◎専門調査レポート


「農場から食卓まで」の安全で安心できる
豚肉供給システム構築の意義と課題
−南州農場グループの取り組みから−

東北大学大学院農学研究科
助教授 伊藤 房雄

1.はじめに

 「モノづくり」に携わる人にとって最も大きな喜びを感じる瞬間とは、自分の作ったモノを購入、消費してくれた人の笑顔に接したときや、感謝の言葉に触れたときではないだろうか。そこではモノを介して作り手の想いが消費者に伝わり、生産者の自信と誇りがきちんと評価されているからである。しかし、経済成長に伴う分業体制の進化は、生産者と消費者の「顔のみえる」取引を着実に希薄なものとし、作り手の想いが伝わり難い流通構造を築き上げてきた。さらに、そこに供給サイドの身勝手で自己解釈的な経済効率至上主義が加わり、いくつかの重大な社会問題が引き起こされてきた。フードチェーンについてみるならば、BSE問題の発生や食品の不正表示事件などがそれである。そしていま、それらを背景とする消費者の根強い不信感を払拭するとともに、消費者の「食」に対する信頼を回復することが喫緊の政策的課題となっている。

 一方、近年、農業生産法人の中に「と畜場」を取得する養豚経営(組織経営体)が現れてきた。いわゆる垂直的統合(バーティカル・インテグレーション)である。統合の動機については後述するとして、一企業グループによる垂直的統合の取り組みは、まさに上記の希薄化した生産者と消費者の「顔のみえる関係」を再構築しようとする一つの試みと考えられる。また周知のように、消費者の求める「安全・安心」につながる情報を提供する仕組みの一環として「特定JAS規格」の中に新たに「生産情報公表JAS規格」が制定され、豚肉については平成17年7月25日から施行されている。生産情報公表豚肉のJAS規格の仕組みは図1のとおりであるが、現時点で生産情報公表JASマークを付与して豚肉を販売できる「生産行程管理者」ないしは「小分け業者」の認定を取得している経営体はそれほど多くはない。まして単一経営体として「と畜場」を取得し、かつ、「生産行程管理者」と「小分け業者」の両方の認定を受けている養豚経営は、筆者の知る限り皆無である。このことは、「生産情報公表JAS規格」の制定からまだ時間が経過していないことも影響していると思われるが、いわゆる「農場から食卓まで」を一元的に管理する豚肉供給システムを構築することが、現実にはそれほど容易でないことを物語っていると言えよう。


図1 生産情報公表豚肉のJAS規格の仕組み


 本稿で取り上げる農事組合法人南州農場は、年間豚出荷頭数が約7万頭とわが国を代表する大規模養豚経営であり、平成16年からは豚の個体別生産履歴情報管理システムの導入に取り組んでいる。またグループ企業の協同組合南州高山ミートセンターは、平成16年にHACCP(カットライン、と畜ライン)の認証を取得し、平成17年には生産情報公表豚肉の「小分け業者」の認定を受けている。この点において南州農場グループは、個体別管理に基づく理想的な豚肉供給システムの実現に最も近づいている先進事例と考えられよう。そこで本稿では、南州農場グループの経営展開過程を概観し、その特徴を整理・検討するとともに、南州農場グループが現在取り組んでいる「農場から食卓まで」を一元的に管理する豚肉供給システムを確立する意義と課題について考えてみたい。

 なお、南州農場の史的展開過程と経営管理システムについては、本田(2005)1)や新山(1997)2)に整理されている。紙幅の制限もあり内容の重複は最小限にとどめることにした。併せてお読みいただければ幸いである。


2.南州農場グループの経営展開過程と垂直的統合の意義

 はじめに、南州農場の設立から今日に至るまでの経営展開過程を簡潔にまとめたものが図2である。南州農場理事長の本田信一さん(62歳)が兄の購入した約15ヘクタールの土地(大部分が雑木林)の活用を任され、一等航海士の職を辞して家族5人(本人、妻、子供3人)で鹿児島県佐多町に移住したのは昭和50年のことである。過疎の町で「久しぶりに赤ちゃんの泣き声を聞いた」と地元の人々から大歓迎され、養豚を始めるに当たっても地元の人々から数多くの有形無形の支援を受けたそうである。このときの地元社会に対する感謝の念が本田さんの心に深く刻み込まれ、それは今日なお南州農場の経営理念である「食糧生産のみならず農業のもつ多面的機能が充分発揮されるよう、地域社会と共に考え、共に歩み、生産・加工から販売までの一貫生産により、安全と安心をお客様に届ける」という文言の中にも見出すことができる。


