話 題 畜産の情報 2017年3月号

東京オリンピック・パラリンピックにわが国畜産物を
〜食料調達基準と持続可能性〜

農林水産省 国際部(前 生産局 畜産振興課)課長補佐 米田 立子


1 はじめに

2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピック競技大会(以下「東京オリパラ大会」という)については、いよいよ本格的な準備が始まった感じをお持ちの方も多いでしょう。都内を中心に、駅や空港、テレビや雑誌でも、市松模様のエンブレムや関連記事を目にすることが多くなりました。大会まではまだ3年?いえ、もう3年しかない!来日する各国選手団などへのおもてなし競争は、もうスタートが切られています。東京オリパラ大会で、日本産の畜産物を選手に食べてもらうにはどうすればよいか?そのためには、「持続可能性が満たされる生産が行われていること」が必須の要件であり、具体的には、「持続可能な調達コード」、いわゆる「調達基準」に書かれた各種要件を満たすことが必要となります。本稿では、東京オリパラ大会の場で求められる「持続可能性」とは何か、「調達基準」には何が書かれているかを概観してみましょう。

2  持続可能性(sustainability)とは?

オリンピック・パラリンピック(以下「オリパラ」という)の場では、2012年のロンドン大会以降、「持続可能性」が特に重要な理念として謳われるようになりました。もともとこれは、環境を破壊せずに経済成長は可能か、という問いかけに始まるものであり、1987年の国連ブルントラント委員会、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(通称「地球サミット」)などを契機に、世界に広まっていったものです。この考え方は、その後、環境だけでなく、途上国の貧困や教育問題などにも使われるようになり、現在では、さらに倫理的なものも取り入れつつ、極めて幅の広い概念に発展しています。余談ですが、筆者が以前、持続可能性とは何かと聞かれ、「地球上の木にも草にも動物にも人間にも、すべてに敬意をはらって共存することでしょうか」と答えた際、「神社にお参りするような感覚ですねぇ」と反応された方がおりましたが、これもあながち外れてはいないのかなと思ったりします。

ロンドン大会では、組織委員会が調達するあらゆる物品の調達基準に、持続可能性の観点からの要件が付け加わりました。特に農産物や畜産物などの食材については、生産に当たり農薬、肥料、水の使用や家畜排せつ物の処理などが環境に影響を与えうるとの観点から、食材が問題なく生産されたものであることの証明として、英国の国内認証であるレッドトラクター(注1)取得農場で生産されたものが基本となりました。

3  東京オリパラ大会での「持続可能性」の考え方

こうした流れは、昨年のリオでの開催を経て、東京オリパラ大会にも引き継がれることとなります。実際の食材調達基準の検討は、一昨年の冬から、組織委員会に設けられた「持続可能な調達ワーキングループ」の場で、学識経験者、NGO、行政などの有識者により検討され、現在、「持続可能な調達コード」としてその一部が公表されています。

このコードでは、調達物品に関する持続可能性に関し、4つの原則が示されています。まず1つ目に、どのように供給されているのかを重視する。これには、製造 ・流通過程における人権の尊重、例えばあらゆる差別の排除や、児童労働や強制労働がなく安全が確保されていること、贈収賄やダンピングなどの不公正取引の排除、省エネの推進、大気や土壌環境への負荷の低減が求められます。

2つ目に、どこから採り、何を使って作られているのかを重視する。これには、森林・海洋資源の保全や生物多様性に配慮した採取・栽培、大気・水質・土壌などの環境に配慮した原材料の使用に加え、原材料の産地における強制労働や木材の違法伐採の排除、紛争や犯罪に関係のない原材料の使用、リサイクル品の使用や容器包装の最小化が求められます。

3つ目に、サプライチェーンへの働きかけを重視する。これには、上で述べた1.2の事項が、サプライチェーン全体で実行されるように求めることが含まれます。

最後に4つ目に、資源の有効活用を重視する。これには、組織委員会が、自らリサイクル品、レンタル品の活用、「もったいない精神」の活用、さらに調達した物品を使用した後の再生利用を促進することが盛り込まれています。

このように、東京オリパラ大会における持続可能性とは、環境への配慮のみならず、人権や労働、生物多様性や公正な取引実態など、およそ原材料の生産から流通が、あらゆる意味で「適正」であり、将来にわたり地球に、社会に、人類に、悪い影響を与えないことであり、これを大会を契機に世界に示していくという、志の高い取り組みであるといえます。

