調査・報告 学術研究

有機酪農経営を事例とした
環境影響評価分析

北海道大学大学院農学院 吉田裕介
滋賀県立大学環境科学部 増田清敬
北海道大学大学院農学研究院 山本康貴



【要約】

 本研究では、有機酪農経営は慣行酪農経営よりも環境にやさしいか否かについて、窒素・リンを対象とした環境影響評価分析を実施した。その結果、より環境影響の小さい酪農経営は有機酪農経営の方である可能性が示唆された。

1 はじめに

 我が国の畜産経営は、規模拡大や技術進歩などを通じ、急速な発展を遂げてきた。しかし一方で、家畜排せつ物を通じた河川の水質汚染などにより、環境への負荷を高めてきたとの指摘もある。畜産物生産を環境に配慮した持続可能な方式に転換して行くことは、我が国においても重要な課題と考えられる。こうした状況下で、注目されるのが有機畜産である。

 我が国では、2005年10月に有機畜産物のJAS規格が制定された。有機畜産物は、農業の自然循環機能の維持増進を図るため、環境への負荷をできる限り低減して生産された飼料を給与すること、動物用医薬品の使用を避けることを基本として、動物の生理学的および行動学的要求に配慮して飼養した家畜または家きんから生産することを原則としている(農林水産省,2006※)。

 本研究では、有機酪農経営と慣行酪農経営の環境影響を比較検討することで、有機酪農経営と慣行酪農経営のどちらが、より環境影響が小さい酪農経営であるかについて分析する。本研究における環境影響評価の具体的手順は以下のとおりである。

 第1に、有機酪農経営と慣行酪農経営の農地面積当たり環境負荷ポテンシャルをライフサイクルアセスメント(LCA)(注1)という環境影響評価手法を用いて計測する。

 第2に、計測された有機酪農経営の農地面積当たり環境負荷ポテンシャルが、比較対象とした慣行酪農経営よりも小さければ、より環境影響の小さい酪農経営は有機酪農経営の方である可能性が示唆されたと判断する(Cederberg and Mattsson, 2000;Grönroos et al., 2006;Haas et al., 2001;Thomassen et al., 2008など)。

 本研究の分析対象事例は、有機畜産物のJAS規格認証を取得した生乳生産を行う有機酪農経営である。我が国では、LCAを用いた有機酪農の環境影響評価に関する既存研究として、東城ら(2006)がある。しかしながら、東城ら(2006)は、有機酪農を目指しているとはいえ、有機畜産物のJAS規格認証をまだ取得していない酪農経営を分析対象としている。そこで、筆者らは、有機畜産物のJAS規格認証を取得した有機酪農経営の環境影響評価を試みた。

http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/yuuki_kikaku_d.pdfを参照。

注1)LCAは、環境影響を総合的に評価する手法として広く知られている(伊坪ら,2007)。

2 分析方法とデータ

(1) 分析対象事例の概況

 本研究では、A地域における5戸の有機酪農経営グループを分析対象事例とし、これら5戸を1つの有機酪農経営システムとしてとらえる。表1は、有機酪農経営グループ(5戸)の経営概況(2007年)である(注2)

表1 有機酪農経営グループ(5戸)の経営概況(2007年)
資料:有機酪農経営資料より作成。

 慣行酪農経営の環境負荷ポテンシャルは、築城・原田(1996、1997)によるA地域における慣行酪農経営の物質フロー量の推計結果(1990年)を組み換えて計測した。築城・原田(1996、1997)の分析年次は有機酪農経営のそれと比べると古いものの、『牛乳生産費調査』データから求められたその推計結果は、A地域の平均的な慣行酪農経営を表していると考えられる。表2は、A地域における慣行酪農経営(1戸当たり)の経営概況(1990年)である(注3)

