★巻頭言


移行期間の教訓

(財)食料・農業政策研究センター理事長 並木正吉


はじめに

  牛肉の自由化期限の1991年4月までの3カ年の移行期間に何が確認され、何
が不確定か。それを整理することは、本番に備える意味で有効であろう。この移行
期間が自由化のリハーサルの意味をもっているという言葉をお聞きしたのは前畜産
総会対策室長城知晴氏からと記憶する。子牛のいわゆる不足払制度についての説明
を伺った時のことである。たしかに、輸入枠の拡大は国内消費量の10%に近いも
のであり、ユーザーの好みの部位を輸入できるSBS方式の枠が30%、45%、
60%と急増することになっていた。加えて、畜産新興事業団が課していた差益を
ふくむ関税(相当額)は低下し自由化初年度の70%に近づいていた。自由化のリ
ハーサルと考えてよい条件があった。しかし、未だ未確定なところもあった。輸入
できる業者の殆どは指定業者で占められており、大手スーパーなどの輸入牛肉に対
する戦略とその効果が必ずしもはっきりしていない。これらのことを整理してみる
ことは自由化後に参考になるに違いない。

  筆者は牛肉問題については素人であり、専門家としての長い年月の蓄積があるわ
けでなはい。したがって、初歩的な誤謬も多いと思われるが、その点については忌
憚のないご叱正を賜わることをお願いする次第である。

1.牛肉の消費見通しについて

  前提として牛肉の消費見込みを検討しておきたい。西暦2000年見通しとして
は農水省「農産物の需要と生産の見通し」がある。これによれば、昭和62年の8
9万トン(枝肉)から平成12年151万トンないし173万トンとなっている。
低い方は年率4.15%、高い方は5.24%となる。人口増加をふくむ値である
から、これを除き1人当りとすると5sから7.9〜9.1sへの増加で、年率3.
6〜4.7%である。近年の伸び率を前提とすると低すぎるのではないかという感
じもするが、この見通しに際し、最も重視されたのは、コメと畜産物、油脂のトレ
ード・オフの関係、すなわち、あちら立てればこちら立たずの関係である。

  農水省『食料需給表』によると、過去20数カ年、コメ・畜産物・油脂の三つか
ら供給される熱量は1人1日当り1,400kcalていどの枠におまっており、
畜産物と油脂のふえた分だけコメが減少するという関係にあった。昭和40年には
三者の計で1,413kcalであったが、そのうちコメは1,090kcal
(77%)であったが、昭和63年には1,438kcalのうちコメは692k
cal(48%)となっている。畜産物・油脂の増加した分だけコメが減っている。

  ところでコメの減少率は1,090kcal・692kcalであるから年率2.
0%であるが、畜産物・油脂の増加率は3.6%である。もしこの減少率と増加率
がつづくとすれば、1,400kcalの枠は大きくふくれてしまうか、畜産物・
油脂の増加率が低下するか、米の減少率が増大するか、それいづれかの組み合わせ
になる。

  しかし、過去の推移では1,400kcalの枠はかなり強い。とすれば畜産物
・油脂の増加率が低下する可能性が強い。詳しくみると油脂の増加率は昭和60年
代に入って停滞している。コメを減らしてきた役者のうち1人は舞台から下りてい
る。さらに、畜産物の増加といっても卵は伸びないし、牛乳・乳製品・豚・鶏のそ
れは低い。その結果、コメの1人当り純食料の減少率が年率1.4%ていどにおさ
まり、コメ・畜産物・油脂ていどにおさまり、コメ・畜産物・油脂の合計はふえな
いという結果となっている。筆者はこの推計はいい線ではないかと考えている。

  牛肉がもっと伸びるのでないかと考える読者のために、もう一つの材料を示して
おきたい。日本にはでん粉質熱量比率が国民所得水準の割に高いという特徴がある
ということである。これは若くして逝去した中山誠記氏が、わが国の食料消費にみ
られる国際的特徴として強調した点であった。でん粉質熱量比率は、食料の総供給
熱量のなかの穀類・いも類・でんぷんから供給される比率のことで、現在でもわが
国は48%で、所得が同じ水準か、わが国より低い先進諸国のそれが20%〜30
%のなかにおさまっているのに対しダブルスコアの高さである。これはコメを主食
とする国に共通してみられる特徴であり、簡単に消滅しないと考えられるのである。
これも大きな枠組である。

