調査・報告  畜産の情報 2013年1月号

宮崎県における口蹄疫からの復興
〜全共での日本一2連覇までの取り組み〜

調査情報部 山神 尭基


【要約】

 宮崎県は、本年10月25日から29日まで長崎県で開催された第10回全国和牛能力共進会において計5部門で優等賞首席を受賞し、団体賞も1位を獲得した。2年前に発生した口蹄疫により多くの牛を失った中、県一体となって掴んだ今回の成績は全国の畜産農家をも勇気づけた。その背景には、県をはじめ多くの関係者、家族や友人などの支えがあった。

1.はじめに

 平成22年8月27日、130日間におよんだ口蹄疫は終息を迎えた。終息から約2年、多くの畜産農家が経営再開へ動いているものの、未だにその爪痕は深い。このような中、5年に一度の和牛の祭典である第10回全国和牛能力共進会(以下、全共)が本年10月25日から長崎県で開催され、宮崎県勢は9部門中5部門で優等賞首席を獲得する活躍をみせた。

 今回、口蹄疫からの復興を誓い、畜産王国宮崎の復活を牽引した県、市町村などの行政、関係団体、そして受賞した畜産農家の取り組みについて報告する。

2.畜産王国復活へ

宮崎県の取り組み

 宮崎県は口蹄疫発生後、再生・復興に向けた工程表を作成し、(1)早急な県内経済の回復、県民生活の回復、(2)全国のモデルとなる畜産の再構築(宮崎県畜産の新生)、(3)産業構造・産地構造の転換に向けて取り組みを進めてきた。特に、家畜防疫体制の強化を最優先に、市町村、関係団体、畜産農家と一体となって畜産王国宮崎の復興に向けて取り組んできた。

 また、県は本年4月に工程表の進捗状況、畜産経営の再開や県内経済の状況などの現状を踏まえ、工程表の改訂を行った。改訂の柱の一つは、口蹄疫の被害を受けた畜産農家が安心して経営を再開し、県全体の畜産農家が経営を維持・発展させるため、(1)生産性の向上(2)生産コストの低減(3)販売力の強化(4)畜産関連産業の集積、の4つの課題に対し的確な対応を推進することである(表1参照)。

 県の担当者は、特に(3)販売力の強化について、今大会の受賞を契機に国内外に日本一の宮崎牛をPRしていきたいと意欲を示している。

表1 宮崎県「畜産新生」に向けた取り組み
資料:宮崎県

忘れない そして 前へ

 口蹄疫からの再生・復興のスローガンでもある「忘れない そして 前へ」は多くの被害を出した口蹄疫を忘れることなく、さらに畜産業を盛り上げ、前進していくことを伝えている。また、県外および国外の多くの人々に口蹄疫への理解や悲しみを伝えるため、宮崎県は口蹄疫メモリアルセンターを口蹄疫が終息して2年を迎えた本年8月、被害が集中した児湯地域(宮崎県農業科学公園内)に設置した。

 この施設には、口蹄疫への理解を深めるとともに、若い世代に口蹄疫の被害を語り継いでいくため、県内外の学校が校外学習にも訪れている。
口蹄疫メモリアルセンターに展示されている
全国からの応援メッセージ

大会受賞を祝福
〜団体として初の県民栄誉賞

 11月23日、宮崎県、JAグループ宮崎、県経済団体などは、全共で宮崎牛が日本一2連覇に輝いた成果を称えるとともに、支えてくれた県民への感謝の意を表すため、県民感謝祭を開催した。この感謝祭の開催は、連続日本一という快挙が単に畜産農家の出来事だけでなく、日常生活や地域経済など県内全体に大きな影響をもたらした口蹄疫からの復興を象徴しているという点において、県民全体にとっても大きな喜びであることを表している。感謝祭では、出品農家や関係団体など約400人が市内中心部をパレードした他、たくさんの宮崎牛が市価よりも安く提供された。また、出品農家および関係団体の功績を称え、「第10回全国和牛能力共進会宮崎県推進協議会」に対し、団体として初の県民栄誉賞が贈呈された。復興対策推進課副主幹の鴨田和広氏は、「今回の受賞に伴い、感謝祭を開催でき、多くの県民や全国の方々に口蹄疫の時のご支援と励ましに応え、復興に取り組む本県の姿を見てもらうことができた」と語った。
日本一を獲得し喜ぶ、出品農家や関係者
日本一「宮崎牛」県民感謝パレードの模様