出所:日本農業法人協会(2002) P.78の図3に今回のインタビュー調査結果を加筆・修正した。
図2 南州農場のヒストリー


 さて、事前に3カ月の養豚研修を受けたとはいえ、地元に養豚経験者は誰一人おらず、本田さんは入植後、「必死に勉強」するとともに「とりあえず教科書どおり」に養豚経営を開始する。そこでは一等航海士時代に身につけた戦略的思考と計数管理能力の高さが功を奏し、農場設立後の数年間は「計画以上に儲かって」仕様がなく、その利益と農業近代化資金、過疎化資金を活用して規模拡大を図っていった。しかし、昭和55年前半に豚肉需給がダブつき、豚価が暴落する。このとき本田さんは「今後は付加価値をつけて製品を販売する必要がある」ことを痛感し、直ちに食肉加工場の建設と独自の販路開拓に着手する。ただし、そこでは大手食肉メーカーとの価格競争に太刀打ちできないことから、南州農場は差別化戦略として「手づくり、無添加」の製品開発に挑み、九州地域の生協との取引が始まった。

 その後、このような事業の多角化と雇用の場の創出に対する地元の評価が高まったのであろう、昭和63年には負債整理農場の救済を要請され肉用牛経営に進出するとともに、畜産基地建設事業を活用し、近隣の根占町や田代町に次々と農場を設立していった。そして平成5年、やはり採算性の改善に苦しんでいた高山ミートセンターを譲り受け、いよいよ食肉カット事業までも手掛けることになる。これにより肉豚の生産、と畜解体処理、加工、食肉および食肉加工品の販売(卸売)といった一貫体制が確立したわけであるが、南州農場の挑戦はこれで終わらなかった。取得した高山ミートセンターの老朽化が著しく、単なる改築だけではO-157事件に端を発した「と畜場法」の改正やHACCPの導入に対処できなかったからである。そこで平成12年に協同組合南州高山ミートセンターを設立し、ドイツ、デンマーク、フィンランドの最新設備を導入した新「と畜場」建設に取りかかる。新「と畜場」が竣工を迎えたのは平成14年4月のことであるが、この間にBSE問題や食肉偽装表示事件が発生し、南州農場グループでもトレーサビリティシステム導入の気運が高まっていった。その後の展開については前節で述べたとおりである。そして現在、南州農場グループは、図3の組織体制の下で、豚の個体別管理に基づく「農場から食卓まで」の安全・安心システムの確立に取り組んでいる。



出所:協同組合南州高山ミートセンターおよび南州農場の資料より作成。
注)協同組合南州高山ミートセンターのみ2005年のデータ。

図3 南州農場グループの組織構成


 ところで、川上から川下への垂直的統合を進めてきた南州農場であるが、設立当初からインテグレーションによる「農場から食卓まで」の安全・安心システムの構築を目指してきたわけではない。新山2)(1997)が指摘するように、畜産経営の垂直的統合は、(1)企業グループ全体の利潤をプールして資本の危険分散を図ることができる、(2)中間利潤の排除によるコスト低減と繁殖・肥育の一貫作業による技術的合理化という固有の効果を期待できる、(3)処理・加工過程への進出による自己製品の固有の需要を獲得して価格交渉力の強化ないしは価格設定力を獲得できる、(4)消費者の需要に直接対応できる製品づくりで顧客を獲得できればより効率的な生産が可能になる─から行われるのであり、「農場から食卓まで」の安全・安心システムの構築は、経営を取り巻く外部環境の変化に対して南州農場がリスクを恐れず「生き残りを賭けて」適応してきた結果にほかならない。言い換えるならば、「生産性の向上」と「効率性」を追求してたどり着いたのが、「個体別生産履歴情報管理システムの導入」であり、「生産情報公表豚肉の認定」なのである。

