◎専門調査レポート


山口県下で広がる耕作放棄地放牧 −国土・景観保全に牛が活躍−

農林業ジャーナリスト 増井 和夫




耕作放棄地解消の意義

 食料自給率の低下が懸念されながら、本来は高い生産力を持つわが国の農地
が、有効に使われず、休耕や耕作放棄状態になっている面積が増えている。特
に耕作条件が悪い中山間地では、かつての水田、畑や果樹園、桑園などが荒廃
地となり、雑草や雑木が繁茂、国土や景観保全上に問題を起こし、猪や鹿など
野生獣の出没も増えて、農地としての利用再開は困難になっている。耕作再開
の意向がありながら当面休耕している農用地は、全国で約28万ヘクタールあり、
耕作再開の見込みがない耕作放棄地は約21万ヘクタールとなっており(2000年
センサス)どちらも年々増加しており、今後もその傾向が続くと見られる。

 耕作放棄地の解消の意義はいくつかあるが、第1に挙げられるのは、農業生
産継続によって初めてもたらされる農業の多面的機能の確保である。農業の多
面的機能は環境や国土の保全など、ハードな側面だけでなく、伝統文化の継承
などソフトと呼べる側面もあり、生産と生活の場としての美しい山村・田園風
景を形成する要因となっている。

 わが国はWTO(世界貿易機関)での農業交渉において、農業の多面的機能を
重視した貿易ルール作りを主張しているが、その主張を説得力あるものにする
ためには、農用地の有効利用による生産継続を意欲的に図って行く必要があろ
う。

 その意味においても、耕作放棄地の拡大を防ぎ、最低限農用地として維持管
理する現実的手法の確立が求められる。

 第2には中山間地の過疎化への歯止めである。中山間地では、荒廃地が広が
ると生産の減退に加えて、生活の場としての環境や景観にも悪影響が及ぶため
に、過疎化が更に進む悪循環が起きる。中山間地には高齢者が多いが、高齢者
も何らかの形で生産に寄与していることが重要である。耕作放棄地解消のため
に、放牧を導入し省力的な家畜飼育ができると、それが生き甲斐にもなり得る。

 第3に地域住民の畜産理解の促進である。耕作放棄地は混住化が進んでいる
平場や、都市近郊でも広がっており、美観を損なうだけでなく、雑草の枯れ草
は失火で大火災を招きかねない。牛が放牧されて雑草、雑木がきれいに整理さ
れ防災に寄与し、のんびり草を食む牛の姿は、人々の安らぎを与え結果的には
畜産への理解が深まる。

 第4には、食料自給率向上への貢献である。輸入品を含めて、粗飼料も購入
に依存する畜産経営が一般的になったが、輸入飼料依存で派生する窒素過剰な
どの環境問題や、防疫問題などが懸念される。耕作放棄地の放牧には、多面的
機能の発揮だけでなく、食料自給率の向上に大きく寄与する飼料自給率の向上
にも貢献できる。すなわち、現行の飼料栽培地、牧草地に加えて、耕作放棄地
を新たな飼料供給源にすることができるからである。耕作放棄地でも、場所に
よっては飼料の収穫利用ができようが、多くは複雑な地形や傾斜地で機械利用
に向かず、家畜の採食能力を活用した放牧形態が好適である。

 第5には、消費者の支持を受けられる畜産物生産様式に寄与することである。

 畜産物の素性が厳しく問われる時代になり、地域の飼料資源を活用する生産
様式の重要性が改めて重視されており、前記の第3の意義とも重複するが、素
性が知れた地域の飼料資源を誰にも分かりやすい放牧形式で活用することで、
消費者の関心が強い「地産地消」としての生産様式の確立に貢献できることで
ある。

