◎専門調査レポート


生乳トレーサビリティ導入への接近

東京大学大学院経済学研究科 助教授 矢坂 雅充










1.はじめに*1


 2001年のBSEの国内発症を契機に、トレーサビリティの導入がさまざまな食品で検討されてきた。法律で規定された牛・牛肉だけでなく、多くの食品分野でトレーサビリティ導入に向けた具体的な検討が進みつつある。

 牛乳・乳製品業界では、トレーサビリティの導入は容易であり、すでにその準備段階にあるという議論と、それとは逆に、それは非現実的であるいう議論が交錯してきた。

 乳業は食品業界の先頭を切って工場のHACCP認定をすすめ、政策的な支援を受けて工場の統合再編も推進してきた。酪農生産者団体は加工原料乳への補給金制度(いわゆる不足払い制度)のもとで組織化され、ほぼすべての生乳は指定生乳生産者団体を経由して販売されている。さらに酪農生産者の経営規模も急速に拡大し、専門的な生産・経営技術に支えられた経営が大半を占めている。このような酪農乳業の高度な組織化と合理化の蓄積は、トレーサビリティ導入の促進条件であるにちがいない。

 いっぽう、牛から搾乳される生乳はすぐに他の牛の生乳と一緒にされ、輸送・貯蔵・処理の過程で次々と統合・分離されるので、トレーサビリティは不可能であるという意見も繰り返しなされてきた*2。牛肉のように個々の牛と牛乳を対応させるトレーサビリティの導入は非現実的であるとして、ミルクチェーンの特殊性が強調されてきたのである。

 しかし、こうした意見の対立のなかで、実際には牛乳・乳製品のトレーサビリティへの接近が図られつつある。主要な乳業メーカーはこれまでの製造・品質管理システムに改善を加えて、工場内に限定されたトレーサビリティ機能の確立をめざしている*3。それは日常的に消費する牛乳への消費者の安全・信頼性への関心の高さ、それを裏切ったときの企業活動のダメージの大きさを反映している。トレーサビリティ導入への消極的な態度は、いわば業界としての建前にすぎず、具体的な準備作業に取り組む乳業メーカーは着実に増えているといえよう。

 こうした乳業の動きに呼応して、酪農生産者や生産者団体も自らの守備範囲のなかで、トレーサビリティを確立しようとする試みがみられるようになった*4。なかでもJA浜中町は従来の営農指導情報システムを基礎として、いち早くトレーサビリティ導入に向けた情報システムの整備を進めており、その先進性とともに、それが標準的な生乳トレーサビリティの手引きとなるかが注目されている。

 そこで本稿では、JA浜中町の取り組み事例を参照しながら、生乳のトレーサビリティの基本的な仕組みや手順を具体的に洗い出していくことにする。牛乳のトレーサビリティの確立は乳業だけの取り組みで実現されるわけではなく、ミルクチェーン全体の課題である。生乳生産・流通におけるトレーサビリティ導入の論点を示すことで、牛乳・乳製品のトレーサビリティ導入は現実的な課題として認識されていくにちがいない。

*1 本稿は、2003年6月18日、19日にJA浜中町、JA浜中町酪農技術センター、T乳業浜中工場、浜中町の酪農生産者を訪問してえられた知見に多くを負っている。快く質問に応じてくださった野田参事をはじめとして多くの方々に深く感謝したい。

*2 日本乳業協会「牛乳のトレーサビリティについて(未定稿)」2002年では、乳牛・酪農家単位のトレーサビリティへの対応は困難であるとして、当分の間、牛肉のトレーサビリティのイメージが強いトレーサビリティを牛乳に適用することを見合わせ、飲用乳にトレーサビリティ表示を行わないことを確認している。

*3 乳業メーカーのトレーサビリティへの取り組みについては、矢坂雅充「「農場−食卓」視点での安全性確保・信頼回復への対応−牛乳・乳製品−」『食品安全基本法への視座と論点』農林統計協会 2003年を参照されたい。

