◎今月の話題



「安全」と「安心」をつなぐ情報伝達という技術

経済エッセイスト 秋岡 榮子



1.「伝えたいこと」、「面白いこと」、「知りたいこと」

 ある自動車メーカの方にこんな話を伺ったことがあります。自動車には3つの顔があるとか。それは「造りたい車」「売りたい車」「乗りたい車」だそうです。  

 メーカーで新しい車の開発を担当する人は、自分たちが開発した最先端の技術やデザインを使った車を造りたいと思っています。でも、車を売る立場の人は、誰でもが「いいなあ、欲しいなあ」と思うような売る苦労のない車、たくさん売れる車、利幅の大きい車を売りたいと思っています。洋服でもそうですが、ファッションショーに出てくるような最先端のデザインは賛否両論だったり、「カッコイイ」とは思っても「普段は着られない」ようなものだったりということで、必ずしもたくさん売れる服という訳ではありません。また、技術的には優れていても、アウトバーンのない日本で「時速300キロでも安定走行」などという車は、一般の人には持っていても宝の持ち腐れになってしまい、話題になっても売れないでしょう。  

 一方、買い手は、見た目が格好良くて、運転しやすいこと。でも、燃費が良くて、値段が手頃というのも重要な要素です。自動車メーカーの経営トップは、三者三様の思いを考慮しながら、会社として利益が最大となる新車の販売を決定しているそうです。  

 では、これを「食の情報」に置き換えてみたらどうでしょう。「生産者が伝えたいこと」、「メディアが取り上げたいこと」、「消費者が知りたいこと」は同じではありません。  

 生産者は「安全です」ということをとにかく伝えたいでしょう。メディアは、視聴率が上がったり、雑誌がたくさん売れるような読者の興味を惹くような話をクローズアップしたいとも思っています。消費者は、権威のある専門家の難しい説明よりも、わかりやすく、多少ピントはずれかもしれないが、それでもぬぐい去ることのできない自分の小さな不安に答えてくれる、安心を納得できる情報を期待しています。


2.頭の整理ボックスにあわせた情報発信

 しかし、幸いなことに最近では、食の情報が生産者と消費者の間で直接交換されるような機会も増えてきました。   

 残念なことですが、BSE、鳥インフルエンザと私達の食に係わる問題が続きました。この過程で、消費者の情報整理力は数段アップしました。BSEや鳥インフルエンザという牛や鶏の病気の拡大を防ぐという問題と、「食の安全」を分けて考えられるようになってきました。さまざまな経験を積んだ消費者の頭の中に、情報を整理するボックスがきちんとできあがってきたのです。   

 一方、情報を提供する側は、ごく一部の例外を除き、何かあれば即一報という体制が整い、インターネットのホームページなどの活用も進んできました。こうして、次第に混乱なく、スムーズに情報が伝わるというようになってきました。  

 これからは、速報性に加えて、情報の出し手の側が、消費者の頭の整理ボックスにファイリングしやすいような切り口や見出しをつけてやる情報伝達技術を身につけることが、一層大事になるでしょう。    


3.「安全」を「安心」に変える技術

 というのは、事実は1つでも、伝え方次第で、伝えたい内容が十分に伝わらないからです。   

 たとえば、インドでITのソフト開発産業が成長しているという話で、「かつてゼロの概念を発見したのはインド人だから、いまでも数字に強く、ソフト開発に向いている」ということがよく言われます。しかし、それだけではあまりピタッとこない人も多いでしょう。私は「インド人は九九を二桁(20×22まで)まで習う」という話を紹介します。つまり「13×17」がいくらかなどというのは、インド人にとっては暗算の範囲内なのです。この話を紹介すると、みなさんご自分が小学校で九九に苦労をした体験や電卓頼みの日頃の自分の生活を思い浮かべて、「二桁まで暗算できるなんて、それはスゴイ。ソフトの開発なんて、お手の物だろう」と感覚的に納得していただけます。   

 これは1つの技術です。「自分に気持ちがあれば、思いは伝わる」というのは、家族や友人には通用するかもしれませんが、会ったこともない、大勢の人に事情を説明する場合には困難です。   

 しかし一般的には、情報を収集、整理することには時間をかけますが、それを伝える技術はおろそかにされがちです。口頭であれ、作成資料であれ、情報の伝達もひとつの技術であることをしっかりと認識し、技術を磨き、人を育てることが大切です。   

 なぜならば、「食の安全」と「食の安心」はイコールではありません。「自動車は工場にある間は「製品」。店頭に並んだ時に時「商品」になる」、これも自動車メーカーの方に教えていただいた言葉です。「安全な食品」が、「安全を納得させる」というステップを経て、消費者がそれを手にした時、はじめて「安全な食品」が「安心な食品」に変わるのです。「安全」と「安心」を結ぶ技術こそが、情報伝達の技術なのです。  


あきおか えいこ

プロフィール

  一橋大学社会学部卒業
 (株)日本長期信用銀行、(株)長銀総合研究所を経て、98年に個人事務所E&Cブリッジズ設立  
 経済エッセイスト、経済キャスターとして、ラジオ、TV、講演など多方面で活躍中  
 ほかに 農林水産省 食料・農業・農村政策審議会専門委員
     独立行政法人 家畜改良センター監事


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