◎専門調査レポート


ヘルパーから酪農経営者に

東京大学大学院 農学生命科学研究科 教授 生源寺 眞一

 

 




はじめに

 酪農ヘルパーには、いずれは自分自身で酪農を営んでみたいと考えている人が
少なくない。しかも、その比率は次第に上昇している。社団法人酪農ヘルパー全
国協会によれば、平成13年度に酪農ヘルパー養成研修を受講した新人ヘルパー
135人のうち、将来の就農を希望する受講者は50%に達した(注1)。


 酪農の町、別海町でも同じことを確認できる。同町のヘルパー組織としては有
限会社道東ファームサポートがあり、町内のヘルパー利用組合から業務委託を受
けるかたちで、ヘルパーのサービスを供給している。同社のベテランヘルパー村
上幸夫さんによれば、ヘルパーとして働いている15人のうち、6割から7割はい
ずれ酪農に参入したいと考えている。村上さん自身も希望者の1人である。



別海町にある酪農ヘルパー組織の(有)道東ファームサポート


 もちろん、酪農への新規就農の道は平坦なものではないし、常に広く開かれて
いるわけでもない。ことに別海町の周辺では、増加を続ける就農希望者の数に比
べて、受け皿となる離農跡地の農場が不足気味の状態が生じている。地域の酪農
家の年齢構成や後継者の有無を検討し、いたずらに悲観的になることなく、現実
的な見通しを立てる必要があるが、少なくともここ数年に限れば、簡単に就農先
が見つかる状況にはない。また、新規就農の希望がかなったとしても、それだけ
で酪農経営としての成功が約束されるわけではない。経営としての安定期を迎え
ることなく、酪農の世界から去るケースも少なくない。


 就農前にどれだけよい準備ができるか、就農後に現れる大小の障害をどう克服
するか、さまざまな要因が新規参入の成否を左右する。何よりも就農者自身の意
欲と能力がものを言う。そして、支援のための制度や地域社会の受入れ態勢も、
時として決定的に重要な役割を果たす。


 本人の能力を磨く上で、また、地域社会との結び付きという面で、ヘルパーと
しての経験はどのような意味を持つであろうか。あるいは、ヘルパーの経験だけ
では不足するものがあるとすれば、それは何か。別海町でヘルパーの経験を経て
就農した酪農家、穴吹威さんの歩みを跡づける中から、具体的に考えてみること
にしたい(注2)。

穴吹牧場

 牧場の経産牛は53頭、他に育成牛23頭を飼養している。タイストールとパイ
プライン・ミルカーの体系である。平均産次数が4.4と比較的高いことが穴吹牧
場の特徴である。13年度の年間搾乳量は401トン。6年の就農から既に9年目に
入ったが、3年前から400トンの搾乳規模に達している。順調に乳量を増やすこ
とができた背景の1つとして、今日に至るまで、生乳の計画生産による厳しい制
約をほとんど受けなかったことがある。



東京出身の穴吹さん(右)と調査補助員の末宗さん


 穴吹さんも利用した北海道農業開発公社の農場リース事業では、初年度につい
て、通常は秋にならないと搾乳を開始できない。けれども穴吹牧場の場合、周囲
のはからいもあって、別途乳牛を確保することで、前の農家が離農した春から秋
までのブランクを避けることができた。新規参入は一面では、緊張の中で農場を
全力で再稼働させる仕事であるだけに、半年あるいは数カ月であっても、当初の
ブランクの影響は大きい。このことは地域のほかの酪農関係者からも指摘されて
いる。制度上も検討の余地がありそうである。


 農場の草地面積は48ヘクタール。このうち5ヘクタールは2キロメートル離れ
た飛び地である。ロール運搬などで作業上の非効率は否めないし、公道上を走行
するため、たい肥の運搬にも神経を使う。残りの草地は畜舎の周辺に団地化され
ており、そのすべてを放牧地として利用している(放牧専用地としての利用は23
ヘクタール)。これも穴吹牧場の特徴の1つである。


 穴吹さんは、エリック川辺氏の主宰するSoil Research Unionに参加している。
3年前からは地域の支部長を務め、会員20名弱とともに勉強している。穴吹さん
の受ける印象として、酪農家は概してあまり勉強に熱心でない。勉強会を始めよ
うと考えても、なかなか人が集まらない。特に酪農家には経済の原理に弱いとこ
ろがある。これも勉強不足が一因であろう。こんな率直な評価も、穴吹さん自身
が勉強会の責任者を努めているだけに、説得力がある。