3.生産現場の状況

 平成24年4月20日現在の県内の畜産経営再開状況を見ると、農家戸数で60%の739戸、飼養頭数で59%の4万2440頭となっている。前年5月の調査結果と比べると、飼養頭数ベースでの再開水準は少しずつではあるものの回復基調にある。しかしながら、宮崎県によると、先行き不透明な経済状況に加え、高齢などを理由に経営再開や増頭に対して慎重になっている農家が依然として多いのが現状である。

 こうした中、県、JAグループ、町、畜産農家が一丸となって、畜産王国宮崎の復興に取り組んできたことが、今大会の活躍につながった。以下では、口蹄疫発生時、全頭処分されながらも大会に出場し優等賞首席を受賞した和牛繁殖農家および親子二代で連続受賞した肥育農家に加え、大会まで畜産農家を支援してきたJA尾鈴、川南町役場およびJA都城の取り組みを紹介する。

表2 畜産農家の経営再開状況
資料:宮崎県
注1:平成24年4月20日現在
 2 :処分頭数については次の通り集計。
    肉用牛:繁殖用雌牛および育成牛、肥育牛、乳用種および交雑種の子牛
    酪農  :搾乳牛および育成牛
    養豚  :繁殖用雌豚
表3 農家の意向状況
資料:宮崎県
  注:平成24年4月20日現在

(1)永友浄氏(都野町)の取り組み

 JA尾鈴肉用繁殖牛部会副部会長を務める永友浄(しずか)氏は、これまでに全共に通算6回出場し、1997年の岩手大会において優等賞首席を受賞するなど、全国の繁殖農家からも知られるほど数多くの質の高い繁殖雌牛を育ててきた。口蹄疫発生前は、繁殖雌牛24頭と子牛15頭を飼養していたが、発生時は全頭処分された。一度は廃業を考えたものの、地域の人々、県外からの支援や応援メッセージに勇気づけられ経営を再開した。現在は繁殖雌牛5頭、育成牛3頭、子牛5頭の計13頭を飼養している。

孫との約束の場所へ〜大会出場を決心

 永友氏は、口蹄疫発生時の人工授精自粛により若雌牛の対象牛が少ないなどの課題を克服し、今回、全共の3区(繁殖雌牛月齢17〜20カ月未満)で優等賞首席を獲得した。前回の鳥取大会を最後に全共には参加しないことを決めていたと語る永友氏の背中を押したのは、これまで支えてくれた息子さんや5年前に急死されたお孫さん(茜さん)の思いであった。また、本年1月に「長崎の全共はお父さんの集大成、茜との約束の場所」と書かれた息子夫婦からの年賀状を受け取った時、今大会への参加を強く決心したと語る。

大会を振り返って

 今大会は、前回と異なり多くのハンディを背負う中の出場であったと永友氏は語る。大会の参加を表明後、一日3回のブラッシングや牛舎に隣接する飼料畑を刈り込んだ運動場での運動などを欠かさなかった。また、周囲の期待も大きく、そのプレッシャーで大会当日まで眠れない日々が続いたという。それでも、必ず「てっぺんを取る」と言い続けて大会へ臨み、優等賞首席が分かった時は今までの大会の中でも一番嬉しかったと語った。受賞トロフィーを見た時、亡くなった茜ちゃんの喜ぶ顔や今まで支えてくれた家族、多くの仲間への感謝の気持ちがこみあげ、自然と涙がこぼれたと打ち明けてくれた。
一日30分×3回、運動させている運動場

今後の展望
〜10年後も続く畜産地域へ

 永友氏は今後、牛飼いを続けながら、特に若手の育成に力を入れていく意向である。「次回の大会では是非、この地区から若い人が出場してほしい。そのための飼養管理技術や大会参加への体制作りを支援していきたい。また、今大会では若い技術指導員が飼養管理などの手伝いをしてくれた。今後、経験を積んだ技術者が多く育ち、将来、都農町だけでなく宮崎県の畜産業を盛り上げてほしい」と語った。
永友浄(しずか)氏
3区優等賞首席を受賞した「ただふく6の2号」

JA尾鈴による口蹄疫後の農家の支援

 JA尾鈴は口蹄疫後、経営を再開できていない畜産農家のために専属職員を配置し、経営再開を行っている。しかし、高齢農家を中心に、経営再開に乗り出す農家は少ない状況である。JAによると、今大会で永友氏が優等賞首席を受賞したことで、多くの畜産農家が勇気づけられ、実際、その結果を知り、経営再開を希望する農家が現れてきていると話す。