  個人個人の経験ではこれと異ることが無数にある。しかし、1億人全体でみた場
合の特徴は重視しなくてはならない。

2.移行期間でわかったこと

  最も注目すべき輸入牛肉の国産牛肉への影響が殆どすべての関係者の予想に反し、
あるいはその想定よりも少なかったことである。牛肉交渉が妥結した直後、前回の
山村農相の時の和牛子牛価格の暴落を念頭におくと、値下がりが心配されたのは自
然と思われた。しかし、実際はそうではなかった。この点について筆者が得た関係
者のお答えは、「あと数カ年で効果が出る」、「SBS方式の効果がやがて出る」
というものであった。しかし、今日までのところ、子牛価格は和牛、乳雄とも史上
最高値をつけている。

  この間、輸入牛肉の価格は円高の影響があって下落した。またその輸入量も30
万トンを超えるまでになっている。量的にはそろそろ国産牛肉に匹敵する量であり、
ユーザー自己の好む部位を選ぶことのできるSBS方式の枠もすでに事業団の輸入
枠の45%で、民貿その他の枠を含めれ過半に達する状況である。当然、国産牛肉
への影響が生じてもよいはずであるがそうなっていない。輸入牛肉と国産牛肉との
「すみ分け」という考え方が強くなっている。

  何故このような現象が生じたのであろうか。筆者なりの感想をのべてみたい。

  日本人の食生活の特徴と関係しているのではないかということある。よくいわれ
ることであるが、日本人の食事(料理法といってもよい)は素材の味そのものを重
視する。材料がよくないと美味しい食事にならない。欧米の場合は素材よりもソー
スが大切である。

  おそらくそのことが背景にあるのであろう。日本では、食べものの価格がピンか
らキリまで開いている。パリのランジス市場の牛肉の価格を調査した報告書による
と価格差は3倍ていどにおさまっている。筆者の経験でもアメリカの小都市でのス
ーパーの牛肉は1ポント1ドルないし3ドルでテンダーロインなどのなかの最高の
ものは6ドル位はするが、日本にらべ価格差は明らかに小さい。

  「果実輸出に関する懇談会報告書」(中央果実生産出荷安定基金協会、1989
年)になると、パリでは、すべての果実の80%までが1kg15フランから25
フランの間(350〜650円)に入っていることが指摘され、西欧においては、
果物は水の代用品であって安いことが第一の条件であったとされている。日本は水
が良質で、江戸時代から果物は「水菓子」と考えられてきたという。たしかに、1
個1万円もするメロンなど、贈物文化に重きをおく習慣のある日本でなければ考え
られないことである。

  私事で恐縮だが、オハイオ州コロンバス市の近郊に住む次男の妻の観測では当地
のスーパーで一番よく売れる牛肉は1ポンド2ドルていどのもので、シチューをつ
くることが多い(昔にくらべると減ったようだが)。朝出勤するときシチュー専用
鍋に材料をセットしたものに電源を入れ、万一ふきこぼれてもよいようにオーブン
の中に入れておく。帰宅したときには出来ており、それおを一週間で食べるという。

  輸入牛肉は料理法が伴なわなければおいしく食べることができない。そう思って
オフィスの近くのデパートの牛肉売場を見学したことがあった。一つのデパートで
シチュー用の輸入牛肉を「大奉仕・一時間限り」と広告して売りに出したが結局2
カ月後に中元の季節になってその売り場は撤去され復活しなかった。

  再び私事になるが、自宅の近くの牛肉専門店スエヒロへ行って、輸入牛肉を置か
ないのかと聞いてみると、「あなたのような注文は殆んどないし、仮りにその棚を
つくっても売上げが見込めず商売にならない。フローズンの解凍には設備も必要だ
し」とう返事であった。何年か前、輸入牛肉を大々的に売り出して評判になった日
本橋のデパートのその売場は今は閑古鳥がないている。結論的に、輸入牛肉は家庭
のテーブルミートとしては歓迎されていない。その結果、輸入牛肉のうま味(味の
ことではない)を引き出しているのは、外食や食品加工部門に集中しているという
現状となった。おおずかみには国産牛肉はテーブルミートとして家庭へ、輸入牛肉
は外食と加工へ仕向けられている。

  自由化本番となれば、大量の輸入となり、消費もふえようという観察はどうやら
否定されたのではないか。1988年度の輸入は下半期に1989年の輸入は上半
期に集中した。その結果、在庫がふえ、価格は下落した。また、SBS方式の枠が
ふえたこともあり、日本人の好むロイン系へ買いが集中した。その結果現地の買い
入れ価格は上昇する一方、在庫がこのロイン系でふえた。この経験は、結果的に自
由化本番になっても、移行期間とは全く別の変化が生じることはないのではないか
とう判断に導いたように思われる。

