海外駐在員レポート  
 

米国における酪農政策の今後の展開方向
〜乳価下落時におけるセーフティネットの効果〜

ワシントン駐在員事務所  上田 泰史、中野 貴史


  

1 はじめに

 米国の酪農乳業界においてここ数年「volatility」という言葉を良く耳にする。直訳すると「不安定さ」という意味になるが、これは生産者乳価が乱高下している現象を指しており、乳価が生産者団体と乳業メーカーとの交渉で原則1年間固定される我が国においては、まず聞かれない言葉であろう。

 米国では、生産者乳価(乳業者が支払う乳価)は、乳製品価格からその製造経費などを考慮して機械的に算定される政府公表価格をベースに毎月決定される。輸出依存度を高めている米国乳製品の価格は海外の乳製品価格の影響を受けるため、米国の乳価形成は、変動しやすい乳製品の国際相場が生産者乳価に迅速に反映される仕組みになっていると言える。

 このような変動しやすい性質を持つ生産者乳価に対して、米国政府は酪農経営安定対策の1つとして生乳所得損失補償契約事業(MILC :Milk Income Loss Contract Program Payments)を措置している。MILCは2008年農業法策定の際に、飼料価格が高騰している状況などを踏まえて内容が改正されたところであるが、2008年の世界金融危機などの影響で乳製品価格が下落した際に、改正後初めて発動することとなった。そこで、本稿では、酪農経営が苦境に立たされた時、MILCがセーフティネットとしてどのような効果を発揮したのかを分析するとともに、現在米国農務省(USDA)により行われている2012年農業法に向けた酪農政策の見直しに係る検討について、その議論の内容および方向性について報告したい。

2 米国の酪農政策の概要

(1)米国酪農の基本制度

 米国の酪農政策の両輪として、生乳の販売用途ごとに乳業者の最低支払乳価を毎月定め、乳代を地域全体でプールして支払う連邦生乳マーケティング・オーダー制度(FMMO: Federal Milk Marketing Order)と、主要乳製品を政府が買い入れることにより間接的に加工原料乳価格の下支えを行う乳製品価格支持制度(DPPSP: Dairy Product Price Support Program)がある。以下にそれら制度の概要を説明する。

ア 連邦生乳マーケティング・オーダー(FMMO)制度

 FMMO制度は1937年農産物販売協定法により規定され、全米で10カ所ある生乳マーケティング・オーダー地域内で取り引きされる生乳について、用途別の最低取引乳価が設定されるとともに、乳業者に対して、生産者へのプール乳価(用途別乳価を加重平均した乳価)での支払いを義務付けているものである。FMMOの生乳用途区分は、クラスⅠ(飲用向け)、クラスⅡ(アイスクリーム・ヨーグルト向け)、クラスⅢ(チーズ・ホエイ向け)、クラスⅣ(脱脂粉乳・バター向け)の4つから成る。それぞれの最低取引乳価は、直近の乳製品価格から製造経費などを考慮した一定の計算式により機械的に毎月算定される。この政府公表価格を念頭に、乳業者の支払い乳価は種々のプレミアムや取引条件も織り込んだ上乗せ価格(オーバー・オーダー・プレミアム)が乳業者と出荷者(酪農家または酪農協)の交渉により決定される。図1に用途別の乳価算定に用いる乳製品を示すが、用途別最低取引乳価は、USDAが調査するバター(グレードAA)、チェダーチーズ、脱脂粉乳、ホエイの取引価格から乳業メーカーの製造経費見合額を差し引くなどして求められた乳脂肪、無脂固形分などの価値を用いて算定される。算定に当たって実際の乳製品卸売価格を用いることは、我が国と比べ、より市場指向型の乳価形成を実現していると言えるが、一方で、生産者乳価が国際乳製品相場と連動し不安定性を増す原因となっている。

図1 用途別最低取引乳価算定に用いられる乳製品
図2 生乳マーケティング・オーダー地域(10地域)
資料:USDA / AMS

イ 加工原料乳価格支持制度(乳製品価格支持制度DPPSP)

