★第75回国際酪農連盟年次会議


日本における生乳計画生産

(財)全国競馬・畜産振興会 常務理事 芝田 博


 この稿は、去る10月15日から17日にわたって東京で開催された第75回国
際酪農連盟年次会議のC専門委員会席上における(社)日本国際酪農連盟C専門委
員会芝田博委員長(当時)(前畜産振興事業団理事)の講演の要旨を、同氏の許可
を得て掲載したものであります。

写真.講演する(社)日本国際酪農連盟C専門委員会
           芝 田  博  委員長
(現(財)全国競馬・畜産振興会 常務理事)
写真提供:(社)日本国際酪農連盟

日本における生乳計画生産

1 生乳計画生産が開始された歴史的背景

 日本において生乳の生産調整すなわち生乳計画生産が開始されたのは、昭和54
年度です。需給調整の最後の切札ともいうべき計画生産が開始されるに至った歴史
的背景について簡単に述べてみます。

 日本の酪農乳業は、戦後、国民経済の復興・発展に伴う所得水準の上昇と食生活
の洋風化による牛乳乳製品需要の増大に支えられて高い伸び率をもって成長を続け
てきました。

 特に昭和41年に加工原料乳に対する不足払制度が創設された以降は、おおむね
安定的に生産を拡大してきましたが、昭和47年〜49年と続いた世界的な穀物不
作による飼料穀物価格の高騰と、48年秋の第一次オイルショックの影響を我が国
畜産を直撃し、畜産パニック、とりわけ酪農危機といわれる程大きな打撃を与えま
した。

 この時期には酪農家の離脱が相つぎ、47〜49年の3ヶ年で、279.3千戸
から178.6千戸へと36パーセント減少しました。このため乳用牛の飼養頭数
は戦後初めて減少に転じ、同じ3年間で1,856頭から1,752千頭へと5.
6%の減少を示しました。そして生乳生産量も減少しました。

 このような危機的な状況に直面して、生乳生産者団体及び乳業社の団体は、政府
に対して打開策を講ずるよう強く要請し、政府もこれに応えて諸種の対策を講じま
したが、結局のところ、生乳の価格及び飲用牛乳や乳製品の価格の大幅引上げが危
機突破のきめ手となったのです。

 このような生乳価格の引上げを中心とする諸対策により、酪農家戸数の急減とい
う大きな痛手を蒙りながらも、酪農危機は一応克服され、生乳生産は新たな拡大の
方向へと向かったのです。

 そしてパニックが収まり、経営体質、生産基盤の強い酪農経営が生き残り、飼料
等の生産資材価格が沈静化したこと等により、酪農の交易条件が有利となったこと
もあって、50年代に入って生乳生産は急速に回復し、51年〜53年の3年間、
7.2パーセント、8.8パーセント、7.1パーセントと高い伸び率で増大し、
50年の500万トンから625万トンへと大幅に増加したのです。

 この間、飲用牛乳の消費も、年率5.5パーセント、6.4パーセント、4.4
パーセントと順調に伸びてはいたのですが、生乳生産の伸びが高率であったため、
供給は牛乳乳製品の需要を上回り、乳製品の在庫は急激に増加し、その価格は低落
しました。このため、畜産新興事業団は、昭和52年、53年の両年にわたってバ
ター及び脱脂粉乳の買入れを行ないましたが、価格は回復しませんでした。昭和5
3年度末の国内の乳製品在庫は、バターで需要の約5.7ケ月分に当たる26千ト
ン、脱脂粉乳で約9.7ケ月分の75千トンに達し、畜産振興事業団は、そのうち
バター約12千トン、脱脂粉乳約45千トンを保有し、これ以上の買入は管理運営
上限界に達しました。

 54年度においても、生乳生産が需要を上回って推移することが見通され、農林
水産省は、54年度の不足払制度にかかる諸価格の決定に当って、畜産新興審議会
に210千トンの生乳生産の圧縮が必要との見通しを示しました。ここに至って、
不足払制度の根幹をゆるがす恐れのある深刻な需給の不均衡を克服するためには、
直接的な手段によって生乳生産の急速なダウンを図らなければならない情勢に立至
っていることが誰の目にも明らかとなったのです。

