【要約】
米国農務省(USDA)は昨年8月、家畜のトレーサビリティに関する新たな規則案を公表。同規則案は州境を越える家畜に対してのみトレーサビリティを義務付ける内容。また、肉牛については、当面は18カ月齢以上に適用するなどの段階的措置がとられており、強い反発が予想される肉牛農家への配慮がみられる。
畜産関係団体の同規則案に対する反応は、概ねその方向性について支持するものの、USDAのコスト分析に対する不満や、18カ月齢未満の肉牛への適用に対する慎重な意見が相次いでいる。
現在、同規則案は米国行政府の最終審査を受けている段階。時期は未定であるが、早ければ、今年の夏にも公表される可能性。
1.はじめに
家畜のトレーサビリティとは、家畜に固有の番号を割り振り、それを管理することによって家畜の移動履歴を把握する制度である。第一の目的は、家畜伝染病の発生時に速やかな初動措置を行い、まん延を防ぐことにある。このため、世界各国の家畜トレーサビリティ制度は家畜伝染病の発生を契機に創設されたものが多い。我が国でも2001年に初めてとなる牛海綿状脳症(BSE)が確認され、同疾病のまん延防止措置の迅速な実施等を図るため、2003年に牛のトレーサビリティ(個体識別)制度が整備されたことは記憶に新しい。
米国では2003年のBSE発生を受けて、任意ではあるものの、全国統一的な初めての家畜トレーサビリティ制度として、2004年に全国家畜個体識別制度(NAIS:National Animal Identification System)が開始された。しかし、同制度は生産者の反発などから十分な進展が得られず廃止される結末となった。
NAISに代わる制度として、米国農務省(USDA)は2011年8月、家畜のトレーサビリティに関する新たな規則案(以下、「家畜トレサ規則案」とする)を公表した。今回の規則案は州境を越える家畜に限定してトレーサビリティを義務付けるなど、NAISと比べると柔軟な内容となっている。
本稿では、これまでの米国におけるトレーサビリティ制度の経緯や新たな規則案の概要について報告する。
2.米国における家畜トレーサビリティ制度の変遷
(1)家畜トレーサビリティの歴史
米国の畜産は広大な牧野で大規模経営を展開していることから、個々の家畜を識別することは難しいとの印象が強いが、米国畜産業の長い歴史の中で、個体識別は家畜の管理手法として昔から用いられてきた。古くさかのぼれば、1800年代の米国西部において、肉牛農家は所有者証明や盗難防止を図るため焼印による個体識別を行っていた。また、豚においても耳刻(耳に刻みを入れること)による個体識別が行われてきた。しかしながら、そのような手法は、家畜の損傷が著しいという理由で、現在では、耳標、入れ墨や最新技術である電波を利用したRFID(Radio Frequency Identification)耳標に切り替わってきた経緯がある。
連邦政府レベルの家畜トレーサビリティは、米国農務省動植物検疫局(USDA/APHIS)が進める、結核、ブルセラ病、スクレイピー等の伝染性疾病撲滅プログラムの一環として整備されてきた。これらの制度は疾病ごとに整備されていることから、当該疾病が撲滅されれば識別対象となる頭数も減少する。特に、この現象は牛で顕著である。牛においては、ブルセラ病のワクチン接種の有無を表す耳標等が、これまでで最も普及したトレーサビリティ制度とみなされている。しかし、米国におけるブルセラ病の撲滅に伴いワクチンの対象となる牛の数が少なくなり、当該耳標により管理されない牛の頭数が増加している。この結果、例えば、牛の結核に係る調査において、米国農務省は結核陽性牛の履歴などの探索に150日以上を費やすなどの弊害が出てきている。
(2)NAISのスタート
家畜トレーサビリティの必要性が高まる中、USDAは2004年4月、米国では初めてとなる包括的な全国家畜個体識別制度(NAIS)の基本的な枠組みを発表した。前年の2003年12月に、BSEが米国で初めて確認されており、その際、当時のベネマン米農務長官がBSE対策の公表とあわせて、全国規模での家畜トレーサビリティ制度の必要性を強調したことが、NAISの公表を後押しする形となった。
