★ 国内現地の新しい動き


−ルポルタージュ−北海道酪農の希望の星

日本農業研究所研究員 赤嶋昌夫


両極に位置する酪農の星
   
 北海道は酪農王国である。だが、急激に進む農業の国際化の波に酪農王国は洗わ
れている。この激浪をどう乗りきるか、対応の道はさまざまにありえよう。世は選
択肢の多様化時代といっていい。知恵の出しくらべの時代である。

 そのさまざまな選択肢のなかで、ここに紹介する2事例、士別市の東多寄酪農生
産組合と旭川市神居の斎藤晶牧場は、21世紀を展望して有力とおもわれる二つのタ
イプの選択肢にとって、希望の星に位置づけられていいだろう。東多寄酪農生産組
合は、最新鋭の機械施設を装備し400頭の搾乳牛の飼養管理にコンピュータを利用
して高生産性大型酪農を志向する。いわばハイテク大型酪農路線のチャンピオンで
ある。片や斎藤牧場のほうは、設備投資に金をかけず蹄耕法で石だらけの傾斜地を
草地に拓き、いわば自然と共生するローインプット酪農の道をマイペースで歩む典
型事例である。前者は、昭和52年度の朝日農業賞、61年度の日本農業賞金賞の受賞
などかずかずの栄誉に輝いている。後者は、近年エコロジーや教育・文化など本来
の農業がもつさまざまな経済性を超えた多面的機能を重視する向きの注目を集め、
あたかも関係者のメッカの観を呈している。

同志的結合でハイテクを生かす
─東多寄酪農生産組合(士別市多寄町)
 
 ここは、6戸それぞれ夫婦2人ずつ計12人の組合員が営む完全共同経営体の大型酪
農である。じつは筆者は、5年前の昭和60年秋にも一度ここを視察した。当時は、
農用地開発公団による畜産基地建設事業が終わったばかりで、同建設事業で導入さ
れた鉄骨2階建約3,700平米のフリーストール型牛舎、コンピュータ利用の個体識別
濃厚飼料自動給与装置、10頭複列のへリングボーンタイプのミルキングパーラー、
周囲を威圧するように立つ4基の大型スチールサイロ等々、建物・機械施設のすべ
てが新品のピッカピカだった。この組合の畜産基地関係の総事業費は、農用地造成
関係約2億円、機械施設関係約14億6,000万円、計約16億6,000万円、ほかに170haほ
どの採草地の農地取得資金約7,000万円があり、合わせて総額約17億3,000万円にの
ぼる。事業費の負担区分は国庫補助62.2%、道費補助19.3%で大部分がカバーされ、
組合の自己負担率は、18.5%であるが、なにぶん大型投資であるため組合の負担金
は約3億円、組合員農家1戸当たりで約5,000万円の借金となった。これを3年据置き
17年の元利均等償還で昭和64年から返していかなければならない。折悪しく、思わ
ぬアクシデントもあった。昭和60年の春、肉用牛舎と分娩牛舎が漏電で火災を起し
てなかの牛もろとも焼失してしまった。その再建と家畜導入資金にさらに1億円ち
かい資金を要した。あれやこれやで約4億6,000万円(平成元年末現在)の負債を背
負っているのである。

 5年前に訪れたときの組合長は当時52歳の高橋文雄氏だった。畜産基地事業の構
想段階からの組合長である。この事業にどう取り組むかは、昭和37年にこの地に集
団入植して組合を設立していらいの死活をかけた選択の道だった。高橋さんは、昭
和50年代の初めごろから組合員を先進地視察や研修に派遣し、みずからもヨーロッ
パに出掛けて研究を重ね、慎重に計画を練ってきた。巨額の負債をともなう酪農経
営の一大刷新プランだが、熟慮断行でした、と回想されていた。こんど5年ぶりに
訪れてみると、高橋さんは畜産基地建設事業が完了したのを汐に、翌61年5月の総
会で組合長を退き、組合員資格も息子に譲り、現在は一従業員として働いていらっ
しゃる。新組合長の柏木信之さんに案内されて場内を見学してまわっていたとき、
重そうな去勢用の鋏を手にした高橋さんに出会った。乳オスの去勢作業に出向くと
ころだ、とのことだった。まだまだ壮者をしのぐ体つき、精悍な面がまえである。