 現実に飲用牛乳の安売り拡販競争、そして飲用牛乳向け生乳の乱売が広汎に起こ
っており、この面からも生産調整の必要性は生乳生産者団体のリーダーには痛感さ
れるに至っていました。

 このような情勢に対して強い危機意識を持った生産者団体は、その全国組織であ
る中央酪農会議において真剣な検討を重ねた末、昭和54年度より国の支援も受け
て生産者による自主的な生産調整−計画生産を開始することを決定しました。


2.生乳計画生産の開始とその効果

 このようにして我が国のミルク・クオーター、生乳計画生産がスタートしたので
すが、その特色を2点挙げておきたいと思います。

 第1点は、我が国計画生産は、行政庁による慫慂と指導のもと、生産者団体の自
主的な行動として開始されたことです。そしてその有効性から不足払制度を支える
基幹的な制度へと進化して行くのです。

 第2点は、この計画生産は、乳製品輸入国としての日本において、計画生産の下
に組み込み難い輸入乳製品の存在を前提とせざるを得ないという、困難な問題を抱
えてスタートしたということです。この場合の輸入製品とは、畜産新興事業団によ
って供給逼迫時に輸入されるバター、脱脂粉乳だけではなく、調整食用脂、ココア
調整品等の形で輸入される乳製品も相当の量にのぼっていることをも意味していま
す。

 ともあれ、スタート当初の計画生産の進め方は、中央酪農会議において、
(1)国内における生乳需要量を予測し、
(2)これに見合う計画生産数量−生乳供給計画量を決定し、
(3)これを一定の基準に従って各都道府県の指定生乳生産者団体毎に割当て、
(4)各指定生乳生産者団体は、これを傘下の農協毎に割当て、農協が個々の組合
  員生産者に割当て、
(5)計画生産割当量超過に対する措置−生産抑制措置、市場からの隔離、ペナル
  ティ−等の措置を定める。

――などで、単年度の均衡を図ろうとするものでした。当初、発足時に存在した累
積在庫は棚上げとしたこともあって、計画生産数量は連年続いてきた高い生産伸び
率を急速にダウンさせることを目標とするものでした。

 初年度である昭和54年度は、農林水産省が示した生乳需要予測数量をそのまま
生乳供給計画量として採用したが、55年度以降、生乳供給計画量の決定は、中央
酪農会議に設けられた「生乳需給委員会」において、@生乳の需要量を予測し、A
当該年度の需給調整の基本的考え方と、B生乳供給計画量の案を作成し、これを受
けて指定生乳生産者団体会長会議で最終決定を行うというプロセスで決定されまし
た。

 「当該年度の需給調整の基本的考え方」においては、@過剰在庫の処理をどうす
るか、A生乳生産(酪農経営)の安定性をどう考慮するか、B輸入乳製品をどう位
置付けるかの3点が常に問題の焦点となっていました。@については、過剰在庫を
棚上げし、単年度需給均衡を原則としながらも、現実には過剰在庫の削減のための
生乳生産抑制も織り込んでおり、Aについては、急激な生産ダウンにより酪農経営
が不安定に落入ることのないよう配慮するということであり、Bは、乳製品過剰と
いわれる中にあっても、生乳換算250万トンにものぼる輸入乳製品を、何とか国
産に置き換えて生乳供給計画量に取り込めないかという議論でした。

 このような苦渋に満ちた議論の末に決定された生乳供給計画量は、54年度は供
給見通し数量(計画生産を行わなかったとすれば供給されたであろう数量)から千
トンを抑制した6,373千トン、対前年伸び率1.9パーセントの厳しい計画量
となったのを初め、過剰在庫の消滅のために50千トン〜80千トンの上積み抑制
を織込んだ55年度〜57年度は、それぞれ、マイナス0.1パーセント、プラス
0.3パーセント、プラス2.2パーセントという厳しい供給計画数量を決定した
のでした。計画生産実施直前の3年度間の生乳生産の平均伸び率が7.7パーセン
トであったことからみて、生乳生産者にとって厳しい生産・出荷の抑制計画であっ
たことは明白です。

