◎専門調査レポート


umezawa.gif (13911 バイト)付加価値と若さにかける菊池牧場

日本大学商学部 教授 梅沢 昌太郎




なぜ、菊池牧場か

 岩手県岩手町にある菊池牧場は、乳牛60頭(搾乳牛30頭、育成牛、子牛など30
頭)、豚20頭(種雄豚 1 頭、子取り用雌豚2頭、肥育豚17頭)で生産活動をして
いる。

 岩手県の生産者 1 戸当たりの平均飼養頭数は乳用牛で26.8頭、豚で1,030.8頭で
ある。乳用牛の場合、全国平均は49.7頭であるから、菊池牧場は酪農経営として、
小規模な生産者ということになる(表)。 そのような小規模な酪農経営を、こ
の調査レポートの対象としてなぜ取り上げるのか。もっと大規模で組織的な事業
を展開している酪農家がいるではないか、あるいは極言すれば淘汰されるべき限
界的生産者ではないのかなどの疑問が起きてくるであろう。

表 岩手県家畜飼養頭羽数(平成10年2月)
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 資料:岩手県農政部

 しかし、このような小規模な酪農家や畜産経営者が、新しい道を模索しその方
向が見つけられれば、日本の酪農畜産に新しい展望が開けるであろう。

 もしかしたら、規模を問題にする時代は終わったのかもしれない。

 確かに、グローバル・スタンダード(世界標準)を競っている経済の世界では、
「大きいことは最善の戦略」とばかりに、規模拡大にまい進している。ここでは、
「勝ち組」と「負け組」とに明確に色分けする、過酷な経済の論理が存在する。
農業の世界でも、バイオやハイテクを軸とする技術革新が積極的に実行されてい
る。そこでは、世界標準をめぐって、勝者の論理が強調されている。

 しかし、農業は生き物を対象にして、生産活動を行っている。消費する側も、
人間だけでなく動物を含む生き物全体に広がっている。そこには多様な欲求が存
在する。人々の生活が豊かになり、価値観が多様化する中、画一的なものから独
創性を重視した製品やサービスが求められている。

 農業者も多様であってよい。その方向は規模を拡大してコストダウンと需要開
発を積極的に行って、国際的な競争力を付けることかもしれない。あるいは、小
規模で限界的であっても、価値を付けることによって、独創性を保つことかもし
れない。

 話はかなりそれるが、東京の日暮里に300年近く続いている団子屋がある。そこ
は夏目漱石や正岡子規などの明治のエスタブリュシュメントがひいきにしていた。
現在でも、数代にわたる家族が常連になっている。

 その団子屋の売り物は、焼き団子に餡団子そしてなぜかビールのみが出される。
その店の家訓は「浮気をするな、支店を出すな、借金するな」である。浮気とは、
団子屋以外の事業に手を出すなということである。多角化したり支店を出すと、
団子つくりに身が入らず、本業がお粗末になるということである。また、借金す
ると無理な事業を行うことになる。

 この家訓に時代遅れの面を感ずる人も多いであろう。しかし、この団子屋が300
年の歳月を生き抜いてきて、現在でも繁盛している事実は否定できない。

 この店は小豆は小樽、米は山形、醤油は千葉県野田、ビールはキリンと決めて
いて、その日に作った団子しか販売しないという。頑固に伝統を守っているので
ある。

 重要なことは、そのような伝統を受け入れる消費者・生活者が存在するという
ことである。マーケティングでいえば、消費者のセグメント(細分化)というこ
とになるが、そのような消費者・生活者を見つけだし、その支持を得る事業家と
しての努力が重要になる。

 昨年11月号に取り上げた岡田牧場と同じように、菊池牧場も小規模だが、独創
性と事業努力をすることによって、「危機にある」酪農経営にも可能性があると
いうことを示したい。また、そのような酪農家が岡田牧場だけの特有のケースで
は決してなく、他に存在するという意味で、菊池牧場を取り上げる。


