★ 農林水産省から


WTOおよびFTA交渉を

理解するための基礎知識

生産局 総務課 前国際室長 塩谷 和正


はじめに

 現在、わが国の将来にとって重要な意味を持つ2つの貿易交渉が併行して行われ
ている。1つは多国間貿易のルール作りであるWTO交渉であり、もう1つは2国間での
関税撤廃を目指すFTA(Free Trade Agreement)交渉である。これらの交渉は日
々新たな動きがあるし、また交渉中の内容の多くは外交上の秘密扱いになり紹介し
づらいので、ここではWTOやFTAに関する報道を理解する上で役立つ交渉の歴史、背
景や用語を中心に、私見を交えながらできる限りわかりやすく解説する。

WTO交渉

 関税引き下げ方式から見たWTO交渉の歴史

 現在のWTO交渉は、その前身であるGATT下の交渉(鉱工業品の関税引き下げが主体
であったケネディ・ラウンド、非関税障壁が初めて取り上げられた東京ラウンド、
農業分野やサービスなども交渉の対象に加えた上、WTO設立に合意したウルグアイ・
ラウンド(1994年まで)など)から数えて9回目に当たる。今回の交渉は正式にはラ
ウンドとは呼ばれず、交渉開始が決定されたドーハ閣僚会合(2001年11月)にちな
んで、DDA(Doha  Development  Agenda)と呼ばれることが多い。


 交渉の仕方を見ると、第5回までは各国が関心国に関税引き下げのリクエストを
出し、2国間で交渉を行い、その結果を他の加盟国にも適用するという2国間交渉積
み上げ方式が採られていた。また、交渉の結果は、現在と同様、関係国の合意なし
には引き上げが認められない税率である譲許税率(Bound Rate)として登録された。


 なお、譲許税率を上限に各国は税率を定めることができるが、実際に適用されて
いる税率は実行税率(Applied Rate)と言う。例えば牛肉の譲許税率は50%である
が、通常の実行税率は38.5%(輸入が急増すればこれを50%に引き上げることとな
っている)である。


 第6回のケネディ・ラウンドからは一定のルールの下での引き下げが行われるよ
うになり、ケネディ・ラウンドでは一括引き下げ方式が、第7回の東京ラウンドでは
関税率の高いものほど大きな引き下げが行われるハーモニゼーション方式が採られ
た。


 この結果、先進国における工業品の関税は一部の例外を除き問題にならない程度
まで低下し、貿易交渉の関心は農産品やモノ以外のサービス、知的所有権といった
分野に拡大していくこととなった。


 このような分野を初めて扱う包括的な交渉となったのが交渉期限を3年過ぎてよ
うやくまとまった第8回のウルグアイ・ラウンド交渉である。このうち、農業交渉は
主に国境措置(関税その他の輸入を制限する制度のこと)、国内支持(国内農業を
支える補助金などのこと)、輸出補助金(輸出促進のための補助金)についてのル
ール作りが行われたが、この中の国境措置については、全品目の関税化(譲許の義
務付け)と合わせて、平均36%、最低でも15%の引き下げを義務付ける方式(これ
は「ウルグアイ・ラウンド(UR)方式」と呼ばれる。現交渉でわが国やEUはこの方
式を提案している。)が採られた。



現交渉における関税引き下げ方式の提案

農業交渉

 UR農業交渉の結果作られたルールは、農業協定(各国の譲許表(関税削減の約束)
もその一部)としてまとめられたが、合わせて今後も改革を継続するために「新た
な交渉」を行うことが協定に明記された。これは、予定が組み込まれているという
意味でビルト・イン・アジェンダと呼ばれている。


 この「新たな交渉」が現在行われている交渉(DDA)で、交渉の基本的な構図はウ
ルグアイ・ラウンド合意をベース(国境措置、国内支持、輸出補助金)にしており、
これをどこまでどうやって削減するかというのが主な論点となっている。


 わが国やEUは、関税引き下げの方式としてUR方式を提案しているが、これはウル
グアイ・ラウンド合意の延長線上に現交渉があるという経緯も踏まえてのことであ
り、加盟国の約半数がこれを支持しているのも納得できよう。


 一方、ケアンズ・米国は、柔軟性が高く高関税品目の税率の大幅削減につながら
ない UR方式に反対し、一定の数式により各国の高い関税率を例外なく一定水準以
下にするスイス・フォーミュラ方式を主張、両者の主張は大きく異なっている。な
お、スイス・フォーミュラは東京ラウンドで工業品の関税削減方式としてスイスが
提案したものなのでこう呼ばれているが、スイスは一貫して国内農業を重んじUR方
式を支持している国である。