NAISの特徴としては、任意の制度ということがあげられる。USDAは当初、NAISを任意の制度として開始した後、段階的に義務化する計画案を示していたが、2006年中頃、任意のまま継続する方針を固めた。その背景には、他の畜種と比べて個体識別が浸透していない肉牛団体が、追加コスト、報告義務などの負担増や、政府が個々の農家情報を保持することへの懸念などを理由に、制度義務化へ強く反対していた事実があった。そもそも、米国の肉牛農家は、開拓精神に基づいて自らの力で経営を切り開いてきたという強い独立心があるため、政府の関与を極端に嫌う傾向がある。この肉牛農家の伝統的な気質が同制度に強く反発する理由の一つとなっている。
また、NAISは(1)施設登録、(2)家畜の個体識別、(3)家畜の追跡−の3つの要素から構成され、その運営は連邦・州政府と産業界の連携により行われ、その運営コストは、すべての関係者が負担することとなっていた。なお、任意の制度であるため、生産者は、施設登録のみ、施設登録と家畜個体識別のみ、または、3つの要素すべてへの参加を随時選択出来ることとされていた。
(3)NAISの結末、新たな制度の策定
トップダウンにより導入されたNAISは、最後まで生産者の協力を得ることはできなかった。2004年度から2009年度まで約143百万ドル(114億4千万円:1米ドル=80円)もの予算を費やしたにもかかわらず、畜産農家のNAISへの参加率は施設登録において40%にとどまった。当初より強い反対を示してきた牛農家の施設登録が最も低く18%となっている。
議会はNAISの進展が遅いことについて不満を募らせ、2010年度に予算の大幅削減を行うとともに、NAISの取組状況などに関する公聴会を開催した。各方面からのNAISに対する批判が強くなる中、ヴィルサック農務長官は2010年2月、NAISを廃止し、新たな家畜トレーサビリティ制度の策定を目指すこととした。
表1 NAISの進捗状況(2008年9月時点) |
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資料:CRS「Animal Identification and Traceability:
Overview and Issues」
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全国家畜個体識別制度(NAIS)の経緯
2002年 米国農務省が関係機関と協議し家畜個体識別プランの草稿を作成。
2003年 100を超える業界団体や政府関係機関から成る対策チームを設置し、
「米国家畜個体識別計画」を公表。同計画は、米国農務省が中心と
なって識別番号を配布し管理する内容。
12月 米国において初のBSE発生。ベネマン農務長官が家畜個体識別の
重要性に言及。
2004年4月 ベネマン農務長官が27日、NAISの枠組みを公表。
2005年5月 米国農務省が戦略プラン案を公表。2009年1月までに義務化する方針
を発表。
2006年4月 米国農務省が新たな戦略プランを公表。2009年1月までに制度を完成
させる内容。義務化については、任意で十分な家畜個体識別ができな
いと判断された場合に適用。
8月 ジョハンズ農務長官がNAISを任意のまま運用する方針を発表。
11月 米国農務省がユーザーズガイドを発行。家畜個体識別制度は(1)施設
登録、(2)家畜の個体識別、(3)家畜の追跡−の3つの要素からなるこ
とが明確化。
2008年4月 米国農務省が家畜個体識別に関するビジネスプランを公表。(1)食用に
供される家畜の個体識別を優先的に実施すること(2)2009年末までに
繁殖用牛の7割をNAISに参加させることなどが目標として掲げられる。
2009年4月15日〜6月30日
ヴィルサック農務長官が、今後のNAISの方向性を検討するため、関係
者との公聴会を開催。
2010年2月 ヴィルサック農務長官が5日、NAISを新たな個体識別制度に置き換え
ることを発表。新たな制度は州境を越える家畜に限定して、個体識別を
