◎専門調査レポート


使命からの畜産インテグレーション −下仁田養豚グループ−

日本大学商学部 教授 梅沢 昌太郎

 

 


若い養豚農家の共同化事業

下仁田から安中へ

 下仁田養豚グループは群馬県安中市を本拠にして養豚事業を展開している。下
仁田という名前から、その地で事業を行っているように思える。しかし、現在は
下仁田では事業は一切行っておらず、発祥の地としての思いがその名称に残って
いるだけである。

 下仁田養豚グループは、その中核となる農事組合法人下仁田養豚共同組合(以
下「下仁田養豚」と略)、下仁田ミート株式会社(以下「下仁田ミート」と略)、
そして群馬手作りハム株式会社(以下「手作りハム」と略)の3つの事業組織か
ら形成されている。
uehara.gif (49958 バイト)
【右から、(農)下仁田養豚共同組合専務理事  
上原正氏、同組合長 桐生喜代士氏、筆者】

トップはグループ共通

 下仁田養豚の組合長の桐生喜代士氏と専務理事の上原正氏は、下仁田ミートと
手作りハムの社長と専務も兼任していて、下仁田養豚グループの統合的な戦略立
案をする役割を果たしている。

 下仁田ミートと手作りハムには、常務取締役を配置し、経営のオペレーション
はその常務に任せる方式となっている。

 しかし、現実には、両氏の日常的な経営のオペレーションの主力は、下仁田養
豚の方に置かれていると考えられる。

 農業生産分野への株式会社の参入が認められる状況になってきており、下仁田
養豚グループも株式会社として一体化することも検討されている。グループとし
ては、これからは流通と食肉加工品の領域に力を注ぐ必要がある。現在以上にマ
ネジメントの体制の見直しが必要となろう。

◇図1 下仁田養豚グループ◇
sen-g01.gif (47107 バイト)


意識されていないインテグレーション

 下仁田養豚グループは下仁田養豚を中心にする相互の株式保ち合いの川下事業
組織と、資本参加による川上事業組織から形成される、典型的なインテグレーシ
ョンである。しかし、下仁田養豚創設当初、そのような概念はなく、現在でも構
成員にそのような発想はない。共同化という使命(ミッション)の実行の結果、
インテグレーションという形になったと言えよう。

◇図2 下仁田養豚グループと提携グループ◇
sen-g02.gif (20411 バイト)
資料:下仁田養豚共同組合「共同組合  30年のあゆみ」


下仁田養豚グループの設立

 下仁田養豚グループは、下仁田養豚からスタートしている。

 下仁田養豚は、夏はこんにゃくと養蚕、冬は炭焼きと伐採などを副業としてい
た農家の後継者5人が集まり、昭和36年2月に設立された。主要産業であるこんに
ゃく収入を補完する年間の平均した仕事が欲しいという願望が、若者たちをこの
共同事業に立ち上がらせたのである。

 事業の立ち上がりは、順調ではなかった。まず、当時の農協がこんにゃくの共
同販売の失敗により、経営不振の最中にあった。

 このような状況下で、5人の青年の新しい試みに対する抵抗が起きるのは、当
然でやむを得ないことであった。

 しかし、若い人々の試みを支持する動きもあり、農地を担保にして資金を借り
ることができた。また、事業経営に対する自信が芽生えてもいた。リーダー格で
最年長であった上原光雄氏は、町議会議員であり農業委員を兼ねていて、経営に
対する知識も豊富であった。 


初年度に見舞った最大の危機

 危機は最初の年に来た。下仁田養豚の歴史を語るとき、「一番苦しい時」は
「37年春のあの時」と言われている「事件」である(「共同組合30年のあゆ
み」)。

 子豚が伝染性胃腸炎にかかり、初産の幼豚は全滅、肥育豚も3分の1が死亡し
た。その上、残った肥育豚も価格の大暴落という二重の打撃に見舞われることと
なった。そのために、初年度は150万円の赤字決算となった。 

 その不振を見る周囲の目は決して好意的ではなかった。自主的な「共同」とい
う理念に、反発を感じる人も多くいて、その人々の「期待」を満足させるような
初年度の打撃であったのである。

 しかし、ここで挫折しては、若い人々の将来は閉ざされてしまう。上原光雄組
合長は必死になって資金集めに奔走した。貸してくれるところからはどこからで
も借りた。郵便局の保険に入りそれを担保にして借金するようなことまでした。