大会出場までの支援

 今回、永友氏が大会参加を決意したことを受け、JAは担当者1名を専属で付け、素牛の選定から二人三脚で協力した。出品候補牛が2頭いたこともあり、一人では飼養管理が厳しいため、JA職員が給餌、牛の運動、シャンプー等を行い支援した。また、JA職員は牛の体調管理にも注意を払い、永友氏からアドバイスを仰ぎながら毎日、丁寧に餌の食い込み状態等を観察した。

 JA尾鈴の松浦寿勝畜産部長は「大会当日まで他県の牛を見る機会がなかったが、牛の仕上がり状態には自信があった。また、会場に入り他県の牛を見た時に、どの牛よりも毛並みや体つきが良く、必ず日本一になると確信した」と語る。これらの支援の結果が、優等賞首席受賞とあわせて体積・均称賞の受賞にも結び付いたといえる。

 今回の結果を活かし、JA尾鈴は今後、永友氏と同じく宮崎県の畜産業の発展のため若手後継者の育成に力を入れる意向である。松浦部長は、「今大会で若い技術指導員が経験豊富な農家と共に成長し掴んだ受賞はとても価値がある」と打ち明けた。また、「JA職員として、若手後継者に県の共進会などに積極的に参加できる雰囲気作りに力を入れていきたい」と語った。

 畜産農家とJAが同じ展望を描いていることは、宮崎の復興を感じさせる印象深い一面であった。

注:月齢に応じた体全体、各部のバランスや形などが優れた牛に贈られる賞

川南町役場による口蹄疫後の農家への支援

 口蹄疫の発生により、全頭処分を受けた川南町の畜産農家は、現在、経営再開および増頭を行い順調に回復している。その背景には、川南町役場独自の畜産補助事業が着実に効果をあげていることがある。例を挙げると、黒毛和牛の繁殖雌牛では、飼養頭数目標を40頭と定め、子牛導入・保留する際、費用の1割(導入補助上限5万円、保留補助上限3万円、対象頭数15頭)を補助している。こうした取り組みは、若い後継者にとっても経営の安定化を図ることができ、多くの若い世代の力が経営再建の大きな原動力になっている。

 また、町は畜産農家に対して迅速な情報提供にも力を入れている。他国で口蹄疫が発生した場合は、防災放送やFAXなどを利用して情報提供を行っている。加えて、年に数回、家畜防疫などに関する研修会を開催し畜産農家ごとの受講状況を電子記録で管理している。

 川南町役場の押川義光農林水産課長は「こうした取り組みにより、地域で声を掛け合い家畜防疫に対する理解を深め、今以上に力強い畜産地域にしていきたい」と語った。

 今後の展望として、押川課長は「口蹄疫により多くの家畜を失った畜産農家が、65%しか回復してきていない中、飼養できる農家がさらに増頭を図ることに期待している」と語る。特に、今大会の3区(繁殖雌牛)での受賞を契機に、和牛繁殖雌牛の増頭を図るとしている。

 また、処分された家畜の埋却地は、来年度から順次、発掘禁止期間が解除されることから、ほ場として使用可能な状態にするための管理等を行い、自給飼料の生産拡大を図りたいと考えている。そのために必要とされるコントラクターもできる限り利用し、若い世代が県や全国の共進会などで受賞できるように環境整備を行っていく意向である。

(2)福永氏(都城市)の取り組み

 福永透氏は、全共初出場にもかかわらず、9区(去勢肥育牛)で優等賞首席を受賞した期待の若手畜産農家である。また、福永氏の父(以下、昇氏)は、前回の鳥取大会で優等賞首席を受賞しており、今回、親子二代での快挙を果たした。口蹄疫発生時は、被害を免れたものの、出荷制限などにより、口蹄疫前には4等級以上が9割であった枝肉の品質は低下した。現在は昇氏が80頭、透氏が170頭の肥育牛を飼養している。

息子に託した思い〜大会出場を決心

 これまでの大会に昇氏と同行してきた透氏は、出場するための飼養管理の難しさや苦悩する父の後姿を見てきた。透氏は前回の大会後、「父から次回の大会は任せると伝えられたが、県の共進会に過去3回出場するも、思うような成績があがらず自分が本当にやれるのか不安だった」と明かしてくれた。

 大会では通常の肥育期間よりも約6カ月短い中で、牛を仕上げる必要がある。透氏は「多くの不安の中、大会参加を決めた。しかし、これまで間近で父の姿を見てきたことや家族の支えなどもあり、牛を飼養していく中で少しずつ大会への自信がついていった」と語った。