義務化する内容。
3月〜8月 米国農務省は関係者の意見を聴くため公聴会を実施。
2011年8月 米国農務省は11日、州境を越える家畜に対するトレーサビリティに関す
る規則案を公表。
当初、同規則に対するコメントの締め切りは11月9日であったが、最終
的には12月9日まで延長。
3.新たな家畜トレーサビリティ規則案
(1)家畜トレーサビリティ規則案の内容
2011年8月に発表された包括的な家畜トレサ規則案(9CFR Part90)の大きな柱は、(1)州境を越えて移動する家畜を対象に、政府による個体識別を義務化すること(注)、(2)家畜が州境を越えて移動する場合、連邦または州政府の獣医師が発行する州間獣医検査証明書(interstate certificate of veterinary inspection ICVI)の携行を義務付けること―の2つ。このほか、個体識別番号や州間獣医検査証明書の情報は5年間の保管が義務付けられる。
注:実際には、USDAの規則案の中では「政府(=行政機関)による識別(official identification)」とされており、グループ識別も含んだものとなっている。しかし、本稿では、読者が理解しやすいよう、「政府による識別(official identification)」を「政府による個体識別」とする。
(1)政府による個体識別の義務付け
家畜トレサ規則案の個体識別の義務付けは、州境を越えて移動する家畜に限定される。対象となる家畜は、牛、バイソン、羊、山羊、豚、馬、家禽、鹿等。しかし、豚、羊、山羊は既存の規則で対応済みであるため、牛、バイソン、馬、家禽が今回の規則案により新たに措置されることになる。とりわけ、ブルセラ病などの撲滅により政府による個体識別が最も遅れている牛が大きな影響を受けると想定されている。
対象となる家畜には固有の番号が割り振られ、個体ごとに識別されることが義務付けられる。識別については、NAISで用いられた耳標、連邦・州政府職員が以前から発行している公的な耳標等に加えて、従来から地域で用いられてきた入れ墨(tattoos)や特定のブランド名、および出荷側・受取側の双方の州政府が合意した識別手法などを用いることが可能となる。地域の実情やコストに配慮した柔軟性の高い個体識別の適用が提案されていることが今回の規則案の特徴である。なお、施行から1年経過後、同規則案で用いられる全ての耳標に米国政府の統一マークの刻印を義務付けるなど、最低限の標準化が図られることとなっている。
家畜が一つのグループとして飼養管理される場合は、その家畜群にはグループ単位での識別が認められる。なお、グループ単位での識別の場合、グループ番号をそれぞれの個体へ貼り付ける必要はない。
(2)州間獣医検査証明書携行の義務付け
州境を越えて家畜が移動する際、連邦および州政府の獣医師、もしくは行政機関より認められた獣医師が発行する州間獣医検査証明書の携行が義務付けられる。同検査証明書には、家畜の種類、家畜の数、家畜の個体識別番号(グループ識別番号)、移動目的、目的地、出発地、送り主・受取人氏名などの情報が含まれる。
また、同検査証明書を発行した獣医師は、その写しを移動元となる州の家畜衛生部局に5営業日以内に送付しなければならない。同検査証明書を受け取った家畜衛生部局は、5営業日以内にその写しを目的地となる州の家畜衛生部局に送付することになっている。すなわち、家畜が州境を越える移動を開始して10営業日以内に、目的地となる州の家畜衛生部局は当該家畜の導入を把握することが可能となる。
なお、出荷側および受取側の双方の州政府が合意すれば、同検査証明書以外の証明書を用いることを可能とするなど、柔軟な適用とされている。
図1 州間獣医検査証明書のイメージ |
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(2)牛に関する規則案の内容
今回の家畜トレサ規則案では、個体識別の普及が進んでいない牛に対して、初期フェーズと最終フェーズを設け段階的な導入を図るなど肉牛農家への配慮がみられる。最大の抵抗勢力である肉牛農家から理解が得られるかどうかが、同規則案成立の重要なポイントとなっているからだ。