 加工原料乳価格支持制度は1949年農業法を根拠法に措置され、政府(商品金融公社:CCC)が脱脂粉乳、バターおよびチェダーチーズを加工原料乳の支持価格に見合った価格で買い入れることによって、加工原料乳価格を間接的に支持するものであり、これによって、同価格は一定の価格水準を維持している。同制度は2008年農業法において加工原料乳の支持価格(100ポンド当たり9.90ドル(キログラム当たり約20円:1ドル=92円))を廃止して主要乳製品の支持価格を法律で直接定める制度に変更され、名称も「乳製品価格支持制度」に改められたところである。同制度において、CCCは、一定の品質基準を満たす乳製品について、事業者からの売り渡しの申し込みに応じなければならず、また、買入上限数量も定められていないため、需給の緩和時には多くの乳製品が政府在庫として積み上がり、結果として政府は補助金付き輸出や海外支援などの形でこれらの乳製品を放出してきた。こうした課題を解消するため徐々に支持価格を引き下げた結果、現在の同価格は生産コストを大きく下回る水準まで下がり、加工原料乳価を下支えしているとは言えない状況となっている。図3で支持価格と加工原料乳価格の推移を示すが、政府が支持価格を引き下げるにつれ市場指向が強まった結果、加工原料乳価格の不安定性が増加する状況が見てとれる。特に、乳製品の国際価格が上昇した2007年以降は、価格競争力を獲得した米国産乳製品の輸出が増加することにより、加工原料乳価格も上昇傾向で推移し2007年末にピークを迎えたが、その後は国際相場の暴落とともに一気に乳価が落ち込むこととなった。2004〜2006年のピーク価格と最低価格の差は100ポンド当たり8.2ドル(キログラム当たり約17円)であったが、2007〜2009年においてはその差が同10.6ドル(同約21円)と拡大している。また、2004〜2006年においては、ピーク価格から最低価格に落ち込むまでに27カ月を要したが、2007〜2009年においては19カ月と短縮している。これらの事実から、乳価の乱高下の状況が悪化していることが分かる。

図3 加工原料乳支持価格と加工原料乳価格の推移
資料:USDA/AMS
注:2008年農業法により加工原料乳の指示価格は廃止されたが、それ以降の乳製品の買入価格が変わっていないため、従来の加工原料乳価格を仮置きしている。

(2)酪農経営安定対策(リスク管理対策)

 加工原料乳支持価格の低下につれ不安定性が増している酪農経営に対する主要な経営安定対策(リスク管理対策)として、飲用向け生乳価格が目標価格を下回った場合にその差額の一定割合を政府が補てんする生乳所得損失補償契約事業(MILC)および先物市場を活用してリスクヘッジを図る酪農経営所得保険(LGM)が措置されている。以下にその対策の概要を説明する。

ア 生乳所得損失補償契約事業(MILC)

MILCの歴史

 MILCは、小規模酪農経営が多い北東部6州(メーン州、バーモント州、ニューハンプシャー州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州)において1997年農業法で特例的に認められた乳業者負担の飲用乳価不足払い(北東部酪農協定)が2001年9月末で失効したことを契機に、2002年農業法で全国の全生乳への直接支払いに変更された比較的新しい事業である。事業の仕組みは、一定の目標価格を設定し、ボストン地域のクラスⅠ(飲用向け)乳価がこれを下回った際に、政府と契約を結んだ酪農家に対して生乳の出荷量に応じた直接支払いが交付されるというものである。FMMO制度を通じて飲用向け乳価が毎月の乳製品価格に連動して変動する米国において有効な制度と言えるであろう。直接支払いの単価は、毎月のクラスⅠ乳価と目標価格(100ポンド当たり16.94ドル(キログラム当たり約34円))の差額に34%(2005年9月以前は45%)の補助率を乗じた水準であった。1戸当たりの交付上限乳量が240万ポンド(1,089トン)に設定されているため、大規模経営にとっては、不十分な対策となっている。

2008年農業法における変更点

 2008年農業法の成立により、MILCは現行制度の2012年までの延長が承認され、その内容も一部改正された。主な変更点は以下の3点である。

① 補助率の引き上げ

 2008年10月1日から2012年8月31日の間に限り、補助率を2002年農業法創設当時の45%(北東部オーダー内のクラスⅠ仕向け割合)に引き上げられることになった。なお、2012年9月1日以降は、34%の補助率が適用される。

② 交付対象上限数量の引き上げ

 2008年10月1日から2012年8月31日の間に限り、交付対象上限乳量を298万5千ポンド(1,354トン)に引き上げられることになった。これは、2009年の全米1頭当たり乳量を前提にすると、搾乳牛117頭から145頭相当への引き上げとなる。なお、2012年9月1日からは再び240万ポンドの上限数量が適用される。

