◎地域便り


次代の3人が農業に従事 −(有)一関ミート−

企画情報部


 JR東北新幹線の一関駅から車で西へ15分。市街地を抜け静かな田園地帯にさし
かかろうとする時、(有)一関ミートの本社に着く。

 豚肉、ハム等の置かれた直売店舗の壁には横文字の証書らしきものがある。代
表取締役石川宣さん(61)の次男貴浩さんがドイツ留学で得た「ゲゼレ」の資格
証明である。日本を発って既に7年が過ぎようとしており、ハム、ソーセージ等
の製造で立派に一人前のレベルに達しているのだが、目指すはマイスター。修業
を続ける貴浩さんが帰ってくれば、一関ミートの加工部門を背負うことになり、
さらなる発展が期待される。

 農業法人経営者としての石川さんが大切にしているのは、こうした財務諸表に
は現われない財産なのであり、後継者の体の中に少しでも多くの財産を蓄えさせ
てやることが自身の使命と考えている。

 就農したのは16歳の時。長男故に2.5ヘクタールの水田と1ヘクタールの畑作、
園芸を営む父の農業を継ぐのが当たり前と受け止めていた。しかし、急激な高度
成長で他産業従事者と農業従事者との所得格差は開いていくばかり。石川さんは
「サラリーマンとなった同級生の所得と比べて、このままでは自分の所得が下回
るのでは」と慌てた。

 昭和35年、岩手県が企画した先進地農家留学制度の第1期生として東京都世田
谷区の農家に3カ月滞在する。今でこそ、カルチャーショックという言葉でさら
りと表現するが、20歳を過ぎたばかりの農村青年にはテレビをはじめとしてこの
3カ月は、相当衝撃的だったらしい。この時から「自分の意思で、自分が書いた
シナリオに従って生きる」ことを基本的信条とするようになる。

 東京留学からのもう1つのみやげはビニールハウスである。まだ一関どころか
県内でも誰もやっていなかったトマト、キュウリの促成栽培にチャレンジした。

 昭和36年から耕種中心の経営を養豚主体に転換し、現在では繁殖雌豚100頭規
模にまで拡大させている。このほか、戦略化は貴浩さんの帰国待ちだがハム・ソ
ーセージの製造、豚のふん尿のたい肥を使った米の生産を行っており、さらに地
ビールメーカーにも資本参加している。

 石川さんは「次代が職業として進んで選択できるような農業経営でなければな
らない。」と説くが、これには誰もが特別な重みを感じる。というのも長男聖浩
さんは同社の専務取締役で、一関農業高においては非常勤講師として後進の育成
にも携わっており、末娘の友紀さんも同社勤務だからだ。石川家の次代全員が農
業に従事しており、万事に控えめな石川さんも「かじ取りは間違っていなかった」
と実に誇らしげである。

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【一関市の一関ミート本社前で】

【長男聖浩さん、長女友紀さんとともに】

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