(財)農政調査委員会 国際部長 佐々木敏夫
集約畜産の落し子 −大規模生産システムと環境汚染− CO2など地球規模での環境問題とは、いささか趣きを異にするが、欧州では畜産 や穀物栽培など農業関連の身近な環境問題への取組みが行われている。農業は保水 機能、緑の景観保全など生活環境の改善に有益であると評価されてきた。ところが 1960年代後半から欧州各地で頻発した産業・都市型公害問題を契機に、農業も環境 破壊の一因にもなることが明らかにされた。戦後、広く普及した集約農業部門から 産出される余剰厩肥、窒素、燐酸の類が何時の間にか水質、土壌、大気を汚染し、 都市や農村住民の生活環境を脅やかしていたのである。集約農業は肥料、農薬、濃 厚飼料などの生産資材の多量投入の下で畜産物などの大量生産システムを確立させ た反面、農地で還元利用が困難なほどの多量の余剰厩肥、窒素、燐酸などを産出さ せ、流出させてきた。作物が吸収・利用し得ない土壌の余剰窒素、燐酸は地表水、 地下水、沿岸海域へと流出し、有機物質も同様の現象をもたらした。この結果、飲 用不適の地下水の増加、河川、沿岸海域などでのCOD値(化学的酸素要求量)の上 昇、富栄養化がすすみ、新たな環境破壊の原因となったのである。また、厩肥、畜 舎などから発生するアンモニアなどのガス体は大気汚染の一因となり、悪臭は住民 の苦情を増加させた。 広域の環境対策 −環境保護主義運動の高まり− 余剰窒素は土壌中で容易に硝酸塩に変化して地下水に溶解し、高い流動性をもっ て広い範囲の硝酸塩汚染を招来しやすい。飲用水汚染や富栄養化への対策は農業の 各部門や国境を越えて広く講じられてきた。 畜産、穀物栽培の集約経営が支配的なオランダ、デンマーク、ドイツなどで硝酸 塩、富栄養化が問題になり始めるに伴い、環境保護主義運動も活発な政治活動を通 じて、政府、政党に対して様々な要求を行ってきた。これら諸国の環境対策が世界 で最も急進的である理由の一端はこうした環境保護運動や政治的対応と無縁ではな さそうである。 進んだオランダでの取組み −環境目標実現に向けて− この地域で農業の環境問題に最も厳しい考え方と取組みを行っているのがオラン ダである。同国は世界第3位の農産物輸出国として知られるが、その中核は畜産物 である。国家経済においても畜産は殊のほか高い地位にある。集約畜産の健全な発 展は国民の支持を得ているという立場から、環境問題を克服し、今後においても、 高い生産性をもち、持続的かつ市場競争的な畜産生産を行う方向を選択している。 畜産生産を2000年に向けて、そうした新たな構造に再編しようとする意欲的なプラ ンが打出されているのである。 農業分野に関する環境目標は、全般的な国家計画の中で実現目標値が設定されて いる。主要なものをあげると、@地下水の硝酸塩濃度基準である1g当たり50rの 基準を達成する、A1980年を基準に畜産経営から発生するアンモニア量を70%削減 する、B燐酸の投入と産出のバランスを完全に実現する、などである。これらの目 標は投入財の抑制、とくに化学肥料、厩肥の使用を適正にすることで実現させよう としている。化学肥料の使用を抑え、厩肥の散布量の適正化をすすめている。厩肥 は含有する燐酸量でもって総量規制を行い、年間1,500万トンと推定される余剰厩 肥の解消を図ることとしている。このため農地面積当たりの家畜飼養頭数の制限と 燐酸量による課税制度を実施している。また、農地に直接的に依存しない養豚、養 鶏経営には厩肥利用計画の提示が義務づけられている。このほか、厩肥散布の禁止 時期の設定、散布方法の適正化、厩肥貯蔵施設の拡張、厩肥余剰地域から不足地域 への流通システムの確立など、環境目標の実現のための諸対策が実施されている。 等閑視できない環境への取組み −畜産の将来を握るカギ− 我が国畜産の環境問題は、欧州で支配的な水質汚濁、富栄養化とは異なり、ふん 尿や畜産施設などからの悪臭問題が主体である。水質汚濁問題も近年増加傾向にあ るが、苦情件数ではまだ少数にとどまっている。これは畜産経営の立地条件、気象 など我が国独自の事情に由来する。環境を損わないで、畜産経営が可能な適地は限 られているため、ふん尿処理や家畜飼養に伴う諸問題を極力緩和する対策が中心と ならざるを得ない。畜産のなかでも養鶏はふん処理が比較的容易で処理済鶏糞の流 通も広く行われているが、養豚、酪農は処理施設に多額の投資を要したり、技術的 に未解決の問題も存在する現状である。 我が国の大家畜経営では土地の制約から自場内の農地でのふん尿の還元利用が難 しく、欧州とは異なる処理、利用方法がとられている。環境対策は生産性向上など 経済的要因と反する側面を有しているだけに、環境改善への農家の対応は消極的と なりがちである。しかし前述のオランダなどにみられるように、また近年における 国民の環境や食品安全性などへの関心の高まりからして、環境への適切な取組みは 避けて通れない今後の課題であろう。