3.未確定な変化

  SBS方式の枠がふえても、輸入業者には未だ指定制度が残っている。完全に自
由になったとき、どのような行動が生じるか予想できない。しかし、牛肉の輸入は
経験と資本と現地の情報を必要とする。新規参入者のなかにこれまでの輸入ルート
を一変さすような業者が出現するかどうか。筆者はこの点、全く情報をもっていな
いが、大きな変化は期待しえないのではなかろうか。

  他の未確定な動きは、大手スーパーなどの現地生産あるいは肥育委託などの動き
である。このことについて、筆者は農水省畜政課の専門の御好意で、関東系と関西
系の大手スーパーの輸入牛肉への取り組み方についてヒアリングを受けることが出
来た。前者の基本戦略は、グラスフェッドの牛肉を安く仕入れて、それを料理の仕
方、食べ方とともに販売促進することであった。和牛に近い肉質の牛肉を海外で生
産することは海外の牛肉のメリットを損うことになるから考えない、というもので
ある。

  後者の場合、できるだけ和牛に近い肉質の牛肉を現地で生産し日本へ輸入するこ
とを基本としている。この場合、穀物による肥育(グレンフェッド)の期間を延長
しなければならない。当然コストが高くなるので、採算上どうかが最大の問題とな
る。

  それはともかく、関東と関西では1人当り牛肉の消費量が異り、後者は前者の2
倍である。しかも霜降嗜好は関西の方が強い(これは故牧野忠夫氏の言)。二つの
大手メーカーの対応の差はこの背景を考えると理解しやすいように思われる。

  私見では、前述の理由で、輸入牛肉が家庭のテーブルミートとして人気がないの
は料理法と関連があり、関東系のスーパーの戦略が長期的には効果を発揮するので
はないかと考える。ボクシングにおけるボディブローの如きものである。

  キャトルサイルとの関係がある。自由化本番は和牛牛肉の出荷量のピークに合致
する。そのことが影響しないかという問題がある。この影響が和牛牛肉の価格の低
下をもたらすかどうか。かりにそうなったとしてどのていどか。筆者にはよくわか
らないが、その影響は今年度中に判断材料がでるのではないかと思われる。

  このことと関連して気になるのは、昭和58年・59年における和牛子牛価格の
暴落である。その理由の一つはその出荷頭数のピークと牛肉交渉が重なったこと、
更に飼料価格の上昇があったためだとされている。しかし、出荷頭数の増加はは1
割ていどであり、何よりも、牛肉価格そのものの下落はなく、子牛価格、それも和
牛のそれ下落したことが不思議である。心理的な要因が作用したとしか思えない。
今回もそのようなことが生じないかどうか。何ともいえないが、大きな違いは、肉
用子牛生産者補給金制度(保証基準価格の制度)が準備れている点である。これは
下支えになるにちがいない。乳用子牛のぬれ子の価格が10万をこえるとう状態は
異常という他はないし、この価格を前提として国産牛肉に国際競争をもたすのは無
理である。酪農業はぬれ子の価格をあてにしないで採算がとれるよう合理化すべき
であり、その方法は基本的には規模の拡大であろう。

  それにしても、酪農家でこのいわる不足払制度に加入するものの割合が少ないの
はどうしたものか。基準価格が未決定であり、(3月末に決った)かりに決ったと
して低すぎるということかも知れない。たしかに、過去において子牛価格が基準価
格を下まわったことはない。しかし、これから先もそうであるとう保証はない。こ
れは一種の保険制度であり、転ばぬ先の杖が大切である。子牛価格は独歩高という
状況となっている。それにもかかわらず肥育農家の採算も悪くない。しかし、この
高い子牛を肥育した牛肉が自由化本番に出荷される。これまでの好調にもかかわら
ず一抹の不安をぬぐい切れない。昭和58・59年の暴落の理由がよく分からない
だけにそうなのである。

  自由化初年度に、この制度を発動するようなことにはならないのであろうが、そ
うかといって、この制度は不要だとか、加入する必要がないと判断するのは明らか
に早計である。

(付)牛肉の価格を調べてみて、輸入牛肉と国産牛肉について、部位別の統一した
調査がないのに驚いたが、現在の小売店の表示の状況から言へばやむを得ないかも
知れない。しかし、消費者の不信をまねくことのないよう早急かつ一段の努力をお
願いしたい。信頼すべき小売統計が総務庁の小売物価調査だけというのはいかにも
さびしい。


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