 このように決定された生乳計画量は、各都道府県の指定生乳生産者団体別に割当
されて初めて実行に結びつくことになります。生乳生産者は地域特性と特殊な利害
関係を有しています。例えば関東圏の生産者は東京という巨大な飲用牛乳消費地を
擁しており、もしこれを独占できれば生産の抑制は何ら必要がないでしょう。これ
に対して北海道は、消費地からは遠いが大きな生産力と低い生産コストという強み
を有しており、生乳の広域流通を望んでいるという風にその利害は相違します。

 生乳供給計画量の配分は、国内各ブロックの生産者の代表で構成される生乳需給
調整対策委員会で検討され、指定生乳生産者団体会長会議で合意により決定されま
すが、このプロセスはまさに各地域間の利害の調整そのものであり、その割当方式
も常に変更、改善されてきたところです。この変遷を通観すると、おおむね、厳し
い減産を強いられる時期には、過去の実績シェアを基準に機械的に割当てする色彩
が強くなり、減産が緩和された時期には、各地域の潜在生産力や現場の希望等が重
視される傾向があり、その時点の需給動向をにらみながら、生産者全体の連携と合
意を重んじて、割当方式に創意工夫をこらしてきたのです。

 準備期間もなく、緊急の対策としてあわただしく実施された計画生産でしたが、
その効果は顕著なものがありました。高い伸び率を続けてきた生乳生産は、54年
度3.3パーセント、55年度0.5パーセント、56年度1.6パーセントと急
激にスローダウンし、計画生産の一環としての全乳哺育等による出荷消滅もあって、
乳製品の過剰在庫は、57年度に至って解消されたのです。


3 飲用牛乳向け生乳の価格低下問題

 生乳の計画生産は乳製品の過剰在庫の解消と、その価格の回復には大きな成果を
挙げたのであるが、この間、計画生産の浸透にもかかわらず、飲用牛乳向け生乳価
格は低下を続け、このため、飲用牛乳向け生乳価格と加工原料向け生乳価格の加重
平均である。酪農家の手取り実質乳価は低下を続け、酪農家の収入は低下し、経営
は不安定となりました。

 これは生乳の輸送技術の進歩もあって、生乳の広域流通が増大し、加工原料乳地
帯からより高い飲用向け生乳価格を求めて、飲用牛乳消費地帯への生乳の移入が激
化したのが第一の原因であり、計画生産による生乳生産総量の抑制も、その歯止め
とはならなかったのです。

 このため、中央酪農会議においては、昭和56年度指定生乳生産者団体別の生乳
供給計画量の割当を用途別(飲用牛乳向け、加工原料向け等)目標数量に分けて行
なうこととしました。そして指定生乳生産者団体毎に設定された飲用牛乳向け目標
数量を超過した団体には、超過数量に応じた課徴金を課し、下回った団体には補償
金を支払うことにより、不合理な生乳流通に歯止めをかけようとしたのです。

 昭和57年度からは、畜産新興事業団の助成も財源に加えて「用途別とも補償制
度」が実施されました。しかし、この問題は、地域間の利害が最も尖鋭に対立する
ところであり、この制度は充分に機能しないまま昭和61年度限り廃止されました。


4 計画生産順守ための諸措置

 計画生産の目標数量内に生産を抑制するためには、まず第一に、生乳生産の現場
すなわち酪農経営の段階において、生乳生産を割当数量まで抑制することが必要で
す。計画生産の初期においては、廃業する酪農家の実績を他の酪農家に配分するこ
と等によって生産者組織単位で割当数量の順守を図ったが、厳しい減産を求められ
る年次においてはこれも限界に達し、各酪農家別の集荷数量割当とその超過に対す
るペナルティー措置の導入が行われ、最終的には割当超過生乳の指定生乳生産者団
体による受入れ拒否という形で、強制的に生産の抑制が実施されました。そのため
の裏付措置として、乳牛と畜奨励金の支出が行われ、厳しい減産の行われた昭和6
1年度には28千頭の乳牛がこの制度によってと畜されています。

