★ 国内現地の新しい動き


畑作複合で広がる肉用子牛生産…十勝地方に見る新たな動き…

麻布大学助教授 栗原 幸一


肉用牛の導入経過
  十勝といえば日本でも有数の農業地域。今さら説明する必要もないかも知れない
が、北海道の畑地の27%普通畑の40%強がここに集中し、農業粗生産額の5分
の1を占めている。十勝川の切り開いた広大な平野を基盤に、麦、馬鈴薯、豆、甜
菜作を主とした規模の大きい畑作、酪農が展開している。そうした地域に、いま黒
毛和種中心の肉用子牛生産が静かにしかも急速に広がって来ている。

  まず、図1を見て頂きたい。この図はもっとも端的に十勝における肉用牛の導入
と子牛生産の増加状況を示している。肉用として飼われている乳用種を除いて肉用
種だけに限って見ても1985年には1万頭を越え、1975年からの10年間を
比較すると実に2.4倍を上回る伸びを示している。これには当然肥育生も含まれ
るが、繁殖牛だけを取り出して見ても状況は同様で、1975年に2,800頭余
りであったものが1985年には6,000頭近くに増加し、この間10年間にほ
ぼ2倍に達している。

  統計によって数字に多少のズレがあるが、最も新しい1988年2月現在の農林
水産省の「家畜基本調査」によると、十勝全体で乳用種を含めた肉用牛飼養農家数
は840戸、飼養頭数は97,670頭で、そのうち肉用種の頭数は21,890
頭になっている。これには外国種も相当含まれており、品種別には黒毛和種がもっ
とも多く過半を占め、次いでアバーデンアンガス種が4分の1弱、褐毛和種が10
%余り、その他ヘレフォード種、日本短角種の順になっている。

  肉用牛は畑作と結び付いて導入されている場合が多い。肥育を含めた肉用牛飼養
全体で見ると、肉用牛飼養の単一経営は4分の1弱で他は複合経営になっている。
そのうち70%近くが畑作との複合、24%余りが酪農との複合である。飼養形態
は肉用種では繁殖専門が飼養農家数の80%以上を占め、肥育専門、繁殖・肥育一
貫はそれぞれ8%程度にとどまっている。肉用牛飼養の単一経営はどちらかといえ
ば肥育専門に多く、繁殖は主に畑作複合として行われている。

  十勝は帯広市を中心に1市16町3村で構成されているが、肉用種が比較的多く
導入されているのは1市11町1村で、先の「家畜基本調査」(1988年2月現
在)によって飼養頭数の多い順に上位5番目までを拾い上げると、帯広市、池田町、
足寄町、音更町、大樹町の順になる。これらの地域ではいずれも2,000頭以上
の肉用種牛が飼われている。同じように雌牛の飼養頭数順に拾い上げると、足寄町、
池田町、大樹町、音更町、帯広市、黒毛和主の雌牛順では大樹町、足寄町、幕別町、
音更町、浦幌町となる。雌牛総頭数順と黒毛和種の雌牛頭数順で市町村が違ってく
るのは黒毛和種以外の品種が飼われているからである。池田町は褐毛和種、帯広市
はアバーデンアンガス種が多い。肥育を含めた肉用種全体と繁殖を主とした雌牛で
は地域分布に多少の違いが伺われるが、それにしても十勝平野の中心部から周辺部
にかけて飼育なり繁殖を目的とした肉用種牛飼養の広がっていることが明らかであ
る。

  十勝での肉用牛導入の草分けは足寄町と大樹町である。昭和30年頃に遡る。足
寄町は十勝でも山寄り地域であり、大樹町は春先から夏にかけての海霧に災いされ
て穀作のできない低位生産地域であったとが早くから肉用牛を導入した背景になっ
ていると思われる。十勝の中心部で肉用牛を最初に導入したのは音更町である。昭
和41年に黒毛和種20頭、日本短角種2頭、ヘレフォード種2頭が始まりである。
ほぼ同時期に幕別町、芽室町、前後して池田町といたところが導入を開始し、畑作
の中心地域に肉用牛の繁殖が広がり始めた。

  最近では、図2に見るように昭和30年代あるいは40年代に導入した先進地域
が一部を除いて横這い傾向を示している中で、新たに帯広市、豊頃町、清水町、浦
幌町、上士幌町といったところで増えてきている。増加の主体は黒毛和種で、地域
によっては例えば池田町のように褐毛和種、帯広市のようにアバーデンアンガス種
といった黒毛和種以外の品種の増加も見られる。足寄町、大樹町が導入した昭和3
0年代を十勝における肉用牛導入の第1期とすれば、音更町、幕別町、芽室町、池
田町等の昭和40年代のおける十勝の畑作の中心部への導入が第2期、そして現在
第3期の導入が進行しつつあるといえそうである。