*4 JA別海が2003年度の食品のトレーサビリティ実証事業に参加し、牛乳・乳製品のトレーサビリティ導入に取り組んでいる。中央酪農会議も今年度から、生乳のトレーサビリティ構築についての検討を開始した。


2.酪農支援情報システムとトレーサビリティ


 北海道厚岸郡の浜中町は酪農専業地域にあり、JA浜中町も酪農関連事業を主な業務とする農協である。このJA浜中町のトレーサビリティ導入に向けた取り組みは、農協の経済事業・酪農支援事業にともなう酪農経営情報の集中的な管理システムに基礎をおいている。肥料・飼料などの生産資材購入、生乳や牛の個体販売といった販売事業に加えて、ヘルパー・サービス、農作業受委託や育成牧場における乳牛の哺育・育成事業などの農協直営のコントラクター事業が幅広く実施されている。しかも200あまりの組合員の経済事業利用率は高く、生産資材や牛個体販売などを通じた酪農経営情報が農協の各部門に蓄積されてきた。なかでもこれらの情報管理の中心的な役割を果たしてきたのが、農協の酪農技術センターである。

 町内の乳業工場の廃止と新たなT乳業による操業再開といった事態に直面して、乳質検査業務を担当する機関として酪農技術センターが81年に設立された。酪農産地として持続的な発展を維持していくためには、ユーザーに信頼される乳質の高さとそれを担保するための乳質管理体制の整備が不可欠であると認識されたからである。

 乳質検査の結果を組合員にフィードバックして乳質改良に結びつけるためには、乳質情報の提供だけでは充分ではない。草地の土壌分析、飼料・肥料の構成、人工授精、疾病・投薬履歴などの総合的な情報管理と営農指導が求められることになる。酪農技術センターは検査機関であると同時に、多種多様な情報が集まる情報センターとしての性格を持つようになっていった。

 統一的な牛個体識別番号による情報管理も、酪農技術センターの業務の効率化には欠かせない。BSE対策として個体識別番号制度が施行される10年あまりも前に、乳検番号を基礎として、人工授精、共済(疾病・投薬)情報を統一的に管理するための浜中町独自の牛識別番号が導入されている*5

 今日の牛個体識別番号の登録も、酪農生産者に代わって酪農技術センターが行っている。組合員から提出された出生報告の内容が、酪農技術センターで人工授精データと照合されてから、全国データベースに報告されている。酪農技術センターは酪農経営情報のローカル・データベースセンターとしての役割を担うようになった。牛さらに生乳のトレーサビリティは既存の情報システムを基礎として設計されるようになり、その先行的な取り組みを可能にしていったのである。

*5 牛トレーサビリティの基礎として導入された10桁の耳標番号への移行時にも、番号の連続性や欠番の取扱などが考慮され、従来の牛識別番号との連続性が確保された。

酪農技術センターでの乳質検査の結果は組合員にフィードバックされる

JA浜中町の酪農支援情報システム(概要図)
注:JA浜中町資料より筆者作成


3.生乳トレーサビリティへの接近


 乳業工場で殺菌され、容器に充てんされた生乳は食品としての牛乳になる。この食品衛生法の規定にしたがえば、生乳のトレーサビリティは乳業工場の充てん機から搾乳現場へ遡るとともに、逆に搾乳現場から乳業工場の充てん機までを追跡する情報システムということになる。

 そこでまず最初に、乳業工場内の生乳トレーサビリティの特徴と課題について簡単にみておくことにしよう。

(1)乳業工場における生乳トレーサビリティ

@受乳

 乳業工場の生乳取扱はいうまでもなく受乳から始まる。生乳は集乳車ごとに識別(集乳車単位のロット形成)され、乳質検査で異常が検出されなければ、貯乳タンクに収められる。浜中町にあるT乳業北海道工場では、乳量・比重・重量・乳温、受乳ピット番号のほかに、集乳日付・時刻、供給農協別受乳順位、集乳車の車番(ナンバープレートの下4桁番号)といった集乳車を識別する情報が記載されている。後にみるように、農協の生乳搬入情報とのインターフェイスが重要になるが、ここでは受乳の際、集乳車の識別、受乳内容、生乳が保管される貯乳タンクが記録保管されることを指摘するにとどめておこう。