菊池淑人の経営理念

 菊池牧場の当主は菊池淑人さん(35歳)とその家族である。奥さんと父母4人
で酪農と養豚そして加工の事業を行っている。父親の庸博さんが切り開いた、125
haの土地を受け継いだかたちになっている。庸博さんが病の床についているので、
現実には淑人さんが、この牧場の実質的な経営者ということになる。
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【広大な放牧地はグリーンツーリズムにも適する。】
 淑人さんの経営理念は、「加工度を上げ」そして「自分で売った方がもうかる」
というものである。

 それは父親である庸博さんの考えが、強く影響している。庸博さんは昭和43年
に入植して酪農を始めたとき、「廃用にする牛が安く」加工を真剣に考えざるを
得なかった。いろいろなところに、そのことを働きかけたが、結局は自分で加工
をするほかないという結論に達したという。

 庸博さんは乳牛の飼育を学生時代に経験している。入植後、すぐにアメリカに
行き、いち早くフリーストール、ヘリンボーン・パーラーを導入した。

 「最初に現実があって、それに世の中がついてくる」と考えて、先端的な酪農
を目指したが、それでは「食っていけず」に、加工を考えたという。盛岡の食肉
店や自動車メーカーのホンダなどに働きかけたが、自分でやるほかないというこ
とで、加工事業を積極的に進めてきた。庸博さんは、子供たちにその夢を託し、
淑人さんは食肉加工、そして娘さんにはチーズの加工と、それぞれ家族が分業し
て加工の領域のエキスパートになることを計画した。淑人さんが中学卒業後の半
年間ドイツ語を勉強して、ドイツにハムとソーセージの加工技術を学んだことは、
多分に父の意向を受けてのことであると考えられる。

 淑人さんはドイツに 3 年間、オーストリアに半年の修行を積んできた。ドイツ
では、ハム・ソーセージの加工を学び、オーストリアではお店での販売を経験し
た。この店は月曜日にと畜をして火曜日に肉を切って加工をしていた。淑人さん
は食肉の加工から販売までの一貫した技術を学んできたことになる。

 淑人さんは昭和38年生まれであるから、今から21年前の決断であった。中学を
卒業したとき、農業高校に行くより海外に出たいと考えたという。最初、日本で
も加工できるところを探したという。結局見つからず、知り合いを頼って、ドイ
ツに渡った。当初は観光ビザであったが、クルンバッハにある食肉加工研究所の
教授の紹介で、食肉店に住み込むことになった。そこの主人が親切で、自分のと
ころで働くということで、就業ビザを貰えたという。

 淑人さんは、そこでゲゼルという資格を取った。これは親方であるマイスター
になる手前の称号であるという。淑人さんは、帰国してすぐに養豚とハム・ソー
セージの加工に着手した。

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【菊地さんご夫妻、ゲゼルの証書を見せてもらいました。】

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【淑人さんの加工品、
 後列左からレバーケーゼ、ビアシンケン、ビアブルスト
 前列左からラートヘレン、ツンゲンブルスト、生ハム】
 淑人さんの経営理念は、加工度を上げて収益を確保するということである。
「なるべく牛舎に金をかけず、加工に金をかける」という、彼の言葉にこの考え
方が端的に表されている。

 しかし、淑人さんのハム・ソーセージの加工の理念は、非常に頑固である。
「消費者のニーズに合わせない」と言う。マーケティングの考え方の逆をいく発
想である。

 養豚もハム・ソーセージの加工も10年も前から行ってきた。しかし、それを軌
道に乗せるまでには、保健所との折衝などかなりの苦労があったが、盛岡で個人
の主催する「豊かな食べ物の会」があり、30家族程度の会員で有機野菜の共同購
入をしている組織と交流を持つことができ、自らの加工品に対する理解を得てい
った。このような孤立無援の展開の中で、生産に消費を合わせてもらう加工事業
の形態が生まれたと言えよう。