表2 A地域における慣行酪農経営(1戸当たり)の経営概況(1990年)
資料:築城・原田(1996、1997)より作成。

注2)表1の農地面積は有機飼料生産ほ場面積であり、有機転換中および非有機ほ場面積は含まれない。なお、有機転換中および非有機ほ場面積は有機飼料生産ほ場面積の1割程度である。

注3)表2の農地面積は、農林水産省(1991)におけるA地域の酪農経営における経営耕地面積平均、畜産用地の放牧地および採草地面積平均の合計であり、築城・原田(1996、1997)の自家農耕地面積に対応する。

(2) 分析の基本枠組みとファーム・ゲート・バランス法の分析モデル

 本研究のLCAでは窒素・リンを計測対象とし、それらを富栄養化ポテンシャルとして総合評価した。窒素・リンの計測方法にはファーム・ゲート・バランス法を用いた。ファーム・ゲート・バランス法とは、農業経営内に投入される窒素・リン量から、農業経営外へ産出される窒素・リン量を差し引くことで、余剰となる窒素・リン量を計測する方法である(注4)

 図1は、本研究におけるファーム・ゲート・バランス法の分析モデルである。酪農経営内への投入は、①購入飼料、②購入肥料、③敷料とし、酪農経営外への産出は、④生乳、⑤牛個体、⑥たい肥とした。なお、酪農経営内への投入として降水やマメ科牧草による窒素固定などが、酪農経営外への産出として畜舎や農地からの窒素揮散などが考えられる。しかしながら、これらは、築城・原田(1996、1997)では分析されていないため、本研究でも分析対象に含まれない。

図1 本研究におけるファーム・ゲート・バランス法の分析モデル

注4)ファーム・ゲート・バランス法により計測される余剰物質量を環境指標とすることは、OECD(1999)でも紹介されており、実際の分析利用例としてAarts et al.(1999)、Dalgaard, Halberg and Kristensen(1998)、Haas et al.(2006)、Halberg, Kristensen and Kristensen(1995)、増田・宿野部(2004)、Ondersteijin et al.(2002)、Van Keulen et al.(2000)などがある。ファーム・ゲート・バランス法では、営農方法の工夫による環境影響軽減努力も反映できる。例えば、農地へのたい肥還元による購入肥料節減や、自給飼料活用による購入飼料削減などの環境影響軽減努力は、購入肥料や購入飼料における投入窒素・リン量低減にともなう余剰窒素・リン量削減というかたちで分析できる。

(3) LCA評価の枠組み

 本研究のLCA評価の枠組みは以下の通りである。

 第1に、本研究のLCAは、「生乳生産による富栄養化への影響を評価すること」を目的とし、調査範囲を「生乳生産に必要な生産資材が投入されてから、生乳が生産されるまで」とした(注5)。また、機能単位(LCAで分析される環境影響を評価する単位)を「農地面積1ヘクタール当たり」とした。機能単位に用いた農地面積は、有機酪農経営については表1(注6)、慣行酪農経営については表2に示した。

 第2に、酪農経営内への投入物(購入飼料、購入肥料、敷料)と酪農経営外への産出物(生乳、牛個体、たい肥)に関する物量データを収集し、それぞれの窒素・リン成分値を乗じて窒素・リン量を計測した。

 第3に、酪農経営内に投入される窒素・リン量から酪農経営外に産出される窒素・リン量を差し引き、余剰窒素・リン量を求めた。それから、余剰窒素・リン量をリン酸等量に換算し、富栄養化ポテンシャルとして評価した。

注5)LCAによる環境影響評価では、製品の生産から消費、廃棄までの広い範囲を評価できる。しかしながら、農業分野の既存研究では、農産物の生産段階までを評価範囲に限定し、農産物の消費、廃棄については評価範囲に含めないことが多い。我が国の農業分野における研究例では、水稲や畑作物などの栽培段階や、家畜の生産段階に焦点を当てたLCAが多く実施されている(増田,2007など)。本研究においても、生乳生産段階までに限定したLCAを試みている。

