★ 巻頭言


土地利用型畜産の岐路

農業ジャーナリスト 増井和夫


1.穀物価格は2倍に

 経済力にまかせて食料輸入を拡大し、国内生産を縮少させていくことについては、
「食料輸入発展途上国の食料調達を困難にするもの」、「農産物輸出は『土壌』と
『水』の輸出であり、輸出国自身の環境破壊を助長するもの」などの国際的批判を
惹起するおそれがある。

 冒頭に引用したこの文章は、農業団体のものでも、国粋主義的な食料自給論者の
ものでもない。近ごろでは大胆かつ明快なこの文章は、今年6月に農水省がまとめ
た、通称新農業政策、正式には「新しい食料・農業・農村政策の方向」の中から原
文のままの引用である。

 農水省がそのように言い切った背景には、新農業政策の検討に当たって、世界食
料需給モデルによる2,000年までの穀物等14品目の需給、価格等の見通しを行い、
穀物価格水準がほぼ2倍の水準になるとの予測結果が得られた事がある。

 貿易黒字べらしに、食料輸入を拡大する事は、ごく1部の穀物輸出国から評価さ
れるかも知れないが、乏しい外貨で、最小限の栄養水準を満たすために食料輸入を
せざるを得ない国がある状況の中で、食料になる穀物を飼料として買い入れる国に
反感が強まろう。

 購買力の差と言えばそれまでだが、前掲の文章後半は、そうした輸出国において、
環境問題の高まりから貴重な土壌や水を持っていかれるという新たな問題が想定さ
れるとなれば、今までと異なる次元で物を考えなければならないだろう。

 穀物は作物のごく1部である。それが根こそ残されるとはいえ、植物体全体が毎
年輸出されるとなると、地力問題は倍増し、その国の環境破壊に与えるインパクト
はきわめて大きなものになろう。我が国輸入農産物の中で、ヘイキューブ、乾草な
ど、粗飼料ほど潜在的な問題を内包しているものはない。

 容積も大きく、輸送に化石燃料を大量に消費するうえ、防疫を完全にするには、
薬品を使わなければならない危険な要素もある。


2.農地を遊ばせて輸入依存では

 食料の絶対量が不足していた時代は、粗飼料生産に利用される農地は、直接食用
に供される作物の生育に適さない生産条件が劣る農地であり、原野等であった。

 しかし、今日、農業センサスで把握されている工作放棄地だけで約22万haあり、
米の生産調整で84万haの水田が稲作を休み、畑地等では山間傾斜地の桑園等の荒廃
が広がっている。約500万haある農地面積のうち、2割、100万ha以上が、利用され
ないか、ごく低利用の状況にある。二毛作可能の農地が多い中で、耕地利用率は昭
和35年の約133%から、平成3年には102%に低下している。

 海外から、濃厚飼料のみでなく、粗飼料まで輸入している国が、生産力のある農
地を遊ばせているようでは、金にまかせて資源を買いあさるという批難に答えるこ
とはできない。

 このような不耕作地の拡大と裏腹に、牧乾草の輸入は、1991年には約104万tに達
しており、5年前の倍以上、年率20〜30%もの急増ぶりである。ほかに「穀物のわ
ら」と分類されているワラ類も、1991年に約29万t輸入され、92年前半だけで18万t
と輸入増が進んでいる。

 元農水省草地試場長の高野信雄氏は、輸入粗飼料の依存割合が17〜18%に及んで
いると試算している。

 最近、煙公害などの理由で反省されつつあるが、ワラを焼却する例は絶えない。
地元にある資源を使わないで、「ワラを売ってでも多少の収入を得たい、長期的な
地力問題など考えていられない」そんな発展途上国からのワラ輸入を続け、拡大す
べきではなかろう。

 10月初旬、米国ウイスコンシン州マジソンで、ワールド・デイリー・エキスポを
見る機会があった。世界一の乳牛共進会だそうだが、エキスポというだけあり、展
示も豊富でその中には州単位の乾草販売組合等の実物を置いての展示がいくつかあ
った。毎年、乾草を作り、出荷してしまうことからくる地力問題はないのか聞いて
見たが、科学的な肥料設計でその心配はないとの当事者の回答であった。

 近くのコーナーに遺伝子工学で家畜の種としての特性を超越し人工的に手を加え
る事に反対する団体の展示もあり、同じ質問をすると「LISA=低投入持続可能な農
業」の発想から見ると好ましくないと賛同者と見たのか熱心に説明し放してくれな
かった。

 米国では土壌学者を中心に、穀物の輸出は同量の貴重な表土の輸出警告されて久
しい。まして、粗飼料、植物全体では――である。


3.アニマルライト(動物の権利)運動

 今回の訪米は、世界農業ジャーナリスト連盟総会に参加、各国の農業記者と農場
巡りをするのが主な日程だったが、ECや北欧からの記者が、訪問先で必ず質問す
るのが、bST(牛泌乳促進ホルモン)とアニマルライトであった。

 ECは米国産牛肉をホルモン残留の危険を理由に輸入制限をしており、産乳量を
20%も増加させるというbSTに反対の立場での質問である。訪問した農場はいずれ
も家族経営であったためか草地にゆとりがあり使わないとの答えであったが、使用
は畜主の判断にまかされているとの事であった。

 アニマルライトについては、「畜産の情報(海外編)」でもEC共通農業政策と
して実施段階であると伝えられているが、対象がまず豚であり、土地利用型家畜で
ないことが注目される。つまり、EC等において、牛は大地の上で飼うのが当り前
であり、濃厚飼料はおろか、粗飼料まで購入して飼い、ふん尿は土地還元されない
「異常」は一般論としてあり得ないからである。