 草地については苦労した。経営不振と健康上の理由から離農した前の所有者の
時代に、土がはがされて他の場所に持ち出されていたため、表土が貧弱な状態に
なっていたからである。引き継いだ牧場の修復で苦労した点では、同じ新規参入
酪農家の広瀬牧場(注2参照)にも共通するところがある。ただし、広瀬牧場の
場合、草地には問題はなかった。ところがたい肥盤にはたい肥が残っており、尿
貯めは半分固形物で埋まっている状態だったため、使用可能な状態に戻すのに時
間とコストを費やすことになった。一般論として、離農が日程にのぼっている酪
農家の場合、牧場資産の維持管理がおろそかになる傾向は避けがたいように思わ
れる。この要素が引き継ぐ際の資産の評価額に適切に反映されないとすれば、も
っぱら跡地に入る酪農経営がそのしわ寄せを受けることになる。



富山県出身の広瀬さん、奥さんもヘルパー出身である


 穴吹さんは36歳。奥さん(29歳)と子供(2歳)の3人家族である。酪農の
作業は夫婦2人で行う。ただし、草地のうち19ヘクタールについては、コントラ
クターが収穫からサイレージの鎮圧までの作業を請け負う。穴吹さんも機械一式
を所有しており、夫婦でやってやれなくはないが、子供が小さいこともあって、
道東ファームサービスに頼んでいる。適期に作業してくれるのでありがたい。ま
た、道東ファームサポートからはヘルパーも派遣してもらっている。年間約20日
の利用である。


 奥さんの実家はパイロットファームに滋賀県から入植した酪農家である。従っ
て、実家からアドバイスをもらうこともできた。二人の結婚については新規就農
以前に約束しており、就農直後にゴールインした。単身で新規に酪農に就農する
ことは無理である。これは失敗例を身近に知っている穴吹さんの意見であり、今
回ヒアリングを行った地元の関係者が口を揃えて述べている判断でもある。


決断の日

 穴吹さんは東京都の生まれである。高校を卒業するまでは八王子に住んでいた。
その後、運送会社への就職や専門学校に在学などの経験の後に、たまたま旅行ガ
イドで目にした別海町の役場とコンタクトを取ることができ、酪農家の実習生と
して町を訪れることになった。もともと動物と結びついた仕事に関心があり、在
籍した専門学校も動物に関係していた。競走馬の育成牧場を就職先に考えたこと
もある。結局、別海町との縁がきっかけとなって、酪農経営者として自立するこ
とになったわけである(注3)。


 実習は予定の2年間を切り上げて、8カ月で終わった。農協がヘルパー要員を
必要としているとの話を聞き、ヘルパーとして働くことになったためである。発
足して2年目の別海農協ヘルパー利用組合である。当時のヘルパー要員は穴吹さ
んを含めて4人。現在の道東ファームサポートは、このヘルパー利用組合から事
業部門が独立した組織である。つまり、現在の穴吹さんはヘルパーのサービスを、
自分がかつて働いていたヘルパー組織から購入しているわけである。


 ヘルパー組合で働きはじめて、最初のうちは苦労が多かった。8カ月間滞在し
た実習先がフリーストール牛舎であったため、スタンチョンでの作業の要領がつ
かめなかったし、地元の言葉が分からないという面もあった。それでなくとも、
酪農の作業にトラブルはつきものである。牛の扱い、機械の故障、冬期の凍結な
どなど、トラブルに落ち着いて対処することができるようになって、ヘルパーと
しても一人前というのが穴吹さんの実感である。それには1年程度の経験では足
りないと見る。と同時にヘルパー時代を振り返り、さまざまな失敗を経験し、人
にも迷惑を掛けたその中から、ものごとに尊大にならない謙虚な態度を身に付け
ることができたとも思う。



穴吹牧場の牛舎で聞き取り調査を行っている筆者(右)


 就農の話は突然やってきた。ヘルパー利用組合の副組合長であった加藤さんか
ら、離農跡地を引き継がないかという話が持ち込まれた。明日までに決断せよと
いう。穴吹さん自身、昼間は加藤農場で作業の手伝いに通っていた。懇意にして
もらっている加藤さんはいわば後見人的な存在であった。それでも、なにやかや
で総額5,000万円の初期投資を覚悟するとなると、さすがに迷いはあった。そこ
をぐいっと背中を押されたわけである。


 今回の調査では加藤さんにお目にかかることはできなかった。従って、ここは
推測であるが、優れた適応能力と自分を見失うことのないパーソナリティを評価
したからこそ、加藤さんは離農跡地の承継人として、若い穴吹さんに白羽の矢を
立てたのではなかろうか。穴吹さん自身は、酪農経営者としての適性について、
感情を爆発させてしまうタイプや、その裏返しであろうが、自分の鎧に閉じこも
ってしまうタイプではだめだと考えている。酪農経営には強いプレッシャーを孤
独に引き受けなければならない面があるからである。これは加藤さんの考えでも
あったのではなかろうか。