A貯乳から充てん

 貯乳タンクの生乳は、殺菌されてサージタンクに保管され、充てん機で紙容器などに充填される。この工程におけるトレーサビリティのポイントは、以下の点であろう。

 まず第1に、同一処理日を基本としてロットが形成される。前日から持ち越された生乳が保管されている貯乳タンクに新たな生乳を継ぎ足すことは避けなければならない。それはロット形成に際して最低限遵守されるべき原則である。

 第2に、生乳ロットの組み替えにともなう識別管理である。生乳は酪農経営あるいは他の工場などから搬入されるタンクローリーをロット単位として受乳される。このロットは貯乳タンクを単位とするロットに組み替えられ、さらに殺菌、サージタンクでの保管、充てんによって、さらに新たなロットに組み替えられることがあり、その都度、相互のロット内容の関係の照合記録が保管される。むろんロットの組み替えが頻繁に行われるならば、トレーサビリティの精度が低下することになるが、少なくとも同一日に処理された生乳というロットで識別管理されることになる。

 第3に、生乳の分別管理である。産地銘柄牛乳が製造される場合、その原料乳は当該地区の生乳のみから製造されなければならない。受乳された生乳は貯乳から充てんにいたるまで、他の生乳と混ぜられることなく、分別されて処理される必要がある。T乳業も比較的小容量の貯乳タンクを数多く設置して、「浜中町・産地銘柄牛乳」の原料乳に仕向けられる生乳を分別して貯乳している。分別管理は貯乳タンクにとどまらない。工場内ではパイプラインに残っている生乳が回収乳として再利用されるのが一般的であるからである。分別管理のもとで充てんするためには、オーガニック牛乳やNon-GMO牛乳の場合と同様、回収乳の混入を避けるために、操業開始時に充てんして回収乳の混入を避ける工夫が求められる。トレーサビリティの導入を前提にすると、分別管理を要する産地銘柄牛乳の製造はかなり制約されることになろう。

 逆に、的確な生乳の分別管理を実現するためには、広域的な産地あるいは1日のうちに処理された生乳全体をロット単位とする生乳が必要となる。多数の牛の端切れ肉である「切り落とし」などのように、分別管理からはみ出た生乳をも組み入れることのできる大ロットのトレーサビリティも否定しえない。産地指定の生乳の搬入量と使用量は日々異なるであろうし、生乳の連続的な処理を前提とすれば、回収乳が常に発生するからである。

 以上みてきた受乳・保管・殺菌・充てんといった処理工程の管理は、乳業工場の基本的な業務である。生乳の受入、処理内容、受渡の内容を記録保管する仕組みが整備されていなければ、工場経営は成り立たない。さらに多様な牛乳製品などへの量販店等からの受注にきわめて短いリードタイムで対応しなければならず、工場内の生乳の流れも複雑になっている。乳業工場における生乳のトレーサビリティの効率性は、工程情報の管理ではなく、上述した適正なロット形成、工程間でのロット再編管理、効率的な分別管理といった生乳の識別管理のあり方に関わっているのである。

(2)酪農生産者・農協における生乳トレーサビリティ

 生産者サイドのトレーサビリティが対象とするのは、乳牛飼養・搾乳・バルククーラーでの冷却保管・集乳車による集乳という一連の作業である。生乳が集中的に処理される乳業工場とは異なって、分散した多数の酪農経営で生産される生乳が集められていく過程が、情報の伝達でつなげられることになる。以下では、生乳集荷・搬入から生乳生産へと遡りながら、トレーサビリティの特徴と課題についてみていくことにしよう。