4 畜産物の調達基準

先ほど述べた調達コードの中には、個別の食材に関する個々の調達基準が添付される予定です。これは、先ほどの「持続可能性」に対する考え方を、さらに農産物、畜産物、水産物に当てはめた場合、具体的な要件として何が求められるかの基準を示すものです。

畜産物の調達基準を見てみましょう。現在、パブリックコメントの終了している案では、東京オリパラ大会に調達される畜産物は、食品安全、労働安全、環境保全、動物福祉の4つの要件を満たすものであることが明示されています(図1)。わが国の畜産においては、家畜伝染病予防法や飼料安全法をはじめ、安全や衛生に関しては、きめ細かな法令上の規制措置が講じられています。また、環境保全については家畜排せつ物法や廃棄物処理法、水質汚濁防止法などの規制が、労働安全に関しては労働安全衛生法などが適用されるため、これらの項目については、法令遵守、すなわちコンプライアンスのみで達成することができます。一方で、4つ目の動物福祉、すなわち昨今注目を浴びているアニマルウェルフェアについては、細かな法規制がないのが現状でありますが、一定の基準を記したものとして、(一社)畜産技術協会が発行している「アニマルウェルフェアの考え方に配慮した飼養管理指針」が示されており、この達成状況を自分で確認できるチェックシートも公表されています。この飼養管理指針は、国際獣疫事務局(OIE)のアニマルウェルフェアコードとのないように作られており、わが国の畜産農家では、大半で実践されている内容が盛り込まれています。

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これだけを見ると、わが国の畜産物は無条件で東京オリパラ大会の調達要件を満たしているように捉えられますが、事はそう簡単には運びません。ここで気をつけなければならないのが、実際の食材の調達方式と、そしてオリパラ大会がグローバルなものであるという点です。

5 第三者認証の必要性

ここまでをお読みいただいた方々の中には、調達されるさまざまな食材は、大会選手村の中で、五輪出場選手に対し提供される食事にのみ使われるものという印象をお持ちかもしれません。しかしながら、調達基準は、組織委員会が自らの管理の下で提供するものすべてに適用されるものです。従って、食事といっても、選手村はもちろんのこと、世界各国のテレビや新聞などの記者が詰めるメディアセンターでの食事、会場内の売店で観客に提供される軽食、組織委員会が開催するレセプションやパーティでの料理など、ありとあらゆる種類があります。また、世界各国から来るさまざまな食習慣、宗教や文化を持った者が利用できるよう、例えば宗教面で言えば、イスラム教徒向けにはハラール食材を、ユダヤ教徒向けにはコーシャ食材を、と、同じ料理でも違った食材が必要となります。また、これらの食事は、組織委員会が直接提供するのではなく、組織委員会が今後入札で決定し、契約したケータリング業者が食材調達から調理、提供までを行います。このケータリング業者は、組織委員会に対し、その調達し、提供した食材が調達基準に適合していることを、求められれば証明できなければなりません。

確かに、わが国の畜産における飼養管理の水準は、世界でもトップレベルのものであり、例えば和牛が海外でも高級食材として評価が高まっているのも、このハイレベルな管理水準からくる安心感がベースにあるのは間違いないでしょう。しかしながら、これをオリパラに関係する各国の関係者にわかるように証明するとなると、別の「見える化」の手段を講じなければなりません。このため、調達基準においては、証明の手段として国際的に普及しつつある「第三者認証」の考え方を取り入れています。

現在、世界の農産物市場においては、農場での管理が適正であることの証明として、GAP(Good Agricultural Practice、農業生産工程管理)が普及し始めています。世界各国にはさまざまなGAP認証がありますが、それぞれの認証の目指すものにより、例えばヨーロッパ発祥のGLOBAL G.A.P.、わが国発のJGAPのように、食品安全面や環境保全などを広くカバーする発想のもの、北米大陸発祥のPrimus GFSやCANADA GAP、SQFのように、より食品安全面に重点を置いたもの、GAPというよりはシステム認証の意味合いの強いものなど、認証ごとの特色があります。畜産物においては、食品安全、飼養衛生管理が重視されてきた経緯から、カバー範囲の広いスタイルのGAPは、これまで世界中を見てもほとんどないのが実情でした。しかしながら、東京オリパラ大会では、持続可能性の概念が非常に広いため、すべてをカバーする認証が必要との観点から、GLOBAL G.A.P.と、それから今年から運用の開始されるJGAP家畜・畜産物が、調達基準に対応したものとして採用されています(図2)。