  黒毛和種の導入は家畜導入事業による場合が多いが、その実績によって各地域の
導入時期・導入頭数を見ると、表1の通りである。昭和50年代後半に至って上土
幌町や浦幌町、昭和60年代に入って豊頃町の導入が始まっている。こうした動き
の中から近年における新たな肉用牛飼養拡大の気運を読み取ることができよう。

今なぜ肉用牛か
  十勝地方で、今改めて肉用牛が導入される理由は何であろうか。北海道農務部畜
産課が取纏めた「畑作地帯における土地利用型肉用牛一貫生産システム確立調査」
の報告によると、調査結果から集約される肉用牛導入の動機上位5項目は、@地力
の増進  A遊休施設の利用  B副産物の利用  C所得拡大  D家畜が好きだからに
なるという。

  もともと十勝の農業は、役用としての馬あるいは乳牛を飼養し、有畜農業として
展開してきた。それが昭和30年代の後半から機械化が進行し、昭和40年代に入
って馬が減少を開始して無畜化の方向をたどった。一方、乳牛の飼養戸数も昭和4
0年代の半ば頃から減少し始め、酪農と畑作の単一化が進行した。その結果が地力
の低下、連作障害、病害虫の発生であった。地力向上のための有機質肥料が欲しい。
施設としてはかつての厩舎がある。麦わら、豆稈などの副産物がある。しかし、酪
農との複合は労力的に困難。ということで肉用牛が選択されてきた。それが大づか
みにとらえた場合の第2期以降の肉用牛導入の理由であろう。もちろん、所得拡大
も大きな理由に違いない。特に、畑作の指標面積提示による作付け制限や牛乳の生
産調節の下で、新たな所得拡大の手段が求められてきた。こうしたことが、今改め
て十勝地方で肉用牛が広がる大きな理由になっている。

  もう一度、北海道農務部畜産課が取纏めた「畑作地帯における土地利用型肉用牛
一貫生産システム確立調査」の結果を借りると、農家の評価する肉用牛の導入効果
上位5項目は、@地力が向上した  A副産物の活用ができた  B所得が増加した
(回答数前項に同じ)C労働負担が大きくなった  D遊休施設の活用ができたとな
っている。Cマイナス評価と見るのか、遊休労働力の活用ができるようになったと
プラスにとるべきなのか明らかでないが、おおむね導入前に期待した通りの効果が
上がっているとが確認される。

音更町に見る導入経過と経営事例
  以上の動きを現地に即して少し具体的にみてみよう。取り上げる地域は、導入第
2期の代表的地域の一つ、音更町である。

  ここは帯広市の北側に隣接し、十勝平野のほぼ中央に位置している。市町村別に
比較すると、十勝地方では農家数がもっとも多く、農地面積も最大の町である。町
域内を3本の川が流れていて、十勝ではめずらしく一部に水田が開かれているが面
積比では4%程度で、あくまでも畑作が中心である。小麦、大・小豆、馬鈴薯、甜
菜を主とし、なかでも小麦と小豆の作付け面積は十勝地方の首位にある。畑作規模
は1戸平均20ha余りで、十勝の平均を少し下回る。

  肉用牛は、先に触れたように昭和41年に黒毛和種10頭と若干の外国種をいれ
たのに始まる。当初は畦畔草利用と冬期の労力利用ということで水田農家に導入さ
れた。昭和45年頃から馬の減少に伴って畑作の地力対策、遊休化した厩舎の活用
が課題となって畑作農家に入り始め、このあたりから肉用牛導入が本格化した。導
入当初からこれまでの肉用牛飼養の推移は図3に示した通りである。

  昭和45年頃から急増し始め、飼養農家数は昭和51年に92戸に達して頭打ち。
飼養頭数は昭和55年まで一本調子で伸びて、その後は増減を繰り返しながら傾向
としてはなお緩慢な増加を示している。昭和62年には飼養頭数1,190頭で、
このうち雌牛は860頭、1戸当たりの頭数は15.5頭になっている。平成元年
(6月20日現在)の役場の調べでは飼養農家は76戸あってこのうち肥育専門2
戸、繁殖・肥育一貫1戸、酪肉複合4戸で、残り69戸が畑作複合の繁殖農家であ
る。30頭以上飼養する農家が12戸あって、最大は110頭に達している。

