★論 壇


我が国酪農の政策課題

北海道大学農学部教授 天間 征


1.潜在能力を押えるか伸ばすか

  西暦2000年まであと残すところ10年と迫ったが、この21世紀に至る今後
10年間が、日本農業興廃の正念場となるであろう。例のウルグァイ・ラウンドの
米国提案、いわゆる「ハーベスト2000」では、西暦2000年までに一切の国
境保護措置、一切の増産刺激的・貿易歪曲的な各国保護を零とすることを主張して
いる。その目指すところは、国際農業分野における完全な自由競争の環境作り、市
場原理貫徹の農業世界の実現である。かかる理想案が、ガット加盟国全員の賛同を
得ることができるとは到底考えられないが、21世紀各国農政の方向としては、よ
り国境規制の少ない、より生産者保護の少ない農業の実現を目指すことになるであ
ろう。

  このことからの当然の帰結としては、現在先進諸国が軒並み行っている農産物の
需給調整計画に対しても大きな哲学の変更が求められることにならざるを得ない。
支持価格制度と対になった現在の行政介入による生産調整方式から、自由価格によ
る、専ら市場原理に従った需要調和への道に戻るための政策手段の模索が当分続く
ものと思われる。具体的には、これまでの農産物の需要調整は、「生産の調整」傾
斜から「市場における調整」重視へ、また強制的割当方式から、生産者の自発的行
動に依拠するボランタリーな調整方式へと変化していかざるを得ないであろう。

  今後10年間の農業政策をこのような流れとして拘えるならば、現在酪農民の直
面している「牛乳の生産調整」も亦今後変化せざるを得ないであろう。市場原理に
基づく生乳需給調和の世界へのソフト・ランディングのための1つのプロセスとし
て、これまでの一律的生産割当方式から、「二重価格、二重割当制」への移行が真
剣に考えられて然るべきであろう。

  我が国の生乳生産調整は、中央酪農会議主導による全国47都道府県生乳生産者
団体への生産割当に基づいている。各生乳生産者団体は傘下の各農協との間に受委
託契約を結び、その割当量と現実の受託乳量との間に数%以上の差が生じた場合は
厳しいペナルティーを課している。他方、農協は各生産者に対しては過去の実績に
応じて一律の割当てを毎年行っている。このようにわが国の牛乳生産調整計画は徹
底的なトップダウン方式、強制的生産調整としてのクォータ制に及び割当量の地域
間、個人間の売買を許さない極めて非弾力的な一律割当てを特徴としている。この
ようなリジッドなクォータ制は我が国政府にとってより少ない財政支出によって牛
乳の需給調整計画がより厳密に遂行されうるという利点もあるが、他方生産者に対
しては数多くの問題を発生させる。その最大の問題点は、生産基準量を割当てられ
た生産者は、その相対的に高い支持価格、ないしプール乳価によって、将来にわた
って一定の収入が保証されることになり、この点で小規模生産者の支持を得やすい
が、他方において一層の規模拡大を望む低コスト生産者に対して、彼等の生産力向
上の強い制約となることである。我が国酪農がおかれている現状からすれば、高コ
スト農家の減少と、低コスト農家の増加とを早急に図らなければならないが、この
どちらに対してもクォータ制度が邪魔をしている。それだからこそカナダやEC諸
国の場合には、生産者間の生乳生産割当量の権利売買認可によってその欠陥を補っ
ているのである。

  筆者がかねてより「二重価格、二重割当制」を主張している理由としては、@生
産者は二種の価格をもった2つの割当量に直面することによって、自家の生産割当
量を積極的に増やすためには、国際価格並の低い乳価をも一部選択せざるを得ず、
その結果として価格面から生産者間のコスト競争を誘発することになる。A一部原
料乳価を生産者と乳業メーカーとの自由な交渉に委ねることによって、「輸入代替」
による乳製品生産量の増大を期待しうる。B真正面からの乳価水準の大巾引き下げ
が困難であることから、2つの価格を作ることによって低コスト大規模農家の生産
シェアを増やすことが可能になることなどである。

  需給調整計画という場合、その主な内容は3つある。市場調整、生産調整、需要
拡大である。需要拡大計画を伴った生産調整計画であってこそはじめて将来展望が
開けるのであって、アジア地域最大酪農国として、輸入代替から輸出までも視野に
おいた積極的な需給調整計画への転換が望まれるのである。さもなければ、我が国
酪農も稲作農業のように悲観的な展望しか持ち得ないことになりかねない。

  最近我々が行った西暦2000年の北海道酪農の単純予測によれば、将来の牛乳
生産量は、農水省による「西暦2000年、飲用乳需要と生乳生産の推計」から予
測される北海道地区生産量約340万トンよりも約100万トン多い約440万ト
ンという結果を得ている。前者が政策予測であるのに対し、我々の予測が過去、現
在の延長線上に将来値を求めた単純予測であるということから生じた差であろう。
この差の意味するところのものは、北海道地域の潜在的酪農家生産力は農水省推定
よりも遙かに大きいということであり、この潜在的生産力をこれまでのような緊急
避難的生産抑制策によって将来も押え込むことがよいのか、それとも低乳価になる
としても需要増大のため「二重価格、二重割当制」を敢えて採用するかの、いわば
消極策と積極策との二者択一問題への決断が求められているのである。