一貫経営への取り組み

 創業時の伝染性胃腸炎による大損害、そして39年の肉豚価格の暴落で経営危機
に陥ってから、肥育専業に徹してきたが、一貫経営を行うことが最大の課題にな
ってきた。幸い経営努力の結果、下仁田養豚の経営は軌道に乗ってきている。一
貫経営へのチャンスである。

 組合長はアメリカを視察し、次のような結論に達し、事業開始当初の一貫経営
に戻ることとなった。

 その理由は次のようなものである(「共同組合30年のあゆみ」より)。

 ・自給子豚は防疫の面からも好ましく、発育も良好
 ・子豚価格の変動に左右されない
 ・子豚市場では思うような子豚が手に入らないが、自給であると改良次第で良
  い子豚を作れる 
 ・肥育頭数が多くなった場合、群肥育が基礎になるが、子豚市場では群として
  そろえて導入することは難しく、自給ならこの問題も解決できる
 ・導入子豚は厚脂肪になる傾向があり、肉質が悪くなる

 44年に安中市鷺宮の丘陵地帯に7ヘクタールの土地を購入し、繁殖めす豚300頭
の繁殖、肥育一貫経営が開始された。

 平成11年度の実績では、安中牧場では、平均おす豚数52頭、平均繁殖めす豚数
925頭で、肉豚出荷数は15,107頭、子豚出荷数2,548頭の規模になっている。


種豚センターの創設

 昭和53年には、新たな規模拡大の基地として、榛名山西麓の吾妻町萩生地区に
10ヘクタールの土地を求めた。当初は、繁殖めす豚300頭のウインドレス豚舎を
建設し、さらに55年度に第二期工事として繁殖めす豚300頭を増頭する予定であ
った。

 しかし、54年に輸入豚肉が激増した影響で豚肉の供給が過剰となったため、第
二期工事の内容変更を行い、繁殖めす豚のF1生産のための種豚センターを建設
することにした。

 繁殖性能の優れた北欧系の大ヨークシャー種とランドレース種の輸入豚を基礎
にして、種豚80頭の飼育を開始した。

 この吾妻種豚センターは、吾妻牧場肥育センターと安中牧場(肥育)への、種
豚の供給基地の役割を果たしている。


黒豚生産への参入

 61年に「全国黒豚研究会」に参加し、鹿児島県のバークシャー飼育の現地視察
を行い、「差別化商品」として生産販売することとした。同年12月に吾妻牧場に
鹿児島からバークシャーの種豚30頭を導入した。その後は北海道から黒豚種豚を
導入した。九州にオーエスキー病が入ったためである。

 黒豚導入は前述のような、豚肉の輸入急増に対抗するための商品差別化戦略に
よる。下仁田ミートは、59年2月から埼玉県の秩父黒豚生産組合と埼玉北部市民
生協の委託を受けて純粋黒豚のカット処理を行っていた。群馬県でも「おいしい」

豚肉を求める動きが強まり、その流れを的確に捉えたのである。

 平成11年度実績では、黒豚は平均おす豚数14頭、平均繁殖めす豚数128頭で、
肉豚出荷数は1,723頭、(おす豚、繁殖めす豚の)候補豚出荷数92頭となってい
る。
senbatu.gif (46036 バイト)
【選抜された種豚】
hahako.gif (53778 バイト)
【黒豚の母と子】


驚異的な生産規模の拡大

 11年度の安中と吾妻の両牧場でのトータルの飼育頭数は、平均おす豚数97頭、
平均繁殖めす豚数1,463頭で、肉豚出荷数は24,219頭、子豚出荷数2,796頭、候補
豚出荷数830頭となっている。

 また、平均枝肉重量も、元年度の69.4kgから11年度は72.3kgと4%増加し、品質
管理や改良が進んでいる。管理の今後の課題としては、特に子豚死亡率を減少さ
せることが挙げられる。そのために、離乳舎を建設して、衛生的な環境で子豚を
育てることができる対策を講じている。