 次節以降では、南州農場の「農場から食卓まで」の安全・安心システムを支える南州高山ミートセンターと個体別生産履歴情報管理システムの現状と課題についてみていくことにしよう。


3.南州高山ミートセンターの特徴と意義

 先に述べたように、協同組合南州高山ミートセンターは平成12年12月の設立後ただちに新「と畜場」建設に取りかかる。総事業費は1,200百万円で、このうち385百万円は平成13年度食肉処理施設等再編整備事業(当機構による補助事業)による補助金である。同ミートセンターの処理能力は、と畜頭数が500頭/日、カット頭数が400頭/日で、蒸気湯引き方式を取り入れている。同方式はEUでは一般的であるものの、わが国では関東を中心に皮はぎの枝肉を好む卸売業者が多いことなどから、全国でも4カ所でしか行われていない。


出所:協同組合南州高山ミートセンター資料より引用。
図4 南州高山ミートセンターの豚と畜フロー


 図4に南州高山ミートセンターの豚と畜フローを示した。農場から出荷された豚はトラックごと車両消毒用トンネルで30秒間消毒され、係留所で2時間以上休息を与えられる。そこではミスト状の噴霧器が設置されており、豚を驚かせることなく綺麗に洗浄することができる。その後ストレスを与えないように豚をゴンドラの中に追い込み、85%の濃度で約70秒間かけてCO2ガス麻酔をする。ガス麻酔は電殺に比べてストレスが少なく、フケ肉や骨折、血斑がほとんどなく、放血作業を安全に行うことができる。


CO2ガス麻酔機


 放血された「と体」は懸垂されたまま蒸気湯引きトンネルに入り、一定温度に保たれた飽和蒸気の中を約7分間かけて移動し脱毛前処理が行われる。蒸気は純水を使用しているため温度管理が正確となり、極めて衛生的な処理が行われている。


蒸気湯引きトンネル


 次に、約60℃に保たれたトンネルの中で、特殊な回転爪を利用した脱毛が行われる。この段階で残毛率は2〜3%以下になる。その後「と体」は超音波洗浄機で洗浄・殺菌されアキレス腱掛けされるが、ここで用いられるフックが豚の個体識別番号と枝肉・部分肉をつなぐ重要な結節点の役割を果たす。すなわち、フックに内蔵されたICタグ(トランスポンダー)で個体識別番号を読み取り、それをフックのレール番号に対応するよう認識させておく。このレール番号は後行程で付与・刻印される枝(肉)番号にも対応することから、と畜段階での個体識別番号と枝番号の一致が担保されるのである。


毛抜きトンネル


 脱毛機から出てきた「と体」はドライホイップ機で乾燥磨きをかけられた後で、毛焼きされ、最終洗浄される。この時点で「と体」は無毛となるが、殺菌目的で再度焼くことにより、解体室でのハンドリングによる体付着菌の汚染拡大を最小限にすることができる。


毛焼き室


 その後の解体処理ラインでは、肛門切開、胸割、腹割のあとで枝番号が印字され、頭部の切り落とし、内臓全摘出、背割りと解体作業が続き、枝肉検査、トリミングなどを経て格付けが行われる。なお、この区画では、先のダーティゾーンの浮遊菌または落下菌などが流入しないように室内を陽圧にしているほか、除去された不可食物はエアーバキューム装置によって室外に搬出され、交差感染が起こらないように工夫が施されている。


解体処理ライン


 そして、格付けされた枝肉は、ただちに−20℃に保たれた急速冷却トンネルの中で芯温が約25℃になるよう90分かけて冷却される。これにより細菌の増殖が抑制され、ドリップの少ない良質の枝肉となる。


急速冷却トンネル


 その後、完全オートメーション化された搬入・搬出システムで冷蔵庫に運ばれた枝肉はそこで保管され、部分肉にカットされる。ここでも作業従事者の手や指からの細菌汚染の防止を徹底しているほか、冷蔵庫内の温度管理も中央監視システムのコンピュータ制御で行っており、肉質の保全に努めている。