 第二の方法として、超過生産された生乳を市場から隔離する方法がある。これは、
全乳哺育と、特別余乳処理があります。

 全乳哺育とは、生産した生乳の一部を子牛哺育用に振り向ける方法であり、農林
水産省も積極的にこれを奨励し、畜産振興事業団の助成事業として再々、奨励金を
交付しています。昭和55年度、56年度の88千トン、61年度の114千トン、
62年度の92千トン等が多い年の例です。

 特別余乳処理とは、超過生産された生乳を乳製品に委託加工し、市場から隔離す
る方法です。指定生乳生産者団体の委託を受けて中央酪農会議がこの乳製品を管理
し、需給動向を見て処分するが、多くは飼料用等の販売されてきました。生乳価格
としては極めて低いものとなる訳です。昭和60年度には、63千トン、61年度
には、65千トンの生乳が、この方法によって市場から隔離されたのでした。


5 安定的な計画生産への努力

 生乳計画生産の実施により、過剰乳製品在庫は昭和57年に至って解消されまし
たが、その後、飲用牛乳の需要が低迷し、昭和60年度に至って、その伸びはマイ
ナス1.3パーセントとなったため、再び乳製品の民間在庫の増加と価格の低下を
招くこととなりました。このため、中央酪農会議においては、昭和61年度〜62
年度の生乳供給計画量を、それぞれ対前年実績比マイナス3.6パーセント、2.
6パーセントとする厳しい減産計画を実施したのです。この減産効果と、62年度
において飲用牛乳の需要が急転5.3パーセントの増加に転じたことによって、6
2年度下期には、生乳需給は一転して逼迫しました。ここで、中央酪農会議は、
「特別調整乳」という名称で、年度半ばにおいて、生乳供給計画量の追加配分を行
ない事態に対処しました。

 そしてこのような需要の予測と現実のギャップに対処するため、昭和63年度以
降は、この特別調整乳を制度化して計画生産の安定化に努めることとしたのです。
すなわち、生乳需要予測量を、「基本的生乳必要量(最低限確保すべきものと推定
される量)と、可変的生乳需要量(生乳需給を左右する原因の変動によって予想さ
れる生乳需要の変動幅)とに分け、生乳供給計画量も前者に対応する「生乳出荷基
礎目標数量」と「特別調整乳」とに分ける、そして基礎目標数量は一定の算出方法
によって各指定生乳生産者団体に割当てし、特別調整乳は、各指定生乳生産者団体
の希望に応じて割当するというものです。そして、需給が緩和して過剰の発生が懸
念される場合には、この特別調整乳部分が優先的に減産または市場隔離されるとす
るものです。

 また、酪農経営の安定と計画生産の安定との両立を図る観点から、従来の単年度
の計画生産に替えて、平成元年度以降3年間を一期間とする中期計画生産制を採る
こととし、この期間内の各年次について設定した目標数量は、当該期間においては
基本的に固定することとしたのです。


6 国の指導、援助

 このように、我が国の生乳計画生産は、生乳生産者団体の自主性を尊重し、その
創意工夫を引出して、常に改善されながら実施されているのであるが、国も、農林
水産省による指導と畜産振興事業団を通じての資金的援助によって、これを全面的
にバックアップしているのです。


7 結び

 このように、国と生乳生産者団体とが一体となって推進している我が国の生乳計
画生産んは、今や需給安定のための不可欠な制度となっていますが、一方、生乳生
産者の間には、厳しい計画生産にもかかわらず、乳製品の輸入は増大していること、
また飲用牛乳価格の改善につながらないなどの不満が高まっていることも事実です。

 これらのことは、計画生産が万能ではなく、消費拡大対策、国債協調、生産経営
対策等の諸々の対策や努力と相まってはじめて大きな力を発揮し得るものであるこ
とを示しているが、決して、計画生産自体の有効性、重要性を否定するものではあ
りません。

 さらに創意・工夫による改善と、国際的なノウハウの交換によって制度に磨きを
かけて所期の目的に向かって邁進すべきものと信じるものであります。


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