◎専門調査レポート


和牛子取り産地の再生を目指して
−鳥取県日野郡の農家実態調査から−

鳥取大学 農学部 教授  小 林  一

 




はじめに


 中国地方は、古くからの黒毛和牛の産地として知られている。ところが、この伝
統的な和牛産地において、近年目立って生産の縮小傾向が続いてきている。

 そのため、地域農業の基幹部門の1つとして改めて肉用牛を位置付け直し、生産
振興を図っていくことが課題となっている。

 こうした狙いに沿って、著者等は中国地方の和牛子取り産地を代表する地域とし
て鳥取県日野郡を取り上げ、そこでの定点観測を通じて黒毛和牛の肉用牛産地の動
向を分析してきた。このたび、農畜産業振興事業団の調査事業によって同管内で追
跡調査を実施したので、その結果概要について紹介する。

 なお、筆者等は鳥取県日野郡管内において平成6年に飼養頭数規模階層に即して26
戸の肉用牛農家を選出し、調査を実施した。今回は、前回と同一の農家を対象にし
て調査を行うこととし、結果として16戸について面接聞き取り調査を実施すること
ができた。調査の実施に当たりご協力をいただいた地元農家、鳥取県日野総合事務
所農林局、農畜産業振興事業団の各位に対し厚くお礼申し上げます。

地盤沈下の進む和牛子取り産地・日野郡

 日野郡は鳥取県の西部に位置し、中国山地から日本海に注ぐ日野川沿いにある溝口、
江府、日野、日南の4町からなっている(第1図)。農林水産省の農業地域区分による
と、一帯は中山間の条件不利地域となっており、溝口町の全域と江府町の一部が中間
農業地域、日野町と日南町の全域が山間農業地域に属する。

 このような社会経済的立地条件の不利は、地域社会に対し高齢化、過疎化による影
を投げかけている。例えば、日野郡管内の人口は12年現在で2万525人であるが、総人
口は最近の5年間で8%減少した。人口構成割合を見ると、65歳以上の高齢者の占める
割合がいずれの町においても3割を超える水準に達している。同じような影響を農業に
おいても確認することができる。日野郡管内における12年現在の総農家数は3千406戸
で、そのうち63%を第2種兼業農家が占め、男子生産年齢人口を有する専業農家はわず
か71戸しか存在しない。兼業化と高齢化の進展によって基幹的な農業労働力が大幅に
減少し、地域農業の担い手が希薄化した状態にある。


第1図 鳥取県日野郡の位置



 こうした状況下にあって農業は依然、基幹的な地場産業として大切な役割を担って
いる。肉用牛についても近年は生産額が縮小してきているとはいえ、地域農業の基幹
部門の1つとして位置付けており、さらに肉用牛専業農家は、農業はもとより社会活動
の担い手として地域を支えている。

 日野郡管内における肉用牛飼養の実態を2000年農業センサスによって見ると、現在
の飼養農家数は253戸で、飼養頭数が1,491頭となっている。肉用牛の畜種については
黒毛和種が大勢を占め、飼養農家の大部分は肥育用および繁殖用素牛の生産だけを行
う繁殖経営である。肉用牛産地としては、典型的な子取り産地としての構造を持つ。
肉用牛飼養総頭数のうちの8割は黒毛和種であり、肉用牛飼養農家のほぼ全体で黒毛和
種の繁殖用雌牛が飼育されている。肥育専門の肉用牛経営はほとんど存在せず、繁殖・
肥育一貫経営もごく少数に止まっている。

 管内における肉用牛飼養の動向を見ると、近年、急激に産地としての規模を縮小さ
せてきていることがわかる(第2図)。肉用牛の産地構造としては、依然として和牛
子取り産地の特色を色濃く有しており、個別農家による飼育頭数の増大は緩慢にしか
進んでいない。