 このような両者の主張を埋めるために、WTO農業委員会のハービンソン議長が今
年2月と3月に提案したのが、議長モダリティ提案である(この「モダリティ」とい
うのもWTO交渉独特の表現で、字義は「形式」だが、実際は「譲許表作成に当たっ
てのルール」という意味で使われる)。その関税引き下げ部分はバンド・アプロー
チと呼ばれ、関税の水準の帯(バンド)に従って関税率の削減幅に差を設けて高関
税の削減を促すもので、スイスフォーミュラとUR方式の折衷案と言える方式である。


 従価税相当で90%超品目:平均60% 最低45%削減
 90%〜15%超品目    :平均50% 最低35%削減
 15%以下品目     :平均40% 最低25%削減

 これは、機械的にこの品目の税率が決まってしまうスイス・フォーミュラよりは
柔軟性はあるものの、その削減幅は大きく、各国が守りたいため高い関税を張って
いる品目の関税の大幅削減を求められるという実質的にケアンズ寄りの案になって
いる。このため、わが国、EUなどはこれに反対し、交渉のベースにならないとして
いるが、ケアンズ・米国も、多分に交渉戦術もあると思われるが、「野心が足りな
い」として反対した結果、交渉のベースとはならないという否定的な整理がされた
(6月の非公式閣僚会合では、ケアンズ・米国は、「交渉のベースにはなる」と発
言)。


非農産品交渉

 5月には、非農産品(林産物・水産物を含む)交渉でも、「モダリティの要素」と
して具体的な数字の入らない議長案が提案されたが、その関税削減方式は国内の全
般的な関税水準が高い国ほど削減率が小さくなる一方、国内の一部に高関税の品目
がある場合にこれが大きく削減され、関税率の平準化が図られるという数式(フォ
ーミュラ)である。全般的に低関税の国は国際競争力があるのだから大幅に関税を
下げるべきであり、全般的に関税率の高い国は、競争力がないのだから関税をあま
り下げなくてもいいという発想は、各国間の関税を揃えるという従来のハーモニゼ
ーションの考え方に沿わないものであるが、米国やEUなど交渉のベースとして評価
する国も多い。わが国にとってみると、数次にわたる関税引き下げの結果、わが国
の工業品の関税水準は世界でも最も低い水準となっているが、その努力がまったく
報われないこととなる上、非農産品というくくりの中に分類上は入ってしまう水産
品など関税が比較的高いことから、これら分野は特に大幅な関税引き下げが求めら
れることとなる。さらに、非農産品の議長提案には、途上国の求める皮革、靴、水
産品など特定のセクター(分野)の関税撤廃提案が含まれている。わが国は強く反
対しているが、残念ながらこれをベースに議論することに反対する国は少ない状況
にある。

農業交渉における関税引き下げ以外の要素

国内支持

 ウルグアイ・ラウンド交渉では、貿易歪曲性の程度によって、国内支持政策を、緑
、青、黄色に分け、価格支持政策など黄色の政策の合計額であるトータルAMS(Aggregate
 Measure of Support)の2割削減が合意された。現交渉では、AMSを大幅(6割)削
減し、青の政策も削減対象とする品目別のAMSを導入するといった提案が行われてい
る。わが国に影響が大きいのは品目別のAMSで、これが導入されると補助金等に実質
的な上限が設けられ、政策選択の幅が狭まることとなる。

輸出補助金

 WTOの協定の1つに補助金協定と呼ばれるものがあり、これは、国によるダンピン
グ輸出とも考えられる輸出補助金の支出を禁止している。ただし、農業に関する輸
出補助金だけは農業協定に特別の規定が設けられた結果、例外として認められてい
る。輸出補助金はEU、米国など先進国では主に余剰農産物を処理するために支出さ
れており、このため、途上国の市場が奪われ、国際相場が低落し途上国の農業者の
経営を圧迫するといった深刻な影響が指摘されている。現交渉では、撤廃が提案さ
れているが、世界の輸出補助金の9割を占めるEUなどは反対している。日本には輸
出補助金はなく、今後も行わないことを約束している。