1)生乳の集乳・搬入:集乳伝票

 酪農家のバルククーラー内の生乳は府県では毎日、北海道では隔日に集荷され、乳業工場に搬入される。集乳記録は農協に提出される。JA浜中町の路線伝票には、日付・時間(開始時と終了時)・集乳路線・車番・担当者と、酪農経営ごとの農家番号・集乳時間・乳量・乳温、合計乳量が記載されている。集乳車の車番と集乳時間から判断される集乳度数が集乳車の識別番号(たとえば、3333[車番:ナンバープレートの4桁の数字]−3[集乳度数(3回目の集乳)])として採用され、この識別番号によって集乳車単位の生乳ロットが管理される。集乳車のタンクに合乳された生乳が、どの酪農生産者から集荷されたものであるかが、乳業工場の受乳記録とリンクした集乳車識別番号によって捕捉されている。

 農協の集乳伝票と乳業工場の受乳伝票が照合され、乳業工場の貯乳タンクと生産者のバルククーラーの生乳が情報で結びつけられることになる。乳業工場と酪農生産者の生乳トレーサビリティを接合するためには、受乳記録と集乳記録が迅速に照合される仕組みが欠かせない。

2)搾乳から出荷:経産牛の個体識別番号管理

 経産牛(乾乳期の牛を除く)から毎日2回あるいは3回搾乳された生乳は、バルククーラーで冷却・保管される。今日ではパイプラインあるいはミルキングパーラーでの搾乳が一般的になっており、生乳は自動的にバルククーラーに送乳され、冷却される。

 まずバルククーラーの生乳を生産した搾乳牛を特定し、その照合記録を保管する仕組みを整備する必要がある。JA浜中町では酪農技術センターが酪農生産情報の中央データベースとして位置づけられ、個々の酪農経営の牛個体識別番号を集中的に管理している。

 酪農生産者は牛の出生・死亡・移動(導入および売却・廃用処分)に際して、酪農技術センターに「農場報告カード」を提出する。センターは報告内容を人工授精データなどと照合し、その正確さを確認したのちに、生産者に代わって牛個体識別に関するデータを全国データベースに報告している*6。人工授精と出生の間隔が不自然であるなど、カードの報告内容に問題があれば、問題点が生産者に照会され、データは修正される。また酪農生産者に飼養牛の個体識別番号リストを月に1回配布して、遺漏や誤りがないことを確認している。こうして各酪農経営の経産牛が逐次捕捉されており、搾乳されてバルククーラーに保管されている生乳と牛群とが関係づけられている。

 乳牛の識別管理は牛肉や牛乳のトレーサビリティのもっとも基本的な作業である。川下部門への情報連鎖が円滑に行われても、その最初の情報に誤りがあればトレーサビリティの機能は大きく削がれてしまう。正確で迅速な乳牛識別管理は、産地の信頼性に結びつくと認識されているといえよう。

3)乳牛の飼養:営農指導情報と経済事業関連情報

 牛乳の安全性・信頼性への関心は、BSEの発症原因として肉骨粉の飼料への混入が疑われていることもあり、乳牛の飼養環境に向けられることが多い。酪農生産の現場と消費者の「距離」を生産情報の提供によって縮めたいという欲求が、消費者だけでなく生産者にも高まっているといえよう。生産情報の積極的な開示が、生産者への高い信頼感や自信として受け止められてきている。

 JA浜中町の情報システムの特徴も、こうした乳牛の飼養環境データを生乳とリンクさせるところにある。図に示されるように、酪農技術センターでは営農指導情報と経済事業・共済組合情報が集約的に管理される。乳質検査結果、抗生物質検査結果、人工授精登録、自給飼料・草地状況、畜舎・機械設備などの営農指導情報は、乳牛の飼養環境データとして利用されることになる*7。さらに生乳取引情報をはじめとして、農協の各部署のもとにある組合員の牛個体取引、購入飼料・肥料、疾病・投薬履歴といった取引データなどがセンターに転送される。生乳販売ばかりでなく、生産資材購入や獣医診療もほぼ100%に近い農協利用率になっており、乳牛飼養にかかわる直接的な情報が網羅的に把握されている。