枝冷蔵庫


 最後に、カット室・包装室の内装はすべてステンレス製で作られており、これは落下菌による汚染を防止するために有効である。また特殊フィルターにより0.5ミクロンに外気処理したクリーンな空気で室内を陽圧に保ち、さらにソックダクトにより室内温度を8℃に維持している。


カット室・包装室


 このように南州高山ミートセンターでは随所で衛生管理の徹底が図られているが、新「と畜場」建設当初からHACCPの認証取得を目指していたことを勘案するならば、それは当然の姿と言えよう。しかし、巷間(こうかん)言われているように、HACCP導入の効果は安全性確保に対する従業員の意識改革が図られてこそ初めて発揮される。この点に関して南州高山ミートセンターでは、新「と畜場」建設期間中に約一年をかけて従業員教育を行っている。専門のコンサルティング会社(福岡市)による衛生管理の初歩的研修と南州高山ミートセンター向け独自教育プログラムの研修がそれである。それぞれ月1回、半年間ごとの研修である。その結果、従業員が問題意識をもって仕事をするようになり、問題解決に向けて自主的に学習会を開催するようになったとか、南州高山ミートセンターで働くことに誇りを感じる従業員が増えたそうである。異物混入などといった製品に対するクレームが減少したことも、その成果の一つと考えられよう。ちなみに、外部コンサルティング会社による研修は現在も月2回のペースで続けられており、その費用は年間300万円程度であるという。このような従業員教育の費用対効果を数値で表現するのは難しいが、少なくとも南州高山ミートセンターでは、上記のように従業員の働く動機(モチベーション)を高め、労働生産性を向上させていることは間違いなさそうである。

 さて、このモチベーションを高めようとする従業員教育が、生産情報公表豚肉の「小分け業者」認定に際してプラスに作用したことは想像に難くない。図5に南州高山ミートセンターの生産情報公表豚肉の小分け手順と情報伝達のフローを示したが、そこでのポイントは枝肉から部分肉・精肉へと小分けされ、包装、出荷される過程において、生産情報公表豚肉の情報が間違いなく正確に伝達されることにある。その作業はルーチンワークであるだけにややもするとおざなりになりやすく、最悪の場合には情報伝達が途切れてしまうことになる。その場合には、加工ラインを止め、原因を究明し、是正措置を講じざるを得ないため、生産効率が著しく低下する。従業員のモチベーションを高める研修はその非効率の発生を回避する最良の手段であり、このようなビジネスの基盤である労働の質を高めようとする南州高山ミートセンターの先見性ある取り組みは、マネジメント戦略からみても高く評価できよう。


出所:協同組合南州高山ミートセンター資料より作成。
図5 南州高山ミートセンターの生産情報公表豚肉の小分け手順と情報伝達管理


 ところで、現在南州高山ミートセンターでは、生産行程管理者の認定を受けている別の農場から約25頭/月の生産情報公表豚を受け入れ小分け業務を行っている。しかし、それは、図5からも確認できるように豚群として生産履歴情報を管理している豚であり、南州農場が目指している個体別管理による豚ではない。次節では、なぜ南州農場が個体別管理にこだわるのか、そしてまた「生産行程管理者」の認定を受けるためにどのような課題に直面しているのか、についてみていこう。

4.南州農場の「生産行程管理者」認定への挑戦

 図1に示されるように、生産情報公表豚肉の「生産行程管理者」とは、と畜時点で当該豚肉を所有する肥育農家のことであり、(ア)子豚の生産から肥育・と畜段階までの生産行程を、責任をもって管理・把握する業務、(イ)生産情報を事実に即して公表する業務、(ウ)生産情報が記録・保管・公表され、JAS規格に適合している豚肉にJASマークを貼付する業務を行う者のことである。


JASマーク

計量ラベル

 ここで生産履歴情報の管理は個体別と30頭以内の豚群別のどちらでもよく、そこには図6に示される3つのタイプが考えられる。その中で現在南州農場が取り組んでいるのは(1)のタイプであるが、実は南州農場では平成14年からすでに20頭〜30頭といった群単位の生産履歴表示に取り組んできた経緯がある。個別単位での注射による治療の有無までは把握できないが、オールイン・オールアウト方式のため、豚舎単位、豚房単位の生産履歴情報の管理は容易である。このため、いますぐにでも豚群単位での識別による「生産行程管理者」の認定を受けようと思えば可能なのであるが、それでは「本来のトレーサビリティにはならない」ということで、あくまでも個体別生産履歴情報管理にこだわっている。