 最新鋭のハイテク施設で資本装備を一新した組合の酪農経営は、乳価の低迷や牛
乳の計画生産など経済環境が悪化しているなかで、苦しいながら堅実に歩んでいる。
元年度の牛乳生産の実績は2,237t、経産牛1頭当たり5,538kgだった。計画生産で頭
を押えられているので乳用種肥育牛にも力を入れており、元年度の肥育向け頭数は
166頭だった。肥育をふくむ酪農部門の総収入は約3億1,500万円、畑作部門(小麦・
ビート)約4,500万円を合せて約3億5,900万円の粗収入である。組合員各戸への配
当一率700万円を確保し、年約4,000万円の償還財源をなんとか生み出している。ハ
イテク酪農に転換して間もない段階であるから、まずまずの成果と見るべきだろう。

 重装備の経営は小回りが利かない。しかもハイテクの技術分野ほど陳腐化するス
ピードが早い。しかも当面する酪農の経済環境は不透明である。石橋を叩いたつも
りでも予期せぬ齟齬は免れない。柏木組合長は、牛の泌乳能力と乳質を高め大型機
械施設のランニングコストを軽くし、肉牛部門と畑作部門の収益性を向上させる等
経営改善上の課題を率直に説明してくれた。反面、余暇時代の世の中だから、就労
体制の刷新と福祉厚生対策にも力を入れたいという。「新しい血と力」を注入して
山積する課題を乗り切りたい、とも語った。

 たしかにこのハイテク酪農の現状は楽ではない。だが、17億円にのぼる最新鋭の
資本装備、草地・耕地あわせて400haの土地ストック、さらに入植いらい28年間苦
楽を共にして培った6戸12名の同志的結合のマンパワー、まさに三拍子が揃ってい
るのである。その潜在能力は大きい、と見たい。あたかも畜産基地事業が一段落し
た時期は、組合員の世代交替期でもあった。新組合長の柏木さんは43歳、補佐役格
の山本巌さんは37歳だ。新しい時代感覚のリーダーシップが期待される。

山に教わった放牧酪農
─斎藤晶牧場(旭川市神居町)

 牧場主の斎藤さんは今年62歳、小柄なお体だが運動神経は抜群で、身のこなしは
バネのように敏捷だった。斎藤さんは、古ぼけた四輪駆動のライバンをたくみに運
転して、放牧地の山の道なき道を登って現場案内をして下さった。牧場内の標高差
は130m、放牧地の山腹の傾斜は15度以上が4割も占めているとか。そして大小の岩
石があちこちに顔を出している。よくもこんな斜面にこれだけ草生のよい草地造成
ができたものだと感嘆した。よく見ると、禾本科と豆科3種混播の牧草は、山頂に
も牧道の上にまでも地肌を見ることができないほど密生している。しかもここは見
事な景観である。約90haの牧場面積のおよそ3割は林地として残されている。クル
ミ・カツラ・コブシ・ナラなどの広葉樹はなるべく切らずに残されてある。それら
の広葉樹のあちこちに山ブドウやコクワやマタタビなどの蔓生植物がからんでおり、
ふさふさと実が下っているのが見かけられる。折しも紅葉の時期を迎えており、草
地の緑をベースに赤黄、濃淡の紅葉が斜面に綾なしているのである。訪れた時間が
夕方に近かったから、放牧の乳牛たちは畜舎に近い採草地に移動していて、山頂か
らは豆粒のように見える。眼をあげて遠望すると、真正面に14.5キロ離れた旭川市
の市街地がくっきりと浮き上ったように眺められる。牧歌的な景観とは、まさにこ
のことだと感じた。旭川市の市民グループや幼稚園児が楽しみにしてよくここを訪
れるという。

 斎藤牧場の現況は、搾乳を行っている第1牧場が70ha、昭和53年に土地取得し育
成牛を放牧して草地造成中の第2牧場が60ha、あわせて総面積約130haである。第1
牧場というのが、昭和22年に斎藤さんがここへ入植して以来の本拠地なのである。
牛はホルスタイン種で搾乳牛70頭、育成・肥育牛約120頭であるが、搾乳牛のグル
ープには種牛2頭を入れて自然交配を行っているのが特徴的だ。この種牛は、長女
の嫁ぎ先の隣村の酪農家で生れた雄仔牛のなかから、斎藤さんが目利きしてもらい
うけてきたものだそうだ。人工授精とちがって、自然交配だと乳牛の受胎率は100
%確実だという。牛舎もサイロも見かけはお粗末だ。古材を利用した畜舎のほかに、
野菜栽培用のビニールハウスを使った補充用の牛舎もある。サイロは、斎藤さんは
“トタンサイロ”と呼んでいるが、円筒状にトタンを張って上にビニールをかぶせ
た簡易なもので、40t入りのが8基ある。1基作るのに2万円ですむという。万事設備
投資に金をかけないのが斎藤さんの流儀である。もっとも動力農機具は惜しまず一
式揃えている。しかし、これもなるべく中古品で間にあわせている趣だった。ご家
族は、斎藤さんご夫婦と3人の息子さん、次男と三男は最近結婚したばかりである。
次男夫婦は20キロほど離れた第2牧場の担当で、そちらに住居を構えている。