 なお、今回は耕作放棄地の放牧利用に焦点を当てるが、人手不足で管理が行
き届かないのは植林地も同様である。せっかくの植林地も雑草繁茂で荒廃して
いる所が広がっており、林地の荒廃は治山治水上の大きな問題になっている。
耕作放棄地放牧とほぼ同じ原理で、植林地の下草管理に、放牧牛を活用するこ
とで「育林放牧」を行っている例として宮崎県諸塚村の状況を、本誌2001年10
月号で紹介しているので参照されたい。
【畜産試験場内の耕作放棄地放
牧の状況。向い側は非放牧地。】


牛の舌が人手不足を補う

 アジア・モンスーン地帯に属するわが国では、休耕を数年続けると雑草や雑
木が異常に繁茂して、刈り払うなどの復元意欲を起こさせないような状態にな
る。

 休耕に至ったのは、収益の低さや労働力不足などいくつかの理由が重なって
おり、放置すべきでないことを誰も承知しながら、現実的対策が見当たらない
のが実情である。かつて米の生産調整のために、休耕田で年に数回草刈りする
管理休耕も奨励金の対象になっていたが、今は廃止され人力での管理休耕は出
来ない。

 そのような耕作放棄地に、牛を放牧するとどうなるか。放牧面積に対応した
適度な頭数の牛が放牧されると、牛は自動草刈機の役割を発揮して、あたかも
人手で草刈り管理したような状態になることは容易に想像できる。それは西日
本の各地でシイタケ栽培用のクヌギ榾木生産の目的で、下草刈り用林間放牧が
広く行われていたことや、農閑期に里山や奥山に放牧の形で預けられていた牛
が、雑草を抑えて景観的にも優れた放牧地を作ってきた過去の知見からも類推
できる。

 つまり、「牛の舌刈り効果」は広く知られてはいるが、放牧にはそれなりの
施設や放牧経験牛が必要であることから普遍化しない状況が続いている。

 放牧用地として最初から準備された場所と違い、耕作放棄地のほとんどは小
面積であり、分散しているので、放牧に必要な牧柵や、水飲み場を新たに作る
と過剰な投資になりかねない。しかし、次項で見るように最近の放牧技術や機
材の革命的改良がその問題を解決している。


放牧を普遍化させる技術革新

 肉用繁殖牛や育成牛、乳牛の育成牛などを放牧飼育すれば、四肢や内臓など
の発達がよくなり、耐用年数が延びるなどの効果が知られている。しかし、放
牧には脱牧を防ぐために三段張りのバラ鉄線を張り巡らせるのが常識であった。
設置後も保守管理が必要で、特に積雪地帯では、雪の重みで切断しないように
冬前の取り外し、春の張り直しがやっかいだった。牛はバラ線を押し倒すこと
もあり、支柱は堅牢さを要求された。

 また、放牧地ではダニによるピロプラズマ病感染の恐れもあり、草地や牛体
の消毒も大変だった。

 こうした放牧の普遍化を阻んでいた状況は一変している。扱いがやっかいだ
ったバラ線に代わって、軽量で扱い易い電線(ワイヤー)を使う電気牧柵の登
場である。電源も太陽電池が使えるので遠隔地でも設置に支障はない。ワイヤ
ーに触れると感電する事を学習した牛は接触せず、支柱も以前は牛に力負けし
ない強固なものが必要であったが、電線を支えられればよく、細い鉄棒が一般
的だが竹など工夫次第で自家調達している例もある。電気牧柵の最大の特徴は、
設置も移動も簡便であることだ。支柱は軽量で、差し込みも抜き取りも簡単で
ある。ワイヤーは電源を切れば簡単に巻取れる。

 電気牧柵は使ってみればその利便性が分かるが、細い線だけで脱柵を防げる
のかと不安があって、導入をためらっている人も多い。放牧そのものに不慣れ
な牛の中には、突然走りだすなどのクセを持ち、感電させての学習効果が得ら
れない場合もある。そのような牛は放牧向きではないので、放牧飼育から除外
する。

