帯広畜産大学 畜産学部 教授 澤田 学
本研究の目的は、消費者の牛海綿状脳症(BSE)や食品安全性に関する知識 と国産牛肉に対する態度の関連構造を定量的に把握した上で、消費者の潜在的 態度が、牛肉の購入選択に際し、牛肉の評価にどのように影響するかについて 実証的に解明し、分析結果から消費者の牛肉安全性に対する価値評価および消 費者への適切な情報提供のあり方を探ることにある。
消費者の牛肉購入に関する意思決定構造を図1のようなフレームに基づいて モデル化した。図中の楕円は消費者の主観的要因で、直接には観測不可能な潜 在変数、四角形は直接観測可能な観測変数である。 点線で囲まれた上の部分は、BSEや食品安全性に関する消費者の知識・態度 の因果関係を説明する潜在変数モデルで、観察可能な知識指標の背後に想定さ れる消費者の潜在知識が主観的態度を決定し、その潜在的態度が測定可能な態 度指標に影響を与えることを表す。他方、点線で囲まれた下の部分は、消費者 の牛肉に対する表明選好を説明する離散選択モデルで、態度潜在変数と牛肉の 商品属性の関数としての効用を最大化する行動の結果として、牛肉の選択結果 が観察されることを表す。 本研究では牛肉の属性として、@原産地・品種(国産黒毛和牛、国産、豪州 産、米国産)、A生産方法(通常の生産方法と、"Sビーフ")、B価格、を取 り上げた。ただし、"Sビーフ"とは、生産者の直営農場で、過去数年にわたっ て抗生物質や農薬などの化学物質を使わず、安全な飼料を与えて飼養された肉 用牛から生産され、どこで「と畜」され、どういう流通経路を経て店頭に届い たかもはっきりしており、これらの生産状況と流通履歴を、店頭掲示やインタ ーネットでいつでも確認でき、開示情報に偽りのないことが DNA鑑定や第三者 機関の認証により保証されているなど、その生産・流通において安全性と安心 に最大限の配慮がなされている仮想的な牛肉である。 離散選択・潜在変数統合モデルは2段階で計測した。先ず潜在変数モデルを 共分散構造分析法1)により計測し、その計測結果から各潜在変数の予測値を サンプルごとに求めた。次に、態度潜在変数の予測値を離散選択モデルの説明 変数の一部として用いて、選択型コンジョイント分析2)によって離散選択モ デルを計測した。 分析に供するデータは、郵送アンケート調査によって収集した。調査票は、 牛肉の購入実態、BSE発生後の牛肉購入量の変化、国産牛肉の安全性に対する 評価を尋ねる質問、牛肉の選択実験質問(図2)、BSEや食品の安全性に関する 様々な知識・態度指標の5段階評定、食品安全性に関する情報源の信頼度、回 答者属性を尋ねる設問、から構成されている。調査対象地区を北海道帯広市、 札幌市清田区(以下、札幌市という)、千葉県松戸市とし、選挙人名簿からサ ンプルの無作為抽出を行った。抽出件数はいずれの地区も300名である。アン ケート調査は、2003年1月下旬から2003年2月にかけて実施した。宛先不明を除 いた協力依頼状実発送数に対するサンプル回収率は、帯広市41%、札幌市46%、 松戸市23%であった。 図1.離散選択・潜在変数統合モデルのパス図 図2.離散選択モデル計測のための選択実験質問例 アンケートの集計分析には、回収された全サンプル・データを用いたが、潜 在変数モデルならびに離散選択モデルの計測には、各計測に必要な回答データ が全て揃っているサンプルだけを利用した。なお、各調査地区のデータ統合可 能性の統計的検定結果をふまえ、離散選択モデルの計測は、帯広・札幌、松戸 地区の2つに分けて行うことにしたため、潜在変数モデルの計測は、十分な自 由度が確保された帯広・札幌地区についてのみ行った。 1)直接観察できない潜在変数を導入し、その潜在変数と観測変数との間の因 果関係を同定することにより社会現象や自然現象を理解するための統計的手法 (狩野・三浦[1])。構造方程式モデリングとも呼ばれる。 2)属性の水準が異なる複数の商品の中から被験者に最も望ましい商品を選択 してもらい、その選択回答結果を統計的に処理して、属性別の価値評価額を推 定する手法(澤田[2])。