注:(財)食品産業センター『生産情報公表豚肉のJAS規格ガイドブック』p.11より引用。
図6 生産情報公表豚肉のJAS規格における識別管理について


 そのような経緯を踏まえ、南州農場と南州高山ミートセンターは、平成16年6月から大日本印刷株式会社と共同で豚の個体別生産履歴情報管理システムの開発に取り組み、これまで数多くの実証実験を行ってきた。幸いにも同事業は全国でも初めてのパイロット事業として認知され、平成17年度ユビキタス食の安全・安心システムモデル地区整備事業(農林水産省)に採択された。総事業費4,095万円の内訳は、生産段階支援事業が3,580万円、加工・流通・販売段階支援事業が515万円で、このうち両段階を併せて1,961万円が国庫補助である。ただし、平成14年からの群単位での生産履歴表示の取り組みから考えると、このトレーサビリティシステムに費やしてきた投資額は約6,000万円に達するという。

 さて、現在取り組んでいる個体別生産履歴情報管理システムの概要は、次の通りである。はじめに、生産農場段階では出生後直ちにICタグ(周波数:135KHz帯)を挟み込んだ耳標(オールフレックス製)を装着する。ICタグは15桁の固有の識別番号を有しているため、その後の給与飼料や治療履歴といった飼養管理情報はICリーダーを介して大日本印刷のサーバーに蓄積される。そして出荷時に、ICリーダー付パソコンから個体識別番号ごとに投薬履歴などの出荷制限の確認を行い、制限をクリアした豚のみを出荷する。


耳標(左)と内部に挟み込まれるIC アイシー タグ(右)


 次に、「と畜場」ではICタグを挟み込んだ耳標を装着したまま「と畜」を行う。そして、先述したようにフックに内蔵されたトランスポンダーを介して、大日本印刷のサーバー内で個体識別番号と枝番号を関連づける。その後の加工場での枝番号と製造ロットとの関連づけ・照合も大日本印刷のサーバーを介して行われ、その詳細は前節でみた通りである。

 なお、同システムで伝達する生産履歴情報は、生産段階では(1)生産農場、(2)生年月日、(3)治療履歴、(4)給与飼料、(5)管理内容など、加工段階では(1)と畜場、(2)と畜年月日、(3)出荷年月日などである。


耳標(ICタグ)をつけて個体管理される子豚


 以上のように、南州農場の個体別生産履歴情報管理システムは形式上完全に整っている。しかし、肝心の出生直後に装着された耳標(ICタグ)の脱落が、システムを実際に運用していく上で大きな問題として立ちはだかっている。出生直後の豚耳には軟骨がなく子豚の運動量も旺盛なことが脱落の主たる要因である。脱落率は豚群によっても異なり、25%〜75%まで変動するという。この問題を解消するために、豚耳に軟骨ができ始める生後23日の離乳時に耳標(ICタグ)を装着することが望ましいことはわかったが、今度は生後から離乳時までの個体別生産履歴情報を把握できないという問題が新たに生じることから、根本的な解決策はいまだに確立できていない状況にある。

 また耳標の装着方法にも課題が残されている。耳標はICタグを挟み込むよう♂型部分と♀型部分から構成されているが、♂型を耳の外から内側に向けて装着するのか、逆に内側から外に向けて装着するのかという問題である。特殊な回転爪を用いた「と畜場」の脱毛行程を考えた場合には、前者の装着方法の方が、耳標(ICタグ)の脱落する危険は少ないが、これまでの実験では後者の装着方法の方が脱落率は低い結果となっている。

 さらに、耳標の装着といったハード面の課題のほかに、従業員がICリーダーをきちんと使いこなしてデータを大日本印刷のサーバーに送信できるのか、といったソフト面の課題も残されている。

