◎調査・報告


畜産物需要開発調査研究から 炭酸ガス麻酔と殺が鶏肉に及ぼす影響

代表研究者 九州大学大学院農学研究院 教授 岩元 久雄




はじめに

 生体の筋線維内には運動エネルギー源としてグリコーゲンや脂肪が蓄積されて
いる。急激な激しい運動を行うと真っ先に消費されるのがグリコーゲンであり、
と殺時の鶏にとって緊急事態に対処するために消費されるのもグリコーゲンであ
る。グリコーゲンは分解されてエネルギーを生産し、同時に乳酸を生成する。と
殺後の筋肉では血液による酸素供給が途絶えて、酸化的なエネルギー代謝が停止
するので、乳酸が取り除かれることはなく蓄積する。そのために筋肉のpH値が低
下し、最終的に極限pH値に到達することになるが、筋肉内のグリコーゲン含量が
多ければ生成される乳酸量も多くて、極限pH値はより低くなる。

 極限pH値に到達する過程が重要であり、体温が残っている筋肉で急激なpH値の
低下はPSE豚肉(むれ豚肉)と同様の現象を起こし、鶏肉質の低下を招く。他方、
と殺直前の筋肉内グリコーゲンが少なければ、と殺後のpH値が低下せず、牛肉で
言うダークカッチングビーフ(と殺後冷却中に肉色が黒くなる現象)と同じ状態
になり、また鶏肉質の低下を招くことになる。従って、高品質の鶏肉を生産する
ためには、十分なグリコーゲン含量を有する筋肉を持った鶏の消費を極力抑える
と殺解体法で処理することが必要と思われる。もちろん、残存したグリコーゲン
は冷蔵保存中に緩慢に分解され、同様に乳酸を生成し、筋肉は極限pH値に達する。
また、グリコーゲン含量の消費を抑えると殺法はと殺時の苦痛を軽減するもので
あり、動物福祉の側面からも評価されて良い。


鶏筋肉の特徴

 筋線維は運動能力と主に依存するエネルギー代謝によって基本的な3つの型に
区別される。それらはI型(酸化型遅筋線維)、IIA型(酸化・解糖型速筋線維) 
ならびにIIB型(解糖型速筋線維)である。姿勢保持や軽い運動ではI型筋線維
が動員され、酸素供給下で効率的なエネルギー代謝が行われるので、疲労するま
でに長時間働くことが出来る。他方、瞬発的で強力な運動を行う際にはIIB型筋
線維が動員されるが、嫌気的条件下で解糖型エネルギー代謝を行うので乳酸が蓄
積してまもなく疲労する。IIA型筋線維はそれらの中間の性質を有する。解糖型
エネルギー代謝ではエネルギー源はグリコーゲンに限られるが、酸化型ではグリ
コーゲンに加えて脂肪もエネルギー源として用いられる。また、酸化型エネルギ
ー代謝経路の発達した筋線維は酸素を結合保存するためにミオグロビン(注1)
を多く含み、より赤いので赤色筋線維(I型とIIA型)とも呼ばれている。もち
ろん、赤色筋線維を多く含む筋肉は赤くなり赤色筋と呼ばれ、少ない筋肉は白色
筋である。

 牛肉ではどのような筋肉であれ、組成は異なるがこのような3型筋線維をすべ
てもっている。それに対して、鶏肉では筋線維型分布が筋肉間で大きく異なる。
胸筋(「むね肉」の最大筋)はほとんどIIB型筋線維で構成され、外側腸脛骨筋
(「もも肉」の最外側筋)はIIA型とIIB型筋線維、恥坐大腿筋(内側頭後部、
「もも肉」で最内側筋)はI型筋線維で構成されている。

 十分に注意してネンブタール麻酔(注2)でと殺し、氷冷後筋肉材料を採取す
ると生体に近い状態で筋線維内グリコーゲンを観察できる。そのような材料でグ
リコーゲン(赤紫色に染まっている)を検出したものが第1図である。同図にお
いて、グリコーゲンは胸筋(PT)(注3)で最も多く、外側腸脛骨筋(ITL)
(注4)が続き、恥坐大腿筋(PIF)(注5)で極端に少ない。逆に、恥坐大腿
筋(PIF)では脂肪(黒色に染まっている)が蓄積しやすく、筋線維内にも多く
含まれているが、本写真では周囲の脂肪が多くて筋線維内のものは写っていない
(第2図)。外側腸脛骨筋(ITL)ではIIA型筋線維内に脂肪滴が認められる。こ
のような特徴は「むね肉」と「もも肉」のそれぞれ大部分の筋肉に当てはまり、
両部位間での肉質の違いとも関係する。