 斎藤牧場が今日のような姿で独自の酪農の道を確立するまで、苦節の試行錯誤の
三十有余年があった。入植後十年間ほどの開墾時代のご苦労はなみなみでなかった。
割当てられた入植地の立地条件が、普通の営農の立地条件としては最劣等地だった
からだ。経営が行き詰まって、何度も途方にくれたそうだ。そういうとき、斎藤さ
んは見通しのいい高い木に登って、枝にお猿さんのように腰掛けて、じっと山を見
つめて気をまぎらしたという。その高い木のあった場所が、いまは立派に草地造成
されている放牧地の山頂だった。自然と共に生きる放牧酪農のアイディアのひらめ
きは、木の上での沈思黙考の産物だったという。

 斎藤さんは、蹄耕法という草地造成の技術を人に教わったわけではない。「山が
教えてくれましたよ。」と語った。斎藤哲学は、山で生きるものみんながそれぞれ
のところを得て共生するという考え方が基本である。樹木の伐採は必要最小限にと
どめる。岩石はそのまま置いておく。草地にするため灌木や笹を刈り払っても火入
れをしないで腐るのを持つ。牧草のタネを播いたら雑草退治は放牧した牛にまかせ、
人間はワキ役で手伝う。「なにごとも思うように行かなかったばあい、50パーセン
トで仕事をやめてじっくり様子をみる。つぎにどうしたらよいかは山が教えてくれ
るんです。」と。時間はかかるが、手もどりすることのない安全確実な手法である。
新しい経営技術を自前で開発するばあいの要諦であろう。先年、ニュージーランド
の蹄耕法草地改良の専門家が斎藤牧場を視察したとき、これは理想的な蹄耕法の成
果だと折紙をつけたそうだ。

 斎藤牧場の酪農としての経営成績は、ユニークな草地造成以外の分野では、近代
的酪農の一般的な経営分析のメルクマールからすればそう芳しいものではない。む
しろ、そういう近代酪農のモノサシからすれば偏差値こぼれの劣等生に位置づけら
れもしよう。一頭当たりの搾乳量は4,000kgそこそこであるし、乳質検査の結果も
いくつかの指標では落第生なのである。乳飼比も一般水準にくらべてかなり高い。
牛の泌乳力が低い反面濃厚飼料のロスが多いのかもしれない。それらは、あまりに
施設がお粗末で、必要な労働作業が行き届いていないことの反映と見られかねない
だろう。

 斎藤牧場の経営技術の細部については、さまざまに改善の工夫をこらすべきとこ
ろが残されている。だが、細かい点はさておき、いちばん評価されるべきところは、
斎藤牧場の骨太な営農のメカニズムとそれを貫く経営哲学であろう。その風土と共
に生きる酪農のメカニズムと哲学こそ、現代経済社会のなかで日本農業が見失って
しまっている本来の農の尊い原点なのである。近来、欧米でも経済効率の追求を至
上原理とする近代的農業にたいする懐疑が強まり、発展性よりも永続性を重視する
サスティナブル・アグリカルチャア(永続的な農業)が新たな目標となるべきこと
を提唱する国際世論が高まりつつある。わが国でもそういう論調や運動が力を得て
きつつある。「文化としての農業」が見直されるにいたってもいる。

 21世紀を展望するとき、斎藤牧場のいき方が酪農ばかりでなく、日本農業全体の
進路にとっても、大きな教訓を含んでいるとおもう。これに謙虚に学び、あたたか
くその歩みを見守ってあげたい。

 今回のルポ旅行で、行く先裂きの道路わきに、「ゆっくり走ろう北海道」という
安全運転の標語を見かけた。斎藤牧場はこの標語の農業版を地でいっている。国際
化時代に生き残る農業の経営対応の道は、とかくせっかちな効率追求路線を突っ走
りがちだ。そうでない、サスティナブルの農業路線がここにある。そう感じて、た
め息の出るおもいを抱いて斎藤牧場を辞した。


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