 しかし、ほどんどの牛は感電の学習効果は明確で、細いワイヤーに触れず隔
障効果は絶大だと多くの経験者は口を揃える。雑草整理など同じ目的でヤギも
使えるが、ヤギは牛より感電の学習効果を確保しにくく、飛び越えもするので
ネット・フェンスが必要になる。羊は飛び越えはあまりしないが、電気牧柵向
きでない。

 小面積の場合はロープなどを使って、ヤギの繋ぎ放牧するのが現実的である。
ダニ対策は防除薬の改良で簡便になり、それが放牧を阻害する状況ではない。

 また、放牧に絶対に欠かせない飲み水の補給は、ポリ容器など簡便な機材で
行い易くなり、工夫次第で対応できるようになった。


荒廃棚田の放牧利用で先鞭

 山口県では、平成元年から荒廃した棚田等を放牧地として活用するための
「水田放牧技術定着促進モデル事業」を県単独事業として3年間行った。その
後は「水田放牧普及事業」としてモデルから普及・拡大へと引き継がれた。

 水田放牧とあるが、主な狙いは耕作放棄されていた棚田などの放牧利用であ
った。国の奨励策の対象からもれるような1ヘクタール以下の小規模遊休地を
対象にして、共同でなく個人にも認め、メニュー方式を採用した弾力的な事業
であり、条件は牛の増頭だったが、それも数頭から認めた。農地所有権が錯そ
うしているような所では、地権者との話し合いのためのソフト面の費用も補助
対象にして、谷ぐるみの棚田再利用を促した。

 耕作放棄された棚田は、猪の絶好の棲み家となり、耕種作物での復活利用は
困難であるが、放牧牛なら棚田に多い段差も厭わず、野草もそのまま使いなが
ら順次、牧草を増やすことも可能である。

 この事業は、畜産振興以外に地域活性化、高齢者に生き甲斐を持たせるなど
の効果も期待されていた。肉用牛飼育農家が高齢化しても、放牧期間だけでも
省力飼育を実現することで、飼育を継続したり頭数を増やす元気がでる。

 牛飼いのベテランも、意外に放牧に慣れていないのが実情だったが、荒れた
棚田がきれいになる効果もあり、小規模放牧が県下各地で身近な存在になった。

 平成7年からは「中山間地域資源活用型畜産推進事業」となっているが、モ
デル事業当時の発想はゆらいでいない。

 成功事例が多いのが油谷町、日置町などだが、防府市のふるさと牧場(山本
喜行さん)もその1つで、社団法人日本草地畜産種子協会が選定する持続型草
地畜産展示農場になっている。県ではこうした放牧を「山口型放牧」として事
例集を発行するなど啓発を図っている。

 山口県草地研究会(事務局、県畜産試験場内)の西嶋芳郎会長はこうした官
民一体での活動の積み重ねが、耕作放棄地放牧推進の下地になっていると言う。


県畜産試験場での基礎的研究

 山口県美祢市にある県畜産試験場では、かねてから放牧飼育の研究を行って
いたが、従来の畜産物生産の視点からだけではなく、牛の採食活動を活用する
役用家畜としての放牧管理のあり方についての研究を行っている。その状況に
ついて同場の米屋宏志氏等に聞いた。

放棄地の放牧利用技術の研究

 山口県では中山間地域等で耕作放棄地が昭和60年の1,663ヘクタールから平
成12年には3,375ヘクタールと増加しており、放牧によってその解消を図る実
験的研究を平成12年から試験場内の荒廃地を使って行っている。かつては採草
地として使われていたが、7年間ほど放置されて荒廃地になっていた所である。

 黒毛和種と無角和種の繁殖用雌牛を各2頭使い、ススキ、セイタカアワダチ
ソウが主体の耕作放棄地、ススキや笹の野草地に7月から10月まで放牧した。
対照区としてはオーチャード、トールフエスク、シロクローバーの牧草3種を
混播した牧草地を使い、1番草収穫後の6月から10月までの放牧を行っている。

