特集:自給飼料生産の振興に向けて  畜産の情報 2013年2月号

自給飼料活用における耕作放棄地放牧の可能性をさぐる
〜肉用牛の放牧飼養と管理技術に関する取り組み〜

九州大学大学院農学研究院農学部附属農場 高原農業実験実習場 准教授 後藤 貴文



【要約】

 著者の研究グループでは、主に黒毛和牛を用いて、肥育期は乾草のみ、あるいは放牧という粗飼料のみでの肥育を基盤として種々の飼養試験を行ってきた。本稿では、大分県下で耕作放棄地を独自の形態で放牧活用した農家を紹介するとともに、脂肪交雑において世界的にもユニークな個性を持つ黒毛和種について、その飼養法を再度検討しながら、著者が考えている“草食動物、黒毛和種”の新しい飼養方法を紹介する。


1.はじめに

 昨今の輸入飼料穀物の高騰は、肉用牛経営に深刻なダメージを与えている。日本では、牛肉生産のために多量の穀物を給与しており、1頭の和牛を肥育するために4〜5トンもの穀物飼料が必要とされる。そもそも牛は、草で育つ動物である。穀物飼料は、草食動物“ウシ”にとって補助飼料であることが理想的である。輸入穀物の価格に大きく左右されることなく、国内の植物資源を基盤にして、地に足のついた本来の“牛飼い”を模索し、種々の外的要因に経営が左右されないのが望ましい。

 日本の食料自給率と飼料自給率は、先進国の中でもかなり低い。逆に日本のフードマイレージは、世界の中でかなり高い(図1)。
図1 主要先進国におけるフードマイレージの比較
 これは、諸外国よりも“ダントツに”地球に負荷をかけていることを示すものである。多量の穀物飼料を輸入する牛肉生産形態よりも、今後は生産システムに多様性を持たせることが必要ではないだろうか。そのためには、タンパク質としての赤身のおいしさや、サシとのバランス等を考慮した新たなマーケット形成も必要であろう。畜産物の生産における環境保全、資源循環、持続的システム、食の安全等、我々は、国土を保全し、子孫のためにより良い社会を築くべく多くのことを考慮しなければならない時代を迎えている。

 筆者の大学牧場にて肥育している和牛生産にかかるコストは、子牛の購入費が約44万円とすると、出荷までの飼料費が約33万円、光熱水道費が5〜6万円、減価償却費が約2万円、人件費が約6万円となり、合計すると90万円を超えてしまう。子牛購入をベースにすると、A−5等級でも、さらに極上のグレードを得ないと利益を上げることは難しい。また、多頭飼育も排出される莫大な糞尿を処理しなければならず、堆肥化してもそれらを戻す土地の確保は困難な場合が多い。今後、持続的な社会、資源循環型の社会を目指すためには、輸入濃厚飼料多給型の飼養システムは変革の時期を迎えているのではないだろうか。

 これから牛肉生産をどのように変革していくのか、畜産だけでなく、作物、林業、水産業を関連付けた農業全体を考慮した真のイノベーション技術とそれを支える政策が必要である。自然環境や希少植物や動物を保全し、日本の国土を守る農業は、単なるビジネスではなく、公益性をもったビジネスである。

 九州には亜熱帯気候ともいえる地域があり草が繁茂しているため、放牧に適している。にもかかわらず、和牛飼育は、多少の違いはあっても、舎飼いで濃厚飼料を多給するという、ほぼ同様の飼養形態をとっている。しかしながら、飼養は日本中一辺倒である必要はなく、地域の資源を活用して営まれるのが望ましい。本稿で紹介する2戸の経営は、耕作放棄地や中山間地域の山をうまく活用した飼養を展開している。耕作放棄地や管理が難しくなった中山間地を放牧活用することから、新しい畜産形態や林業とのコラボレーションができるのではないかと期待している。

2.大分県における耕作放棄地放牧の現状

1)耕作放棄地における「大分型放牧」

 平成17年より大分県に地域住民7人の新規就農という形による「西高の農地を守る放牧の会」が結成された。これは大分県の提案型地域産業支援事業(夢未来創造事業)を活用して結成されたグループで、著者ら九州大学が平成13年より行ってきた耕作放棄地における放牧実証研究が一つの形になったものである。また、耕作放棄地を借用して周年放牧実験に使用した土地のほとんどが、実験終了後、もとの耕作放棄地に戻らずに、一部が進化を続けている。これは、当然、著者だけの力ではなく、旧大分県西高地方農業普及センター(現大分県北部振興局)や地域住民の方々との出会いが生み出した成果ともいえる。これを種に、大分県の普及員の方々が広く普及に取り組まれ、現在ではこの地域に28カ所、放牧地面積163.1ヘクタール(うち水田面積18.2ヘクタール)、繁殖雌牛の頭数が47頭(平成22年現在)となっている。