注1.ミオグロビン;筋色素で血色素のヘモグロビンと同様に酸素と結合し、筋
  線維内での呼吸に関与している。酸素を必要とする酸化的エネルギー代謝経
  路が発達した筋線維に多く含まれ、筋線維の赤みが増す。

注2.ネンブタール麻酔;ネンブタールはペントパルビタールナトリウムを含む
  麻酔薬の商品名で、催眠や鎮静剤として用いられている。多量に投与すると
  筋肉が弛緩し、呼吸が停止して死に至る。

注3.PT;Musculus pectoralisの下線部の略。

注4.ITL;Musculus iliotibialis lateralisの下線部の略。

注5.PIF;Musculus pubo-ischio-femoralisの下線部の略。

◇第1図:胸筋(PT)、外側腸脛骨筋(ITL)および恥坐大腿金
(PIF)におけるグリコーゲン含量の比較◇


◇第2図:胸筋(PT)、外側腸脛骨筋(ITL)および恥坐大腿金
(PIF)における脂肪含量の比較◇



と殺法間での筋組織の比較

 炭酸ガス麻酔(37%、70秒間、以下炭酸ガス鶏という。)ならびに通電気絶
(24ミリアンペア、10-15秒間、以下通電鶏という。)下で放血と殺した鶏の間
で筋線維の変化を顕微鏡写真で示したのが第3図から第6図である。なお、材料
採取は摘出時の刺激により筋収縮を起こし、グリコーゲンの消費を促進すること
になるので、脱羽後30分間氷冷して行った。従って、最初の材料採取までと殺後
1時間から1時間30分経過していた。最初の材料採取時から0時間、4時間冷蔵
後および24時間冷蔵後の3種類で観察を行った。

 胸筋において(第3図)、炭酸ガス鶏(CO)で0時間では大部分の筋線維でグ
リコーゲンが残存していたが、冷蔵保存の間にグリコーゲンをもっている筋線維
の数が次第に減少した。一方、通電鶏(E)ではすでに0時間でほとんどの筋線
維がグリコーゲンを消費していた。

◇第3図:胸筋におけるグリコーゲン含量の変化
左(CO);炭酸ガス鶏の0,4および24時間経過での組織、
右(E);通電鶏の0,4及び24時間経過での組織◇


 外側腸脛骨筋ではグリコーゲンの消費パターンに著しい違いが認められた。第
4図には炭酸ガス鶏の変化を、第5図には通電鶏の変化を示す。それぞれ、右と
左の写真が連続切片になっている。右のNADH脱水素酵素活性(注6)が高い筋線
維がIIA型で、低いものがIIB型である。グリコーゲンが消費されている筋線維は
炭酸ガス鶏ではIIA型であり、通電鶏ではIIB型である。以後の冷蔵保存中の消失
はIIA型よりIIB型で速い。

◇第4図:炭酸ガス鶏の外側腸脛骨筋の変化
0,4および24時間経過での左にグリコーゲン含量を
右にNADH脱水素酵素活性を示す。◇


◇第5図:通電鶏の外側脛骨筋の変化
0,4および24時間経過での左にグリコーゲン含量を、
右にNADH脱水素酵素活性を示す。◇


 グリコーゲン含量の少ない筋線維を持つ恥坐大腿筋(第6図)では筋線維の構
造的変化が炭酸ガス鶏(左)よりも通電鶏(右)で大きく、判然とした違いが認
められた。4時間後の組織で比較すると、通電鶏の筋線維は萎縮して、内部構造
の変化も示唆されるが、炭酸ガス鶏では正常な組織像を示している。

◇第6図:恥坐大腿筋における炭酸ガス鶏(左)と通電鶏(右)の比較
左上から炭酸ガス鶏の4時間でのグリコーゲン、NADH脱水素酵素および
ATPase酵素活性、ならびに24時間でのATPase酵素活性、
右上から通電鶏の0時間でのグリコーゲンおよびATPase酵素活性、
4時間でのNADH脱水素酵素およびATPase活性。◇


 一般に筋線維はI型、IIA型、そしてIIB型の順に動員されることが分かってい
るが、通電鶏の外側腸脛骨筋でIIB型がIIA型よりも先に動員されていたことは、
瞬間的に強烈なストレスがかかり、筋肉の強縮があったことを示唆している。ま
た、胸筋でもIIB型筋線維の収縮が起こったこと、さらには恥坐大腿筋でも筋線
維の変性が速いことが認められ、通電と殺が鶏に強いストレスを与えることが示
唆された。一方、炭酸ガス麻酔と殺は通電と殺よりも鶏にとってはるかにストレ
スが少ない。しかし、ネンブタール麻酔と殺よりはストレスが強いものと推察さ
れたが、同麻酔と殺では脱羽処理を行っていないので、と殺法そのものによる違
いであるかどうかは不明である。