 こうして酪農技術センターは集乳・搬入情報、乳質・抗生物質検査情報による貯乳タンクあるいは集乳車からのトレースバックシステムをデータベース内に構築した。搬入:集乳車ロット、集乳:バルククーラーロット、搾乳:経産牛ロットで生乳の流れが記録保管され、検索しうるようになっている。

 以上みてきたように、JA浜中町は酪農生産者に代わって、生乳取引や酪農生産・経営情報を集約的に管理することによって、トレーサビリティ・システムに接近しようとしている。酪農生産者が搾乳情報などを記録管理し、生乳を集荷する農協にトレーサビリティの確保に必要な情報を伝達していくといった連鎖関係の確立がめざされているのではない。生産者からと場までのデータを全国データベースで管理している生体牛のトレーサビリティ・システムに類似して、酪農技術センターは生乳生産・出荷段階のローカルな中央データベースとして機能している。その結果、酪農生産者は農協の事業を利用する限り、必要とされる作業負担は農場報告カードの提出などに抑えられることになる。それはトレーサビリティ導入の基礎となりうる情報管理システムを構築してきたJA浜中町の特殊な事情を反映しているといえよう。

*6 人工授精データに基づいて出生届が提出されていない生産者もこれらのデータの照合によって明らかになる。また、農協直営の育成牧場に預託されている哺育牛・育成牛の移動情報も、酪農技術センターが直接全国データベースに報告している。

*7 酪農技術センターが実施している乳質検査、抗生物質検査の精度を担保するために、技術センターの検査結果が、北海道酪農検定協会などの同種の検査結果と比較照合される。

また月に1度、同サンプルを外部試験機関とともに検査して、検査機器の精度が確認されている。

 
乳業工場には生乳を運ぶ集乳車

T乳業北海道工場の貯乳タンク


4.生乳トレーサビリティの基本的課題


 JA浜中町の取り組みを中心にして、酪農・乳業の生乳トレーサビリティ導入の基本的な手順や手法について検討してきた。最後に、この先進的な試みをふまえて、生乳トレーサビリティの基本的課題について整理しておくことにしよう。

 第1は、搾乳牛の識別管理についてである。JA浜中町のデータベースで把握されているのは各酪農経営の経産牛である。そのなかには乾乳期の牛や出荷できない初乳泌乳期の搾乳牛が含まれている。乾乳期の乳牛には乳房炎予防・治療のために抗生物質の軟膏が塗布されることが多く、乾乳牛が確実に搾乳されていないことが担保されていなければならない*8。牛乳による重大な事故発生の原因として、殺菌不良による微生物の増殖とともに、生乳への抗生物質や薬剤の混入が考えられているからである。同様のことが初乳についても当てはまる。抗生物質の混入は牛乳による危害発生に密接にかかわるだけに、より細かな識別管理が求められるというべきであろう。

 第2に、効率的な品質衛生管理のための投薬情報の活用である。JA浜中町ではほぼすべての獣医診療が共済組合から提供されているので、使用した薬剤の情報も農協で把握されている。使用薬剤情報が受乳時に入手されるのであれば、乳業工場での検査効率を維持したうえで、牛乳の安全性・信頼性を高めることができるにちがいない。抗生物質のタイプが特定されると、利用する試薬・検査キットも限定することができるからである。

 第3に、農協による生乳情報データ管理についてである。JA浜中町では酪農技術センターによる集約的な情報管理によってトレーサビリティに接近しようとしている。もとよりこの仕組みは農協事業への高い利用率やセンターのノウハウの蓄積を前提として成り立っている。農協には組合員の酪農経営情報を網羅的に把握しえないという状況が一般的であることをふまえれば、乳牛の識別、記帳管理、情報伝達といった基本的な手順を酪農生産者が担う仕組みを想定しなければならない。生乳トレーサビリティが広く導入されるためには、酪農生産者が負担しうる効率的な作業手順と責任を具体的に模索していかなれればならない。