 なお、輸出補助金に関連して、輸出信用、食料援助といった輸出補助金と同等の
効果が懸念されるものや、輸出国への義務として輸出規制、輸出税も議論されてい
る。


関税割当の運用規律強化

 わが国を始め多くの国はUR交渉の結果、関税化を行いTQ(関税割当)制度を導入
したが、低関税である1次枠での輸入が枠を満たしていない(消化率が低い)ことの
原因が用途指定(例えば、用途を飼料用に限っているもの)や抱き合わせ(例えば、
輸入の条件として一定量の国産品のブレンドを義務付け)であるとして現交渉で問
題になっており、その規律の強化が議論されている。論点としては小さいように見
えるが、乳製品などに実質的に大きな影響を与えかねないため、わが国にとっては
大きな関心事項になっている。

その他

 EUが強く主張しているのが、GI(地理的表示)の保護問題である。これは、パル
マハムやゴルゴンゾーラチーズといった地名を含む名称は伝統的な価値を持ってい
るので、その地域で作られたもの以外にこれら名称を使うことを禁止しようという
もの(EU内では既に制度化されている)である。現交渉で域内各国に示せる成果(
メリット)があまりないEUとしては、これを国内の説得材料にしようと考えている
ようであるが、各国の受け入れるところとはなっていない。


 また、多くの分野で途上国に対する特別な配慮が求められており、これをどこま
で認めるかが大きな論点となっている。

農業交渉の今後の見通し

 前述のドーハ閣僚会合で決められたスケジュールによれば、@今年の3月末まで
にモダリティが作られ、Aこれに基づいて今年9月のメキシコ国カンクーンでの閣
僚会合までに各国が譲許表案を作成・提出、B個別交渉を経て2004年末までにすべ
ての交渉を終了することとなっているが、現在までのところ、@のモダリティの目
途が立っておらず、野心的な米国・ケアンズと現実的なEU・日本の間、先進国と途
上国の間で、お互いに従来からの主張を繰り返している。このため、日本は合意形
成に引き続き努力しているものの、今のような状況が続くのであれば、残念ながら
9月のカンクーン閣僚会合ではせいぜい今後の行程表(作業の進め方)に合意が得
られればいい方ではないかとの見方をする者が多い。


 実際、カンクーンまでに交渉を進める動きがどこまで具体化するかは、7月末に
予定されているモントリオール閣僚会合での進展を注視する必要があるが、これ
に影響を与えそうな最近の動きを紹介する。


 肯定的な動きとしては、EUのCAP(共通農業政策)改革が6月末にまとまり、削減
対象となっている「黄」の政策の支持価格水準を一部品目ではあるが下げることに
なったことや、今交渉で削減を求められている「青」の政策である不足払いの相当
程度を、生産要素と結びつかない「緑」の政策である支払い(デカップリング)に
変えることとなったことが挙げられる(図参照)。これらの結果、国内支持に関し
ては、EUはハービンソン案の削減水準を飲みやすくなったとも言われているが、詳
しい検証が行われていないので、正確なところはまだ明らかになっていない。また
、CAP改革は直接的には国内支持にしか関係しないことから、このあとEUがハービン
ソン案に代わる新たな包括的な提案を行うかどうかは不明(米国はEUが提案を行う
べきと主張)であるが、今後は今まで交渉を遅らせているとしてEUを非難していた
米国(実は、国内支持の大幅削減には相当の困難が伴う)が守勢に立たされる場面
も想定され、現実的な対応を模索する動きにつながる可能性もある。


 また、6月の非公式閣僚会合では、交渉を進めるためには、新たな提案を用意す
べきであるとの一応のとりまとめが行われたが、ハービンソン案が否定された後、
加盟国から何ら方向性が示されない中、事務局が新たな案を作ることはできないの
ではないかとの見方もある。


 否定的な動きとしては、中国とインドが二国間の協力関係を構築する努力を始め
たことが挙げられる。過去の経緯を考えれば、両国の関係改善は相当の困難を伴う
と思われるが、途上国を代表する両大国が一致してWTOの中での途上国の特別扱い
を主張すると、先進国と途上国との対立をさらに深める可能性がある。


 ウルグアイ・ラウンド(UR)で、交渉の帰趨を決定したのは、米国とEUの二国間
協議の結果であったが、その後その密室性が批判された。現交渉では、途上国の参
加が促された結果その発言力が増し、URとは違う形で交渉が進むと言う見方もある
が、現在のように主張が食い違い議論がまとまらない状況が続くと、現実論として
大勢の場での決着を図ることは、困難な感が強く、今後、米・EUに期待する声が高
まる可能性がある。このため、わが国の主張を交渉結果に反映させるためには、今
後、米・EUの国内および両国間の動きに注目しておく必要がある。