  もし積極策をとるとすれば、二重価格制のほかに、米国、EC等でみられるよう
な「酪農廃業計画」及び割当量の農家間売買方式なども併用することが望ましく、
また、もし消極策をとるとすれば、全乳量の5%程度のシェアーをもつといわれる
アウトサイダーの一掃策(全国ボード方式)や厳しいペナルティを伴うクォータ制
の継続が必要となろう。

2.生産資材価格の大巾引下げのために

  もし、脱粉、バター等の市場開放が行われるということになれば、当然のことと
して、北海道産の加工原料乳は、少しでも高い乳価を求めて都府県向け飲用乳市場
へ大量に流れこむことになるであろう。従って残存乳製品の自由化の影響は、飲用
乳地域酪農民をも巻き込まざるを得ない。この加工原料乳の飲用乳市場への流入は、
両者の原料乳価格差を両地域の輸送費用格差(キロ当たり20〜25円)にまで圧
縮することになろう。このような事態の発生の下で、我が国酪農民全体の関心は、
これまで以上に我が国における生産資材価格の欧米に比べての割高解消問題に集中
することは間違いない。

  この問題に対して、かねて我々は「NIRA研究叢書、北海道農業の流通のあり
方に関する研究、昭和63年6月」において、肥料、飼料、農業機械の3品目をと
りあげてその原因を追求した。この研究から導かれた提言として、@肥料、飼料に
まつわる法的規制の排除、A生産資材流通の多段階過程の解消、B農協系統と商系、
輸入と国産との競争的環境作り、C企業合同、企業連携による生産資材製造原価引
下げの可能性追求、D生産資材の高品質化を即高価格化に結びつけないための方策
の研究、E生産資材費引下げについての農業者自身の自覚と自助努力などを指摘し
たところである。

  我々のみるところ、資材価格引下げの余地は相当に残されている。配給飼料、農
業機械、肥料等に対する関税撤廃、農協系統組織の二段階制、農業者による競争入
札方式の採用、飼料用とうもろこし、マイロ、大麦など単味飼料への利用規制緩和、
農業機械業界の再編、単協等による生産資材の直接輸入等々検討課題はつきない。
近く我々はプロジェクトチームを組み、欧米先進諸国における生産資材の価格形成、
流通過程を徹底的に調査し、より具体的な提言をしたいと準備を進めている。

  海外に比べてどれほど我が国の生産資材が高いのか、そのことが牛乳生産費にど
れほどの格差をもたらしているかについては、既に東大農学部生源寺真一助教授が
「酪農のコスト及び生産性に関する日英比較研究」(1989年7月)と題して公
表しているところである。

  この比較研究では、1984/85年の日英両国の公式統計が使われ、おおよそ
窄乳牛60頭前後階層の生産費比較を行っている。その結果によると、1,000
当たりの生乳生産費は英国3.48万円に対し、日本8.22万円で2.36倍の
格差が指摘されている。この2.36倍の格差のうち1.42倍(約46%)が生
産性格差で、残りの1.66倍(54%)が投入要素の「価格差」によって“説明
される”と述べられている。具体的な個々の生産資材格差では、トラクター1.5
9倍、ミルキング・パーラー1.49倍、配合飼料1.37倍、肥料1.89倍、
地代2.77倍、労働賃金1.16倍などとなっている。

3.粗飼料生産費の大巾引き下げ対策

  牛乳生産費の国際比較が広く行われ、また、乾草、稲わら、ルーサンペレット、
ビートパルプなど粗飼料輸入が拡大するにつれて、我が国の粗飼料生産費が極めて
割高なものについていることが次第に明らかになりつつある。さきの「牛乳生産費
の日英比較」においても両国の間の価格差形成の大きな影響要素として、購入飼料
費、乳牛償却費、地代に加えて、自給粗飼料費があげられていた。この割高な自給
粗飼料費の原因として、同研究は労働費と機械設備費の実質格差に基づくところ大
と指摘している。また、日独間の牛乳生産費の比較分析(北海道農務部、農業の生
産性に関するレポート、1986年3月)においても、1頭当たり牛乳生産費の中
では「とくに飼料費と労働費の格差が大きく、購入飼料の単価、自給飼料の生産条
件、労賃単価等の相違がコストに大きく影響しているものと思われる」と述べられ
ている。

  さらに、北海道根釧農試「草地型酪農経営における生産費規定要因と低コスト化
対策、1989年6月」においては、28戸の酪農経営調査結果の分析から、農家
間の牛乳生産費格差に最も影響する要因として、その影響の大きなものの順に並べ
ると、@耕地1ha当たり自給飼料費、A経産牛1頭当たり労働時間、B耕地1ha当
たりTDN収量、C分娩間隔、D経産牛1頭当たり乳量、などとなっている。とく
に自給飼料費の格差形式要因としては1haあたり農機具費が最大で、次いで肥料費、
建物費、労賃の順となっている。牛乳生産費の低い農家は、農機具、建物(サイロ
など)などの固定費が低く、かつ肥料費も低くなっているという。