大会を振り返って

 大会当日、優等賞首席を受賞した時は飛び上がるほど嬉しかったと語る透氏。県代表として大会に出場し、父を越えなければならないというプレッシャーや、牛の状態が気になり、熟睡できない日が大会当日まで続いたという。その中、掴んだ今回の受賞でようやく父と肩を並べることができた。

 透氏は「今大会のために息子や娘が手紙やミサンガを作って応援してくれた。家族や地域の多くの人が支えてくれたおかげで受賞できた。大会中は県が一体となり、自分の背中を最後まで押してくれた」と打ち明けてくれた。

 昇氏もひたむきに頑張る息子に声をかけたい気持ちをぐっと押し殺して、大会最後まで見守ってきた。それは、自分の息子なら受賞するという信頼があったからだという。

今後の展望〜次世代に繋がる宮崎牛を

 透氏は、今後、まず全国で宮崎牛が購入できる流通システムを確立させ、地域に貢献したいと考えている。その後は、国内だけでなく海外にも積極的に流通させたいと語る。そのためにも、熟練した畜産農家と若い世代とが研究会や情報交換を行い、飼養技術やお互いの考えを共有していく意向である。
9区優等賞首席を受賞した福永透氏

JA都城による口蹄疫後の農家への取り組み

 福永経営とは別に、口蹄疫によりJA都城管内の肥育牛農家1戸が全頭処分(200頭)となったが、JA都城を含め地域の支援によりこの農家は経営を再開した。現在、150〜160頭規模まで回復しており、本年4月から順調に出荷している。

大会を見据えての地道な努力 〜若い力が躍進する地域へ

 JA都城は、大会以前から管内の畜産農家を中心とした肉質研究会を立ち上げ、勉強会を開催してきた。研究会では、種牛の系統、飼養技術などについて、農家同士が活発に意見交換を行い、実際に飼養管理によって肉質にどのような影響がでるのか試食などを行ってきた。また、部会のメンバーである熟練した畜産農家との意見交換会なども年4回行っており、そうした取り組みが今大会の受賞および地区の飼養技術向上にも寄与しているという。また、今大会、JA都城が肥育素牛の候補牛の選定を行なう上で、宮崎の代表牛である種牛(勝平正、美穂国)などを主体に選んだ。中村健次肥育牛課長によると、大会出場者の選考にあたっては、繁殖技術のみならず地域の畜産業の発展に理解があることなども考慮したという。

 現在、管内には後継者として、就農している者が29名おり、平均年齢は約33歳となっている。JA都城では、今後も安心して若い人が就農できる環境整備などが必要であると考えている。また、JA都城家畜市場で上場される子牛は、現在35%が地元の肥育農家に購入されているが、今後は、さらに地元農家の購入割合を上げられるように取り組む意向である。そのためには、宮崎牛の販売・流通の確立が不可欠であるとし、県一体となって宮崎牛を全国にアピールしていくこととしている。将来的には、牛肉消費量が増加している香港などへの輸出強化を図り、宮崎の畜産農家に貢献したいとしている。
JA都城に掲げられた懸垂幕
JA都城直売店に掲げられた横断幕

4.終わりに

 口蹄疫により、多くの家畜を失った宮崎県の畜産業は、少しずつであるが回復に向かっている。一方、終息から約2年が経過したものの、数字だけを見れば経営再開状況は依然として芳しくないという見方もある。しかし、口蹄疫という大きな壁を乗り越えた宮崎県の畜産農家の絆は、県下の畜産業をさらに発展させる原動力となるだろう。

 周知の通り、現在、枝肉価格の低迷や飼料価格高騰などにより宮崎県のみならず我が国の畜産経営は厳しい状況が続いている。そのような中、全共における宮崎県の躍進は、県内のみならず東日本大震災に遭われた畜産農家をも勇気づけた。今回、訪問した2戸の農家とも「今回の受賞はみんなのおかげ」と口を揃えて言われていたことからも、多くの人の支えが宮崎県を日本一に導いたと感じた。また、永友氏は「大会中、新潟県の畜産農家から、受賞の記事を見て感動したと言われ、自分の活躍が全国の畜産農家に元気を与えていることを実感した」と語った。このようにお互いを称え、支え合う絆を多く作ることが、将来、宮崎県を始め我が国の畜産業のさらなる発展に必要であろう。

 最後に、取材に当たり協力してくださった皆様に感謝したい。

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