なお、家畜トレサ規則案における牛に対する当面の除外規定は、(1)個体識別の義務付け、(2)州間獣医検査証明書携行の義務付け―ごとに設けられている。
個体識別の義務付け・除外規定
家畜トレサ規則案において、州境を越えて移動する牛およびバイソンは、政府による耳標、もしくはグループ番号等による識別が義務付けられる。
同規則における個体識別の対象となる牛を、(1)18カ月齢以上の繁殖に用いていない(Sexually Intact)牛およびバイソン、(2)全月齢の乳用牛、(3)全ての月齢のロデオなどのイベントに用いる牛およびバイソン、(4)ショーなどに用いられる牛およびバイソン―としている。(1)〜(4)以外の牛、つまり、18カ月齢未満の肉牛は、政府の規則により新たに定められるまでは、同規則案における個体識別義務の対象から除外される。
また、この除外期間において、USDA承認のバックタグ(と畜前に牛に貼り付けられる識別番号を付したシール)を持つ牛は、承認と畜場(連邦規則などにより承認されていると畜場)、もしくは1カ所の承認畜産施設(連邦規則などにより承認されている家畜市場等)を通じて承認と畜場に出荷される場合は、個体識別義務の対象から除外される。
これらの除外規定が設けられることにより、大半の肥育素牛および肥育牛に対して、除外期間においては新たな個体識別作業は発生しないものと推測される。
このほか、以下の条件に該当する牛およびバイソンについては、政府による個体識別の対象から除外されることになっている。
(1)通常の飼養管理の一環として、家畜所有者を変更せずに州境を移動する場合。ただ
し、所有者と州の獣医職員の間で交わされる、移動経路などに関する合意文書の
携行は必要。
(2)他の州へ一時的に移動後、再び元の州に戻る場合。
(3)州境を移動し公的な個体識別場所(政府などが設置している耳標等を装着する場所)
に向かい、他州からの家畜と合流する前に個体識別が行われる場合。
(4)出荷側および受取側の双方の州政府の合意に基づき、政府による個体識別の代わり
になるものが添付されている場合。
表2 牛およびバイソンにおける個体識別に関する段階的措置の概要
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資料:USDA/APHIS |
州間獣医検査証明書携行の義務付け・
除外規定
州境を越えて移動する牛およびバイソンは、州間獣医検査証明書の携行が必要となるが、以下の場合は携行が免除される。
(1)承認と畜場などにと畜の目的で出荷される牛で、出荷地、目的地などの情報が記載さ
れた所有者証明書が携行されている場合。
(2)承認畜産施設に移動する牛で、出荷地、目的地などの情報が記載された所有者証明
書が携行されており、そこからは獣医検査証明書の携行なしで移動しない場合。
(3)所有者を変更せずに、診療などの目的である農場から飼養されていた元の牧場に戻
る場合。
(4)ある州から飼養されている元の牧場に直接戻る場合。
(5)通常の飼養管理の一環として、家畜所有者と州の獣医職員の間で交わされる移動経
路などに関する合意文書を携行して移動する場合。
また、18カ月齢未満の牛およびバイソンについては、出荷側および受取側の双方の州政府の合意があれば、獣医検査証明書以外の血統登録証明書(brand inspection certificate)などの携行で代替可能である。
このほか、政府による個体識別番号は、獣医検査証明書、もしくは代わりとなる書類に記録されなければならないが、(1)承認畜産施設から承認と畜場へ直接移動する場合、(2)繁殖に用いていない18カ月齢未満の牛およびバイソン、去勢雄牛や不妊処置を行った雌牛の場合は、記載が免除される。
ただし、この例外規定は、乳用牛、展示会等に用いられる牛およびバイソンには適用されない。
図2 州間を移動した家畜で疾病が確認された時のシナリオ
(ウィスコンシン州→テキサス州→カリフォルニア州と移動した牛で、
カリフォルニア州で家畜伝染病が確認されたケース)