自家配合飼料への取り組み

 安全な食肉の生産には、飼料が重要になることは言うまでもない。

 下仁田養豚は、最初は自家配合を行ってきた。しかし、規模拡大したことで、
メーカーの配合飼料を使用したが満足できず、飼料の研究を行い、自分で配合設
計を行い、メーカーに生産を委託した。しかし、価格設定などで合意が難しかっ
た。
 そこで昭和48年の安中牧場建設を期に、配合飼料工場も建設したが、その後、
すぐに前橋市にある飼料工場(両毛物産株式会社)と、それを活用していた県内
の他の養豚農家と下仁田養豚が設立した群馬県自家配研養豚農業協同組合(以下
「自家配農協」と略)の合意が成立し、51年に自家配合飼料の製造が開始される
ことになった。大豆やトウモロコシの遺伝子組み換え問題が論議され、それらの
穀物を主要原料としている畜産業では、原料の出所を明確にすることが求められ
てきている。生協等を主な取引先とする下仁田養豚グループにとって、自家設計
の飼料はますます重要となってきている。


流通と食肉加工品領域への進出

直販への進出

 下仁田養豚発足時の肉豚の生産、流通は、養豚農家の庭先での生体での取り引
きが主体であった。しかし下仁田養豚では、それでは有利な販売はできないとし
て、と場へ出荷した生体をと畜解体の手数料を支払って、枝肉で引き取り、それ
を販売するという方式にすることとした。

 「地場の生産物は地場で消費する」という経営理念が、その事業行動の背景と
なっている。

 販売活動の拠点として、下仁田養豚有限会社を38年3月に設立した。そして、
下仁田と高崎市にあると場を結ぶ線上の高崎市豊岡の住宅街に、第1号の販売店
を設立し、さらに42年12月に地元下仁田町に第2号店を出店した(この2店ともに
駐車場等が整わず、すでに閉店している。)。

 食肉専門小売店からスーパーマーケットへ小売流通システムの担い手も変化し、
また、製品の形態も枝肉からカット肉(部分肉)へと、大きく変わっていった。

 そのような環境変化に対応するために、下仁田養豚有限会社を解消し、51年新
たに安中市板鼻の国道18号線沿いに2,700平方メートルの土地を購入し、1日
100頭のカット肉処理能力を有する下仁田ミートを設立し、平成11年度には、下
仁田養豚から肉豚17,289頭を購入している。下仁田養豚からの購入比率は約70%
であり、グループ全体の流通システムの要となっている。
truck.gif (36329 バイト)
【下仁田ミートはと場から自家トラックで枝肉を搬入】


takase.gif (43258 バイト)
【カット工場で
左から、下仁田ミート(株)営業課長  
高瀬昇氏、筆者】
cut.gif (40298 バイト)
【カット工場内部】


食肉加工部門に参入

 このように、インテグレーションは着実に歩み始めるが、消費者との接点を深
めるためには食肉加工品の領域への進出は不可欠である。

 「よいエサ、よい豚、よいお肉」を作るという、グループの使命からいうと、
食肉加工の領域への参入は必然的な帰着点であった。

 しかし、国産豚のみを原料とし、さらに無添加を標ぼうするハム、ソーセージ
を作ると、市販の製品よりも3〜4割は高くなる。食肉加工品の世界は、添加物に
より、歩留まりが100%を大きく超えることが当然とされているのである。

 しかし、よいハム、ソーセージを望む声は高く、昭和57年1月、下仁田養豚グ
ループと生活協同組合コープぐんま、そして自家配農協グループ(両毛物産を含
む)の8団体によって、手作りハムが設立された。しかし、平成11年度の事業報
告書には、資本金3,000万円の出資者は、下仁田養豚(25,560千円)と下仁田ミ
ート(4,440千円)の2事業者であり、完全な下仁田養豚グループの一員となって
いる。
ham.gif (43739 バイト)
【ハム工場にて、焼豚用豚肉を成型】
ogino.gif (37116 バイト)
【右から、上原専務、荻野法子氏、
群馬手作りハム(株)工場長  
青木正利氏、筆者】
 手作りハムは無添加のハム、ソーセージの加工と販売を目的としている。「手
作り」を標ぼうするが、現在は全くの手作りではなく、一部に機械加工の工程が
導入されている。

 このように使命感に基づくインテグレーションは、個々に完成したのである。


◇図3 手作りによる一貫システム◇
sen-g03.gif (27857 バイト)