 このように南州農場の個体別生産履歴情報管理システムには生産段階で多くの課題が残されているが、生産農場の担当者はこれらの問題をさほど悲観もせず、むしろ期待感をもってその解決策を編み出そうとしているようにうかがわれた。それは恐らく同システムの確立が、南州農場グループのさらなる発展に向けた起爆剤となることを予感しているからなのかもしれない。そこで最後に、「農場から食卓まで」を標榜する個体別生産履歴情報管理システムを確立する意義と課題について考察することにしよう。

5.おわりに

 これまでみてきたように、個体別生産履歴情報管理システムの導入は南州農場グループが生産性の向上と効率性を追求してきた結果にほかならない。HACCPを導入し、生産情報公表豚肉(小分け業者)の認証を受けたとはいえ、それだけでは決して製品の価格差別化は図れない。よくみられるように豚肉の世界での差別化商品は、品種改良によるブランド豚(銘柄豚)であり、特色ある飼料給与や特別な飼育方法による「こだわり」商品である。その意味で安全・安心は、現時点では価格差別化の要因として作用していないようにも見受けられる。

 しかし、冒頭でも述べたように、農畜産物に対する消費者の志向は明らかに安全で安心できる「顔のみえる」商品へと変化してきているのであり、それはこれまでめったに現地を訪れることのなかった卸売業者や量販店のバイヤーが、最近は「顔のみえる」商品づくりに取り組む生産者のもとへ足しげく通っていることからもうかがい知れよう。すなわち、今日の生産者にとっての安全・安心は、消費者への訴求要素であるのみならず、卸売業者や量販店のバイヤーと信頼関係を築く重要な要素となっているのである。

 ここで翻って南州農場の品種別飼養頭数の構成を想い起こしてみると、年間豚出荷頭数約7万頭のうち鹿児島黒豚の占める割合は1割にも満たず、大部分はノンブランドの一般豚(白豚)である。このため経営者の視点からみた場合には、大部分を占める白豚をいかに安定した価格で長期的に販売し続けられるのか、ということが重要な経営戦略となってくるのであり、そこではまさに卸売業者や量販店のバイヤーと信頼関係を築いていく上で、先行事例と同様の豚群識別による生産情報公表JAS豚肉をセールスポイントとするのではなく、他の追随を許さないほど技術的・経営的に優位な個体別生産履歴情報管理システムを確立することが重要かつ不可欠な戦術となってくるのである。南州農場グループが個体別生産履歴情報管理システムにこだわる真の理由はこの点にあるのではあるまいか。

 仮にそうであるとしても、HACCPの導入や個体別生産履歴情報管理システムの確立に要した費用を豚肉の販売価格に転嫁できないという問題がある。販売価格に転嫁できない以上、その費用は規模の経済性(規模拡大)や範囲の経済性(事業多角化)を発揮させるとともに、労働の質を高めることによって生産性を向上させ組織内部で吸収していかざるを得ないのであるが、それは南州農場グループがこれまで辿ってきた道程そのものであり、ある意味で解決ノウハウを心得た問題と思われる。

 このように考えてくると、現在南州農場グループが取り組んでいる「農場から食卓まで」を一元的に管理する豚肉供給システムの構築は、従前の事業の延長線上に位置づけられるとともに、今後のさらなる経営発展にとって必要不可欠な事業であると理解できよう。それはまた、銘柄豚といった商品ブランド開発を目指すのではなく、安全・安心を担保する豚肉供給システムの確立を通して卸売業者や量販店バイヤーとの信頼関係を強固なものとし、「南州農場の豚肉なら大丈夫、心配ない!」と言われるような企業ブランドを構築していく姿でもある。折しも南州農場グループでは本田理事長が60歳を超え、そろそろ経営継承を射程に入れた将来像を描かなければならない時期に差し掛かっている。そうであるからこそなおさら、南州農場グループの事業全体の基盤となる個体別生産履歴情報管理システムの早期確立を期待したい。


引用および参考文献

1)本田信一(2005)「一等航海士から養豚業へ新規参入」『農業構造改善』第43巻第4号,pp.4-13.

2)新山陽子(1997)「事業の多角化と経営管理システム−南州農場−」『畜産の企業形態と経営管理』日本経済評論社,pp.233-245.

3)日本農業法人協会(2002)『21世紀農業の扉を開く15人に聞く〈2000年度・2001年度農業法人インタビュー調査〉総括編』,pp.76-79.


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