話題

畜産物需給予測の意義と課題

筑波大学名誉教授 永木正和


 市場を変動させている要因を特定し、供給と需要にどのように影響し、市場価格にどのように結果するかを見越すのが市場予測であるが、それが可能なら、生産者が組織連携して事前の市場対応で可及的に市場を安定化させられる。組織合意に基づいた長期の計画生産と計画販売、品質管理、そして短期の在庫管理や出荷調整等、事前の施策を講じることができる(産直契約販売や地産地消型直売はもう一つの市場安定化方策である)。WTOルールで直接的な市場介入は許されず、財政負担が厳しい今日、適時適切に市場予測情報を提供することは、需給調整、価格安定に有効かつ効率的な方策といえよう。

 畜産物部門に関する(独)農畜産業振興機構(ALIC)の業務は、食肉の調整保管業務、畜産経営に対する補給金交付業務、そして以上の業務に必要な情報収集・公表業務を担っているが、情報業務のひとつとして短期、長期の品目別・品質規格別の供給と需要、そして市場価格の将来予測に取組む意義は大きい(現在、生乳の需給予測は(社)中央酪農会議が行っている)。

1 予測に必要なデータ

 国内外の生産、輸入、流通、消費等の情報に加え、ALICが独自に収集している在庫量や輸入見通し、POSなどのデータの活用が期待される。また、機構が実施する肉用牛肥育経営安定対策等の生産者の経営安定対策から得られる現地情報も重要なデータとなり得る。

 需要予測の面では、POSデータが利用できるようになり、どのような商品が、いつ、どれだけ売れたかが迅速に分析できる。今後、会員カードと関連付けた「顧客ID付POSデータ」が普及すれば、購買者の個人属性、世帯属性、地域、購買行動特性(購入時間や購入頻度等)に関係づけた予測が可能になるものと期待している。

2 予測手法

 近年、予測手法は高度に多様に発達してきている。列挙しながら概説する。

①計量経済モデル:古典的であるが、今なお代表的な予測手法である。

②時系列モデル:計量経済モデルが経済理論に依拠してモデル構築するのに対して、データ自身の発生過程に着目したモデル(ARMAモデル、ARIMAモデル等)を推計し予測する。

③専門家の主観的予想(Expert Opinion) の集約:“経験知”、あるいは“暗黙知”と言うべき専門家の経験や勘に基づくが、的中確率は意外にも高い。しかし、これを如何にシステマテックに集計し、1つの予測系列とするかは検討課題である。筆者は、日銀が四半期毎に発表する「短観」(企業短期経済観測調査)、内閣府の「消費動向調査」で発表する景気動向指数の先行指標とされている「消費者態度指数」の導出方法が大いに参考になると考えているが、確立したい予測法である。

④個別予測合成法(Composite Forecast):異なる予測方法から得た複数の独立な予測系列を、不偏で誤差最小にする条件下で1つの合成系列に束ねる方法である。日本では馴染みがないが、アメリカでは市場予測にはしばしば応用されている。

3 最近の示唆的な需要理論の適用

 需要に関する適切な理論仮説と分析法が需要を動かす要因を正しく識別させる。最近の需要・消費行動の経済学が示唆する需要変動の要因は、従来からの①「価格要因」、②「所得要因」に加えて、③「消費者嗜好形成要因」(a:「コーホート効果」:消費者の誕生年代グループ(世代)毎に固有の消費行動や嗜好が形成されている、b:「加齢効果」:消費者の加齢と共に消費者行動や嗜好が変化する、c:「時代効果」:世代、年齢には関わりなく、時代の進展に符合して社会全体で消費者行動や嗜好がある方向に推移する。)が知られている。また、最近の畜産物需要に関する研究から、④消費者が特別な状況に立ち至った時に購買を決意するという「状況要因」がある。これらの理論を援用した需要分析を試み、さらに、⑤安全性や健康・栄養機能性に関する一過性の風評、家畜伝染性疾病等の突発的発生等、確率的な撹乱要因ではないが、時代的趨勢要因でもない「短期的撹乱要因」の影響メカニズムの解明も重要である。

4 解明したい分析課題

 上に述べた新しい理論や分析方法を生かして、次の現実課題を明らかにすることが期待されている。それらは将来予測と言うより、現在、ブラックボックスになっている課題の解明であるが、将来予測に繋がる研究である。例えば、①飲用牛乳の需要停滞、牛肉の高級部位の需要停滞はどのような背景メカニズムが作用しているのか、何がこれらに需要代替しているのか、将来、需要は戻るのか、②子牛価格の変動は、和子牛、乳雄子牛、交雑種間のどのような変動要因が作用しているのか、③益々進展する少子高齢化が長期的な畜産物需要にどのような影響をもたらすのか、④「買物難民」が発生しているが、店舗の立地、商品の加工度・調理度等が畜産物需要にどのような影響をもたらすのか、等について検討する価値はある。

 最後に、結びに代えて一言述べておきたい。本稿では需要面の予測について、期待される効果や手法について紹介したが、公表までには予測精度や公表方法などについて、慎重に準備を進める必要がある。むしろ家畜の生産頭数等から推計が可能な供給面(生産量)の予測を先行して公表し、順次需要面の予測に取り組むべきと考えられる。もちろん関係各方面からアドバイスを得ながら、予測手法の改善を進める必要がある。

 この過程において、生産者は市場に向き合う経営者であることを自覚し、行動する畜産経営者が今後の中核的な担い手に発展することを期待したい。それは“市場を診る”経営者とも言えよう。単に観るではなく、「これから市場に生起する問題症状を診る、そして処方箋を練る」である。市場動向の現状から将来を予測するための材料としての情報提供をALICが行い、そして生産者は経営者として市場対応の方策を立案、遂行する。市場予測は、そういう経営者への育成支援と一体であることを念頭におくことが、今後、予測業務を行う上で重要になると思う。

永木正和(ながき まさかず)

筑波大学大学院教授(生命環境科学研究科・国際地縁技術開発科学専攻)を経て、現在筑波大学名誉教授。九州大学大学院博士課程修了(農政経済学専攻)・1977年農学博士

専門は農業経済学・酪農経済学、地域農業政策学

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