第2図 鳥取県日野郡における肉用牛飼養の動向

資料:農水省「農林業センサス」各年次による。
   昭和32年は農林省「緊急畜産センサス」による。

 農業センサスによると日野郡では、肉用牛の飼養戸数については昭和32年、飼養総頭
数については45年がそれぞれピークとなっている。それ以降、調査年ごとに各指標とも
数値を減少させてきており、平成12年には最高時に比較して飼養戸数は6%、飼養総頭
数は17%の水準に低下した。肉用牛農家の1戸当たりの平均飼養頭数については、ゆる
やかに増加して5.1頭となってはいるものの、全体的には小頭数飼養の農家が多数を占
める状況にある。和牛飼養農家について見ると、12年現在で飼養農家全体の247戸に対
する1〜4頭の階層が85%の高率になっており、20頭以上の階層にはわずかに6戸が存在
するだけである。管内においてこれまで農家戸数を大きく減少させてきたのは、繁殖雌
牛1〜2頭を飼養するような小規模階層の農家である。これらの農家では高齢者によっ
て飼育労働が担われる割合が高く、今日においてもこうした性格には変化がみられてい
ない。

 以上のように、統計数値によって管内の肉用牛飼養の動向を眺めて見ると、現状はま
さに産地として存亡の危機に陥っている様相がうかがえる。実際に、生産現場における
調査を通じて明らかになるように、地元の関係者は肉用牛産地のこのような後退現象に
対して危機意識を募らせており、懸命に再生に向けた取り組みが模索されている。特に、
農家段階においては関係機関の支援を受けながら、規模拡大農家をリーダー層にして血
統改良や畜舎施設の整備、粗飼料生産等を通じて積極的に経営改善が取り組まれている。

 そこで次に、現地における農業経営実態調査を通じて鮮明になる肉用牛経営の現状に
ついて、直面する諸問題とそれらに対して考えられている解決策を中心にして紹介する
ことにする。

農業経営実態調査の結果概要

調査対象農家の動向

  6年に日野郡で実施した農業経営実態調査に際しては、調査対象農家を肉用牛飼養頭
数の階層別に抽出し、管内の肉用牛経営の全体的な実態把握ができるように配慮した。
調査対象は、飼養頭数が少ない農家であってもいずれも営農意欲を備えた人達であった1)。
今回の調査においては、前回の対象農家を継続調査することとし、7年間の経営変動に重
点をおきながら面接聞き取り調査を実施した。ただし、5番農家だけは最近における規模
拡大農家として今回、新規に調査対象に加えた(第1表)。 

第1表 調査農家における肉用牛飼養の概要(鳥取県日野郡管内)   

資料:農業経営実態調査による。    
注:No.13農家は、黒毛和種繁殖雌牛の1産取り肥育を実施、6年当時はホル雄預託肥育。 

 前回調査の26戸のうち7戸は労働力の高齢化や後継者不在、繁殖経営の収益性の悪化、
畜産の将来見通しの不安等を理由に肉用牛部門を廃止していた。飼養を中止した農家の
うちの5戸は、肉用牛飼養頭数から見ると1〜4頭の小規模階層に属していた。このよう
に日野郡における最近の肉用牛農家の減少を、今回の調査対象候補農家の中においても
まったく同様に確認することができた。

  16戸の肉用牛農家のうち13番を除いたすべてが繁殖専業ないし繁殖を主体にする経
営である。最近7年間における飼養形態の変化を見ると、1番農家は肥育牛頭数を減少さ
せ、繁殖・肥育一貫経営の性格をやや弱めている。13番農家は、黒毛和種繁殖雌牛の1
産取り肥育を行う肥育牛経営である。以前実施していたホル雄の預託肥育を中止して、
黒毛和種の飼育に特化するようにした。

  飼養頭数の変化に関しては、繁殖雌牛11頭以下の農家において、頭数を減少させて
きている経営が約半数ほど認められる。

  他方、上層農家の3戸については、畜舎を増設して繁殖雌牛の増頭を図っている。中
には5番農家のように繁殖雌牛の増頭と併せて肥育部門を導入して繁殖・肥育一貫経営
の確立を目指す事例が現れている。