  経営事例を見てみよう。一つは音更町最大規模のN農家で繁殖・肥育の一貫経営。
もう一つは畑作複合の繁殖経営でM農家。

  まずN農家から、経営主は45才で北海道入植後4台目。この農家は昭和45年
に黒毛和種3頭を福島県から導入して肉用牛飼養が始まった。動機は機械化に伴う
馬からの転換で、ねらいは  @遊休厩舎の活用  A労働の適正配分  B有機質肥料
による地力の向上にあった。繁殖牛は導入後年々増やし、昭和49年に11頭、昭
和52年に20頭、現在は40頭を飼養している。肥育は当初から取り入れ、肉用
牛導入当初の昭和45年1頭、昭和49年6頭、繁殖牛が20頭に達した昭和52
年に11頭となり、現在は外部から肥育素牛を20頭程度導入して常時70頭程度
肥育している。自家産子牛は更新用の後継牛5頭程度を残して他は全頭肥育。雌牛
は一部1産取り肥育を行っている。

  経営公知は30.97haあり、小麦9.8ha、甜菜8.9ha、小豆2.6
6ha、飼料用にデントコーン6.8ha、牧草2.8haを作付けしている。労
働力は経営主夫婦と長女、それに70才の父を含めて4人である。そのほか年間に
延45人程度の臨時人夫を雇っている。

  牛舎は昭和62年にカラ松の間伐材を使って肥育牛舎2棟を建てたほかは、かつ
ての厩舎と離農舎の馬小屋、営林署の払い下げ住宅をつなぎ合わせた手作り牛舎で、
投資を抑えた健全な経営を行っている。畑作も輪作体系を取り入れ厩肥を多投して、
高収量を上げている。昭和61年の実績を見ると10a当たり秋まき小麦600k
g、小豆252kg、甜菜5,640kgで、町平均をそれぞれ144kg、43
kg、235kg上回っている。

  次にM農家。この農家は以前は畑作複合の酪農家だった。大正年間に北海道に入
植し現在の経営主は3代目で30才。2代目の父親も60才を越えたばかりでまだ
若く元気に農業に従事している。労働力は両世代夫妻の4人である。

  昭和49年に酪農からの転換を考えて黒毛和種10頭を広島県から導入、その後
年々拡大して現在繁殖用成雌牛を36頭飼養している。そのほか31.12haの
耕地に小麦8.17ha、馬鈴薯6.16ha、甜菜6.93ha、小豆3.74
ha、飼料用にデントコーン1.3ha、牧草4.2haを作付けしている。

  酪農からの転換を考えたのはバルククーラーの導入が必要となったが、周辺の農
家が離農し、1戸で電気(3相)導入をしなければならなくなって断念した。繁殖
は酪農時代に培った技術を生かして、夏場は午前中放牧し昼間はバドック、夜間牛
舎に収容する方式。耕地のほかに18haの放牧地を持っており、そのうち8ha
に牧草が導入されている。発情の発見はバドックで行ない、平均分娩間隔は昭和5
9年以来11ヵ月台で連続している。

  厩肥は甜菜と小豆に重点的に投入し、連作障害の回避と収量増に役立てている。
厩肥を多投すると甜菜の連作が可能という。10a当たり収量を昭和61年の実績
で見ると、小麦465kg(401kg)、小豆240kg(190kg)で、い
ずれも地域平均(カッコ内)を上回っている。まさに畑作複合の利点を生かした健
全な経営を進めている。昭和62年の収支実績を見ると、子牛24頭、廃用牛3頭
販売し、畑作を含めた販売額2,348.2万円で1,743.1万円の所得を上
げている。

  以上二つの事例から、今また改めて広がってきている十勝の肉用牛飼養の一端を
伺うことができよう。それは複合であっても規模が大きく有畜の機能を効果的に生
かした発展的な内容を示している。

表1.家畜導入事業による黒毛和種の導入状況
                                  (単位:頭)  
導 入
地 域
S42〜44年 45〜49年 50〜54年 55〜59年 60〜62年 合 計
頭数 年平均 頭数 年平均 頭数 年平均 頭数 年平均 頭数 年平均
足寄町 320 106.7 174 34.8 211 42.2 269 53.8 974
幕別町 100 33.3 110 22.0 458 91.6 309 61.8 88 29.3 1,065
音更町 50 16.7 253 50.6 197 39.4 200 40.0 40 13.3 740
大樹町 161 53.7 210 420 308 61.6 321 64.2 27 9.0 1,027
池田町 100 33.3 135 27.0 2 0.4 237
清水町 50 16.7 60 12.0 39 7.8 149
上士幌町 80 16.0 80
浦幌町 133 26.6 153 51.0 286
豊頃町 120 40.0 120



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