 著者は、平成13年より当時の大分県西高地方振興局農林振興普及センターとの連携により、耕作放棄地、特に大分県西高地方で問題となっていたみかん園跡地での放牧実証研究を開始した。特に、当時普及センターの主任普及員であった重盛進氏との出会いにより、放牧実験は大きく展開することができた。重盛氏は、我々の実験構想に必要なみかん園跡地を、地権者との交渉により次々とコーディネートしてくれた。しかし、みかん園跡地の耕作放棄地は、セイタカアワダチソウの上部にクズが繁茂するという植生をもち、ジャングルのようなところであった。果たしてこのようなところで牛が生きていけるのだろうかと思いながら調査をしたものだった。しかしながら、牛はよく適応して、セイタカアワダチソウを蹴散らしてクズを食んでいった(写真1)。
写真1 放牧直後の耕作放棄地(左図)とその3カ月後の様子(右図)

3.豊後高田市における耕作放棄地放牧

 豊後高田市の永松英治氏は、本業は茶園を14ヘクタールの規模で営まれている。高台の山の斜面を利用して、茶が縦横に生産されている(写真2)。近くには、国宝の富貴寺があり、この地域では有名な冨貴茶を生産している。永松氏は、茶園の裏手の山地にあった棚田等が耕作放棄地となっていたところをレンタカウ制度を利用して繁殖雌牛を放牧し、土地を開拓し、さらには独自の子牛の育成方法で経営されている。現在、2カ所の放牧地(のべ12ヘクタール)で繁殖雌牛21頭を飼養している。
写真2 冨貴茶園と放牧地
 第1放牧地は5ヘクタールであるが、当初竹林が勢力を増し、雑木林とともに景観を損ねていた。そこで、平成17年に大分県が始めたレンタカウ制度を活用し、繁殖雌牛3頭をこの第1放牧地に放牧した(写真3)。その後、「西高の農地を守る放牧の会」が設立され、会長となった。
写真3 放牧開始直後の第1放牧地
写真4 放牧7年目の冨貴茶園の第1放牧地
 平成18年に繁殖雌牛を5頭導入し、簡易牛舎(屋根付きスタンチョン)を手作りで建設した(写真6)。平成20年には裏山の荒廃した茶園や棚田、竹林を放牧地としてさらに整備し、約7ヘクタールの第2放牧地をつくった。このころにバヒアグラスを播種し、翌年には、第2放牧地の草地化に成功した。バヒアグラスの繁茂は、この第2放牧地が南斜面にあることもあり、根強く、量も多く、繁殖雌牛にとっては快適な放牧地となった(写真5)。
写真5 第2放牧地(7ヘクタール)。右図の中央お二人が永松ご夫婦。
左端が北部振興局の植木佳孝氏。右端が著者。

写真6 第2放牧地の屋根付きスタンチョン施設
 永松氏の飼養の特徴は、何と言っても年間を通して一貫して親子放牧主義であることと、子牛の放牧育成である。粗飼料に関しては、春、夏および秋の期間は放牧飼養で、粗飼料の追加給与はしない。放牧された牛たちは繁茂したバヒアグラスを食む。冬場(2〜3カ月間)には、コントラクターから購入する稲発酵粗飼料(WCS)を1頭あたり5個程度(約900キログラム)草架で補助給与するが、その他は、親子とも放牧地の生草のみでまかなう。母牛には、1日1キログラム程度のふすまを餌付けとして給与するが、これら飼料費等を含む年間の維持コストは1頭当たり3万円である。さらに、お茶の生産で排出される茶粉残さを母牛に一握り給与しているが、お茶に含まれるビタミン等の下痢予防効果により、元気になったということである。

