◎調査・報告


チーズの新しい保健機能

雪印乳業葛Z術研究所
川上 浩


1.フレンチパラドックスとチーズ

 フレンチパラドックスという言葉がよく知られているが、これは「フランスで飽和型脂肪の摂取が多いにもかかわらず、循環器系疾患による死亡率が低い」という疫学的な事実を語ったものである。1819年にアイルランドの医師サムエル・ブラック先生が初めて提唱したもので、現在でもこのパラドックスは語り継がれている。2002年の国際食糧農業機関(FAO)のデータによると、フランス人の脂肪摂取量は1日当たり171グラムでアメリカ人(同157グラム)よりも多く、特に動物性脂肪はフランス人の同108グラムに対し、アメリカ人が同72グラムであり、フランス人は50%も多く摂取している。しかしながら、フランス人の循環器系疾患による死亡率は、人口10万人当たり83人と、アメリカ人の3分の1ほどであり、現代でもフレンチパラドックスは数字に現れている。フレンチパラドックスの根拠として、フランス人がよく飲む赤ワインが注目され、そこに含まれる抗酸化成分ポリフェノールが、循環器系疾患の予防に寄与しているのではないかといわれてきた。そこで私たちは、ワインとともによく食されるチーズの消費量を基に、図1のようなグラフを描いてみた。すると驚いたことに、ワインの場合と全く同じよ? 、に、チーズの消費が多い国ほど循環器系疾患による死亡率が低く、両者に逆相関性があることを見いだした。


2.メタボリックシンドローム

 心筋梗塞(こうそく)や脳卒中などの循環器系疾患の予防は、わが国における最も重要な生活習慣病対策の一つであるが、昨今この関連では「メタボリックシンドローム」という言葉をよく耳にする。これは従来、内臓脂肪症候群、インスリン抵抗性症候群、シンドロームX、死の四重奏など、さまざまな名前で呼ばれていたが、これらを統一してメタボリックシンドロームと呼ぶようになった。食事や運動などの生活習慣の偏りが、内臓脂肪の蓄積をもたらし、高血糖、高脂血、高血圧という身体状態を引き起こす。この状態が長引くと徐々に動脈硬化が起こり、最終的には循環器系疾患を発症してしまう。また、内臓脂肪が蓄積すると、アディポサイトカインという体内成分の分泌に異常が起こる。アディポサイトカインには善玉と悪玉があり、善玉アディポサイトカインであるアディポネクチンの血中濃度が低下すると、高血糖、高脂血、高血圧という身体状態を引き起こすだけではなく、動脈硬化が発症しやすくなるといわれている。一方、プラスミノーゲンアクチベーターインヒビター1(PAI-1)という悪玉アディポサイトカインは血液を固める作用をもつことから、血中濃度が高まると血栓症などになりやすくな るといわれている。従って、これからますます進行する高齢化社会の中で、動脈硬化に行き着く前のメタボリックシンドロームの段階で、いかに循環器系疾患への移行を医薬品ではなく食を中心とする生活習慣で食い止められるかということが、人々の健康を維持する上で大変重要になってくる。

 このメタボリックシンドロームに関連する日本国内の動きについては、2005年4月に国内8学会が合同でその診断基準を発表した。診断の必須項目は内臓脂肪の蓄積だが、中性脂肪、空腹時血糖、血圧の中で、基準値を超えるものが2つ以上あるとメタボリックシンドロームであると診断される。この場合の心疾患発症リスクは通常の10倍となり、3項目該当すると30倍に跳ね上がるともいわれている。2006年5月に厚生労働省が発表した国民健康・栄養調査結果では、40歳以上の男性の2人に1人、女性の5人に1人がメタボリックシンドロームあるいはその予備軍であるとの報告があった。さらに2008年4月からは、40歳以上が受診する健康診断において、メタボリックシンドロームの検診が義務化されることも発表された。従って、これからの高齢化社会においては、メタボリックシンドロームをいかに予防するかということが、大変重要な課題になると考えられる。