  都市近郊酪農に比べて、遠隔地の草地型酪農経営が必ずしも経営的に有利でなく、
固定負債農家が多いということも、自給飼料生産が現状では購入に比べて相対的有
利性の低いことを端的に物語っている。農業統計の示すところによれば、主要作物
の中で牧草類の単収の伸びが最も低く、過去20年余りにわたって3トン台に低迷
しており、他方、栽培・収穫の機械体系だけは高度に発達し、年々大型化して典型
的な機械化貧乏の形成要因となっている。自給飼料作物の低反収、費用高の原因、
対策ともに、既にあらゆる酪農分析を通じて指摘されているところである。牧草畑
の適期更新、収穫調整用機械の共同利用推進、自給肥料の有効利用、早期刈取りの
実施などがそれである。それにもかかわらず事態が一向に改善されないのはどこに
問題があるのであろうか。恐らく作業効率の低さと共同作業参加への低意欲との2
つがその根底にあるものと考えられる。最終的な解決策は、飼料作共同生産組織普
及の一般化に求められると思われ、牧草用機械投資が畑作関係機械投資の数倍に達
することを思えば、農業機械の共同所有、共同利用、共同作業の3条件の充足が強
く求められる。農業機械の導入に当たっては、半額助成を受けているケースは多い
が、現在みられる機械共同利用組織の大部分は、いわゆる共同機械の持ち回り利用
集団に止まり、共同作業まで進んでいないものが大部分である。どうすれば自給粗
飼料生産の共同作業が進むのか大きな酪農政策の課題である。

  自給粗飼料費が我が国で高くつく理由について、これまで種々述べたが、この他
に自給飼料作物の種類の問題がある。北海道の場合、乾草、グラスサイレージ、コ
ーンサイレージの3本立て給与が一般的となっており、このことが機械投資、サイ
ロ投資、飼育管理労働費を増やす原因となっていることは明らかである。最近出版
されたイギリス酪農分析資料「のびゆく農業、イギリス酪農業におけるクォータ制
度導入による生産構造の変化、1990年3月」によると、クォーター性の導入以
来、イギリスの酪農経営において大きな粗飼料給与上の変化が生じたことが報告さ
れている。イギリスの場合、過去10年間で乾草給与量が1頭当たり836sから
206sに減り、他方グラスサイレージが2,910sから8,004sへと増加、
サイレージ単独給与に近づきつつあるとされている。イギリス酪農の変化は我が国
の草地型酪農にとっても甚だ示唆的であり、さきにふれた日英牛乳生産費格差にお
ける自給飼料費のちがいも、粗飼料種類のしぼり込みのちがいという視点からとら
えることも出来そうである。近年我が国でもロール・ベーラーによるパックサイー
ジ作りが次第に普及しつつあることから、粗飼料生産の単純化も、経済的視点から
は根釧地域に限らずもっと普及してもよい方向ではないかと考えられる。

4.生き残りの意味

  本稿を結ぶに当たって付言しておきたいことは、牛乳の低コスト生産は酪農では
とくに「規模の経済」が支配することから大規模化と密接にかかわっているが、こ
のことは大規模酪農でなければ21世紀酪農に生き残れないことを必ずしも意味す
ることではないということである。このことは、現在のアメリカ酪農の構成を考え
ただけでも明らかなことである。ウイスコンシン、ミシガン、ニューヨークなど五
大湖周辺の酪農経営には窄乳牛40〜50頭程度の家族経営が依然として数多く残
存しており、他方、西南部のアリゾナ、カリフォルニアでは数百、数千頭規模の企
業酪農が支配的である。ほぼ同一の乳価の下でこれら両形態は依然として併存して
いるのである。21世紀酪農の生き残りは、窄乳牛の数だけできまるものではない。
来るべき低乳価時代において、中規模酪農がファミリー・ファームの強靱さと高い
所得率を生かして大巾に残存することは大いに予想されることでもある。他方、計
算上の低コスト経営が最後に笑う者となりうるという保障もない。「生き残り」問
題は、終局的には経営主の生活信条、いいかえれば,彼らの人生哲学に依存してい
るように思える。各地における経営コンクールの上位入賞農家の中にも、もはや姿
を消した者が少なくないことが一つの証明になるであろう。収益以外の多元的価値、
いいかえれば「ゆとりある酪農経営」の追求こそが、日本酪農の生き残りに強い関
心をもつようにも思われるのである。

  編集者注:現行の加工原料乳の不足払い制度を前提として、いわゆる「二重価格、
二重割当性」的機能を有するチーズ向け生乳取引が実施されている。

  地域別生乳生産量を計画生産実施以前の53年度と平成元年度にかけての年平均
伸び率でみると、北海道は4.0%増、都府県は1.6%増となっている。


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