ヘルパー組織と研修牧場

 酪農への就農の準備として、ヘルパーの経験は必要とされる要素の一定の部分
をカバーする。ただし、カバーされる範囲は決して広くない。この点については、
長年北海道の専門技術員を勤め、現在は北海道農業担い手育成センターに主任就
農コーディネーターとして勤務する船本末雄さんの整理が参考になる(注4)。


 船本さんは、酪農経営の技術を飼養管理技術・飼料作物生産技術・経営管理技
術に分類し、さらにそれぞれを具体的な技術項目に細分した上で、ヘルパーの経
験を通じて習得可能な項目を列挙している。それによると、飼養管理技術の9つ
の細分項目のうち、3つについてはヘルパーの経験だけでは習得が難しいと判定さ
れている。具体的には、・飼料給与の設計・判断、・放牧牛・施設管理、・患畜
の手当である。また、飼料作物生産技術7項目については、ヘルパー経験から習
得できるものはなく、経営管理技術14項目のうちヘルパー経験との結びつきのあ
るものは4つに限定されると見る。


 搾乳中心のヘルパーサービスの性格から、やむを得ない面がある。もっとも近
年は、搾乳・飼養管理以外の作業を実施しているヘルパー利用組合の数も徐々に
増えている。比較的多いのが飼料生産調製と牛群検定で、13年8月の時点で、そ
れぞれ全利用組合の11%、7%が実施している(注5)。また、道東ファームサポ
ートのように、コントラクターを兼営している場合、ヘルパーには畜舎作業以外
の機械の操作に習熟できるチャンスもある。けれども、大多数のヘルパー利用組
合の場合には、搾乳作業のサービスを主体としているから、おのずから習得でき
る技術は限られる。


 ところで、別海町には主として新規就農希望者を対象とする酪農研修牧場があ
る。町と農協の共同出資によって9年にスタートして以来、31組の夫婦を研修生
として受入れており、既に18組が町内に就農している(注6)。牧場を利用した
日常的な技術研修、専門家による講義、そして農家研修が主なカリキュラムであ
る。特に後半は、経営として自立できる力の醸成にウェイトが置かれ、講義も営
農計画や簿記・税務といった実践的な内容が中心となる。3年間の研修を基本とし
ているが、入所時までの酪農経験のレベルに応じて、期間が短縮されることもあ
る。例えば広瀬さんの場合、就農前に研修牧場に入所したが、期間は1年であっ
た。



別海町畜産研修牧場


 穴吹さんが就農した当時、別海町に研修牧場はなかった。研修牧場があったな
らば、自分も入りたかったという。なぜならヘルパーだけではカバーできないと
ころがあるからだ。ヘルパーの経験だけでは経営者としての感覚を身に付けるこ
とができないと思う。機械についての知識も不足する。故障への対応も満足にで
きないのではないか。ただし穴吹さんの場合、加藤さんの牧場の手伝いを続けた
ことで、搾乳や飼養管理以外の面でも多くの要素を学ぶことができた。穴吹さん
にとって、加藤牧場は研修牧場としての役割をかなり果たしたと言ってよいかも
しれない。


 もしあれば入りたかったと述懐する穴吹さんであるが、逆に研修牧場での経験
だけで充分かと問われれば、必ずしもそうではないとみる。確かに知識のレベル
は高くなるが、整った設備の下での実習であるため、予想外のトラブルへの対応
能力や、苦しい立場に置かれた際の忍耐力という面では、どこか物足りないとこ
ろがあるようだ。穴吹さん個人の思い込みというのではない。研修牧場の側でも
このあたりは認識している。後期のカリキュラムにヘルパー実習や農場実習が組
み込まれている点などに、牧場の場内研修に不足している要素を補う意図がうか
がわれる。


 ヘルパーの経験と研修牧場の場内研修は、いくつかの点で対照的である。対照
的であるからこそ、互いに補完的な役割を果たすこともできる。まずカバーする
技術の広がりという点では、研修牧場に軍配が上がる。けれども同じ作業工程で
あっても、さまざまな畜舎構造のもとで広いバリエーションを経験できるのは、
ヘルパーならではの強みである。定型的な技術の着実な習得が研修牧場のメイン
の目標であるのに対して、ヘルパーの仕事には予想外のトラブルへの対応が求め
られる場面が少なくない。また、対応次第では大きな損失を与える可能性もある。
それだけ重い責任が伴っている。



研修牧場には最新式の設備が整っている


 さらに、教育が本来の目的ではないヘルパー組織であるから、現場に系統的な
指導体制やカリキュラムがあるわけではない。優れた先輩指導者に出会うことも
あれば、一人で悩みに頭を抱えることもある。言い換えれば、ヘルパー経験者の
技術水準にはある程度のばらつきは避けがたいのである。だからこそ、すでに触
れたように、全国レベルの研修プログラムが用意されていると見ることもできる。