図1 ワイン・チーズ摂取量と循環器系疾患死亡率


3.乳製品と循環器系疾患

 そこで、乳製品摂取と循環器系疾患の関係について、世界的に行われている数々の疫学研究の一端を紹介する。牛乳や乳製品は一般的に循環器系疾患を考えると避けられる傾向があるが、その理由は飽和型脂肪やコレステロールを含むということが理由であった。しかしながら、BMI値が25以上で肥満と診断された3千人以上の人たちを、10年間に渡り追跡した疫学研究によると、乳製品の摂取量が少ない人の方が、メタボリックシンドロームの発症リスクが高いことが判明した(図2)。この研究では、食物繊維の摂取量が多いグループと少ないグループに分けて解析されているが、食物繊維の摂取量が多いヒトの中で、乳製品を多く摂取しているヒトの発症リスクを1とした場合、乳製品摂取の少ないヒトのリスクは3.3倍になり、さらに食物繊維の摂取量が少なく、乳製品摂取も少ない場合は6.3倍に跳ね上がることが分かった。このように、循環器系疾患を意識して従来は避けられていた乳製品が、実はメタボリックシンドロームを予防できる可能性があることを示唆する多くの最新疫学研究が、2000年以降発表されるようになっている。


4.内臓脂肪の蓄積と酸化ストレス

 私たちは誰でもお腹の中、特に腸で吸収した栄養成分が肝臓に運ばれる途中の腸間膜という部分に内臓脂肪をもっており、摂取した過剰な糖質などを脂肪の形でエネルギーとして貯蔵している。一つ一つの脂肪細胞は、健常者では70〜90ミクロンの大きさであるが、肥満が進行すると脂肪細胞の中に脂肪がたまり、大きさが120〜130ミクロンくらいになってしまう。最近の研究では、この内臓脂肪に酸化ストレスがかかると、脂肪細胞が分泌するアディポネクチンが低下してしまい、メタボリックシンドロームや動脈硬化につながることが明らかにされつつある。そこで、この酸化ストレスを抗酸化成分で抑えることが、メタボリックシンドロームの予防に有効ではないかと期待されている。特に、腸から栄養が吸収されて肝臓に行く途中に存在する内臓脂肪の酸化ストレスを予防するには、食品として摂取する成分が有効に働く可能性がある。

 

図2 乳製品摂取量とメタボリックシンドローム発症リスク



5.チーズの抗酸化作用

 私たちはこうした最新の研究成果を基に、現在、国を挙げて推進している「食育」活動に、保健機能に優れたチーズの消費拡大を通して社会に貢献したいと考えている。特に、チーズは長い歴史と食文化に裏打ちされた食品であることから、人々の健康維持・増進に何らかの必然性をもっている可能性が高い。すなわち、熟成や発酵という加工技術によって新たに生まれたペプチドや、そのほかさまざまな代謝産物、乳酸菌などが、メタボリックシンドロームや生活習慣病を予防できるのではないかと期待している。

 そこで私たちは、特にチーズの抗酸化作用に注目した。一般に、抗酸化成分として知られているものには、お茶、野菜などの植物由来の成分が多いが、私たちは九州東海大学の井越敬司教授と共同で、20種類ほどのさまざまなチーズの抗酸化活性について調べた。図3にその代表例を示す。未熟成の牛乳たんぱく質にはほとんど抗酸化活性はないが、熟成させたゴーダチーズ、パルメザンチーズ、カマンベールチーズ、ブルーチーズなどには、すべて抗酸化活性があることが明らかになった。特に、フランスでよく食されるカビ系チーズの抗酸化活性が高いことから、フレンチパラドックスとの関係がこのデータからも示唆される。

 

図3 チーズの抗酸化活性


 そこで、その抗酸化活性の本体を探索したところ、さまざまな抗酸化ペプチドが熟成チーズに含まれることが明らかになった。またこれらは、消化酵素によりさらに小さなペプチドに分解されるが、その分解物にも抗酸化活性があることも明らかにした。こうしたチーズ由来の抗酸化ペプチドの中には、すでに抗酸化成分として知られているお茶のカテキンとほぼ同等、さらには抗酸化ペプチドとして市販されているカルノシンよりも、活性が2倍ほど高いものも含まれることが確かめられた(図4)。

 

図4 抗酸化活性の比較


 

6.チーズ摂取による内臓脂肪蓄積抑制

 次に、このチーズ由来の抗酸化ペプチドが、実際に内臓脂肪によるアディポネクチンの産生に、どのような影響を及ぼすのかについて、ラットの初代内臓脂肪細胞による in vitroの細胞培養実験で調べた。その結果、培養液中にチーズペプチドを添加すると、内臓脂肪によるアディポネクチンの分泌量が有意に高まることが明らかになった。

 そこで、実際にチーズを食べたらどうなるのか、ラットによる動物実験で調べてみた。この際にラットに食べさせたチーズは、弊社が独自に開発した「芳醇ゴーダチーズ」である。「芳醇ゴーダチーズ」は、たんぱく質分解活性の高いヘルベチカス乳酸菌(Lactobacillus helveticus)をスターターの一部に用いたものである。ここでは、健康なラットに通常の20%ほど高カロリーのえさを食べさせた実験例について紹介する。まず、チーズを含むえさと含まないえさを同じカロリー量で調製し、それぞれのえさを食べさせた際の血清コレステロール値の変化を8週間にわたり調べた。その結果、チーズを食べているラットのほうが、統計学的有意に血清中の中性脂肪やコレステロールの値が低くなることが明らかになった。

