◎今月の話題


「ブランド」 化とは何かを考える
目的は顧客からの信用と経営の安定

流通ジャーナリスト 小林彰一







“有名になること”がブランド化?

  「ブランド」 とは何だろう。 他にない自分だけのマークを付けて販売すること、 
であり、 それが“有名”になること、 そんなイメージが一般的ではないだろうか。 
だから、「ブランド商品の開発」 とか 「ブランド産地の確立」 という目標、 合言葉
は、 あらゆる農業者、 団体の共通のテーマだ。 

 しかし、 現実には誰もが 「ブランド化」 を達成できるわけではない。  「最も有
名になる」 ことがブランド化だと定義したら、 それは容易なことではない。 しか
し、 「ブランド化」 ということをそんな狭義に解釈していいのだろうか。 

 ブランド化の本来の目的は、 自分の生産物が適正に評価され、 安定的に販売さ
れ、 農業経営が安定し、 かつ先の見える (希望のある) 営農が可能になる、 こと
ではなかったか。 

 それならば、 農家や産地の規模や能力、 背景などによって、 その 「ブランド化」 
の方式や目標はそれぞれ個別のものでいいはずだ。 また、 それなら、 ブランド化
とは、 卸売市場など不特定多数を相手にするマーケットにおいて“有名”になる
ことだけではない、 ということにもなる。 

 農家や産地が、 自分の身の丈に合わせて、 合理的かつ主体的に定めた目標をク
リアすることが、 広義のブランド化だ、 ともいえるのではないか。 



「世界一のブロッコリー」 の自負と根拠

 埼玉県岡部町のJA榛沢 (はんざわ) は、 わが国を代表するブロッコリー産地
のひとつである。 

 同JAの自負は 「世界一うまいブロッコリー」。 その意気込みの甲斐あってか、 
現在、 同JAのブロッコリーは卸売市場でも、たしかに 「ブランド」 品である。し
かし、 彼らの“ブランド化”への取り組みは、 単に卸売市場で“有名になること”
ではなかった。 

 JA榛沢が、 今の産地として基盤を築けたのも、 実は大きな試練を乗り越えた
からである。 それは昭和59年のこと、 出荷最盛期1カ月間、 1ケース200円 
(当時は2キロ入り) という超安値、 大暴落に見舞われた。 この時が岐路だった。 

 この未曾有 (みぞう) の大暴落で、 大方のブロッコリー産地が作付の縮小、 撤
退あるいは“模様眺め”となった翌60年に、 同JAは、 むしろ拡大戦略に転換
したのである。 

 この時の大転換作戦は、 生産から流通、 販売のすべての面にわたる。 まず、 機
械植えには不可欠なプラグ苗の普及。 機械植えの効率は、 手植えの5倍だ。 全国
初の試みであったが、 これで品種の統一と品種の均一化という目標もクリアでき
た。 

 新たな攻めの戦略展開の中でも、 流通業界から注目されたのが、 規格の改定で
ある。 出荷の拡大と省力化を同時に達成するための妙手として、 同JAは全国に
先駆けて、 従来の倍、 4キロ箱を採用した。 

 最近は当たり前になってきた、 有機肥料投入による土作りも、 この60年から
本格的にスタートしている。 

 また、 60年から実施したものに、 消費キャンペーンがある。 生産者が市場や
スーパーなどの量販店に出向き、 試食販売をしながらの販促活動である。 

  「まず消費者に直接アピールすることで、 輸入品にない良さ、 とくに“顔の見
える”関係が醸成できたこと。 また、 市場や小売店における販売担当者に、 産地
としての誠意や熱意を見てもらったこと。 そして、 キャンペーンに参加すること
によって生産者自身に自覚や責任感が生まれたこと」 (同JA販売課)だというの
だ。 

 さらに11月から2月の4カ月間には、 月間統一価格で出荷する 「期間値決め」 
方式を採用。 これは、 直接、 輸入品を意識したものだ。 これに加えて大口需要者
には、 「8キロ箱」 を用意して 「定量・定価格」 システムでアピールしている。 

 この 「定量・定価格」 方式を厳守して需要者から評価してもらうために、 同J
Aでは計画通りの出荷をしない場合の罰金制度まで設けている。「生産者に“契約”
概念を身につけてもらうため」 である。 

  「日本一うまいブロッコリー」、 この産地の自負に、これだけの内容がぎっしり
と詰まっているのである。 



市場でのブランドにとどまらない目標

 JA榛沢は、 ある時 「目標」 を設定した。 この時とは、 有史以来ともいえるブ
ロッコリーの暴落時。 目標とは、 他産地が弱気になった時点をとらえて、 一気に 
「ブランド産地」 になろう、 というものだった。 

 その目標を達成するために必要な、 あらゆることを実行に移して、 それを手中
にしたのである。 しかも、 かなり思い切った作戦を勇気をもって展開したことに、 
その成功の秘訣はあった。 他産地の追随を許さなかったからである。 

 JA榛沢の 「ブランド化」 の目標は、 単純に市場においてのブランド化ではな
かった。 それは、 スーパーなどの大口需要者に対する信用の醸成であり、 そこで
ブロッコリーを購入してくれる顧客、 消費者からの支持と信頼を得ることである。 
それを 「ブランド化」 と読み替えたのだ。 

 そして、 JA榛沢のマークは、 「ブランド」 となり、 信頼を得たのである。 


こばやし しょういち

 昭和47年 (株)農経新聞社 (青果物の生産・流通専門紙) 入社、 編集長を務
めた後、 昭和63年農経企画情報センターを設立。 現在、 同センター代表取締役
のほか、 青果物流通に係る様々な公職に就く。 「最先端の青果流通」ほか著書多数。

 


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