③ 乳牛用飼料価格上昇に連動する目標価格の設定

 これまで固定されていた目標価格について、乳牛用飼料価格(トウモロコシ、大豆、アルファアルファ乾草)の上昇程度に応じて上方修正されることとなった。具体的には、飼料原料購入価格から試算されるタンパク含量16%乳牛用飼料価格が100ポンド当たり7.35ドル(キログラム当たり約15円)を上回った場合、目標価格は該当超過率の45%相当額分が引き上げられる。この調整は2008年1月1日にさかのぼって適用され、2012年8月31日までは乳牛用飼料基準価格は100ポンド当たり7.35ドルに設定されるが、2012年9月以降はこの基準が同9.50ドル(キログラム当たり約19円)に引き上げられることとなっている。

図4 MILCの仕組み
表1 具体的な計算例

発動実績

 MILCの発動実績を見ると、2002年の制度発足以降総額約35億ドル(約3220億円)が交付されており、その大半は最初の2年間に集中している。2005年度以降はほとんど発動がなかったが、2009年度に世界金融危機などの影響で米国の乳製品価格が下落したため約2年ぶりに発動されたところである(図5)。

図5 MILC交付実績(会計年度(10月/9月))
資料:「Dairy Policy Issues for the 2012 Farm Bill」University of Missouri & The university of Wisconsin
注:2010年については3月末時点の数値

 次に、MILCの交付単価を見ると(図6)、制度開始から21カ月間連続で交付されている。また、2006年度は15カ月間、2009年度は10カ月間連続で交付されているが、制度開始当時に比べ交付期間が短くなっていることが興味深い。なお、これまでの交付単価の最高は2009年3月の2ドル(約184円)である。

図6 MILC交付単価とボストンクラスⅠ乳価の推移
資料:USDA/FSA, USDA/NASS

 2008年農業法での見直しに伴い、2008年1月以降目標価格が引き上げられたのは18回あるが、そのうちMILCが実際に交付されたのは5回にとどまっている。これらはいずれも、仮に目標価格が従来の価格(100ポンド当たり16.94ドル)のままでも発動されたため、飼料価格に連動した目標価格の引き上げが要因で発動された実績はない。ただし、引き上げにより、これら5回の交付単価は100ポンド当たり平均0.36ドル(キログラム当たり約1円)増加している。また、2012年9月以降は、乳牛用飼料基準価格が100ポンド当たり9.50ドルに引き上げられることになっているが、ここ数年でこの水準を実際に上回ったのは飼料価格が最も高騰した2008年4〜9月のみである。最近の飼料価格の動向などを踏まえれば、同9.50ドルに引き上げ後は、飼料価格に連動する目標価格の引き上げは形骸化する可能性が高いものと思われる。

イ 酪農経営所得保険(LGM)

 酪農経営所得保険(LGM : Livestock Gross Margin - Dairy)は、新たなリスク管理対策としてUSDA承認の下、2008年8月に開始された事業である。この仕組みは、生産者が生乳、トウモロコシおよび大豆ミールの先物価格から試算される将来の推定所得(=乳価−飼料コスト)に対して保険を掛け、実際の所得がこの推定を下回った場合に掛け金に応じて保険金が支払われるというものである。先物市場が発達している米国ならではの制度と言える。保険は契約時から最長11カ月間(契約締結後の1カ月は保険対象外)の所得をカバーし、契約対象乳量は大規模酪農経営にも十分対応できるよう、最大2400万ポンド(1万1千トン)となっている。また、生産者は実際の飼養管理に照らし合わせて、トウモロコシおよび大豆ミールの給与量を定めることとなっており、推定価格の算定および実際の価格の確定には、CME(シカゴ・マーカンタイル取引所)におけるクラスⅢ(チーズ・ホエイ向け)、トウモロコシおよび大豆ミールの先物価格が用いられている。なお、同制度は、先物取引と異なり最低契約対象乳量が設定されていないことから、小規模酪農経営も利用が可能であることや、生産者が支払う保険金などへの政府の補助がないことも特徴である。同制度は現在、酪農経営体ベースで89%、搾乳牛飼養頭数ベースで68%をカバーしており、乳価の不安定性が増す昨今の状況にかんがみ、USDAは同保険の活用を生産者に呼びかけているところである(表2)。