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資料:USDA/APHIS
注:←は家畜の移動経路 |
牛トレーサビリティの最終フェーズへの移行条件・手順
最終フェーズは一定の時間を経て自動的に移行するのではなく、今回提案された家畜トレサ規則案の中で、移行の条件・手順が定められている。最終フェーズでは、初期フェーズの年間3千万頭に加えて2千万頭の牛が対象として追加されるため、個体識別作業の煩雑性が増すことが懸念されている。このため、初期フェーズにおいて対象となる牛の70%に個体識別が適切に措置されていることが、最終フェーズに移行する条件とされている。70%という数値は、政府の個体識別が飛躍的に浸透したことを表すとともに、耳標装着等の作業が効率的に行われていることを示す指標とみなされている。このほか、最終フェーズに移行する前に、関係団体から構成されるアドバイザリー・グループが設置され、最終フェーズへ移行した場合の課題、影響等について検討が行われることとなっている。
USDAが個体識別について70%の普及率が達成されたと判断した場合、連邦規則の中でその結果を通知し、最終フェーズへの移行についてパブリックコメントを募集する。その後、コメントやアドバイザリー・グループの検討結果などを踏まえて、USDAが最終フェーズに移行すると判断した場合、連邦規則において、全ての牛およびバイソンに個体識別を適用する期日を通知することとされている。
4.同規則案の実施コスト・効果および団体の反応等
家畜トレサ規則案の公表に先立ち、USDAは同規則案の実施コストおよび効果などについて分析を行っている。特に、個体識別が最も遅れている牛についての分析が重点的に行われている。
(1)規則案実施に伴い新たに発生するコスト
家畜トレサ規則案の成立に伴い発生するコストは、個体識別のための耳標等装着費用と獣医検査証明書の発行費用等に分類される。
耳標等の装着については、対象頭数が3千万頭と設定されている。内訳は、州境を越えて移動する家畜(繁殖用、肥育用)が約2千万頭、と畜用が約1千万頭となっている。米国では年間、約7400万頭の牛が取引されており(2007年数値)、うち約40%が家畜トレサ規則案の対象になると見込まれる。
耳標等に係るコストは、対象頭数3千万頭/年を3つに分類して計算している。1つ目は既存の政府の耳標等を使用しているグループ(1050万頭/年、35%)、2つ目は民間の耳標等を用いているグループ(1350万頭/年、45%)、3つ目は耳標等を使用していないグループ(600万頭/年、20%)。
耳標等装着作業に当たって発生するコストについては、(1)耳標(メタル)、(2)耳標装着機、(3)家畜の追い込み、(4)耳標装着作業、(5)事故などの損耗の5つに分けて、グループごとにコストが積み上げられている。なお、耳標代や耳標装着機代は、予算の範囲内で政府から無料で支給されることとなっている。
州間獣医師検査証明書に係るコストについては、既に全米50州において、繁殖用牛の移動には獣医検査証明書を求めており、肥育素牛についても、カリフォルニア州およびテキサス州を除く48州では、移動の際の獣医検査証明書が求められることになっている。このため、新たな家畜トレサ規則案の成立に伴い発生する獣医検査証明書に係るコストについては、カリフォルニア州およびテキサス州へ移送される年間200万頭を対象と想定し、証明書発行費や記録に係る経費などについて200万ドル〜380万ドル(1億6000万円〜3億400万円)が発生するとしている。
この結果、実施コスト(耳標等の装着および獣医検査証明書の携行コスト)は、耳標装着等作業を単独で行う場合は1450万ドル〜3430万ドル(11億6000万円〜27億4400万円)、識別作業を他の作業とあわせて行う場合は550万ドル〜730万ドル(4億4000万円〜5億8400万円)と見込まれている。
表3 家畜トレサ規則案実施に伴い、牛において新たに発生するコスト |