 1頭当たりの放牧面積は若干異なるが、どの区も電気牧柵で囲い、水だけの
給与で補助飼料なし、無畜舎飼育であった。その結果、補助飼料無しにしたた
めにどの試験区も体重の減少があったが、減少比率は荒廃地の方が小さかった。
体重の変化は牧草地の方が大きかったが、それは牧草の夏枯れで牧養力(その
土地にある飼料源で牛をどれだけ飼育できるかの指標で、10アール当たりで体
重500キログラムの牛を何日飼育できるかをカウデーとして示される)の変化
のためである。

 むしろ野草が多い荒廃地の方が夏枯れが無いために、体重の変化が小さかっ
た。

 (注:西南暖地では、一般に牧草地は夏枯れしやすいが、年間を通じての牧
養力や収穫量は野草地より多い)

 上記の放牧期間に限った牧養力は牧草地と荒廃地の間に大差なく、平成13年
に追加した竹林での数値を含めたのが表1である。

 放牧で問題になる不食過繁茂地(排ふんされた部分の草は牛が食べずに過繁
茂になる)は牧草地の方が大きくなることも分かった。

 筆者は放牧試験が続行されている当該当試験地を拝見したが、ススキやセイ
タカアワダチソウなどの荒廃地で見かける背丈の高い草種はすっかり姿を消し
て、牧草類も含めた各種の野草が密生した草地に変化していた。牧草類は種子
が牛の腹を通じるなど何らかの経路で持ち込まれたもので、野草も放牧に適応
したものが残って行く状況が見られた。景観上の見苦しさもなく牛が草地改良
したのである。

 放牧の牧区による牧養力の違いを明らかにする試験であり、結果は表1のよ
うになっているが、実用的には牧区の植生の違いを活用して放牧先を移動する
ことで放牧期間を延長できる。笹類は冬季でも利用できるが、ススキやセイタ
カアワダチソウなどと違って根絶やしするのではなく、適度な放牧圧(牛の採
食で植物の再生を抑制する力)で継続的に利用するのが望ましい。

 この実験などから、耕作放棄地で放牧可能な日数が把握されており、表2の
ように10アール当たり2頭単位で18〜25日が適当と分かった。荒廃地に多いセ
イタカアワダチソウは果たして牛が食べるか懸念されたが、荒れた放牧地に多
いギシギシなどと共に牛が食べることが確認された。表3は野草地(耕作放棄
地もほぼ同様である)での草種と採食性である。

表1 各放牧地の牧養力


表2 耕作放棄地の放牧可能日数


表3 草種と採食性



(注)(1)資料:岡野、岩本(1989)より抜すい、五十嵐良造加筆、改変
   (2)++:好食、+:食、±:つまみ食い、−:不食、( )内は牧草地
   (3)調査時期の明らかでないものは全期に統一した。

放牧による防火帯作り

 この件は農業白書にもトピックスとして紹介されたが、畜産試験場の近くに
ある国立公園秋吉台での防火帯作りに、役用牛として草刈りをしてもらう「舌
刈り」試験である。カルスト台地として知られる国立公園だが、大半は野草地
であり、野草地は年に一度の山焼き(地域により野焼き、火入れなどと呼ばれ
る)を行うことで雑木の侵入を防ぎ独特の景観が守られる。それは阿蘇高原等
牧柵で細長く囲い、舌刈りをすることで人手の作業を省略ないし大幅軽減でき
合いなどが把握され、次第に普遍性を持った指標が整って行くことが期待され
る。
【秋吉台カルスト台地での防火
帯作りに働く牛たち】