 特に、米国は国際交渉では強気の発言を行っているが、米国内の農業団体は、UR
の時に比べて自由貿易に対して懐疑的となっていると言われており(輸出促進が所
得の増に結びつかないとの不満)、国内の補助金に対する期待が高くなっている。
このような中、来年の大統領選も考えれば、米国がどこまで本気で交渉をまとめよ
うとするか、注目しておく必要があろう。




FTA交渉

FTAに対する日本の考え方

 最近、注目を集めている貿易交渉にFTA(自由貿易協定)がある(FTAは、単に関
税の相互撤廃協定のことであるが、日本が結ぼうとしているのは、実は投資の自由
化、知的所有権問題などを含む幅の広い経済連携協定(EPA)である。ここではわか
りやすく「FTA」とする)。


 日本は従来、WTO(多数国の枠組み)を重視する姿勢を取り、二国間での関税同
盟には否定的であったが、多くの先進国がNAFTA(北米自由貿易協定)を始めとす
るFTAを結ぶようになってきたこと(現在、世界で170を超えるFTAが結ばれている)
への対抗や、海外に進出した日本企業がFTAを結んでいないことによる不利益を受
ける場合もみられること(メキシコの場合)から、わが国も積極的にFTA交渉に取
り組むようになった(表参照)。WTOに代表されるマルチの会合に比べ合意形成が
容易なことや、お互いがFTAを進めようという基本的な合意があることから、FTAの
締結は比較的短期間で行われる場合が多い。また、その影響は後述するようにWTO
を上回る場合もあることに留意しておかなければならない。なお、WTO交渉が停滞
するような事態になれば、先進国は合意の容易なFTAにさらに傾斜すると言われて
いる。日本としては、14年1月にシンガポールと結んだFTAが第1号であるが、シン
ガポールは農業セクターがほとんどないことから、農業の実質的な関税撤廃を伴う
可能性のあるFTAとしては、現在、政府間協議を行っているメキシコが第1号となろ
う。


 実は、日本の工業品の関税は既に多数の品目でゼロになっていることから、実質
的なメリットとして相手国が農産物貿易の拡大を期待している場合が多いが、日本
の農産品は国際競争力をほとんど持っていないことから、農業セクターにとっては
一方的に輸入の拡大を求められるのに等しいという苦しい状況にある。



WTOにおけるFTAの位置付け

 FTAは、加盟国には同じ関税率を適用するというWTOの最も基本的な原則である最
恵国待遇の考え方からはずれるものであることから、GATT24条で一定の制限が設け
られている(ただし、途上国間のFTAには実質的に制限がほとんどない)。
この一定の制限は、「両国の貿易額の90%以上の関税の撤廃を含むものであって、
10年以内にこれを達成しなければいけない」と説明される場合が多い。他の国のFTA
を見ると、都合のいいところだけのつまみぐいは認めないが、総じて関税の撤廃が
成されていれば例外品目を認め合っており、撤廃までの年数も品目ごとに任意に決
めているようである。これは、例外なく関税化し撤廃までの年限も決められるWTO
の農業協定と比べると、格段に自由度が高いと言えよう。また、FTAが結ばれると
WTOの委員会に報告することとなっているが、過去、その内容が紛争案件となった
ことはなく、この点からも協定内容の自由度は高いと考えられる。

FTAの影響

 FTAは関税の削減ではなく撤廃を二国間で合意するものなので、品目の選択や相
手国の生産能力によっては、国内農業にWTOをはるかに超える影響を与えかねない。
また、特定の国に関してのみ関税を撤廃すれば、国ごとの輸入割合を大きく変える
可能性があり、シェアを失う国からクレームが予想される。さらに言えば、関税を
撤廃すれば相手国は輸出の拡大を期待するので、日本が輸出が拡大しないよう国内
対策を講じ、国内産業を守ろうとすれば、相手国から非難されることになろう。
すなわち、WTOのようなマルチのルールへの対応に比べて、国内対策が講じにくい
面がある。


 このため、FTAを結ぶに当たっては、個々の品目ごとに国内外への影響を慎重に
検討する必要がある。例えば、畜産関係では、メキシコとの間で対日農産物輸出額
の約半分を占める豚肉が大きな課題となっているが、検討に当たっては、関税化品
目(UR合意に基づき輸入制限等を関税のみの措置に切り替えた品目のこと。関税を
維持する必要が特に高いもの。)であり、関税撤廃は国内産業への影響が甚大なこ
とや、米国等他の輸出国への影響も大きいことを勘案する必要があろう。



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