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資料:USDA/APHIS「ReguIatory Impact Analysis & Initial Regulatory Flexibility Analysis」 |
(2)規則案実施の効果
家畜トレサ規則案の効果については、実施によって節約されるコストおよび国内・国際市場への影響という観点から分析が行われている。
(1)家畜の追跡コストおよび検査コストの削減
家畜トレサ規則案の実施によって、と畜場や家畜市場は州境を越える家畜の記録を5年間保持することが求められる。これら施設における現行の記録保管期間は2年間なので、同規則案が施行されれば家畜追跡のための情報量が増加し、家畜伝染病の追跡にかかる時間・コストの節約が想定される。
<牛結核の事例>
・2010年3月に発生した牛結核の事例では、検査等のために1,139頭の牛を殺処分し、USDAは農家に741,700ドル(5933万6千円)を支払った。このほか、推定検査費用は200万ドル(1億6千万円)を超えた。もし、家畜トレーサビリティ制度が改善されていれば、検査費用は60万ドル〜100万ドル(4800万円〜8千万円)節約可能であった。
・牛結核のために年間26万頭の牛について検査を行っているが、家畜トレーサビリティ制度が整備されれば、年間117万ドル〜351万ドル(9360万円〜2億8080万円)の節約が可能となる。
なお、以下の表に連邦政府・州政府および生産者のコストを示しているが、表中の節約額を足しあげても117万ドル〜351万ドル(9360万円〜2億8080万円)にはならない。USDAは表中以外のコストで節約可能なものを含めて、上記金額を算出しているものと推測される。
表4 牛結核において想定される節約額 |
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資料:USDA/APHIS |
<BSEの事例>
・2006年3月に発生したBSEの事例では、耳標等の個体識別がなかったため、聞き取りをベースに調査を行った。感染牛の子孫や同居牛の探索が不十分なまま、調査は48日間で終了した。調査費用は4万ドル(320万円)。国内・国際市場への影響は不明確であるが、米国における家畜トレーサビリティ制度が不十分であることを示す事例となった。同制度が整備されていれば、最低限の聞き取り調査で、1日以内の追跡が可能であったものと推測される。
(2)国内・国際市場への影響
家畜トレーサビリティ制度が改善された場合の国内・国際市場への影響を検討するため、口蹄疫がカンザス州の南西地域で発生したケースを想定する。同ケースにおいては、消費者余剰(消費者の支払い意欲額と支払い価格の差)および生産者余剰(生産者の実際の受取額と受取要求額の差)の観点から、90%トレーサビリティと30%トレーサビリティの違いを比較する(90%、30%トレーサビリティについて明確な説明はないが、家畜トレーサビリティ制度の普及度合いと推測される)。
分析の結果、生産者余剰については、90%トレーサビリティは30%トレーサビリティと比較して10年間で45億ドル(3600億円)高くなり、消費者余剰については、90%トレーサビリティは30%トレーサビリティと比較して10年間で8億ドル(640億円)低くなることが分かった。この結果、社会的利益では、90%トレーサビリティの方が10年間で37億ドル(2960億円)高くなる。この結論は、口蹄疫発生時に家畜トレーサビリティ制度の整備が不十分な場合は、牛肉輸出が抑制され、輸出に回るはずであった牛肉が国内に滞留し価格の下げ圧力となる、という根拠から来ている。
(3)団体の反応
家畜トレサ規則案におけるパブリックコメントの締め切りは当初2011年11月9日であったが、団体等からの要望を踏まえ、最終的には1カ月延長され12月9日となった。
団体からは、(1)生産者、パッカー等の負担が重くならないよう、追加コストは最低限の範囲にとどめること、(2)家畜個体識別に係る情報は機密として取り扱い、家畜疾病のサーベイランス等以外には使用しないことなどの要請に加えて、(3)USDAは規則案実施により新たに発生するコストを過小に見積もっているなどの不満を表すコメントがあがっている。