 平成10年には、スーパーL資金(農業漁業金融公庫の農業経営基盤強化資金)
を借り入れて、3,600万円かけて建物と加工施設を建設し、340万円の保冷車と800万
円のブルドーザーをそれぞれ 1 台購入した。加工機械は中古を活用したが、保冷
車は新品である。このような整備を整えることによって、ようやく保健所の許可
を得ることができ、本格的な加工事業を行えるようになった。ただ、問題は施設
建設のために中断している消費者との関係を修復することである。最初は、かな
り苦戦することを覚悟しているようである。

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【最新のミルクプラントで。右は筆者。】
【奥さんが加工品をスライス。
スライサーは中古である。】
 もう少し、菊池牧場が加工事業に本格的に取り組めたら、付加価値を上げる事
業の立ち上げが、もっと早く出来たであろう。

 製品は消費者グループに直接宅配している。最初は食肉加工品を、前記の盛岡
の消費者グループに直販していた。しかし、同じルートで「牛乳もやってみては
どうか」ということで、牛乳の宅配も行っている。

 酪農においても牛が多くのお乳を出すことを求めていない。 1 頭当たりの搾乳
量は、4,000から5,000kgで十分であるという。普通の酪農家は7,000から8,000kgを
搾乳するから、菊池牧場では平均の半分近い乳量で酪農経営をしていることにな
る。生乳で農協に出荷もしてはいるが、乳量が少なくても、その分、製品を直接
販売することによってカバーできるという発想である。

 また、新しい加工施設ではヨーグルトにも取り組んでいる。チーズの加工も予
定に入っていたが、フランスで学んできた妹さんが、フランスに住むことになり、
この計画はとん挫している。しかし、いずれはチーズの事業化に挑戦することに
なろう。


菊池牧場の事業経営

 菊池牧場の面積は125haである。その半分以上が牧草地となっている。そこに乳
牛60頭と豚20頭を放牧している。豚も放し飼いである。

 冬場は、牛舎内でロールヘイレージを3日に1梱包与えるという。「手をかけな
いように」しているという。夏は放牧のみであり、濃厚飼料は、搾乳時に多少与
える程度であるという。「酪農にお金、労力をかけるべきではない」というのが、
淑人さんの事業哲学である。

 糞尿は地下のタンクに貯蔵しておいて、牧場に撒いている。散布の機械は淑人
さんが自分で開発した。その結果、化学肥料を使わずに牧草を育てることができ
る。また、冬場の粗飼料も自前での調達が可能となっている。牛舎は150頭規模で
あるが、「増頭するよりも加工をした方がよい」と言う。
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【牛も色々、牛にはこだわりがない。】
 しかし、豚の肥育の期間は 7 か月から8か月程度と長くしている。豚の場合は、
一般的には 4 か月から 5 か月であるから、場合によっては 2 倍の肥育期間をか
けていることになる。ハム・ソーセージに加工する場合、買ってきた肉では通用
しないと言う。「おいしいものを食べたい」という、菊池牧場の思い入れがそこ
にある。 

 豚は年間30頭をと場に出荷する。と場は牧場から80キロ離れたところにあり、
出荷も淑人さんが、自身で行っている。と畜手数料を支払い、枝肉で引き取るが、
ハム・ソーセージの加工に不可欠な、内臓や血液は、日本のしくみでは、別途、
買い戻さなければならない。

 搾乳は朝晩行い、牛乳の処理・加工は日曜日に行う。それ以外の生乳は、農協
に出荷している。また、ハム・ソーセージは土曜日に作っておいて、月曜日に奥
さんと2人で袋詰めをする。この作業に手間がかかり、大変だ。そして火曜日に
配送する。

  ハム・ソーセージには発色剤が使われていないので、「スライスしたら 3 日も
たない」という。自然食に近い加工品であり、そのことが消費者グループの支持
を集めているのであろう。

 宅配は週 1 回にまとめて行われている。ハム・ソーセージは宅配便でも販売し
ている。顧客の数は300軒程度である。そのうち、定期的に購入してくれる人は200
軒である。宅配は淑人さん自身が行っている。盛岡市まで片道約 1 時間、1日が
かりである。