表2 LGMの全米カバー率

3 生乳所得損失補償契約事業(MILC)の効果および論点

 2008年の後半に起こった世界金融危機などの影響により、好調にあった国際乳製品相場は低迷し、それまで輸出需要に支えられていた米国の乳製品価格も急速に下落した。米国の乳価形成システム上、乳製品価格の低迷は生産者乳価の下落を引き起こし、生産者は当面、経営状況の悪化に直面することとなった。ここでは、このような状況下で2008年農業法により改正されたMILCが酪農経営に対してどのような効果を発揮したのかを分析するとともに、MILCの今後の論点について整理したい。

(1)MILCの効果:2009年乳価下落時における発動

 2009年のMILC発動のケースを用いて、酪農経営にどのような効果があったのか、再生産の確保という観点から分析する。

ア 目標価格と生産コストの比較

 目標価格水準の妥当性について、生産コストとの比較の観点から見たい。2009年の目標価格は乳牛用飼料価格の動向が反映された結果、100ポンド当たり16.94〜17.98ドル(キログラム当たり約34〜36円)で推移した。この目標価格と、酪農産地である中央部のウィスコンシン(WI)州、東部のニューヨーク(NY)州、西部のカリフォルニア(CA)州の推定生産費を比較すると、目標価格は生産費を下回るが運営費は上回る水準に設定されていることが分かる。また、運営費に人件費を加えた費用を再生産可能な再生産コストと仮定すれば、目標価格と再生産コストの関係については、WI州では再生産コストを上回るが、NY州では飼料コスト調整により目標価格が上方修正された時のみ上回り、CA州においては常に下回ることが分かる。なお、CA州の飼料費が高い理由は、飼料を他州から購入する必要があることなどが考えられる(表3)。

表3 主要州の生乳推定生産費(2009年)と目標価格の比較(ドル/100ポンド)

イ 再生産の確保

 MILCの制度の項でも説明したように、MILCではその目標価格が保証されるわけではない。発足時の制度の目的が北東部の飲用向け乳価の不足払いであったため、「目標価格−クラスⅠ(ボストン)」に45%(北東部オーダー内のクラスⅠ仕向け割合)を乗じた金額が生産者に交付される。このため、州ごとのMILCカバー率を考慮した上で、2009年のMILC交付金により再生産コストを上回る収入が得られたのか、つまり再生産が可能であったのかがポイントとなる。

 表4でMILCのカバー率の考え方を示しているが、MILCの1戸当たり交付上限乳量298万5千ポンド(1354トン)を各州の1頭当たり年間乳量で除し、州ごとの1戸当たりMILC上限対象頭数を割り出す。その上限頭数を州ごとの1戸当たり頭数で除して、カバー率を算出する。CA州は1戸当たりの飼養規模が大きいため、カバー率が低いことが分かる。

表4 主要州のMILCカバー率

 次に、毎月のMILC交付金に各州のカバー率を乗じた金額を経営全体の生乳にならした交付金とし、毎月の手取乳価にこの交付金を加えた額と再生産コストを比較したものが表5である。

 過去最高の交付単価であった3月(2ドル)においても、各州とも「手取乳価+交付金」では再生産コストを賄えない状況であることが分かる。州別では、WI州においてのみ、乳価が回復してきた9月以降に、「手取乳価+交付金」で再生産コストを賄える状況となっている。NY州およびCA州においては、年間を通じて再生産コストを下回っているが、特に、CA州は大規模経営が多く経営全体の生乳生産量で交付金を平均すると少額となるため、MILCの効果はかなり低いものとなっている。

 この結果から、2008年農業法においてMILCは充実強化されたものの、2009年の乳価低迷時のケースを検証すると、酪農経営の収入の増加には寄与するが、それのみで再生産を確保することは難しいという結論が導かれる。特に、MILCには交付条件乳量が設定されていることから、CA州などの大規模酪農経営ではその傾向が顕著である。

 なお、2009年USDAは、乳価低迷時においてMILCが発動した中、8月1日から10月31日までDPPSPによる乳製品の買入価格を引き上げたほか、12月には生乳100ポンド当たり0.32ドルを支払う予算規模290百万ドル(約266億8千万円)の酪農経営損失補てん事業(DELAP)や60百万ドル(約55億2千万円)分のチーズ買い上げを新たに措置するなど、追加支援を行ったところである。