  飼養方式については、中山間地域にある日野郡では耕地条件に恵まれないため、全
体として粗飼料生産があまり盛んではない。しかし、経営安定のためには粗飼料の自給
率を高めることが基本であり、こうした必要性から大規模階層において粗飼料生産に力
を注ぐ経営が見られるようになった。また、飼養頭数の大きな階層においては、飼養労
働の軽減や良質の素牛生産等を狙いにして放牧技術を導入したり、放牧頭数を増大させ
たりする経営が存在する。調査対象農家のうち、繁殖雌牛9頭以上を飼育する農家の大部
分が、経営内の一定頭数について県営や町営の公共牧野、あるいは自家用放牧地を利用
している。 

 今後の経営展開の方向性については、肉質重視による今日の牛肉の市場流通体制を反
映して、調査農家の間で血統を重視した優良牛の導入に対する関心が高まっている。肉
用牛農家のそうした要求に応えるため、日野郡管内では農協の和牛改良組合やその他の
組織を通じて、鳥取牛の伝統を生かしながら他産地の優良牛の血統を導入して肉質向上
を目指す取り組みが精力的に行われるようになってきた。

  今後の飼養頭数規模については現状維持を考えている農家が多く、頭数拡大を目標に
掲げる農家は3戸に止まっている。これからさらに懸念される飼育農家の減少については、
調査農家の中では将来の飼養中止を考えているものがわずかに1戸みられるだけであった。
【棚田放牧における和牛の親子】
肉用牛経営の直面する諸問題と改善方向

 調査農家に対して現在直面している経営上の問題点について設問した結果によると、
もっとも回答数の多かったのが粗飼料の生産基盤の弱さに関するものであり、7件の意見
が寄せられた。次いで意見の多かったのが、肉質を重視した種畜改良の立ち遅れ、割高
な子牛生産コスト、放牧場の運営負担、子牛価格の低迷等であった。指摘されたこれら
の問題点から、最近の鳥取県内の肉用牛経営を巡る内外の環境条件の実態を端的に読み
とることができる。

 続いて、肉用牛の経営改善のためにこれから必要とされる政策について設問した結果
では、もっとも回答数の多かったのがBSE(牛海綿状脳症)対策に関するもので、11件の
指摘があった。そのうちの主要な意見は、「BSEに関する正確な情報提示」、「BSEに対
する風評対策」、「BSE対策としての助成金の強化」であった。BSE対策に次いで要望の
多かったのが、優良牛の導入による肉質改善への対策であり、その後に肉用牛の経営安
定のための助成金、将来展望の持てる畜産政策、公設のたい肥センターや放牧場に対す
る要望が続いた。

 今回の調査は、国内でのBSE発生後2カ月を経過した時期に実施したが、既に国産牛肉
の安全性に対する不信から消費者の買い控えによって牛肉市場に大きな混乱が生じてい
た。

 そうした全国的な動きに連動して鳥取県内の和子牛市場にも影響が現れるようになり、
生産農家の不安が高まってきていた。

 このような市場条件の変化が、調査結果の上にも反映される形になっている。

 BSEの発生やその後の食肉の不正表示事件による影響を受けて、肉用牛市場の混乱が
今なお続いている。国内牛肉に対する需要が一時期大幅に減少し、過剰在庫の発生によ
って牛肉価格が下落し、その反応が繁殖・肥育用素牛の市場価格にも顕著に表れている。
鳥取県中央家畜市場における去勢和子牛と雌和子牛の市場平均価格の推移を見ると、BS
E発生後の混乱によって、13年12月と14年1月の開設市場において、大幅な市場価格の下
落がもたらされたことがわかる(第3図)。

第3図 和子牛平均価格の推移(鳥取県)