 そして、次に注目すべきは、子牛の放牧育成である。母牛を毎朝晩スタンチョンに集めるが、子牛が生まれると1週間程度、毎日捕まえてマッサージを行い、触れ合う。その後、親とともにスタンチョン近くに来た子牛をロープで捕まえて、3カ月間スタンチョンの近くやスタンチョンごしに育成飼料を与え、最終的に4.5キログラムの育成飼料を給与している。その後は、子牛がスタンチョンを覚えて、自ら朝晩集まるようになる。しかしながら、粗飼料は与えず、子牛についても放牧地の生草でまかなっている。約10カ月齢で子牛市場に出荷されるまで、親子放牧のままである。子牛は9カ月ぐらいまで母牛の乳を飲んでいる。おそらく母乳はほとんど出ていないと考えられるが、母牛も何の違和感もなく飲ませている。また、通常子牛を親に付けている期間が長いと発情回帰等が遅れ、次回の発情が遅くなると言われているが、永松氏によるとそのようなことは全く感じないということであった。ストレスのない環境、繁茂するバヒアグラスによる良好な栄養環境が、母牛にとって良い生理環境を維持しているものと考えられる。

 また、子牛も放牧で飼養すると小さくなるのではと思われるが、平均体重をクリアするものも多く、差は感じられない。足腰も鍛えられており、逆に肥育時に良い効果があるのではないかと思われる。子牛は牛舎で飼養しないと成長が悪いという考え方もあり、当初はこのような永松氏の飼養に関して、近隣の畜産経営からは異論があった。永松氏にはお茶の生産業があり、日中の手間を取る管理は難しかったことから、少しぐらい子牛の成長が悪くてもよいと思い、子牛を放牧育成したところ、想像以上に子牛の成長がよかったのである。子牛市場で他の子牛と比較しても遜色のないものであった。その時に独自の方法で子牛を飼養することを決めたとのことである。推察するに、母乳の長期哺乳や、親子一緒、放牧飼養によりストレスが少ないこと、放牧地のバヒアグラスが繁茂して、粗飼料からも十分に栄養が摂取されていることが、子牛の成長を促進させている要因であろう。

 永松氏は、裏山を開拓して、さらに50〜60ヘクタールの放牧地を整備し、50〜60頭規模の繁殖雌牛を飼養したいと考えている。お茶の生産が本業であるが、それに比較すると経営がよいとのことである。“永松式”繁殖経営では、牛がかわいく、コストの削減で利益も見込める。いつも視察者を連れていくと“こんなに面白くて楽しい牛飼を、皆さん始めればよいのに”と言われる。通常、畜産経営に行くと、“経営が大変だ“という話を聞くのが常であるが、永松氏は違っていた。また、グリーンツーリズムも行われていて、地域の中学生や、近隣大学の留学生の視察等も積極的に受け入れている。

 牛を放牧飼養で、と言うと、多くの方は日本には土地がないと言われるが、そんなことはない。日本には守らなければならない山がある。山と中山間地域における放牧地をうまく整備することで、牛にとって山が牛舎となり、山と中山間地域の環境と景観を守ることができるのである。

4.宇佐市における耕作放棄地放牧

 宇佐市の西園公俊氏は、自給飼料にこだわった繁殖経営をされており、加えて地域の耕作放棄地を活用した放牧を展開されている。平成14年に父親から経営を引き継ぎ、放牧を取り入れた繁殖経営を開始した。現在、繁殖雌牛54頭を飼養している。西園氏の経営は、種々の制度を活用し、放牧を軸にして飼料自給率向上を目指すというものだ。平成19年には、自給飼料部門について長男を代表にコントラクター「草屋本舗株式会社」として法人化した。平成20年には、かつて美しい棚田であった灘集落の休耕田3.4ヘクタールにおいて耕作放棄地放牧を開始し(写真7)、春から夏、秋と8頭の繁殖雌牛を放牧した。
写真7 宇佐市の灘集落の棚田跡地とそこで放牧される繁殖雌牛
 平成23年度には、農業者戸別所得補償制度や中山間等直接支払制度を利用し、飼料の調達と繁殖経営を両立させた。現在、繁殖経営とともに、80ヘクタールのWCSの収穫作業受託を行っている。また、昨年から約2ヘクタールの畑でデントコーンの栽培を試験的に始めており、平成25年には10ヘクタールまで面積を増やす予定である。細断型の機械も購入して、子牛へのデントコーンサイレージの給与に挑戦している。母牛は基本的に放牧であり、現在は、乾燥野菜生産で排出される残さ等も使用している。自家生産のWCSと合わせて補助給与し、飼料自給率はかなり高いということだった。