分析結果
1)共分散構造分析結果 BSEや食品安全性に関する知識・態度の潜在変数モデル(多重指標モデル) の計測結果を図3に示した。図中のvar01〜var21の意味は表1のとおりである。
図3.知識・態度の多重指標モデル計測結果(GFI=0.901, AGFI=0.872, RMSEA=0.036) 注1)一方向矢印は因果関係を、両方向矢印は関連を表す。 2)四角枠は指標(観察)変数、楕円は潜在変数を示す。 3)モデルを識別可能とするために、一部の因果関係にパス係数値1を設定した。 4)スペースの関係で、モデルの誤差変数部分は省略した。 表1.共分散構造分析に用いた知識・態度指標変数 注1)各指標変数の平均値は、対応する情報あるいは意見について、 1(確かに聞いたことがある/そう思う/信頼できる) 〜5(全く聞いたことがない/そう思わない/信頼できない) の5件評定法で回答してもらった結果のサンプル平均である。 2)ver01〜ver12は態度指標変数、ver13〜ver21は知識指標変数である。 図3から、アンケート調査の質問項目に対する回答結果から観察される知識 指標変数の背後に、「BSEは危険」、「食品の危険性」、「BSE対策」の3つの 知識潜在変数が原因として想定されるとともに、設定した態度指標変数は、 「国産安全性信仰度」、「同調傾向」、「過剰予防的傾向」、「マスコミ信頼 度」の4つの態度潜在変数のいずれかから影響を受けていることがわかった。 そして、知識潜在変数から態度潜在変数への影響では、「BSEは危険」とい う知識が「国産安全性信仰度」、「過剰予防傾向」といった態度の形成に寄与 していること、「食品の危険性」知識が豊富であれば、「国産安全性信仰度」、 「同調傾向」、「マスコミ信頼度」の3つの態度が弱まること、「BSE対策」に 関する知識を持っているほど「国産安全性信仰度」が強くなることが見いださ れた。 ”BSE対策の知識を持っている人ほど国産安全性信仰度が強い”という関係 と、”食品の危険性について知識が豊富な人ほど国産安全性信仰度が弱い”と の関係は、1個人の中では両立しない。したがって、「国産安全性志向の強い」 人々の中には、安心できる知識を得た上で安心している人々と、知識を得ずに、 あるいは情報についてあまり考えることなく、安心をしている人々との2種類 の人々が含まれていると推察される。 2)選択型コンジョイント分析結果 帯広・札幌地区データに、牛肉属性と、態度潜在変数である「国産安全性信 仰度」、および個人属性を導入したモデルを適用して、選択型コンジョイント 分析を行った結果、潜在的な「国産安全性信仰度」が強い消費者ほど、国産牛 肉をより好ましく評価する一方で、外国産牛肉に対する評価が相対的に低下す ることがわかった。すなわち、「国産安全性信仰度」が標準偏差(0.7)の分 だけ増大した場合、各牛肉に対する限界支払意志額は、国産黒毛和牛肉で100g 当たり94円、国産牛肉で83円だけ上昇し、豪州産牛肉で32円、米国産牛肉で14 円だけ下落すると推定された(表2)。
表2.国産安全性信仰の強弱とSビーフ属性が牛肉の限界支払意志額に及ぼす影響 注1)単位は100g当たり円である. 2)"強い国産安全性信仰"の影響額は、国産安全性信仰度が標準偏差の分だけ 増加したと仮定して推計した。 また、牛肉の安全性に対する価値評価額をSビーフ属性の限界支払意志額と して推計した結果、国産黒毛和牛で100g 当たり64円、国産で192円、豪州産で 145円、米国産で248円となった。この結果は、国産黒毛和牛肉が相対的に高い グレードとして販売されていることが、食品としての安全性にも一層配慮して 肥育されているという印象を消費者に与え、国産黒毛和牛肉のSビーフ属性が 一般の国産牛肉のSビーフ属性に比べて低く評価されたものと考えられる。
