牛の体は歩くために作られている。山野を歩いて足腰も強くなり、食い込みも良
くなる。寒くなれば食う量も増えてゆき、冬に備えた体になる。良質の粗飼料を飽
食させれば、寒さによる病気や事故は全くないし、乳量が減ることもない。牛は人
間が考えている以上の能力を持っている。人間の側からも、牛舎掃除の労力が要ら
ず、敷料も要らないという利点がある。

 牛は経済動物である。牛の経済的能力は、経済学者や研究者の方々が計算して数
字に現れる産乳能力や、飼料効率で決まるものだけではない。歩くためにある丈夫
な足腰と蹄、歩くハーベスターと言われる口、そしてうまい草をみわける嗅覚や味
覚、デリケートな神経と頭脳、そのすべてを上手に利用し、牛にできることは、で
きるだけ牛にさせることにより、省力化、省エネルギー化になり、低コストが実現
するのだ。

2 飼養管理の特徴

 夏は放牧優先に草地を利用する。短草放牧のため、繊維の補給に、乾草を自由採
食させる。冬はグラスサイレージを飽食させる。栄養価の高い自家産の粗飼料から
蛋白質をとり、十勝地方の畑作の副産物であるビートパルプサイレージとデンプン
粕を通年給与してカロリー源とする。濃厚飼料は単味で安いものを購入し、自家配
合してパーラーで与える。(現在1s当り35.7円で、一頭一日一律8sまで)

 育成牛は、哺乳期間35日で離乳し、群飼に慣らした後、除角し、5か月令から親
牛と一群にして放牧する。夏の間、乾乳牛のみ分けて、乾草主体で飼う。給餌施設
は屋外にあり、トラクターのフロントローダーで給餌する。

3 収穫作業の特徴

 作業の省力化、単純化、省エネ化、省機械化のため、冬期間のグラスサイレージ
のみを作る。気密サイロになるように作ったバンカーサイロ8本に約1200トンの牧
草を収穫する。出穂前の牧草を刈る。ヘイバインで刈り、予乾して、ピックアップ
ワゴンで集草して運び、傾斜を利用して作ったバンカーサイロの上から落とす。バ
ックホーで鎮圧し密封する。給与の時は、下からトラクターのローダーで取り出し、
給餌舎に詰める。収穫作業は夫が一人で行う。乾草は購入する。

4 繁殖と搾乳

 季節分娩である。放牧草の栄養価の高い時に泌乳ピークを合わせるように、分娩
は4〜6月に集中させる。ほとんどが放牧場で自然分娩する。真冬の分娩はない。

 ミルキングパーラーは、アブレスト型、8ユニット、離脱装置付きだから、原則
として二人で搾乳することにしているが、一人でも対応できる。授精も獣医の治療
も、難産の介助も、パーラー内でできる。

5 草地利用状況

 45haすべて牧草である。チモシーとラジノクローバーが主体である。採草専用地
が20ha、放牧専用地が18haと兼用地が7haで、25haを20区画に区切ってあり、草の
伸び具合を見ながら、ほぼ毎日牧区を変えて、輪換放牧する。

 農業経営は土地条件によって左右される。放牧経営がどこでもできるわけではな
い。土地条件に合わせ、個々の農家の個性的な営農を生かせる指導であり農政であ
ってほしい。

6 家庭生活

 二人で酪農をしながら、四人の子供を育てるために子供中心の日常生活を大切に
している。朝は子供と食事をし、学校へ送り出してから、夜はみんなで夕食を囲み、
幼い子供を寝かせてから、牛との対話を楽しみながら搾乳する。私は、搾乳と子牛
の育成を担当し、それ以外の時間は、家事及び事務整理に当てるので、子供の帰宅
時刻には家にいる。

 牛たちは、日中屋外で自由に採食しているから、家族全員で出かけることも可能
である。

純国産の牛乳を低コストでつくる

 草地酪農に賭ける夢、それは、国産の牛乳をつくることだ。輸入穀物を使わず、
この大地から生産した牧草を食わせて牛乳を搾り、それで成り立つ酪農経営にする
ことだ。

 牛は牧草がいちばん好きだ。放牧で最高の草を食べると、搾乳の時間になっても
帰ってこない。そして、パーラーでジャーにあふれるほどの牛乳を出しながら、配
合飼料は食い残し、またいそいそと牧草地に行くのだ。

 牛は人間の食糧と競合しない牧草を食べて、草の蛋白質を人間に必要な牛乳や肉
の蛋白質に換える能力を持っているから牛なのだ。地球上に飢餓で苦しんでいる人
間がいるというのに、人間の食糧となりうる大豆や小麦やトウモロコシを食わせて
牛乳を搾ることには罪悪感を伴う。

 農水省は、今世紀末には世界の穀物相場が2倍になると推測している。世界的な
人口増加と、地球の自然破壊が今のまま進めば、当然予測されることだ。今でさえ
酪農家は脱落者が増えている状況で、飼料用穀物の価格が二倍になれば、穀物多給
型酪農は全滅だ。今輸入穀物が比較的安いから多給できるが、それでも多給による
病気も多発している。泌乳能力に限ってみれば、牛一頭で約2倍の乳量を出すよう
になっているが、胃や肺や肝臓の能力が2倍になってはいない。酪農の技術や規模
は過去30年間に飛躍的に進んだが、動物である牛の体が30年で進化するわけがない。

 世界の飢餓人口を減らすためにも、日本の酪農が穀物価格の高騰に耐えるために
も、輸入穀物多給型酪農を改める必要がある。

酪農は牛と人間との共同作業

 穀物過剰という前提のもとに改良されてきた牛と酪農技術は、備蓄穀物が少なく
なり、不足し始め、前提条件がくずれた時から、畜産害悪説の的になりかねないと
私たちは心配している。牛に食わせる穀物のカロリーは、生産された畜産物のカロ
リーの7倍を必要とするのだから。

 農業は命を守り続けてゆくための産業だ。酪農が、継続可能な農業であるために
は、そして、日本の酪農が生き残るためには、牛が本来持っている能力を十分に発
揮させ、しかも牛にとっても幸せな飼い方をしてやること。それが、牛と、牛から
牛乳をいただいて暮らす酪農家との、共存共栄の道だと思う。


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