県東部における実践状況

 平成元年からの旧棚田放牧推進以来の県内実績、畜産試験場での研究などを
踏まえて、平成13年から旧棚田以外にも広範に存在する耕作放棄地を放牧で解
消しようと、「放牧による遊休農林地の保全管理」を組織的に推進することに
なった。その実施体制は図1の通りで、畜産試験場が「実証展示」のために放
牧経験牛を2頭セットで貸し出すと共に、機材貸与と技術指導を行うものであ
る。牛は県有牛であるので、「畜産試験場の放牧牛貸付けについて」「家畜貸
借契約書」の文書を用意して、展示を行う地元との責任分担もあらかじめ明確
にした。貸付条件にある死亡事故への対応では、借り受け側に責任がある場合
の賠償額については、第三者の評価を基にするとなっている。幸いこれまでは
死亡はもとより事故らしい事故は皆無である。県有牛は特例で家畜共済に加入
できないが、民有牛なら共済対象になるので今後民間での貸借が広がった場合
は、共済制度を前提とした事故に対応した責任分担が考えられる。

 こうした約束に立って、平成13年から県下13カ所、合計6ヘクタールの耕作
放棄地での実証展示が始まった。その中から、筆者も現地を拝見した東部家畜
保健衛生所管内の経過を紹介しよう。

◇図1 牛の放牧による遊休農林地の保全管理◇


盛況だった実証展示放牧研修会

 地区担当の3農林事務所や東部家畜保健所が主体になった研修会は、柳井市
伊保庄の竹村勲氏の耕作放棄地24アールを使って行われたがその概要は表4の
通りで、  放牧開始時と放牧終了時の2回行われた。7月31日、猛暑にもかか
わらず予想を上回る100名もの参集者があり、説明のあとに電気牧柵の設置や
畜産試験場からの牛2頭の放牧が行われ、検討会も行われた。

 放牧施設に必要な費用は17万2,830円であった。太陽電源(ソーラーパネル)
の7万6,000円が最大費目で、普通の電線から電力が得られると不要である。次
いで電牧器の3万7,000円はどこでも必要な経費である。かつては放牧に必ず必
要だった刺付きバラ鉄線に代わる電牧線(ポリワイヤー)は400メートル分で7,
000円であり、取り扱いも実に簡単である。電牧線を支える支柱は100本で3万9,
000円だが、バラ鉄線利用の場合と異なり、牛の押し倒しに耐えるような強度
は不要で、ワイヤーと絶縁できる仕掛けがあれば細い鉄棒で十分であり、設置
も撤去も簡単にできる。つまり、施設費は工夫次第でかなり節減できる余地が
ある。電気牧柵設置に要する時間は1ヘクタール分が2人作業で45分程度で、傾
斜地でも軽い作業である。

 展示放牧は9月4日に終了したが、放牧前には牛の体が半分隠れるほど繁茂し
ていた雑草はきれいに食べられており、まさに耕作放棄地が放牧地に生まれ変
わっていた。その状況に参加者は改めて「舌刈り」の効能を実感した。

 展示放牧で活躍した牛は、岩国市の地方公務員Y氏に引き取られた。Y氏の集
落でも水田の耕作放棄地が増えており、実証展示を終始見て自身をもって「舌
刈り」での再生を目指したものである。当初60アールの予定だったが90アール
に広げて10月29日まで放牧した。畜産試験場では、耕作放棄地が刈り取り管理
したようにきれいになった段階、つまり草の量が減少して2頭の放牧に必要な
飼料が確保できなくなると、牛を引き上げることにしていたが、リレー的な利
用へも対応した。逆に見ると飼料確保のためには、草の再生力に合わせた適正
放牧頭数、期間があるわけで、牛と資材のリレー的利用は牛の栄養確保にも望
ましい。

表4 



事例に見る実践状況

竹村勲氏(柳井市伊保庄)