完成途上にあるグループ・インテグレーション

赤字体質のグループ経営

 下仁田養豚グループの事業の流れを見ると、生産(下仁田養豚)と加工(下仁
田ミート)の関係は非常にスムーズに行われているように見える。しかし、製品
加工の部門(手作りハム)がネックになっていることが分かる(図4)。

 下仁田養豚と下仁田ミートとの損益の関係は、豚肉の市場価格によって変化す
る要素も強い。市場価格が安ければ、下仁田養豚の下仁田ミートへの枝肉納入価
格が低くなり、高ければ逆の関係が生ずる。

 しかし、市場価格が下がれば、カット肉の販売価格も下がるので、下仁田ミー
トの売上高も下がることになる。

 一方で、小売りというシステムを持つことは、大きなバッファー機能を有する
ことを意味する。また、小売事業では、現金収入があり、キャッシュフローに与
える経営的効果は大きい。

 問題は、直営の店舗は1店しかなく、残りの店は生協のテナントとなっている
ことである。日々の売り上げは生協の勘定に入れられ支払いが遅れる。小売直販
による現金収入のメリットを受けることができない。

 下仁田ミート自身と直営店の安中店の売り上げ拡大、コストダウンの努力が重
要となろう。

◇図4 下仁田養豚グループ売上関連図◇
sen-g04.gif (96100 バイト)


下仁田ミートの売り上げ拡大とコストダウン

 直営の安中店をイノベーションすることは今後の売り上げ拡大に非常に重要で
ある。近隣のレストランや料理店等業務用食材の販売が主となっている。しかし、
店の造りは消費者相手の小売店のものである。キャッシュアンドキャリーという
卸の業態に徹する店づくりと、マーチャンダイジングが求められるであろう。

 コストダウンという側面では、ロジスティックの側面での改革が必要となろう。
運送を直接雇用の人で行っているが、外注にすることも考えられる。また、枝肉
の搬送の改善なども重視されるであろう。


急を要する手作りハムの立て直し

 手作りハムの事業の立て直しは急を要する。組合長(つまりは手作りハムの社
長)である桐生氏も「(下仁田養豚グループの中では)手作りハムが問題」と言
う。

 主な原因は生協の合併、連携での事業連帯による規模拡大に工場の生産のキャ
パシティーが追いついていけなかったためで、平成元年に移転、拡張してもなお
間に合わず、生協の共同購入事業から外れたことにある。

 次にグループへの販売額の少なさがある。手作りハムから下仁田ミートへの売
上高は1,400万円である。これは手作りハムの売上高の16%にしかすぎない。ま
た下仁田ミートから見ると、手作りハムからの仕入れは、仕入高の1.9%を占め
るだけである。

 下仁田ミートの販売戦略も問題になる。下仁田ミートの小売店舗でのハム、ソ
ーセージの売上総額は3,100万円であり、仕入総額の4.1%を占めるだけである
(表)。

表 下仁田ミート仕入商品別内訳
sen-t01.gif (3203 バイト)

 下仁田ミートの直営の店舗は、前述のように直営店1店舗、生協店舗でのテナ
ント5店となっている。その店舗を3店(直営の安中店、コープぐんま昭和店、高
崎市民生協飯塚店)見た。手作りハムの製品は非常に小さな売場スペースで陳列
されていた。直営の安中店では、他社ブランド製品のスペースのほうが大きい。

 「手作りハムの製品を陳列しても、売れないので店長が並べたがらない」と、
下仁田養豚グループのトップは言う。

 事業部門としての損益を追求すると、店長の主張の方が正しい。消費者が買っ
てくれなければ、小売店舗そのものが死んでしまう。しかし、グループ全体の事
業方向を考えると、手作りハムの現状は大きなアキレス腱となる可能性が強い。


直営店の強化

 改革の案としては、まず直営店である安中店での手作りハム製品の陳列を増や
す必要があるだろう。

 国道18号線を通行する人々を対象にして、他では絶対に買うことのできない、
無添加の手作り食肉加工品が買えることをPRすることが必要となろう。街道に
面した場所で、骨付きウインナーを焼いて、直販するような演出も重要となる。

 ドライブの顧客を引きつけるには、トイレも重要な要素となる。トイレ休憩の
ついでにハム、ソーセージを買ってもらう、舞台装置を作ることも必要となろう。
そのためには、トイレを便利なところに移し、きれいにする必要もある。サービ
スの側面でのイノベーションも必要となる。