 ハム・ソーセージの価格は、1セット1,200円を基本にしている。しかし、この
価格であると、宅配便の配送コストのウエイトが高くなり、加工する側も顧客も
双方に不利になるのではないだろうか。製品の数を多くして、セット価格を上げ
ることが必要となろう。

 酪農の作業を含めると、非常にハードな作業日程である。その分、飼養の手間
を省いているのである。「酪農にお金をかけない」という信念はこのようなとこ
ろに表れていると言えるだろう。

 事業実績が注目されるが、酪農での収入は、農協への生乳の販売が主体となっ
ている。しかし、週 1 日の搾乳分の宅配による牛乳の売り上げが全体の 4 割近
くある。また、ハム・ソーセージの加工は、昨年10月から貢献している。月60万
円ほどの売り上げの実績となっている。この売り上げは安定しているから、重要
な事業となってくる。

 農協への生乳の販売は、菊池牧場の生産規模を考えると、現状の乳価では、農
協への生乳販売だけで事業を成り立たせることは困難であろう。

 やはり、乳製品を含めた加工事業を行い、それを自分で販売するところに、大
きなメリットがあるということができるであろう。


サポートする人々

 安比高原でペンションを経営している石坂さんやレストランを経営する春田さ
んなどのネットワークのグループが、菊池牧場の加工事業を支えている。

 石坂さんの経営する「ペンション・ウイングライト」は、スキーのほかに山野
めぐりなどの企画で、顧客の開拓をしている。食事には、菊池牧場のハム・ソー
セージが供されている。市販の製品にはない、本物の味が宿泊者の支持を得てい
るという。

 このペンションでは、雑誌の切り抜きをファイルしているが、そのファイルの
テーマが、菊池牧場と春田さんのレストランである。

 菊池牧場については、父親の庸博さんの記事やグラビアが集められている。ハ
ム・ソーセージを料理に出してもらえることも、PRとして重要であるが、このよ
うなパブリシティも、地道ではあるがゆっくりとした効果が出てくるであろう。

 もう一人の重要なサポーターは、レストラン「シェ・ジャニー」を経営する春
田さんである。春田さんのキャリアは非常にユニークである。
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【淑人さんの強力なサポーター、
シェ・ジャニーの春田さんご夫妻。】
 子供の頃からの好きな山に住みたいという願いから、14年前にこの安比の地に
移住し、数年前からレストランを出店している。

 春田さんは慶応大学を卒業している。音楽が好きであったが、自分の才能を推
し量って、音楽の世界からフランス料理に進んだ。そして生の現場を見たいと思
い、フランス語の会話を 1 年間かけて勉強し、渡仏して、1年間レストランで、
ただ働きをしてフランス料理を習った。

 このようなキャリアが菊池淑人さんの先達になり、春田さんが淑人さんの仕事
に目をかけている理由であろう。

 「向こうの連中ですごいと思ったのは、朝から晩まで立ちづめで仕事をするこ
と。さらに、すごいのは、仕事が終った後、朝まで遊んでいる。そのパワーには
心底驚かされた。」と述懐する。

 その後奥さんと一緒にスイスのジュネーブを旅行中、ひょんなことから、スイ
ス駐在の日本大使と知り合い、大使館の調理の手伝いをすることになった。その
大使が食道楽で「うまいもの好き」のため、気に入られ、大使の専属調理人とな
った。そしてその大使の赴任先に同行し、世界各地を旅することになった。

 大使とともに日本に帰国した春田さんは、渋谷で「シェ・ジャニー」を開店し
た。その当時、フレンチレストランは希少で、広尾に「シェ・フィガロ」があっ
たくらいである。顧客の半分くらいはフランス人であった。

 店は繁盛したが、「安い料理を出そうとしたが、店側の思いとは裏腹に客の方
が高い雰囲気を望み」、春田さんはそのギャップに悩み始めていた。15年近くそ
のレストランを営業していたが、バブルの時代にそのレストランを売り、安比高
原に移り住んできた。