注6)表1の農地面積は有機飼料生産ほ場面積である。なお、有機転換中ほ場で生産された飼料は、有機生乳生産に用いないことを原則としているため、近隣の慣行酪農経営に販売されていた。したがって、非有機ほ場だけではなく有機転換中ほ場も、1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルの評価には用いない。

3 分析結果

 1ヘクタール当たり余剰窒素・リン量を1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルとして総合評価した分析結果(有機酪農経営=100)が図2である。有機酪農経営の1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルを100としたとき、慣行酪農経営は109.5であった。1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルは、慣行酪農経営の方が有機酪農経営よりも約1割上回っていた。したがって、より環境影響の小さい酪農経営は有機酪農経営の方である可能性が示唆された。

図2 1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルの分析結果(有機酪農経営=100)
資料:慣行酪農経営は築城・原田(1996、1997)。

 富栄養化ポテンシャルの内訳を見ると、有機酪農経営では余剰窒素が約2割、余剰リンが約8割であり、慣行酪農経営では余剰窒素が約3割、余剰リンが約7割であった。両者ともに余剰リンの割合の方が余剰窒素よりも大きかった。

 1ヘクタール当たり余剰リン量は、有機酪農経営と慣行酪農経営で大きな差はなかったが、1ヘクタール当たり余剰窒素量は、慣行酪農経営の方が有機酪農経営よりも約6割多かった。このため、1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルは、有機酪農経営の方が慣行酪農経営よりも小さくなった。

4 結論

 本研究では、有機酪農経営と慣行酪農経営の環境影響を比較検討することで、有機酪農経営と慣行酪農経営のどちらが、より環境影響が小さい酪農経営であるかについて分析した。1ヘクタール当たり余剰窒素・リン量を1ヘクタール当たり富栄養化ポテンシャルとして総合評価した分析結果から、より環境影響の小さい酪農経営は有機酪農経営の方である可能性が示唆された(注7)

 以上のように、本研究では、有機酪農経営を事例とした環境影響評価分析を実施し、有機畜産経営の環境保全面に及ぼす影響可能性についての情報提供を試みた。とはいえ、我が国において、有機酪農経営を事例とした環境影響評価についての実証研究は本研究が嚆矢であり、まだ緒についたばかりである。このため、今後のこうした研究の発展方向を指摘して結びとしたい。

 第1に、余剰窒素・リン量に基づいた富栄養化ポテンシャルだけではなく、地球温暖化ポテンシャルなどの環境負荷ポテンシャル項目の拡張、評価年次の延長、分析データの更なる精緻化などを試みる点である。

 第2に、環境負荷ポテンシャルといった環境に及ぼすマイナス面(外部不経済効果)をより減少させる影響だけではなく、家畜福祉、生物多様性、グリーン・ツーリズムなど、有機畜産が環境に及ぼすプラス面(外部経済効果)をより増加させる影響についても、分析を試みる点である。

 第3に、酪農以外の有機畜産経営についても、分析を試みる点である。

注7)本研究の分析結果は、経営間の相対比較を通じて、より環境影響の小さい酪農経営は有機酪農経営の方である可能性を示唆するものであって、慣行酪農は環境影響が大きい酪農経営である可能性を示唆する旨などではない点については、十分に注意されたい。

[謝辞]

 本研究は、平成22年度畜産物需給関係学術研究情報収集推進事業に基づく研究委託によるものです。本研究委託に関わる事務手続きを遂行して頂いた農畜産業振興機構ならびに北海道大学の事務担当者の方々に感謝申し上げます。

 本研究における分析対象事例の有機酪農経営グループおよび同グループ関係各機関からは、データ・情報提供などのご協力を頂きました。文献・資料・情報の収集・整理などの作業では、北海道大学農業環境政策学研究室の大学院生に多大なご協力を頂きました。これらの方々に感謝申し上げます。

○詳細な分析結果については機構ホームページに別途掲載しておりますので、ご参照ください。

 http://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_000027.html


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