 次に、実験食を投与し始めてから8週後に採取した血清を用いてリポたんぱく質の分析を行った。カイロミクロン、超低比重リポたんぱく(VLDL)、低比重リポたんぱく(LDL)、および高比重リポたんぱく(HDL)の中に含まれるコレステロールの濃度を調べたところ、VLDLのコレステロール濃度がチーズ摂取群で統計的有意に低い結果となった。VLDLは肝臓から合成されるトリグリセリドに富むリポたんぱく質であり、高脂肪負荷などにより上昇することが知られている。また、悪玉コレステロールであるLDLの前駆体でもある。今回の実験で、チーズ摂取により体内でのVLDL合成が抑制されていることが示唆された。さらに、リポたんぱく質を粒子の大きさで分画したサブクラスの解析を行った。すでに学術論文で公開されている疫学調査において、粒子径の大きいVLDLの量が多く、さらに粒子径の小さいHDLの量が多い状態になると、冠状動脈疾患の進行リスクが15倍になることが報告されている。私たちの研究結果 では、粒子径の大きいVLDL量および粒子径の小さいHDLの量ともに、チーズ摂取群で減少しており、チーズ摂取により冠状動脈疾患のリスクが抑えられる可能性が示唆された。

 また、血液中のアディポネクチンの量については、飼育8週間目にチーズを食べていないラットのアディポネクチン量が有意に減少してしまったのに対し、チーズ摂取群ではアディポネクチンの量を一定に維持することができた。さらに、チーズを食べていないラットの内臓脂肪量に比べ、チーズを摂取したラットでは内臓脂肪の量が、飼育8週間後に有意に低下していることがわかった(図5)。以上のデータから、日常的に起こり得る範囲の20%高カロリー食を摂取した場合、チーズを食べることで内臓脂肪の蓄積が低減できるとともに、コレステロールやアディポネクチンなどの血中濃度をより好ましい状態に保つことができ、メタボリックシンドロームの予防に効果的である可能性が示唆された。

 

図5 チーズ摂取による内臓脂肪蓄積の抑制


7.チーズに期待されるその他の保健機能

 以上の研究結果のほかにチーズに期待される保健機能について紹介する。

(1)アルコール性肝障害抑制作用
 チーズはワインなどのアルコール類とともに食されることが多い食品であることから、アルコール摂取時の肝障害を予防できるかどうかを調べた動物実験結果が報告されている。アルコールを摂取させたマウスに、熟成期間の異なるゴーダタイプチーズ(未熟成、熟成5カ月、および熟成8カ月)を1週間投与した結果、未熟成チーズでは肝障害マーカーが上昇したのに対し、熟成5カ月および8カ月のチーズを投与したマウスの肝障害マーカーの値は、いずれもアルコールを投与していない正常なマウスと同等の低値を維持した。したがって、アルコールによって引き起こされる肝障害が、熟成チーズを摂取することによって予防できる可能性が示唆されている。

(2)血糖値上昇抑制作用
 食パンやカレーライスを食べる際にチーズを取り入れると、食後血糖値の上昇を抑えることができることが報告されている。元来、チーズは糖質の含有量が少ない食品であり、最近では糖尿病食の食材としてよく利用されているが、糖質含量が低いというだけではなく、ともに摂取する糖質源の吸収を遅らせることで、グリセミック・インデックス(GI)値の上昇を抑えるともいわれている。

(3)虫歯予防作用
 日本ではあまり知られていないが、北欧で古くから盛んに研究されているのがチーズの虫歯予防作用である。そのメカニズムに関しては、酸によるエナメル質浸食の抑制、う蝕性細菌の増殖抑制および付着阻止、唾液分泌の促進、再石灰化の促進などが報告されている。


8.最後に

 チーズの保健機能は、プロバイオティクス乳酸菌を応用した発酵乳などに比べると、まだまだ未解明の部分が多いと思われる。私たちは乳業メーカーとして、チーズの新しい保健機能の解明を推進しているが、その中でチーズの摂取が内臓脂肪の蓄積を抑制することによって、メタボリックシンドロームの予防効果をもたらす可能性があることなどを明らかにしてきた。これからも、健康機能に優れたチーズを提供することで、豊かな食生活と健康づくりに貢献していきたい。


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