 春田さんは、日本のフランス料理は基礎と理論が不足していて、あまり学ぶと
ころは無いという。その批判は日本料理にまで及ぶ。「日本の料理界は、やたら
と秘伝が出てくる。料理には本来、隠すところはあってはならないと思う。全部、
公開する自信が重要であり、それによって発展もしていく。独学も可能となり、
個人の能力も伸ばすことができるようになる。」と主張する。

 安比周辺の豚は、以前はおいしくて感激したが、5年くらい前から品質が低下
した言う。今は味が安定している輸入の黒豚を使っている。

 このように春田さんは、日本の料理の世界にあって、非常にユニークなキャリ
アと意見の持ち主であることが分かる。

 世間はこのような存在を放っておかず、テレビや雑誌などが、春田さんの料理
を積極的に紹介している。その記事を先に述べたペンションの石坂さんが、ファ
イルして宿泊客に見せている。菊池牧場を紹介するのと同じやり方である。

 春田さんは菊池淑人さんの作った製品に対して、鬼気迫るものを感じたという。
日本のモノではない凄さを感じたのである。春田さんのレストランでは前菜やメ
インに使用して提供している。しかし、日本の顧客はあまりにも塩気や脂肪にう
るさく、淑人さんの製品も、「マイルドになっている」のが気がかりであると言
う。

 また、レストランで「血のソーセージ」を出すと、女性の顧客などはそれを聞
いただけで駄目だそうだ。「おいしければ良いと思うのだが」と春田さんは撫然
と言う。「世界的にみて、皮や血、内臓を食べる習慣が普遍的であるのに対して、
日本では、内臓を副産物の次元でしか考えない。内臓を見直せば、肉全体のあり
方を真剣に考えるようになる。」と春田さんは主張する。日本の畜産業にとって
も、参考になる言葉であろう。

 いずれにしても、ドイツで本格的な食肉加工技術を学んできた菊池淑人さんに、
日本の消費者の先入観の壁が立ちはだかっていると言えそうである。「消費者の
好みには合わさない」という、淑人さんの信念を貫くには、厳しい試練がある。

 春田さんも、料理では独自の道を歩いてきた。本人はあまり言わないが、かな
りの苦労があったことであろう。それは独創性のある先駆者の歩む道かもしれな
い。

 淑人さんも、日本の畜産界では非常にユニークであり、先駆者的な立場にある。
その道程はかなり厳しい。お父さんの庸博さんもそのような道を歩んで来ている。
親子 2 代の旅ということになる。

 その意味からも、ネットワークの意味が大きくなる。昨年11月号で取り上げた
岡田牧場でも、人間ネットワークが重要
な要素になっていた。先駆的で個人の農業者を支えるこのようなネットワークが
大事なことを、菊池牧場のケースも教えている。


いずこへ

 菊池牧場は淑人さん夫婦と両親の家族労働で成り立っている。しかし、お父さ
んが病の床に伏している現状で、お母さんが介護に専念している。そうなると、
労働力は淑人さんと奥さんの 2 人になってしまう。

 ご夫婦には子供が6歳を頭に4人いる。末子は生後4か月である。奥さんの時
間の多くは、育児に割かれることになる。

 今の状況は、淑人さんの家族にとって、明らかにオーバーワークの状況である。

 酪農ヘルパーの制度を活用することも考えられるが、経常的な仕事に対する労
働が過重なので、常勤の人が必要となる。

 人を雇うことを検討しており、最近、やっと適当な人が見つかったという。

 さらに、新しい事業の展開として、宿泊の事業を行いたいという。菊池牧場は、
建物の敷地も広く、広大な牧草地はグリーン・ツーリズムに最適である。

 そこで、ハム・ソーセージとヨーグルトそして牛乳をサービスすると、大変に
おもしろい事業が展開される。

 淑人さんが挑戦するテーマは、無限にあるといえる。

 若さとチャレンジ精神が、その難問を解決するであろう。

 菊地庸博様におかれましては、平成11年 3 月11日にご逝去されました。ここに
謹んで御冥福をお祈りいたします。

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