注6.NADH脱水素酵素活性;酸化的なエネルギー代謝経路で水素の燃焼に関与す
  る酵素の一つで、同エネルギー代謝経路の発達を調べるための指標として用
  いている。本酵素活性が強い筋線維はミオグロビンが多くて赤くなり、脂肪
  顆粒を多く含むものである。

注7.ATPase酵素活性;筋線維の太いフィラメント(ミオシン)上にあり、アデ
  ノシン三リン酸を加水分解し、高エネルギーリン酸結合を切り離すことで筋
  線維の収縮に必要なエネルギーを供給する。速筋線維で本酵素の活性は高く、
  遅筋線維では低いことが分かっている。組織化学的に本酵素活性は新鮮な筋
  線維断面ではほぼ均一に検出されるが、不均一に検出された場合何らかの変
  性が起こっているものと考えられる。


グリコーゲン含量の比較

 筋線維内グリコーゲン含量をネンブタール麻酔鶏を基準にして、消失(0)、
減少(1)および変化なし(2)の3段階に区分し、外側腸脛骨筋では時々胸筋
筋線維と同程度のグリコーゲン含量を持つものがあったので、それを特に多いも
の(3)とした(第1・4図参照)。

 胸筋において炭酸ガス鶏(第7図)と通電鶏(第8図)の違いは歴然としてい
る。明らかに前者で筋線維内グリコーゲンが良く保存されている。しかし、炭酸
ガス鶏においてもNo.4のような個体もいて、同鶏は外側腸脛骨筋でもグリコー
ゲン含量が少なかった(第9図)。その原因は炭酸ガス麻酔と殺で筋線維内グリ
コーゲンを増加させるわけではないので、と殺前後の種々の取り扱いも含めて検
討されるべきである。

◇第7図:筋線維内グリコーゲンの経時変化(炭酸ガス鶏・胸筋)◇

◇第8図:筋線維内グリコーゲンの経時変化(通電鶏・胸筋)◇

◇第9図:筋線維内グリコーゲンの経時変化(炭酸ガス鶏・外側腸脛骨筋)◇

 外側腸脛骨筋では両と殺法間で胸筋のような顕著な違いは認められなかった
(第9・10図)。0時間では炭酸ガス鶏でやや多くのグリコーゲン含有線維を認
めたが、24時間ではむしろ通電鶏の方で同含量線維を多く認めた。これは前述の
組織像の変化と一致する。

◇第10図:筋線維内グリコーゲンの経時変化(通電鶏・外側腸脛骨筋)◇

 以上のように、炭酸ガス麻酔はと殺時の筋線維内グリコーゲンの残存量を増や
す効果があると思われた。特に、「むね肉」で顕著な効果が期待できる。

第1表 胸筋(PT)、外側腸脛骨筋(ITL)及び恥坐大腿筋(PIF)
におけるpH値の変化

 平均値±標準誤差 n=6
 a、b、c異文字間の平均値は同一筋肉の処理間で有意差あり(p<0.05)


pH値の比較

 恥坐大腿筋は小さく材料肉片が十分に採取できなかったので、4時間後のpH値
まで測定したが、0時間からほとんど低下しなかったので、その値を極限pH値と
して、他の筋肉と比較しても良いと思われた。したがって、第1表に示すとおり、
極限pH値は胸筋で最も低く(5.64)、外側腸脛骨筋が続き(5.93,6.06)、恥坐
大腿筋で最も高くなった(6.45,6.55)。この結果は第1図に示したグリコーゲ
ン含量と反比例する。

 と殺法間での顕著な違いは胸筋で示され、炭酸ガス鶏は通電鶏よりも緩慢なpH
値の低下を示した。


まとめ

 炭酸ガス麻酔下でと殺解体すると、鶏に対する苦痛を軽減し、足かきを抑制す
る。通電刺激による急激な筋の収縮は骨折や内出血を起こす原因にもなるので、
本研究で示した結果以外にも炭酸ガス麻酔は肉質改善に効果的であることが予想
される。外国では炭酸ガスにアルゴンガスを混合し、または酸素を加えたときの
麻酔効果が検討されている。わが国でも、肉質改善のみならず動物福祉の観点か
らも真剣に検討する時期がきているように思われる。本研究がその第一歩になれ
ば幸いである。

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