3つの資本

 酪農への新規参入は3つの面での資本形成を必要とする。第1にヒューマンキ
ャピタルである。一定の水準の技術力と経営者能力を準備しなければならない。
第2は農場そのものの取得であり、それに必要な資金の確保である。そして第3
に、地域社会との良好な関係の形成である。これもいったん形成されるならば、
長い間その効果の発現を期待できるという意味で、一種のソフトの資本形成であ
ると表現することができる。


 このうちヒューマンキャピタルの形成に関しては、既にいくつかの角度から論
じてきた。ここで改めて付け加えることはない。第2の資金の確保については、
ほとんどの場合に自己資金が不足しているから、外部資金の調達がポイントとな
る。もっとも、資金それ自体の供給については、公社営農場リース事業や就農施
設等資金といった制度が整えられている。従って、要は信用の問題であり、信用
を補完する人的保証(保証人の確保)の問題である。この点で、ヘルパーとして
地域に就業することは、地域社会の側からみれば、その就農希望者の能力とパー
ソナリティを把握する一種の観察期間としての意味を持つ。穴吹さんの場合には、
ヘルパーの経験を通じて加藤さんという後見人を得ることができ、融資に際して
は保証人を引き受けてもらっている。


 地域社会との接触は、地域社会との良好な関係の形成の第一歩である。地域社
会に新しい血液を迎え入れることは、既存の酪農家にとっても有益である。何よ
りも、酪農が外部の人々の関心を惹いているという事実そのものが、産業内部の
後継者に酪農に対する誇りを呼び起こす作用を持つであろう。また、異なった経
験と異なった発想の持ち主を迎え入れることは、長い目でみれば、地域酪農と地
域社会の活性化に結びつく。このことは、穴吹さんのケースで言えば、近年にな
って自主的なグループのリーダー的な役割を果たし始めた点に現れている。


 もっとも、9年前の就農から今日までを通して見るとき、穴吹さん自身が自覚
しているとおり、加藤さんを始めとする地域社会の助力があったからこそ、酪農
経営として自立することができたのであり、その結果として今日では地域社会に
もプラスの貢献を期待されるようになったわけである。特に就農から間もない時
期には、地域社会のさまざまなサポートが不可欠である。一方向のサポートであ
る。しかも、それは就農者の甘えを引き出すものであってはならない。穴吹さん
と広瀬さんの話に共通してうかがわれるのは、むしろ経営のウィークポイントに
ついて率直な指摘を受けることのできる関係を求めていた点である。


 ヘルパーとしての経験が、地域社会との日常的な交流の機会を生み出している
点は大いに強調されてよい。穴吹さんも、ヘルパーとしての経験の強みは、なん
と言っても地域のさまざまな酪農家と知り合いになれたことだと考えている。ヘ
ルパー組織は、相互に支え合う地域社会の関係の輪を広げる点で、新規就農に不
可欠なソフトの資本形成に貢献している。当初は、地域社会がもっぱら就農者を
支える一方向のサポートであるかも知れない。けれども、時の経過とともに逆の
ベクトルも作動しはじめるのである。

[付記]
 今回の調査に際しては、資料の収集と整理の面で東京大学大学院修士課程の末
宗範子さんの助力を得た。ここに記して感謝したい。
1)星井静一「酪農ヘルパー養成研修の現状と今後の方向」『畜産の情報[国内編]』
2002年5月号による。受講者135人のうち非農家出身者は70%を占めている。
なお、2002年8月1日現在のヘルパー要員は全国で2,599人、このうち1,222
人が専任ヘルパーである。
2)穴吹牧場を訪れたのは2002年の師走である。この時の調査では、夫婦ともど
も中標津町でヘルパーを経験し、比較的最近別海町で就農した広瀬さんからも、
印象深いお話をうかがった。紙面の制約もあって、ここでは主として穴吹さんの
ケースを紹介する。なお、ややデータは古いが、酪農ヘルパー全国協会が把握し
ているリストによると、2001年5月末日現在、別海町にはヘルパー出身酪農家6
人の名前がある。
3)広瀬さんの場合にも、ヘルパーとして就職するまでにさまざまな経験を重ねて
いる。けれども、自分に適した酪農という職業に次第に接近するプロセスを辿っ
ている点では、穴吹さんのケースと共通しているように見受けられた。
4)北海道担い手育成センターの資料による。
5)酪農ヘルパー全国協会資料。星井「前掲論文」による。
6)受入れた31組のうち、4組が途中でリタイアしている。また、初年度に単身
者2名を受入れているが、いずれもリタイアした。酪農研修牧場の詳細について
は、菅沼弘生「別海町における研修牧場を核とする新規就農者養成の取り組み」
『北方農業』2002年8月号が参考になる。

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