 これらの事実からも、MILCがセーフティネットとして不十分であったことが示唆されるが、USDAとしては、根雪となるようなセーフティネットは極力薄くし、必要に応じて追加対策を講じるという戦略が、市場指向の観点から好ましいということであろう。また、2002〜2009年度のMILCの年間平均交付額は約420百万ドル(約386億円)であり、米国の約10分の1の生乳生産量の我が国が加工原料乳に年間約200億円を充当していることを考慮すれば、米国の補助金水準は決して高くないことが分かる。

 また、表5では各州の表の下に毎月の生産量の前年比を示したが、WI州、NY州の小規模酪農経営は生産コストが低い上、MILC交付金が満額交付されることなどから、増産または小幅な減産にとどまっている。特に、WI州では8月までは所得がマイナスであるにもかかわらず生乳生産量が前年を上回って推移しているが、乳価低迷時においても廃用牛や堆肥など副産物販売で再生産を確保していたものと推測される。これに対し、CA州の大規模酪農経営は、乳価が低い上、生産コストは高くMILC交付金も少額なため、減産の状態が続いている。乳価下落時には乳価と生産コストの差で州ごとに生産動向の違いが顕著に表れてくるものである。MILCは小規模酪農経営に満額交付され所得に対する貢献度が高いため、セーフティネットとしては不十分かもしれないが、乳価下落時にはこれら生産者に対して一定の減産抑制効果を持つと言えるのではないか。

図7 主要州の所得の推移(2009年)
資料:USDAのデータを基にALICで試算。
表5 主要州のMILC交付金と生産コストの比較

(2)MILCの課題

 2012年農業法の議論の際に、MILC見直しについても検討が行われる可能性が高いものと推測されるが、今後の課題に関して、補助金の配分、生乳生産への影響について記述したい。

ア 補助金の配分:州間の格差

 MILCの制度発足当時から最も問題視されているのが交付対象となる1戸当たりの生乳出荷量である。交付上限出荷乳量は、1年当たり240万ポンドから同298万5千ポンドに引き上げられたものの、大規模経営が多いCA州などの不満を解消するには不十分である。USDAによると、全米生乳供給の約35%を占めるNY州、WI州などの地域にMILCの54%が支払われ、約22%を占めるCA州には12%しか支払われていない。そもそも全米の酪農経営の規模の差が大きいことも、この問題を深刻にしている要因の一つであろう。例えば全米生乳生産20州のうち、最も飼養規模が大きいニューメキシコ州(1戸当たり1,229.6頭)と最も小さいペンシルベニア州(同66.3頭)で約20倍もの差があり、北海道と都府県との差が2倍程度である我が国とでは格差のスケールが異なる。MILCの前身となる制度の目的が飲用向け割合が多い北東部6州の飲用乳価の下支えであり、財政支出の観点からも、加工向けが多い地域の事情を反映することは難しいのかもしれない。しかし、加工原料乳価格の支持価格が引き下げられ生産コストを割り込んでいる状況において、MILC目標価格が実質的には生産者の唯一の下支え価格となる中、大規模経営にとっては、生乳生産量に見合った適正な補助金の配分が求められるところであろう。

イ 生乳生産への影響:価格下落時の減産抑制効果

 MILCは、乳価下落時の所得支援を目的としており、生乳価格の低下に連動して交付金が交付されるため、需給緩和などによる生乳価格低迷時において、本来であれば再生産が確保できずに減産に向かうはずの酪農経営、とりわけMILCが満額交付される小規模酪農経営において減産インセンティブを抑制する方向に働き、生乳価格の低迷を長期化させる可能性がある。

 過去の発動事例を見ると、制度開始直後の2002年度において、交付単価が徐々に増加しながら発動期間が21カ月間に及ぶという事態が認められる。交付期間である2002年の生乳生産量が前年比2.2%増となっていることから、MILCが乳価下落時に減産インセンティブを抑制した事実は否定できない。他方、2006年度は15カ月間、2009年度は10カ月間の発動となっている(前掲図6)。発動期間の短期化の理由として、当該年度後半から乳製品相場が上昇したことが挙げられるが、そのほかの重要な要素として、2002年度当時には制度として存在していなかった NMPF(全国生乳生産者連盟)が運営するCWT(酪農協共同基金)があるのではないだろうか。