資料:鳥取県畜産課業務資料による

肉用牛の経営対策の課題

 今回実施した日野郡での農業経営実態調査を通じて、管内での今後の肉用牛産地の再
生に向けた取り組みを強化していくには、次のような側面から優先的に肉用牛経営の改
善策が講じられる必要があることが指摘できよう。主要な項目に絞って列挙すると、第
1に、安全対策を徹底して消費者の食肉に対する信頼性を回復させ、早期に市場の安定
を実現すること。第2に、地域資源を活用した肉用牛生産の推進。第3に、繁殖・肥育一
貫経営の確立。第4に、肉用牛経営に対する経営所得安定対策の確立、などを指摘する
ことができる。

 第1の点については、肉用牛の経営環境整備として現在もっとも早期の解決が求められ
ている全国規模での課題である。消費者からいったん失われた信頼を回復するのは容易
ではないが、生産者を始めとして食肉の加工、流通、外食等の畜産に関わる業界をあげた
懸命の努力が必要である。

 第2の点については、日野郡が属するような中山間地域ではとりわけ大切な課題である。
肉用牛生産の振興にとって、中山間地域の立地条件は必ずしも不利を意味しない。里山に
おける恵まれた草地資源や飼育環境を有利に活用すれば、日野郡における肉用牛産地の再
生は充分に可能であるといえよう。そのための取り組みは既に先進的な農家層により採草
地の拡大、放牧地の拡大・確保による放牧技術の定着、家畜ふん尿処理対策、といった形
で実施されてきている。今後はこうした動きを周辺農家に向けて普及させ、産地として生
産基盤の整備に努めていくことが必要である。12年からわが国における条件不利地域対策
の一環として実施されるようになった中山間地域等直接支払制度に基づいて支給される助
成金を、地域資源を活用した土地利用型畜産の振興に活用していくことも有効な方策とな
ろう。

 第3の点については、日野郡のような伝統的な和牛子取り産地においては積年の課題と
なっている事項である。繁殖・肥育一貫経営の狙いは、経営内で繁殖と肥育部門を有機
的に結合させることにより、素牛の安定的供給や経営の危険分散、収益性の向上等を通
じて技術的、経営的メリットを発揮させようとするところにある。

 今回の農業経営実態調査でも確認されたように、管内には一部の農家において繁殖・
肥育一貫経営の確立に向けた取り組みが見られる。このほかにも、管内の日南町では農
協主導で設立した肥育センターを核にして、繁殖・肥育の地域内一貫経営を確立しよう
という活動も続けられている2)。これらの活動が定着していくように積極的な支援策
を講じていくことが求められる。
【里山を利用した和牛放牧】

おわりに

 伝統的な黒毛和牛の産地である中国地方では、近年における生産の縮小傾向が顕著
である。

 こうした動きをもたらしてきた主要因として、わが国の高度経済成長の下で急速に
進行した農家の兼業化や高齢化、さらに、貿易自由化によって急増した輸入牛肉によ
る市場環境の変化に伴う和牛生産の収益性の伸び悩みなどが指摘されている。昨年発
生したBSEや食肉の不正表示事件は、消費者の国産牛肉に対する安全性の意識を失墜
させ、畜産業界に大きな衝撃を与える結果となった。

 こうした影響は、中国地方の和牛子取り産地に対しても深刻な影響を与えつつあり、
これまでの産地縮小の動きを一気に加速させる危険性をはらんでいる。もしも国内の
肉用牛市場の混乱が続いて、安定回復が大幅に遅れるようなことになれば、産地の存
亡に関わる事態を招きかねない。鳥取県日野郡で実施した今回の実態調査からもその
ような厳しい問題状況を確認することができた。

 このような局面において大切なことは、生産現場において困難を打開するための経
営努力が地道に続けられている実態を正確に把握することであり、そして、その努力
が結実していくように適切な支援策を具体的に講じていくことであろう。

注
1)小林 一:国際化時代を迎えた和牛子取り産地の動向.畜産の情報、1994年10月号
畜産振興事業団pp.16-24

2)小林 一:地域資源を活用した和牛生産振興.畜産の情報、1994年3月号畜産振興事
業団pp.11-17



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