消費者の知識・態度・購入選択を統合的に分析する潜在変数・離散選択モデ ルを構築した上で、アンケート調査により収集したデータから、消費者のBSE や食品安全性に関する潜在知識と、国産牛肉に対する潜在態度の関連構造を共 分散構造分析法によって分析するとともに、選択型コンジョイント分析法を適 用して、消費者の潜在的態度が牛肉の購入選択に際し、牛肉評価にどのように 影響するかについて実証的に分析した。 本研究で得られた結果をふまえ、最後に消費者への適切な情報提供のあり方 を考えてみたい。「BSEは危険」という潜在知識が強いと、「異常プリオンはB SE感染牛の全身に存在する」、「BSE感染牛に健康な牛が触れると感染する」 など誤った情報を信じやすく、また、「国産安全性信仰」、「過剰予防傾向」 といった、やや極端な態度を形成しがちである。人々が安心を得るために予防 的な対応を求める傾向は、アンケート集計結果でも、「学校給食で牛肉使用を 自粛したことは良い」、「2歳以上の牛のみBSE検査をすれば十分という意見に 同意できない」とする回答が過半を占めるという形で示された。その一方で、 「牛がBSEに感染しているか確実に調べるには、牛を殺して脳を検査する以外 にない」という情報は知らない人が多く、予防的対策の費用対効果まで理解さ れているとは言い難い。したがって、「危険→不安→過剰反応」の連鎖を断ち 切り、効率的な安全・安心確保対策の実施を可能とするためには、BSEについ ての正確な情報を消費者にわかりやすく提供することが先ず必要であろう。 次に、「食品の危険性」に関する潜在知識が強いと、消費者は食品安全性に 関する情報を積極的に収集・検討し、盲目的に国産を高く評価する国産安全信 仰や、「同調傾向」が弱くなることから、食品の有するリスクの内容とその大 きさについて、消費者に理解可能な形で科学的情報を提供することが求められ る。ただし、情報提供主体としての企業や行政機関は、食品安全行政の不手際 や食品事故の度重なる発生から、あまり信頼されていない(図4)。情報源と して信頼度の高い消費者団体や研究者も、企業や行政との対立に終始するだけ では、食品安全情報の混乱によって消費者の不安を増大させる。
図4.情報源の信頼度(アンケート集計結果) そこで、今後は、行政機関・企業が、消費者団体・研究者と連携して、自ら に都合の悪い情報も含め、消費者にBSEや食品リスクに関する情報をわかりや すく提供する必要があろう。 [ 付記 ] 本稿は、吉川肇子氏(慶應義塾大学商学部助教授)、佐藤和夫氏(酪農学園大 学酪農学部講師)、合崎英男氏(独立行政法人農業工学研究所農村計画部研究 員)との共同研究成果を取りまとめたものである。アンケート質問票の内容と 集計結果も含め、研究結果の詳細については参考文献[ 3 ]を参照いただき たい。
参考文献 [ 1 ]狩野裕・三浦麻子『グラフィカル多変量解析(増補版)−目で見る共 分散 構造分析−』、現代数学社、2002年。 [ 2 ]澤田学「畜産物需要開発調査から 消費者の牛乳選択行動における鮮 度、安全性、グリーン購入志向のコンジョイント分析」、『畜産の情 報【国内編】』、 第161号、2003年 3 月、pp.20〜24. [ 3 ]澤田学、吉川肇子、佐藤和夫、合崎英男「BSEに対する消費者の知識 と国産牛肉への信頼態度および牛肉購入選択行動の統合分析」『平成 14年度畜産物需給関係学術研究情報収集推進事業報告書』(農畜産業 振興機構)、2003年、pp. 1 〜47。