 CWTは、2003年に生乳価格が過去25年間で最低の水準を記録したことを契機に、政府の対策のみに頼るのでは危機的な状況を抜け出せないとの考えの下で、2003年7月に生乳生産者の出資により設立された基金であり、生乳出荷量100ポンド当たり10セントの生産者積立金を原資として、搾乳牛のとう汰や乳製品の輸出に対する補助金交付が行われている。2008年の世界金融危機に伴う乳価低迷時においては、同年後半から2009年にかけて4回の搾乳牛とう汰を行い、合計25万頭、50億ポンド(266万8千トン)の生乳を市場から除外し、生乳価格の上昇に貢献したところである。こうしたCWT効果もあって、2009年の生乳生産量は前年比0.4%減となった。

 MILCは酪農経営を減産抑制の方向に誘導する性質を持つが、補てん水準が不十分であったことが、結果的にCWTによるとう汰事業のような生産者自らの需給調整の取り組みを引き出したことは興味深い事実である。

図8 酪農協共同基金(CWT)による
搾乳牛とう汰頭数
資料:酪農協共同基金

4 酪農政策の今後の展開方向

 USDAは2012年農業法を見据え、酪農政策の見直しに向けて酪農諮問委員会(DIAC: Dairy Industry Advisory Committee)を2009年8月に設置し議論を開始したところである。DIACは、乱高下を繰り返す生乳価格により酪農経営が悪化している現状にかんがみ、酪農の現状および課題などを検討するとともに、生産者、乳業関係者などから意見を聴取するため、連邦諮問委員会法に基づき、生産者、乳業関係者、小売関係者、学識経験者、消費者から成る17名のメンバーで構成される。また、DIACは最終的には報告書をとりまとめ、ヴィルサック農務長官に提出することになっている。本項では、DIACの中で議論された今後の酪農政策の展開方向について報告したい。

(1)第1回委員会開催に当たってのヴィルサック農務長官のステートメント

 第1回酪農諮問委員会が2010年4月13〜15日、ワシントンD.C.で開催された。開催に当たり、ヴィルサック農務長官は、「ここ数年は乳価の乱高下が激しく、酪農経営を続けることが非常に厳しくなっている。このような中、財源をやりくりして乳製品買上価格の引き上げなどの支援措置を行ったところであるが、現在の米国の厳しい財政状況を踏まえれば、今後もそのような応急措置を継続することは困難であり、また、財源面で他の農業分野にも迷惑をかけることになるであろう。酪農業界自らが、乳価を安定させるシステムを備える必要があると考えている。今回立ち上げた酪農諮問委員会は、酪農に関連する幅広い分野からメンバーを集めており、酪農業界が抱える課題に対する共通の解決策を見い出すと期待している。」と、米国政府の財政事情の厳しさを強調するとともに、酪農業界が価格の乱高下を抑えるシステムを整備する必要性についてコメントした。

第1回酪農諮問委員会
資料:USDA / FSA

(2)関係団体からの今後の酪農政策に対する提案

 同会合ではUSDAより各種酪農対策について説明が行われた後、生産者団体および乳業団体より今後の酪農政策に関する以下の提案が行われた。

ア NMPF(全国生乳生産者連盟):全国規模の酪農生産者団体

 NMPFのコザック会長は、「これまで価格支持のために長らく戦ってきた我々の組織からすれば、大きな転換である」と前置きした上で、現行のMILCよりも収入確保の観点から効果的な対策として、新たなプログラム(酪農経営所得確保プログラム:DPIPP(Dairy Producer Income Protection Program))を提案した。これは、乳価ではなく酪農経営の所得(=乳価−飼料コスト)に着目し、交付対象乳量の上限などを設けず、所得が一定水準(100ポンド当たり3ドル(キログラム当たり約6円))を下回った場合に、補てん金が交付される仕組みとなっている。さらに、オプションとして、希望する生産者は保険料を支払って5ドルの所得まで保険を掛けることができるとされる(図9)。なお、この制度の対象となる生乳生産量は過去の生産量から算定されるほか、酪農経営者間の生産枠の移動を禁じるなど、制度実施により生乳生産が増加しないよう工夫が講じられている。

図9 酪農経営所得確保プログラム
資料:全国生乳生産者連盟(NMPF)