 そこで起きている問題は、飲用水源が100%地下水であるデンマーク、耕地当た
りチッ素量投下が世界一のオランダなどふん尿の土地還元の方法、量であり、耕地
面積と家畜の頭数がリンク、制限される方向である。つまり家畜は一定の農地がな
ければ飼えない仕組である。デンマークでは、他人の耕地に還元する場合も想定し、
全耕地の肥料計画が義務づけられ、堆肥の供給源も特定される必要がある。これは
地下水汚染防止のためではあるが見た目には牧歌的風景、放牧がなくても間接的に
土地利用型本来の飼料構造が普通である。

 そこにはアニマルライトの標的はない。ごく一部の過激派の動きであるが、EC
の豚の密飼い制限を見ていると、施設型畜産が、大家にまで及んでいる国として、
いつまでも安泰でおられるのだろうか。


4.緑の牧場から食卓へ

 チキンを売り物にしている外食産業が、北海道に放し飼いの養鶏場を作り、宣伝
に利用している。店頭で売られるチキンはほぼ100%そのような飼い方でない。と
すれば宣伝は錯覚を利用していると言えないか。しかし、そうしたPRは、鶏や外
食産業だけのものではない。

 施設、加工型畜産物は内外自由競争下にある。土地利用型畜産からの牛乳、牛肉
等は、自由化もされたが輸入制限や高関税が続けられている。これは土地利用型畜
産として農業全般の中に必須の要素として組み込まれ、土地利用上からも草食家畜
の存在が重要だと国民が一定の理解をしているからこそである。

 単なる就業の場としての加工型畜産であれば、国境措置や公共、非公共の助政策
も成立しにくい。

 牛乳も、国産牛肉も「緑の牧場」の産物だと信じられているのである。本誌10月
号に日本短角種の奮闘ぶりが出ているが、その中で生協等が、環境問題をクリアし
た食べ物を求めている旨の内容がある。その方向は強まりこそすれ、弱まることは
なく、アニマルライト運動が日本に飛び火すれば、影響は劇的に大きくなることも
あろう。

 土地利用型畜産は岐路に立っているのである。


5.人間の労働が一番貴重

 飼料づくりから開放され、牛の管理に専念できる――粗飼料購入型の大家畜、特
に酪農の規模の大きい層での非土地利用の弁である。

 ここでいう土地利用とは、自からの立場、農山村内での事であるが、乳牛の管理
を精密化し、平均でも1万kg以上を搾乳し、ふん尿は必要悪として金や施設をかけ
て処分する方法である。均質であるという輸入粗飼料を使い、濃厚飼料と併せて各
頭ごとに全く過不足なく飼料を与える。動物の限界にせまるファジーなき数値の世
界である。24時間、365日、徹底した管理は人間がやるか、機械施設が代行する。
精密化するほど、家畜も人間もストレスがたまるのが普通である。経済動物であっ
ても、追いつめると異常乳の発生その他ストレスから来る障害もまた大きくなろう。
人間の労働が一番貴重であれば、牛にも応分に働いてもらう方法が望ましい。放牧
は採草給餌も、ふん尿散布も牛自身がやり、なお健康、丈夫で長もちする牛づくり
の基礎になろう。装置化による省力を考えるなら、もうひと回り大きい、太陽、水、
土地、植生という大きな装置を念頭にそれらを牛が最高のパフォーマンスをできる
よう少しコントロールする発想が必要で、閉鎖的装置化は困る。


6.草資源の宝庫の中で

 日本は1億2千万人の人口で、購買力も高水準に平準化されている点では世界に
類がない。もうひとつ、世界に類がないのは足もとにある粗飼料資源が豊富であり
ながらその利用率が最低であることである。先進畜産国では牛を群で扱うのに一番
慣れていないのも日本である。

 そうは言っても、現実の経営の短期的収益を考えると、購入、輸入粗飼料を使う
方が有利であり、お前の言う事は経営の厳しさを知らない絵空事だと何回批難され
ただろう。

 しかし、本来の土地利用型畜産として、足もとの大地に依拠して、放牧も組み合
わせ生活のゆとりを求め、成功している酪農家、肉用牛農家が点在している事も確
かだ。私にはどうもそのような経営では人間が長生きし、畜産の好きな家族も多い
と考えられる。粗収入は少ないが純収入の比率は高い。

 粗飼料資源が豊富にありながら、牛の口にまでつながらないのは土地利用システ
ムに問題があるが、前述高野氏の言う「テレフォン畜産」ができるからで、粗飼料
は作るのでなく電話で注文するものになっているためで、誰でも安易な道を選ぶ権
利はある。ただ、環境、省資源、消費者のイメージ等々、世の流れはそうした方法
を反社会的な私経済として認識する傾向が強まろうことは否定できない。

 最近、北海道等で粗飼料づくりを請負う会社が営業を拡大しているという。テレ
フォン畜産も、そうした足もとでの機能分担なら合理性があり、環境問題への対応
も無理がないかも知れない。水田耕作で育ちつつある飼料作物生産集団も、通年サ
イレージ技術の進歩で定着しつつある。

 また、下草刈り労働力が不足している林業との関係ではアグロフォレストリーの
手法も地域によっては重要である。耕作放棄地、荒廃した里山などの保全管理が、
公共的目的からも必要論が高まっているが、牛だけでなくめん羊も加えて、適度な
放牧は適度な植生の維持を図れる機能も注目されてよい。

 輸入粗飼料は麻薬のようなものでないか。

 使っているうちに習慣性のものとなり、使用量がふえていき、それだけ土地利用
型畜産としての社会的効能も減る。もし供給不足になると、禁断症状は大きい。牛
も人間も足もとにいくらでもある生草をすぐには代役に使えない皮肉な現象が起き
るのである。


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