 前記の実証展示放牧を受け入れた当事者で62歳。展示用の24アールは放
牧終了後しばらく草生の回復を図り、11月から再度放牧利用している。再放牧
には自己所有牛2頭を充てており、放牧で省力飼育できたので、所有牛は2頭か
ら6頭に増やした。また、展示用24アールの旧水田の放牧利用を継続する他に、
隣接の水田跡荒廃地20アールに利用権を設定して借り入れ、14年3月から放牧
している。

 電気牧柵などの機材は、東部家畜保健衛生推進協議会(柳井市など県東部の
25市町村で組織され、家畜衛生対策のほか放牧事業も推進している)からの貸
付けである。竹村氏は先代から2頭程度の牛は飼育しており、2年前に定年で他
産業従事をやめて農業に力を入れようと牛舎も建てた。ただ、放牧には乗り気
でなかった。集落の上部にあり、水が汚れるとか棚田が壊れると言われそうで
心配したが、放牧経験のある斎藤氏(後出)に相談して展示を引き受けた。電
気牧柵では、こんな弱そうな線で大丈夫かと心配したが、全く問題はなかった。
奥さんも懸念していた周辺住民との問題もなく今後は10頭まで増やすのが目標
だ。失敗と言えば、自己所有牛を電気牧柵に馴れさせる作業(感電を体験させ
て電線に近寄らないように訓練する)を、畜主としての体験のために自分が行
い、牛に警戒されるようになったことで、それは誰かに依頼すべきだったと言
う。
【実証展示を引き受けた竹村氏
夫妻と筆者(右端)】
斎藤信人氏(柳井市伊保庄)

 黒毛和種の繁殖牛を42頭飼育する畜産農家で信人氏は55歳、後継者の貴之氏
20歳は山口県を代表するような若手のホープだ。今回の聞き取りも貴之氏から
である。祖父の代には牛は5頭程度、父の代になってまず30頭に増え、本人が
経営参加して現在規模になった。水田は自作地5ヘクタールのほか10ヘクター
ル以上を借地しており約15ヘクタールの水稲栽培も地域では最大級である。飼
料作は転作などで6ヘクタールほど行っており、イタリアン、スーダンなどを
栽培している。転作水田での放牧は畜舎に近い1ヘクタールで10年ほど前から
行っていたが、頑丈な支柱でバラ鉄線を支える方式だった。竹村氏の展示放牧
で電気牧柵を知り13年8月17日から使用している。電源は電灯線からで牛も自
己所有の12頭を使い、元水田と雑種地の合計2ヘクタールを新たな放牧地とし
て利用している。畜舎続きの運動場裏の山を購入して放牧地に加えたが、更に
3〜4ヘクタールの荒廃地放牧を予定し、飼育頭数は50頭への拡大を考えている。
【繁殖牛50頭規模を目指す
斎藤貴之氏】
大谷和正氏(東和町和田)

 東和町は瀬戸内海の屋代島にあり、以前はミカン栽培が盛んであった。その
ミカンは価格低迷から後退して、ミカン廃園が広がっている。高齢者の比率も
日本一ではないかと言われるほど農業の担い手不足が深刻である。大谷氏(58
歳)は今は農業専業だが以前は大阪で他産業に従事していたものの、家族が大
気汚染で健康を害したので帰郷した。帰郷してミカン廃園を何とか活かしたい
と考えていた時に、実証展示研修会開催を知り参加して感動した。牛の飼育は
全く素人だが早速牛の借り入れを申し込み9月13日から廃園での放牧を始めた。
牛2頭は畜産試験場から、電牧施設は東部家畜保健衛生推進協議会から借用し
て始めたが、見通しがついたので3セットを自己資金で購入して、他のミカン
廃園50アールと梅園の50アールに放牧した。牛は借り入れ牛を順番に移動させ
ており、きれいに舌刈りされてから草の再生を待って再放牧するなり、面積の
広い所は頭数を限ってやや長期放牧をして、冬季放牧にもメドがついた。