 また、DPPSPについては、逆に国際競争力を減じる結果となっていることから、輸出需要を拡大し乳価の早期回復を図るためには同制度を廃止すべきとの提案が出された。そのほかに、生乳の供給管理については、一定の所得を下回った場合、生産された生乳の一部に対して乳価の支払いを行わないことにより生乳生産を調整する対策などが提案された。

イ IDFA(国際乳食品協会):乳業団体

 IDFAからは、今後の酪農制度を検討するに当たって、将来の市場にどのような影響を与えるか十分に吟味する必要があり、市場への政府の関与が最低限となるよう、MILCの代わりにLGMの保険料に補助金を支出するなどリスク管理対策を強化すべきとの提案が出された。また、FMMOは、乳価形成を複雑にしており見直しが必要であること、さらに、DPPSPについては、結果的に価値の低い乳製品の生産を促進しており、LGMの強化により必要性がなくなるのではないか、などの意見が出された。

ウ MPC(生乳生産者会議):カリフォルニアの生乳生産者団体

 MPCからは、施設の近代化などにより増産が容易になったことが乳価の不安定性を増す主な理由であることから、乳価の安定を図るため、一定水準以上生産を伸ばす生産者について市場アクセス料を徴収する生乳価格安定プログラム(Dairy Price Stabilization Program)が提案された。これは、人口増加により生乳需要が年1〜2%で伸びていることを考慮し、年伸び率3%を超える生産者に対して、100ポンド当たり0.5〜1.5ドル(キログラム当たり約1〜3円)の市場アクセス料を徴収し、現状維持を希望する生産者に支払う仕組みとなっている(図10)。また、この提案は、政府の管理ではなく、生産者自らの取り組みによるものであることが強調されている。なお、市場アクセス料には、生乳生産の全量を対象とする低料金プランと、3%を超えた乳量のみを対象とする高い料金プランの2つのオプションが設けられており、生産者の負担をより少なくする工夫が準備されている。

図10 生乳価格安定プログラムのイメージ

(3)提案の背景および今後の展開

ア 価格補てんから所得補償へ

 現行政策からの劇的な変化を伴う所得補償に係るNMPFの提案は、「3 MILCの効果および論点」の項で検証したように、交付対象乳量に上限が定められているMILCでは大規模経営において再生産の確保が難しく、生産者間の不公平感が高まっていることなどを踏まえた提案であるとみられる。しかし、長い歴史を持つ価格支持政策からの転換を図るこれら提案に対して、DIACの一部メンバーからは、「乳価が重要でないと言われてもなかなか理解できない」、「生産者にとってはやはり乳価の確保は重要ではないか」など懐疑的なコメントが出されており、最終報告書にどのように盛り込まれるか注目されるところである。

イ 国内市場から海外市場へ

 NMPFおよびIDFAからDPPSPの廃止が提案されたが、これはDPPSPが生産コストを下回る支持価格である上、米国乳製品の輸出促進の制約要因となっていることなどが主な理由である。具体的には、政府が脱脂粉乳をはじめとする特定の乳製品をDPPSPにより一定の価格で買い上げることから、乳業は収入が見込めるそれら製品を優先的に製造する傾向にあり、世界的輸出品目である全粉乳が米国において製造されないなど乳製品の種類を狭める要因ともなっている。また、国際乳製品価格が国内価格を上回る時には、米国産乳製品は国際競争力を持ち輸出が促進されるが、国際および国内価格がいずれもDPPSPの支持価格を下回った場合には、米国の乳業はDPPSPを活用して政府に乳製品の買い上げを申請するため、輸出に出回る乳製品は少なくなる。このDPPSPを中心とした仕組みが、国際市場において米国が安定的なサプライヤーとして信用されない要因ともなっていることから、今回の提案は、将来的な国際乳製品需要の増大を見据え、これまで国内市場を重視してきた米国酪農乳業界が本格的に国際乳製品市場に打って出るという決意表明として受け止められるのではないか。また、国際市場との関連性を高めることは乳価の不安定性を増加させることから、NMPFは新たな所得補償対策をセットで要請しているものとも推測される。

 なお、DPPSPはWTO協定上「黄」の補助金に分類され、2007年時点では生乳価格支持として米国全体のAMS(国内助成合計量)の80%を占める50億ドル(約4600億円)が計上されている。ミズーリ州立大学などによれば、2008年農業法における乳製品の価格支持への変更により、AMSは現段階で30億ドル(約2760億円)程度に減少しているとされるが、今回の提案通りにDPPSPが廃止されれば、米国のAMSは大幅に減少することになるであろう。