今回の規則案は最大の抵抗勢力である肉牛農家に配慮して肉牛への段階的導入を措置していることから、一部団体を除けば、規則案そのものを否定する内容は少ない。しかしながら、多くの肉牛団体は、18カ月齢未満の肉牛が対象となる最終フェーズへの移行については、今回の家畜トレサ規則案とは切り離し、新たな規則として提案すべきであると主張している。
NCBA(全国肉用牛生産者・牛肉協会):
全米最大の肉牛生産者団体
肉牛に対して段階的措置を取り入れたことは評価する。しかしながら、18カ月齢未満の肉牛への導入については、慎重に状況を見極めることが必要である。提案されている規則案には、最終フェーズにおいて18カ月未満の肉牛への個体識別の適用等が含まれているが、この部分については、今回の提案から切り離すべきである。18カ月未満の肉牛へ個体識別等を適用することは、対象頭数の増加や様々な追加作業の発生を意味しており、初期フェーズと比較して肉牛業界により大きな影響を与えることは必至である。
今回の規則案はNAISと比較すれば格段に進歩していることは認めるが、我々が18カ月齢未満の肉牛への適用について大きな懸念を有していることも事実である。この牛群への適用を開始する前に、初期フェーズの影響等を見つつ、十分な議論を行うことが必要である。したがって、肉牛業界は、最終フェーズへの移行について、別途規則を提案することなく連邦規則の通知により実施することを強く反対する。
また、USDA試算の規則実施により発生する推定コストは過小ではないかと危惧している。初期フェーズの結果を踏まえて発生コスト等について再考することが必要であり、この点からも、最終フェーズは、今回の規則案と切り離して検討すべきである。
R-Calf USA(米国牧場主・肉用牛生産者行動法律基金):
小規模繁殖農家等を中心とする肉牛団体
USDAは規則案実施の発生コストを過小に見積もっている。USDAは個体識別の対象牛頭数を3千万頭と想定しているが、これは大きな間違い。肉牛のフィードロットおよびと畜場は、コロラド州、アイオワ州、カンザス州、ネブラスカ州、オクラホマ州、テキサス州の6つに集中しているが、全米の約60%の牛(5500万頭)はこれらの州の外で飼養されている。従って、5500万頭の牛がと畜場に出荷される際は州境を超えることになり、規則案の対象となる。また、6つの州に3750万頭の牛が飼養されているが、これらの牛は飼養地と異なる州でと畜されるケースが多々あるということも考慮すべきである(例:コロラドの肥育牛はテキサスでと畜される場合が多い)。
正確な数字は提示できないが、年間3千万頭以上の牛が州境を越えて移動することは明らかである。このほかにも、USDAが積算根拠として用いている、牛の追込作業に要する1頭当たり1ドル〜2.5ドル(80円〜200円)のコストや、耳標装着に係る1頭当たり18セント(14.4円)のコストは大規模生産者を想定したものであり、小規模農家においては、さらなるコストが発生する。
現在、OMB(行政管理予算局)はUSDAから送付された規則案を検討しているところであるが、同局はUSDAに同案を差し戻すべきである。
注:R-Calfのコメントはパブリックコメントに提出されたものではなく、2012年6月6日にOMB(行政管理予算局)に提出されたコメントを引用。
AMI(米国食肉協会):大手食肉パッカーを会員とする全米最大の食肉団体
政府による家畜トレーサビリティは家畜伝染病のまん延防止を図るために必要な制度であり、家畜トレーサビリティの義務化を支持する。米国は、輸出競合国である、豪州、カナダ、ニュージーランドと比べて家畜トレーサビリティの点では後れを取っている。米国に包括的な家畜トレーサビリティ制度が存在しないことは、輸出拡大や輸出再開の交渉を行う上での障害となっている。米国において家畜トレーサビリティ制度が実現されれば、輸出に係る交渉を有利に進めることができるであろう。