 西園氏の飼育場は、主要な母牛の牧場である山本牧場、子牛の育成用の牧場、さらに妊娠確定牛を放牧する灘集落の棚田放牧地の3つに分かれている。山本牧場は総面積15ヘクタールあるが、ほとんどが山であり、無牧柵放牧を行っている。放牧されている母牛は、かなり遠くまで行くが、朝晩には簡易牛舎に戻るため、ほとんど管理に問題ないということだった。山のふもとには、屋根付きのスタンチョンと出産後数日管理するための牛房が整備された簡易牛舎があり、その下段に見晴らしのよい運動場がある。ちょうど牛舎から眺めると分娩後の発情が観察しやすい環境がつくられていた(写真8)。
写真8 山本牧場(上段左図:無牧柵放牧を行っている山手の放牧地。
上段右図:山のふもとにある屋根付きスタンチョン。下段図:最下段にある運動場。)

 永松氏と西園氏に共通していることは、土地を所有している、あるいは集積して活用しているということである。しかも、山をうまく使っている。それらと放牧を結び付けて、夫婦が助け合って、楽しく経営されていた。彼らを取材していると牛飼いは楽しそうだと思わずにはいられない。
写真9 西園さんご夫婦(中央が西園氏、その左が奥様。
左端が北部振興局の植木佳孝氏。西園氏の右となりが
農水省より研修にこられていた加藤氏。右端が著者。)

5.持続的な社会にむけて草で牛を育てるということ

 日本には亜熱帯気候ともいえる地域があり、植物が繁茂する条件を持っている。地域によっては、草食動物にとって快適な環境を得ることができる。問題は、粗飼料中心で生産される牛肉の質と量が、マーケット構築に耐えうるかということである。

 著者らは、これまでに、黒毛和牛を用いて耕作放棄地放牧での牛肉生産に挑戦してきた。クズがあるうちは、体重増加が認められるが、採食物が減少すると体重が減少し、さすがの黒毛和牛も痩せて、生産される牛肉は全くの赤身肉であった。また、基礎研究として牛舎の中で、乾草のみで飼養し、同様に飼養したホルスタイン種とも比較試験を行った。その結果、黒毛和種において粗飼料のみの育成・肥育では、(濃厚飼料肥育をベースとして)出荷前体重は44%減少し、サシは81%減少した。同様にホルスタイン種では、(濃厚飼料肥育をベースとして)出荷前体重は39%減少し、サシは94%減少した。完全に飼料を粗飼料に替えると、体重が約40%、サシが80〜90%減少することが示唆された。これでは、いくらなんでも赤身肉のマーケット構築は難しいと実感した。

6.代謝インプリンティングという新しい動物科学を取り入れた生産のしくみ

 粗飼料での飼養において、もう少し肉質と肉量を向上させるためにはどうしたらよいのか。それを克服する技術があれば、耕作放棄地の活用による牛肉生産も可能となり、上述の永松氏や西園氏の経営の延長上に牛肉生産も見ることができる。今後、持続的な生産、資源循環型の生産を考えると、草食動物である黒毛和種には、牛肉生産のために、できるだけ国内の草を中心に活用したい。それを実現できる新しい飼養方法について研究を進めている。

 近年、胎児期や生後の初期成長期に受けた栄養刺激により、その後の動物体の代謝システム、体質および形態、さらに最近の研究では、種々の器官の代謝に多大な影響を及ぼすことが明らかになりつつある(Gluckman et al., 2007)。近年、実験動物を用いた研究が医学分野で進んでいる。これはDOHaD(Developmental Origins of Health and Disease:成長過程の栄養状態や環境因子の作用に起因する疾患の発生)という概念として医学分野で捉えられ、代謝インプリンティングとも呼ばれる(図2)。著者の研究グループでは、これまでの黒毛和種に関する研究により、その脂肪交雑能力の高さ(Gotoh et al., 2009)、骨格筋の組織化学的特徴(Gotoh, 2003)を確認しており、黒毛和種のユニークな産肉能力を示してきた。現在、輸入濃厚飼料に過度に依存した黒毛和種の飼養システムを、このユニークな産肉能力と新しい生物科学的コンセプトを導入、融合させ革新し、現在の牛肉生産の問題点を解決したいと考えている。

 先に述べたように重要な問題は、濃厚飼料を使用せずに、粗飼料のみで肥育あるいは、放牧飼養で生産される牛肉の量および質は、かなり低くなることである。牛の栄養摂取機構では、ルーメン(草食動物の特殊な大型の胃)での微生物による草中の繊維性植物多糖の分解に相当の時間を要するからである。すなわち、草食動物である牛を草で生産するのは、本来の姿であるが、一定期間で出荷するには肉量と肉質に乏しく、現マーケットに耐えうるレベルをクリアするための戦略が必要となる。