図11 米国のAMSの推移
資料 USDA/ERS

ウ 自由な生産から生産管理へ

 MPCが提案した乳価安定プログラムについて、一部の酪農諮問委員会メンバーからは、「市場アクセス料は新たな税金の様なものである」、「生乳生産の柔軟性が損なわれる可能性がある」などの否定的なコメントが出された。全米生乳生産の約22%を占めるカリフォルニアの生産者からこのような生乳供給管理に係る提案が出された背景として、ウィスコンシン州が豊富な飼料基盤を有し生乳生産を伸ばす一方で、近年の飼料価格高騰および乳価低迷などによりカリフォルニアの生乳生産量が年々減少し、今後も拡大する可能性が低いなどの事実がある。一部関係者からは、「これまで規模を拡大し生産を伸ばしてきたカリフォルニアが、今後の生産拡大が難しいからと言って生産管理の対策を持ち出してもなかなか賛同は得られないだろう」との声も出ている。しかし、近年増加している乳価の不安定性を考えれば、全米規模での生産調整の仕組みが必要との認識が高まっていることは事実である。また、過去最大の財政赤字を抱える米国政府においても、財政支出を伴わない形で生産者自らが生産調整の仕組みを構築することは好ましいであろう。生乳の生産調整については、生産の拡大が続く一部の州や、柔軟な生乳生産体制を確保し輸出を促進したい乳業サイドなどの反発が予想される。

 なお、生乳生産管理については議会においても動きが見られる。5月12日、ジム・コスタ下院議員(民主、カリフォルニア州)により生乳生産管理を内容とする乳製品価格安定法案(Dairy Price Stabilization Act)が下院に提案された。この法案はMPCの提案と似通っており、生産者は生乳生産について、現状維持か拡大かを選択し、拡大する場合は飼料コストなどを考慮した市場アクセス料を支払う内容となっている。また、この法案は、ピーター・ウェルチ下院議員(民主、ヴァーモント州)、ジョー・コートニー下院議員(民主、コネチカット州)、リック・ラーセン下院議員(民主、ワシントン州)、ジョン・B・ラーソン下院議員(民主、コネチカット州)が共同提案者として名を連ねている。

5 おわりに

 本稿では米国の酪農制度について報告したが、米国の生産者乳価は我が国と異なり、乳製品価格の変動などを反映して政府が定めた手法で計算された水準をベースにしており、毎月変動しているという事実を理解して頂ければと思う。また、各種酪農政策はこの事実を前提に措置されていることから、生産者団体が需要に見合った計画的な生産に取り組み、さらに米国と比較して高い関税で国内乳製品が守られている我が国としては、米国の酪農政策をそのまま参考にすることは適当ではないだろう。しかし、飲用乳価の低下を補てんするMILCが、乳価下落時における生産者の減産インセンティブの妨げとなり乳価回復を長期化させる恐れがあることや、乳価の早期回復を図るため生産者自らがCWTにより自主的に搾乳牛のとう汰や輸出促進を実施していることなど、我が国の酪農乳業界においても参考になる点はあるのではないだろうか。

 酪農諮問委員会において各団体から説明が行われた今後の酪農政策に係る提案については、2012年農業法などの議論の過程で、議会を中心に検討が進められることが見込まれるが、最終的にどのような形で決着するのか現段階で予断することはできない。当面は酪農諮問委員会の動きを注視する必要があるが、USDA担当官に今後のスケジュールについて聴取したところ、同委員会の提言が年内にまとまれば、USDAとしての方向性を来年の早い段階に打ち出したいと考えているとのコメントが得られた。同委員会は6月3、4日の第2回会合で、リスク管理対策などが説明されたところであり、9月23、24日には3回目の会合の開催が決まっている。同委員会の報告書がどのようにまとまるのか、また、その報告書を踏まえ、2012年農業法の議論も見据えて、USDAが酪農政策についてどのような検討を行っていくのか、今後の動きに注目したい。

(参考資料)
米国議会調査局「Dairy Market and Policy Issues」2009,10,7
ウィスコンシン州立大学、ミズーリ州立大学「Dairy Policy Issues for the 2012 Farm Bill」
「畜産の情報 2008年7月号 米国の2008年農業法と酪農乳業への影響」
「Dairy Industry Advisory Committee 2010,4,13-15」提出資料 等


 
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