家畜トレーサビリティ制度は既存の資源やシステムを活用すべきであるが、今回の規則案では牛において新たな措置が講じられている。我々は原則として家畜トレーサビリティを支持するが、記録保持などについて、と畜場などに新たな負担が生じることのないような措置を求める。
(4)最終規則の公表時期
家畜トレサ規則案は、本年6月時点においてOMB(行政管理予算局)で審査を受けている。米国では各種規則の最終決定前に、OMB(行政管理予算局)において規則の最終評価や他の規則との整合性等がチェックされる仕組みとなっていることから、同規則案は最終行程に入っていると言える。
現段階では、いつ頃最終規則が発行されるかは不明である。夏頃には出るのではないかとの意見もあれば、大統領選挙前に議論を呼ぶ最終規則の発行は難しいのではないかとの声もある。
なお、ヴィルサック農務長官は本年4月、米国において4例目となるBSE感染牛に関する一連のインタビューの中で、「現在、家畜のトレーサビリティ規則案を検討しているところであり、もうすぐ(very, very soon)公表できる」とコメントしている。
我が国と米国との家畜トレーサビリティ制度の比較
米国の今回の規則案と我が国の家畜トレーサビリティ制度を比較すると、対象家畜においては米国の方が幅広いが、米国は州境を越えて移動する家畜のみを対象としているのに対して、我が国は全ての牛が対象。
記録される情報は我が国の方が詳細な内容となっており、BSEなどの発生の際に、家畜の生年月日が迅速に分かるのは我が国の制度。
このほか、我が国のトレーサビリティは、消費者段階からも家畜の生産農場が追跡できるのに対して、米国の制度は、と畜場から生産農場までの追跡。
表5 家畜トレーサビリティ制度における米国と日本との比較 |
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5.おわりに
米国の新たな家畜トレーサビリティ規則案の内容を紹介してきた。規則案は、識別手法で現地のやり方を取り入れるなど柔軟性が示されるとともに、牛について除外規定を設け、除外期間も流動的とするなど、取り組みやすい内容となっている。
関係者の中には、今回の提案は州境を移動する家畜のみを対象とすることから、州内のみを移動する家畜トレーサビリティ制度との整合性が図れず二重基準を発生させるのではないかと危惧する声もある。他方、トップダウンで失敗したNAISの反省を踏まえ、肉牛農家へ最大限の配慮を示したUSDAの決断は評価に値するとの意見もある。USDAとしては、最初から規則の内容を厳しく定めて生産者の反発を招くより、ハードルを下げて義務化に移行することが重要であり、そのことが、政府による家畜トレーサビリティの推進にとっての大きな一歩になると考えたのであろう。
しかしながら、今回の団体からのコメントを見ても分かるように、今回の規則案における真の勝負どころは現時点ではなく、全ての牛に対する個体識別の義務化を目指す、最終フェーズへの移行段階にある。肉牛生産者は、全ての牛に対する個体識別の義務化について、従来と同様に強い反対を示すことが予想される。最終フェーズまでに、USDAが肉牛生産者の理解を得られるかどうかが、今回の規則案の最終的な成功、つまり、米国における家畜トレーサビリティの実現のカギになるものと推測される。
(参考文献)
Federal Register / Vol. 76, 9CFR Parts71, 77, 78, and 90, Traceability for Livestock Moving Interstate
Regulatory Impact Analysis & Initial Regulatory Flexibility Analysis, Traceability for Livestock Moving interstate, USDA/ APHIS
CRS Report, Animal Identification and Traceability: Overview and Issues, November 29, 2010
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