 国道18号線はバイパスができて、前ほどのにぎわいは無いという。しかし、ト
ラックのドライバーが重要な顧客となるはずである。街道沿いには他のふるさと
食品直売場もある。悲観的な材料をチャンスとすることも、イノベーションとし
て必要なのである。

 卸業務も含む、直営店のキャッシュアンドキャリーのコンセプトを明確にする
店づくりが必要となろう。


テナント店での販促強化

 また、テナントとして出店している各店舗でも、手作りハムの販促を定期的に
行う戦略も必要であろう。昭和店では、実演販売をしていたが、このような企画
を各店で、繰り返しそして趣向を変えて、実行する根気が必要となろう。


HMS食品の開発

 手作りハムでは宅配事業にも力を注いでいる。しかし、暮れとお中元の季節に
注文が集中して、工場操業の調整が問題となっている。

 繁忙期の人員配置を配慮しながら、それ以外の時期に製造できる製品の開発を
考える必要もあるだろう。

 HMS(ホーム・ミール・ソリューション、家庭の食の解決)的な発想の製品開
発も重要となる。

 HMS的な製品開発の発想は、下仁田ミートにも必要となる。HMS食品をマーケ
ティングできる小売店は、下仁田ミートが有しているからである。
coop.gif (49129 バイト)
【コープぐんま昭和店でのハム、
ソーセージ販促活動】
souzai.gif (33723 バイト)
【コープぐんま昭和店では特に総菜が評判】
 

戦略マーケティング戦略の実行

 インテグレーションは垂直的統合と訳され、資本関係だけでなく、業務提携な
どによって垂直的な統合を行うことによって、統合されたグループの利益を最大
にすることを目的とする。ブロイラーのインテグレーションは畜産での代表的な
ケースである。通常は、垂直的な統合関係でパワー(支配力)を有する事業者が
出現し、それを中心にして統合が進められ、強化される。

 下仁田養豚グループは、インテグレーションという言葉を使わず、グループと
表現している。商社を中心とする利益追求の意味合いの強いインテグレーション
という発想ではなく、共同の事業というミッション(使命)から、この事業を始
めたのである。「よいエサ、よい豚、よいお肉」というミッションを追求してき
た結果が、このようなグループ経営となったのである。インテグレーションと呼
ばれるような事業組織では、決してないという思いが、下仁田養豚グループ経営
者の強い思いであろう。

 しかし、あえて逆説的に言うと、このグループはインテグレーションであるこ
とを、強く認識する必要があると思われる。

 その理由は、既に見てきたように、下仁田養豚グループ構成組織の事業にアン
バランスが見られるからである。インテグレーションを形成する企業グループの
場合には、このような問題点は即刻に改革されるであろう。

 手作りハムの累積赤字は、等閑視できるものではない。

 もちろん、トップマネジメントは下仁田養豚グループ共通であり、すべてに目
配りがされているという反論が出るであろう。

 しかし、生産、カット工場、直営店舗とテナント店舗を実際に見て、このグル
ープは「生産志向」なのだという印象を強く持った。事業実績もそのことを裏付
けている。

 流通と加工を軽視していると言っているわけではない。「共同組合30年の歩み」
では、自分自身の手による流通事業と加工事業が、養豚事業共同化に大きな決め
手なったことが、繰り返し述べられている。

 しかし、現実にはマーケティングに対する知識の乏しさは否定できない。実際
に、加工や直販というマーケティング活動を実行してきているのであるから、そ
の実体が乏しいわけではない。その経験は非常に貴重である。

 そのことをわきまえた上であえて言うと、グループを融合する「戦略マーケテ
ィング戦略(戦略を作るためのマーケティング戦略)」が無かったのだと思う。
つまり、外部環境変化に対応する戦略を立案するマーケティング戦略のプランを
作り、実行する事業戦略がグループに必要になっているのである。

 下仁田養豚グループは、日本農業の共同化の先駆的試みとしてだけでなく、事
業家農業の先達としても貴重な存在である。

  日本の農業が今行おうとしていることを、このグループは40年も前から実行し
てきたのである。

 口舌の徒である一大学教師であるわたしなどは、その実績の前に首を垂れる以
外に道はない。

 下仁田養豚グループの火を一層輝かせるためにも、このレポートが役立つこと
を願っている。

元のページに戻る