 著者の研究グループでは、現在、黒毛和牛の生後の初期成長期、特に哺乳期と育成期の栄養環境に、この代謝インプリンティングを応用することで、ヒトが消化できない植物資源(セルロース、ヘミセルロース等)からタンパク質生産および良質牛肉の生産効率を革新的に向上させることを目指している。
図2 代謝インプリンティング機構の牛肉生産への応用

7.代謝インプリンティングを活用した粗飼料肥育の効果と可能性

 初期成長期の栄養環境の影響を調べるため、処理区として、高タンパクおよび高脂肪の代用乳で強化哺育し、その後育成期に高栄養飼料を給与した後、粗飼料で31カ月齢まで肥育した(n=12)。対照区として、通常哺乳にした群をつくり、離乳後の4カ月齢以降は、粗飼料のみで同様に31カ月齢まで肥育した(n=11)。この実験には半兄弟の牛群を用いた。その結果、処理区で出荷前体重は576 キログラム、サシの割合は13.2%を示し、対照区で出荷前体重527キログラム、サシの割合は9.4%となり、処理区で体重およびサシの割合は有意に高くなった(それぞれP<0.05;図3、4)。
図3 粗飼料肥育における哺乳期・育成期の代謝インプリンティング効果
    (独立行政法人 家畜改良センターとの共同研究)
図4 粗飼料肥育における哺乳期・育成期の代謝インプリンティングが
胸最長筋内の脂肪交雑に及ぼす影響
    (独立行政法人 家畜改良センターとの共同研究)
 その差異は体重で1.1倍、サシの割合で1.4倍であった。すなわち、初期成長期の栄養環境の違い、特に哺乳期の栄養環境の影響が認められた(独立行政法人 家畜改良センターとの共同研究)。また、両区からそれぞれ5頭ずつ枝肉について解体調査したところ、処理区では筋肉59%、脂肪23%および骨16%、対照区では筋肉61%、脂肪20%および骨17%となった。枝肉中の脂肪割合は同様となり、廃棄される脂肪は、処理区と対照区とでは全く同様であった。これは廃棄脂肪がミニマムであることを示す。一方、サシの割合は処理区で高くなるという結果が得られた。つまり、無駄な脂肪蓄積は少なく、脂肪交雑度が向上する傾向があった。

 近年、初期成長期だけでなく、胎児期の栄養環境とエピジェネティクスについてマウスやラットの実験動物において多くの報告がなされている。それらは、胎児期の栄養環境と栄養の質が、生産された子畜の体質に著しい影響を与えることを示しており、畜産分野でこのメカニズムを活用することができれば、これまでにない革新的な家畜飼養システムの構築が可能となると考えられる。現在、佐賀県の鹿島市との共同研究契約を行い、来春から代謝インプリンティング処理をかけた子牛を鹿島市の耕作放棄地に放牧し、さらに徐々に耕作放棄地の植生を徐々に牧草化することで、耕作放棄地からの牛肉生産システムを構築する取り組みも始める予定である。

8.ICT技術を用いた放牧管理技術のイノベーション

 耕作放棄地における放牧牛の管理は、管理面積が広くなるとなかなか大変であるが、日本には先端ICT技術がある。さらに現在、スマートフォンやタブレットの開発により、誰でも簡単にコミュニケーションをとり、PCを操作できる。著者らは、富士通株式会社やNTT西日本株式会社と共同研究を行い、現在ICT技術を用いて、耕作放棄地における放牧牛の効率的管理システムを構築するために餌付けシステムや位置確認システムを開発中である。

1)餌付けシステム:

 著者らは母牛を通常餌付けしている。広い放牧地で、放牧牛群をコントロールしたり、種々の処置をするためである。NTT西日本の先端ネットワーク技術を用いて、放牧地にWi-Fiの環境をつくり、自動ロックシステム付きスタンチョン、自動給餌器、スピーカーシステム、ウェブカメラを設置して、スマートフォンやタブレットを用いることで、インターネットが活用できる環境があれば、どんな場所からでも放牧牛をカメラの前に集め、捕まえることができるシステムを開発した(図5)。
図5 スマートフォンによる餌付けシステム

2)位置確認システム:

 広い場所で放牧を行う場合、牛の位置の把握は事故の回避や放牧地の状況を知るうえで重要である。放牧牛の位置確認というとGPSの活用を思い浮かべるが、GPSは経費とバッテリーの問題がある。精度は高いが、牛に着けたデバイスのバッテリーを頻繁に変えなければならない。現場では、頻繁にバッテリーを交換するのは手間のかかる厄介な仕事と言える。そこで、富士通株式会社のネットワーク技術により、省電力での位置確認システムを開発中である(図6)。これにより、インターネット環境のあるところから常に放牧牛の位置や行動軌跡を確認することができる。さらに未来に向けて、インプラントによる体温や体液のバイタルセンシングも研究中である。将来、健康モニタリングもスマートフォンやタブレットで出来るようになれば、旅行先から、牛の位置や健康状態を見ることができる。このような技術を放牧牛管理に取り入れることで、畜産業は大きく変わる可能性があり、面白くなるだろう。
図6 タブレットを活用した位置確認システムの開発中モデル

9.おわりに

 著者は、牛肉生産システムの改革には、国内の植物資源を活用して肥育することを軸として、1)それを支える生物学的基礎の探求、2)山や中山間地域の土地の集積に関わる政策の整備、3)省力化や効率化を図るためのICT技術の導入、さらに4)赤身肉のマーケティングの4点の考慮が必要であると考えている。肉用牛の粗飼料肥育においては、哺乳期・育成期の高栄養による代謝インプリンティングを駆使しても、濃厚飼料多給により生産された牛肉より霜降りの割合は劣るが、資源循環や飼料自給率の向上等メリットが多く、有効であると考えている。

 一方で畜産経営にとっては、輸入穀物の使用を低減することで経営の安定が見込まれ、また放牧肥育形態を導入することで、肥育期における糞尿処理、飼料の配合および給餌がなくなり、日々の“労働の質”が変わる。

 マーケット構築については、肉質について、消費者に対する試食調査を数千人規模で実施したところ好評を得た。さらに試用をお願いしたレストラン等のシェフにも好評を得ている(Sithyphone et al., 2011)。粗飼料多給型黒毛和種のマーケット構築にも手ごたえを得ているところである。現在、ダイレクトマーケティングにより、黒毛和牛の赤身肉を欲する消費者に牛肉を届ける戦略をたて、遂行中である。九州大学では、この生産システムにより生産された牛肉を“QBeefキュービーフ”と名付けブランド化し、この生産システムを広く現場に技術移転したいと計画している。しかしながら、牛肉流通や肉質の評価をただちに変革することはできない。このような現状でも、アカデミア(大学)としては、最新動物科学と既存の技術を融合させ、将来に向けて新しい仕組みを模索していかなければならない使命があると認識している。

 まずは、中山間の耕作放棄地と山を活用した放牧型肉用牛飼養システムの普及と、ICTによる省力的・効率的放牧牛管理システムの構築を目指し、若い世代の参入を促したい。さらに、耕作放棄地と山を活用した牛肉生産システムを構築したいと考えている。未来に向け、若い就農者が国土を守り、安全な食料を生産しているという誇りを持てる、そして、経営として余裕を持ち家族を養っていける、成熟した牛肉生産業の構築を目指し、今後も研究を推進したい(図7)。
図7 九州大学の目指すフードチェーン概要図

謝辞
 本報告における2件の農家の調査にあたっては、大分県北部振興局の生産流通部の植木佳孝氏、佐伯真菜美氏の御協力を得て行った。ここに感謝の意を表します。

参考文献

1.Gluckman, P.D.; Hanson, M.A.; Beedle, A.S., 2007. Early life events and their consequences for later
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2.Gotoh T. 2003. Histochemical properties of skeletal muscles in Japanese cattle and their meat
  production ability. Animal Science Journal. 74: 339-354.

3.Gotoh, T., E.Albrecht, F.Teuscher, K. Kawabata, K.Sakashita, H.Iwamoto, and J.Wegner.
  Differencesin muscle and fat accretion in Japanese Black and European cattle. Meat Science,
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4.Sithyphone K., M. Yabe , H. Horita , K. Hayashi, F. Tomiko, Y. Shiotsuka , T. Etoh, F. Ebara, O.
  Samadmanivong, J. Wegner and T. Gotoh. Comparison of feeding systems: feed cost, palatability
  and environmental impact among hay fattened beef, consistent grass-only fed beef and
  conventional marbled beef in Wagyu (Japanese Black cattle). Animal Science Journal, 82:
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