 第4に、生乳の流通実態への対応である。浜中町のT乳業北海道工場には町内の生乳以外に、根釧地区のいくつかの農協の生乳が搬入される。もっとも酪農産地の工場ではそれほど多様な生乳を受けるわけではない。生乳のトレーサビリティは、府県の市乳工場が生乳需要時に全国各地から生乳を集めている状況も想定しなければならないであろう。スポットで広域的に流通する生乳についてもトレーサビリティを確保するためには、全国の酪農生産者が基礎的なトレーサビリティを導入していることが不可欠である。こうした仕組みを共通基盤として生乳の広域流通が担保され、分別管理を必要とするような特別仕様の生乳・牛乳のためのトレーサビリティがさらに導入される。生乳のトレーサビリティはこのように重層的な仕組みとして検討していくべきであろう。

 第5は、自主的なトレーサビリティとしての弾力的な取り組みである。牛肉のトレーサビリティとは異なり、生乳を含めた牛乳のトレーサビリティは自主的な取り組みとして進められる。それだけに消費者のニーズを見極めて、効率的で有意義なトレーサビリティの導入を図らなければならない。乳牛の飼養環境などの生産履歴情報内容ばかりでなく、生乳のロット形成、トレーサビリティ機能の精度について酪農、乳業、小売業は充分に議論を重ねていく必要がある。導入の障害となっている回収乳の再利用などの論点を避けるのではなく、むしろトレーサビリティ機能の精度を図る試金石として積極的に検討するべきであろう。

 第6に、垂直的なミルクチェーンの連携である。トレーサビリティを導入する際、識別番号の設定、ロット形成や情報伝達手法などについて、フードチェーンの連携が重要になる*9。酪農生産者・農協・指定生乳生産者団体といった生産者サイドと乳業メーカーばかりでなく、ミルクチェーンにかかわる事業者として小売業も含めて、トレーサビリティ導入のための情報交換、業務調整を図ることが求められる。酪農・乳業の業界組織再編も単なる財政事情悪化への対応ではなく、具体的な導入に向けた議論を推進し、まとめていく機能が期待されている。

 第7は、自発的認証牛乳の開発についてである。高度衛生管理牛乳あるいは放牧酪農牛乳やエコ牛乳といった、乳牛の飼養管理や飼養方法の差異に基づく新たな牛乳製品が市場の活性化に寄与するのではないかと期待されている。生乳生産段階での付加価値を強調した牛乳の信頼性を担保するために、トレーサビリティが活用されることになる。言い換えれば、トレーサビリティは牛乳の認証制度の基盤を築く仕組みであるといえよう。生乳トレーサビリティの導入をめぐる議論を牛乳認証制度の開発に結びつけ、多様な牛乳製品を消費者に提供する契機とすることが望まれる。

 以上みてきたように、JA浜中町の生乳トレーサビリティへの取り組みは、特殊な事業体制を前提として推進されており、そのまま全国標準の仕組みとして位置づけることはできないであろう。しかし、農協が活用しようとしている情報の背後にある識別、記録、照合などの作業に立ち戻って検討することで、乳業工場・農協・酪農生産者がトレーサビリティ導入のために担うべき手順や責任などがほぼ明らかになったといえよう。今後、生乳トレーサビリティのあり方を検討するうえで、JA浜中町の取り組みはつねに参照されることになろう。

*8 識別管理のための技術も併せて検討されなければならない。メモ用紙への記入、携帯電話を利用した確認情報の入力、さらにはICチップによる識別情報の自動入力などが考えられる。

*9 新山陽子「食品のトレーサビリティ確立の意義と要件と課題」『農業と経済』69-8 2003、矢坂雅充「牛肉のトレーサビリティ導入の意義と課題」同前、を参照されたい。


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