★ 事業団便り


元畜産振興事業団副理事長小島和義氏の合同葬


1 昭和59年9月からほぼ5年にわたり、当事業団の副理事長を務められた小島和
 義氏が、去る9月30日(水)、心筋梗塞により急逝されました。同氏は、当事業団
 を退任後、蚕糸砂糖類価格安定事業団理事長を経て、この9月に(財)畜産環境整
 備リース協会理事長と(社)牛乳輸送施設リース協会会長に就任されたばかりでし
 た。

  同氏の合同葬儀は、(財)畜産環境整備リース協会、(社)牛乳輸送施設リース協
 会、蚕糸砂糖類価格安定事業団、畜産振興事業団、農蚕園芸団体連合会の関係5
 団体の共催により、11月10日(火)午後1時30分から、東京信濃町の千日谷会堂で
 しめやかな中で盛大に行われました。当日は、晩秋のことのほか肌寒い日でした
 が、故人の遺徳を偲び、千名以上にのぼる会葬者がありました。

  祭壇には、あの小島さんの親しみ深い遺影が、菊の花に囲まれて今にも語りか
 けるように置かれ、ご遺骨を前に、国会議員、農林水産省を始めとする官公庁、
 畜産・蚕糸・砂糖関係者など、故人と親交の深かった方々が、悲しみを新たにし
 つつ永遠の別れをいたしました。

2 葬儀では、読経の後、葬儀委員長の岡田覚夫元畜産環境整備リース協会理事長
 から、「畜産環境整備リース協会と牛乳輸送施設リース協会の長に就任されたば
 かりで、今後の華々しい活躍が期待されていただけに、61年の生涯はいかにも短
 く、痛恨の思いである。農林水産行政の様々の分野において、卓越した識見、指
 導力を発揮、要職を歴任され、数多くの業績を残された。退官後も畜産振興事業
 団副理事長として、牛肉自由化を控えた厳しい状況の下で、畜産の振興のため業
 務の的確な推進に尽力されるなど活躍された。生前の功績を偲び、尊敬と感謝の
 念を捧げる。」旨の弔辞が述べられました。

3 さらに、渡辺美智雄副総理・外務大臣、田名部匡省農林水産大臣、友人代表と
 して森実孝郎(財)食品産業センター理事長からの弔辞が続きました。
 
  渡辺副総理(長男渡辺喜美氏代読)からは、昭和45年農林水産政務次官を拝命
 したとき、「農林省で万般に明るい人は小島さんです」と言われての出会いにつ
 いて、その後、再度の政務次官、さらに農林大臣の時代を経ての長いつきあいに
 ついて触れつつ、惜しい人を亡くして残念でならないとの言葉が寄せられました。

  田名部大臣は、日米農産物交渉時の農蚕園芸局長としての行政手腕などに言及
 しつつ、農林水産行政に残した功績を讃え、農林水産業をめぐる情勢が厳しい折、
 高い識見と指導力をもつ先達を失ったことは痛恨の極みだが、その功績は後進の
 者に残されて永遠に生き続け、将来に大きく花咲いていくものと確信していると
 述べられました。 

  森実理事長からは、一高、東大、農林省と45年間の交流が語られ、一高水泳
 部では耐久力のある泳者として、面倒見のいいマネージャーとして、さらに農林
 省でも良い兄貴分として大変慕われ、省内で第一級の腕前といわれた麻雀・ゴル
 フの中心人物であり、これらを通じて人の輪を作っていくのには感服したなどの
 思い出を述べながら、心の奥に寒々とした冬の風が吹き荒む思いだとの惜別の辞
 がありました。

4 羽田孜大蔵大臣、加藤紘一内閣官房長官を始めとする各界、各氏からの弔電が
 披露された後、葬儀参列者の焼香があり、引き続いて告別式が執り行われました
 が、故人を偲んで会場内外にあふれるほどの焼香者の列は、5人の導師の読経の
 声の中で、1時間余りに及んで延々と続きました。

(総務部 山崎隆信)


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