◎今月の話題


作物・家畜・土壌系と循環型社会

財団法人 日本土壌協会 会長 熊澤喜久雄








はじめに

 地球上に人類が誕生したのは、わずかに400万年程度前にすぎない。人類は
火の発見と道具の発明により、生存の可能性を広げたとはいえ、その歴史の大部
分を狩猟採集活動による食物の摂取と種族の保存維持活動で過ごしてきた。大自
然の中の点としての人類は自然生態系の中に溶け込んでいた。人類の自然に対す
る影響が飛躍的に高まったのは、農業が発明された時、すなわち約1万年前に始
まった農業革命を経てからである。定着農業が始まり、作物栽培、家畜飼養によ
り、食糧、生活資材の余裕が生じ、人口が増加し、集落、都市が発達し、太陽を
父とし大地を母とする地域固有の農業文化が開花した。それ以来、耕種農業と畜
産業とは車の両輪のごとく、相互に助け合いつつ発展をし、現在の豊かな食生活
を中心とした社会の発展の基礎を支えてきたが、最近に至り特に環境問題との関
連において再考を要することが多々発生した。この両者の関係を自然の循環にお
ける本来的役割の観点から考えてみたい。


自然の物質循環と耕種・畜産の結合

 家畜は人間の利用し得ない草木や食物残さなどを摂取して成長し、人間のため
にミルクや肉、卵さらに皮革など、貴重な衣食住の素材を提供した。人間および
家畜の排せつ物は大地に戻されて、耕地の地力の培養をすることにより、次の作
物生産の基礎を養った。

 農耕地の作物生産量が高まり、作物養分の吸収量、収奪量が大きくなるにつれ
て、森林や草原から作物養分あるいは地力培養資材を収集する家畜の能力に対す
る依存度が高まった。さらに地力培養を目的として家畜の舎飼いによるきゅう肥
の蓄積利用が推奨されるようになった。一方で農耕地では家畜用の飼料作物生産
が行われるようになった。きゅう肥の合理的利用を中心とした地力の培養を基本
に耕畜結合による食料の総合的生産体系が出来上がった。水稲作を基軸としたわ
が国の農業においては、大型家畜は主として耕作・運搬力として利用されたが、
きゅう肥の生産には限度があり、それに代わるものとして人ぷん尿の蓄積利用と
いう形で人間も地力培養装置の一環に組み込まれていった。また、きゅう肥と比
べて不足している植物成分、特にリグニン等は森林・里山等から集め、生活ごみ
などとともにたい肥として供給しなければならなかった。


農業の機械化・畜産の大規模化と耕種・畜産の乖離

 しかし、都市部の発達による養分損失などに加えて、降雨などによる土壌流亡
や養分の溶脱もあり、自然および人力・畜力による地力の培養も追いつかなくな
り、特に畑地においては地力の疲弊が顕著になってきた。この状態を打開したの
は、産業革命期以後のチリ硝石やグアノ(注:鳥のふんの石)、リン鉱石やカリ
鉱物などの肥料としての利用であり、空中窒素の工業的固定の成功による窒素肥
料の供給であった。その結果、地力構成要素である土壌の化学性のうち、植物養
分供給力に関する制限が少なくなり、この面でのきゅう肥に期待されていた役割
は大幅に軽減されてきた。こうしてきゅう肥の生産が耕地の地力培養と切り離さ
れやすくなり、また一方では耕地生産力の増大が人間の食料としての穀類を家畜
の濃厚飼料として利用することを可能にし、家畜の飼養を飼料生産のための土地
と切り離すことを可能にした。

 20世紀後半になり、生産性の向上を至上課題として、農業における大型化・機
械化・化学化・単作化が進行したが、それと並行して、畜産においても大規模化
が進行し、その過程において次第に耕種と畜産との乖離がおこり、土壌と畜産と
の関連が薄れてきた。その結果として現在見られるような、農耕地における地力
の減退傾向と家畜の排せつ物による環境汚染問題の激化が起きてきた。これらを
ともに解決する唯一の手段はきゅう肥の自然循環的利用、あるいは地力培養的利
用である。


環境革命時代の耕種・畜産・人間生活の融合

 現段階におけるきゅう肥の意識的利用は、きゅう肥材料や製造工程の多様性を
合理的に結合し、腐熟過程での有用微生物の富化にも配慮して、その使用場面や
作物を考慮してなされなければならない。場合によれば稲わら、麦桿、もみ殻、
おがくず等のみならず、生活廃棄物である下水汚泥や生ごみなどとの適切な組み
合わせにより、その地力培養資材としての価値を増加させることも出来る。

 わが国において1年間に発生する有機性廃棄物総量約2億8千万トンの中で、
家畜ふん尿は約9千400万トンに及び、下水汚泥約8千600万トン、生ごみ約2千
万トンがこれに次いでいる。これらを貴重な地力培養資源として、自然の物質循
環過程に円滑に還元し、環境負荷の軽減を図るためには、良質きゅう肥の生産に
よって耕種側の受け入れ量を増加させるとともに、各種飼料作物の栽培面積を増
加し、地域農業との結合を強める必要がある。地域で産出する農産物を地域住民
と共に家畜も消費し、家畜の排せつ物は地域の土壌に返され、作物生産に役立て
ることが、地域の環境保全、繁栄のためにも求められる。


おわりに

 耕種と畜産・人間生活との融合は、農業の発明以来、安全で安心な農産物の安
定供給を目的とした持続可能な農業の基礎であり、今後の持続可能な社会発展を
目指す循環型社会形成に向けても、バイオマスエネルギー利用も含めて真剣に追
求しなければならない。

くまざわ きくお  昭和46年東京大学農学部教授、平成元年東京農業大学教授、同年東京大学名誉 教授、11年東京農業大学客員教授現在に至る。  日本学士院賞受賞、日本土壌肥料学会元会長、日本学術会議第18期会員・循環 型社会特別委員会委員長

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