 大谷氏の方針はミカンや梅の栽培を牛の放牧と両立させることで、果樹栽培
から見ると樹園地の雑草対策でもある。それで子牛を生産できれば果樹の省力
栽培と追加的な畜産収入確保が可能になる。また、東和町の状況からミカン園
管理を委託したいとする潜在的需要は大きく、町の景観形成にも役立つビジネ
スチャンスも出てこよう。まだ農業専業になって日は浅いが、後継者も経営に
参加しており、牛も借りているだけでは積極的な活用ができないので、後継者
正樹さんの友人の協力を得て選んだ2頭を購入した。大谷家は鉄工場としての
経験、施設もあり、補助飼料給与の為のスタンチョンなど工夫した自家製のも
のを使っている。当面の目標は10頭に牛を増やし、借りたい人に牛を貸す出前
放牧も視野に入れている。
【放牧でミカン廃園の再生を
図る大谷和正氏夫妻と後継者
正樹さん。】
柳井市など自治体の積極的対応

 耕作放棄地はどこの市町村にも広がっており、これまで有効な対策がなかっ
たことから、実証展示を通じてよくぞ牛がここまで「舌刈り」をしてくれるも
のだと驚きと感動を幅広い関係者に与えた効果は大きかった。自治体として積
極的に耕作放棄地放牧を推進する動きも始まったが、192ヘクタールの遊休農
地があるとされている柳井市では、実証展示を市内で行う機会を活用して図2
のような啓発資料も作成して浸透を図り、平成14年度から「肉用牛放牧事業」
を手掛けている。事業費1,569千円で目的は「耕作放棄地に繁茂した雑草を肉
用牛に採食させ、耕作放棄地を効果的に解消するとともに、農地の有効利用と
多面的活用、景観保全の促進を図る」とあり、畜産農家は「飼料基盤の確保、
飼料費の削減、省力化、牛の受胎率の向上につながり、規模拡大を図れる」と
している。

 受益者が3分の1負担する仕組みだが、放牧施設の設置や危険表示等の警告看
板の作成を事業対象にしている。電気牧柵に人が触れないよう注意を喚起する
看板が必要で、牛を見にくる近隣の人にも放牧の趣旨を理解してもらうことが
大切だ。

 柳井市は地域社会への貢献を期待しており、牛が整理してくれた耕作放棄地
は、計画的に放牧利用も可能だが、雑草整備後には普通の農業生産に復元利用、
景観作物栽培、市民農園としての活用なども考えられるとしている。14年度に
は、市内5カ所6戸で2.95ヘクタールの放牧を予定している。実証展示放牧は幼
稚園児にも人気があり、市内の小中学校の中には夏休みに放牧見学会を計画し
ている例もある。


耕作放棄地対策シンポジウム

 東部家畜保健衛生推進協議会では、13年12月に幅広い関係者約80名を集めて
シンポジウムを開催した。東部地区外からの参加も含めて実践農家からの報告
や今後普及する際の留意点なども出された。混住化社会であり、耕作放棄地の
所有農家や放牧利用する畜産農家の合意や協力以外に、地域住民の理解が重要
だと実践者が強調した。「放牧に反対していた住民から、なんときれいになっ
たのか、牛がおらんと寂しい」と言われたとか、「放牧地が通学路に面してお
り子供達との交流ができた」「農地管理をする新しい担い手が見つかった」な
どの報告があった。30アールに2頭程度だとふん尿に対する周囲の懸念もクリ
アできたが、地元自治会などへの説明で地域住民の納得を得ることが重要と指
摘された。シンポジウムのまとめでは「電気牧柵を利用した放牧方法は技術的
には確立されているが今後は竹林、山林、河川土手、道路法面などで人に代わ
って牛が管理できることも一般的になろう。また、放牧が環境に及ぼす影響に
ついて明確にしていく必要もあろう」としている。

