◎今月の話題


風評被害をもたらすもの

財団法人畜産環境整備機構 副理事長 信國 卓史








安全と環境は時代のキーワード

 いま食料、農業を話題にするとき「安全」と「環境」の2語を抜きには語れな
い。この2語は、単にキーワードとして使われる頻度が多いだけでなく、多様な
論点を含んでいるところにも特徴がある。それほど関心が高いということだろう
が、その割には百家争鳴状態であって論点が拡散し議論がかみ合っていない。あ
る事象を極端に解釈したり、あいまいな論拠のまま話が展開されているせいであ
る。

 例えば安全についての議論の仕方である。ずいぶんいろいろな事柄に、いとも
簡単に「安全か?」との問いが発せられるが、安全そのものについては証明のし
ようがなく、その裏返しの危険性を検証することによってしか証明できないので
ある。その上、安全性にしろ、危険性にしろ、程度の問題であって、絶対という
ことはない。だからこそ許容限界として基準値が設けられているのである。クロ
ーン牛の安全性が話題になったときはどこにどういう危険があるかが提示されな
かったし、所沢の野菜については含まれているダイオキシン濃度のレベルが危険
な水準ではないことが無視された。これらは科学的検証によってのみ判断される
べきことであるが、何とはなしの不安という段階で世に出てくるから論点が定ま
らないのである。


安全論議に必要なもの

 「安全か?」の問いが発せられるや、消費者は店頭で「お宅はそういうものを
扱ってないでしょうね」と念を押し、聞かれた方はいちいち安全だと強調するよ
り扱っていないと答えることで売り上げを確保しようとする。かくてくだんのも
のは市場から姿を消さざるを得ないというのが風評被害に至るメカニズムである。
この過程には、科学的にはどうなのかという議論を巻き起すモメンタム(推進力)
はなく、まして疑問自体が正当であるかといった反問もできない。不安という感
情そのものと科学的論拠という両極間には議論は成立しない。結果、科学の進歩
もほどほどにとか、専門家の説明責任であるとかといった、いついかなるときに
でも成立する一般的議論ばかりが世間を賑わすだけで、すべてがうやむやのまま
残る。議論を議論として成立させるためにはよほど心してかからなければならな
いことを痛感している次第である。

 クローン牛論議に参加していて感じたことであるが、今の世の中では科学とか
技術、およびその産物としての人工的なものに、異常なまでに警戒心が持たれて
いる。特定分野の局所的なことになると臆面もなく反人工の感情が表明されるが、
私はそのことに逆に大変危険なものを感じる。例えば家畜人工授精であるが、人
工と付いているがゆえに何か問題があるかもしれない、だから排除されるべきだ
と言われると、同じ技術で生を受けた人もいるではないかと考えさせられる。体
外受精、受精卵移植等いわゆる繁殖工学にかかる技術は人畜共通であるから、ど
ちらかで問題にすれば他方でも問題にされるということに留意しなければならな
い。反人工を主張している人は、このことに気付いているのであろうか。


部分的正当性と環境全体の合理性

 このような主張が個人レベルで行われている間はいいが、最近では公の場でも
出てくる。コーデックス(国際食品規格委員会。国連食糧農業機関(FAO)と世
界保健機構(WHO)の合同委員会)で論議された有機畜産ガイドラインでは「繁
殖方法は、人工授精は認められるが、受精卵移植およびホルモン処置、遺伝子工
学を用いた繁殖技術は認められない」との一項がある。初期の案では人工授精も
だめということだったらしい。有機と繁殖技術の間にいかなる関係があるのだろ
う。受精卵移植をノーといい人工授精をイエスとする論理は何か。ふに落ちない。
局所的に先鋭化した議論が全体の姿をおかしくした見本といえよう。同じことが
組み換え体作物についての議論でも見ることができる。遺伝子組み換えにより害
虫抵抗性を付与されたとうもろこしの花粉を、自然では起こり得ない環境下で蝶
に食べさせたらその蝶が死んだ、だから組み換え反対だという。在来のとうもろ
こしを栽培するためにはその蝶をも殺す汎用性の農薬を多量に使わざるを得ない
であろう。特定の害虫のみを対象とした技術は、昆虫全般を無差別に対象とする
技術より環境に悪いのであろうか。

 食料、農業に関しては環境、安全等を切り口に多様な考え方があってよい。し
かし、世の中が全般に、@科学的、論理的な思考力が低下しているA専門分野が
細分化されたことに伴い異分野を含めた総合的な見方のできる者が減っているB
情報技術の革新により、玉石混交、正誤不明の情報がいとも簡単に流布されるよ
うになったC環境、安全に関するネガティブな情報が大きく取り上げられる傾向
にある−などの状況にあることを踏まえた発言、発信、反論を心がけるべきだと
自戒している。沈黙が風評を増長させることも留意したい。

のぶくに たかふみ

 昭和42年東京大学農学部畜産獣医学科卒業。同年農林省入省、平成5年畜産局
畜産経営課長、7年同家畜生産課長、9年家畜改良センター所長、12年1月退官、
同年2月より現職。

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