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さらに、もう一つ、農林水産省平成29年度予算で実施する「GAP取得チャレンジシステム」(図3)を活用して、食品安全、環境保全、労働安全、動物福祉に関する自己点検をベースに、実施状況の確認を事業実施主体に行ってもらう手段も、調達基準上、持続可能性の概念をカバーすることを証明する手段として採用されています。すなわち、生鮮食品については、原則、GLOBAL G.A.P.またはJGAPを取得するか、GAP取得チャレンジシステムの確認を受けた農場産のものでなければ、調達されないということになります。

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加えて、こうしたGAPまたはGAPチャレンジによる確認を受けた農場で生産されたもののうち、農場HACCP認証、エコフィード利用畜産物、農福連携や放牧認証、有機畜産物が、持続可能性に関し、より進んだ取り組みとしてさらに推奨されるものとして記載されています。

6  東京オリパラ大会のその後〜レガシーへの視点

こうした調達基準のもたらす効果は、大会開催の3カ月間にとどまるものではありません。世界中から人々が参加する祭典には、世界の潮流を作るだけの力があります。すなわち、ここで記された調達基準の考え方は、今後、世界の畜産物市場における流れとなりうるということです。特に近年は、先進国を中心に、フェアトレードやエシカル消費(注2)など、製品の生産や流通面における倫理を考慮した消費者運動の動きが活発となっています。ロンドン大会から続く、オリパラ大会における調達基準の考え方も、こうした動きの一環といえるでしょう。今後、わが国の畜産物が世界の市場に対して打って出るには、こうした市場の動きを先取りしていくことが重要となってきます。

オリパラでは、大会での取り組みがその後も続き、社会に根付いていくことを指して「レガシー(遺産)」と言い、企画段階からこのレガシーを見据えて運営を行います。2020年の東京オリパラ大会においては、畜産物について、この「持続可能性」をレガシーとし、実際に選手や各国メディアなどのお客さまに日本のおいしい畜産物を味わっていただくだけでなく、世界のトップランナーとなるよい契機です。

ぜひ本稿をお読みの皆様も、実際に調達基準をお読みになり(注3)、これを足がかりに日本の畜産物を世界にさらにアピールするための道筋を、考えて、実践していただけることを期待しております。また、生産工程を管理するGAPは、経営の改善に大きく役立つものになりますので、今すぐには輸出の予定がない方々も、まずは取得を考え、世界に通用する農家を目指してみてはいかがでしょうか。農林水産省においても、JGAPやGLOBAL G.A.P.を取得しようとする生産者への支援措置などを講じています。ぜひ、ご興味をもたれた方は、農林水産省へお問い合わせ願えれば幸いです(注4)

(注1) レッドトラクター:英国の「Assured Food Standard」が運営する認証制度。英国産農畜産物の生産行程や流通行程の一部をカバー。

(注2) エシカル消費:よりよい社会に向けて、人や社会・環境に配慮した消費行動のこと。「倫理的消費」ともいう。こうしたライフスタイルへの理解促進は、2015年3月に閣議決定された消費者基本計画でも言及され、専門の研究会が消費者庁で開催されている。

(注3) 2020オリンピック・パラリンピック東京大会組織委員会公式サイト

     https://tokyo2020.jp/jp/games/sustainability/sns-code/

(注4) 農林水産省ホームページ

     http://www.maff.go.jp/j/chikusan/kikaku/attach/pdf/hyouka22-14.pdf

     (P.17「持続可能性配慮型飼養管理推進事業」)

     http://www.maff.go.jp/j/chikusan/kikaku/attach/pdf/hyouka22-14.pdf

     (P.62「国産畜産物の輸出環境整備事業(28年度補正)」


(プロフィール)

平成11年4月 農林水産省(林野庁林政課)入省 

   以降  米国留学、水産庁、生産局課長補佐などを歴任

平成27年4月 生産局畜産振興課課長補佐

平成29年1月から現職


				

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