 山口県の畜産試験場と畜産技術協会では、平成14年3月に「耕作放棄地放牧
マニュアル」を公表した。シンポジウムの報告や放牧の実際の留意点として、
牛の衛生対策や放牧馴致、電気牧柵への馴致、必要施設などを解説している。

◇図2 柳井市による啓発資料◇


今後の展開への課題

 耕作放棄地放牧は、全県的に広がっているが、市町村や家畜保健衛生所など
が組織的に推進している東部地区での普及が著しい。13年は前記の事例のほか
に橘町、岩国市、錦町、美和町、徳山市など合計7市町村で10カ所の7.1ヘクタ
ールで行われ、経験者はこぞって14年以降の拡大を意図している。また、前記
の他に新たに平生町、周東町、鹿野町、新南陽市、熊毛町、光市などでも始ま
る。

 こうした動きに対して、畜産試験場の貸し出し牛への対応には限界があり、
地域内での舌刈り役用牛としての貸借関係が育って行くことが望まれる。放牧
牛の世話をだれが担当するのか、事故への対応方法、飼料費用不要だから牛の
働きに報酬は不要でいいのかなど、公平な立場からの判断や、ルール作りも必
要になろう。

 いわば、関係者が納得するシステムやルール作りが必要になっており、それ
に向けた動きが具体化している。

 現地調査終了後に、畜産試験場の大城健一郎氏から県単独事業が新たに始ま
ったと内容を知らせていただいた。

 「移動放牧システム化推進事業」がそれで、畜産農家は輸入飼料依存を減ら
し、高齢化しても牛の飼育を続けられるメリット、耕種農家は耕作放棄地を減
らすことが可能になる。両者を取り持つのが事業主体になる県畜産会で、事業
規模は約365万円、県はこのうち200万円を助成する。畜産会は放牧牛の登録や
貸借調整などの整備・運営を担当する。この事業は東部地区農林事務所から、
管内での実践が好評であり、本格的推進を図るための好機だと予算化の提案を
受けたものである。移動放牧とあるのは、これまでの経験から耕作放棄地は牧
草地として整備前の状態であり、耕作放棄地を移動させながらの飼育が必要で
あり、結果的により広い耕作放棄地を整備することができる。また、整備され
た耕作放棄地は多面的機能も回復し、多様な活用が可能になるが、誘導次第で
植生が安定し、整備された放牧専用地として生まれ変わって行くことも期待さ
れる。

 この事業は14年から3年間の予定だが、この間に畜産と耕種の両者が納得し、
お互いの助けになるルールが社会的に形成させるであろう。

 耕作放棄地放牧では、主に放牧による土地管理に焦点が当てられている。シ
ンポジウムでは「牛が新しい土地管理の担い手」との実感が報告されるほどの
役用家畜としての活躍ぶりである。地域住民を含めて家畜の存在が身近になる
効果も大きい。では、畜産振興の側面はどうか。

 飼料費や飼育労働時間の節減に貢献するが、それは放牧期間内に限定されて
いる。牛の移動をスムーズに行い、年間を通じての飼育体系をどう確立させる
かなど、耕作放棄地での放牧は一般の放牧専用地とは異なる側面がある。畜舎
に閉じ込めるより家畜が健康になる可能性がある反面で、移動などで発育にス
トレスがかかる恐れもある。耕作放棄地の草生は場所や時期によって異なり、
過不足のない栄養確保には、これまで行われていない飼料補給も現実論として
試みられていいのではないか。耕作放棄地放牧の技術的可能性は確認されたと
されているが、より広範な畜産農家が移動放牧向けの牛の貸し出しに参加する
には、移動放牧における生産牛としての飼育ノウハウを関係者で築き上げて行
くのが次の課題であろう。いわば役牛機能と子牛生産など用畜機能の両立がな
ければ永続性はない。また、家畜福祉への関心が高まっており、人目にさらさ
れる放牧牛が、健康に暮らせることが基本的条件である。

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