野シバによる草地造成と放牧畜産
−高知県の中山間地帯−

(財)日本農業研究所研究員 赤嶋 昌夫


T 野シバの草地で赤牛の周年放牧

高知県三原村の北川牧場

 高知県西南部に位置する幡多郡三原村で、赤牛(土佐褐毛牛)の周年放牧による
繁殖牛経営を営む北川建造さんの牧場を訪ねた。三原村は、中村、宿毛、土佐清水
の3市にとりかこまれたエアポケットのような中山間地帯農村である。村の総面積
の91.5パーセントまでが山林原野で占められている。北川さんの牧場は、緑豊かな
西南暖地の中山間地帯の風土にマッチしたまさに牧歌的な景観を醸し出していた。


 北川さんの牧場は、県道沿いの山の約15ヘクタールのうち急傾斜地8ヘクタール
は雑木林のまま牛の避難林として残し、緩傾斜の斜面約7ヘクタールが野シバで草
地造成されている。斜面には、子連れの赤牛たちが悠々と草を喰んでいるのが、道
路傍から一望できる。放牧されている繁殖母牛は16頭であるが、種雄牛1頭が牧牛
に供用されている。ひときわ大柄の雄牛は、放牧地の一段小高い場所に陣取って、
威風堂々と雌牛たちを見守っていた。

 牧場の草地に足を踏み入れて、野シバの草地を歩く靴の感触は、まるで弾力に富
むマットのうえを歩くようだった。野シバ特有のランナーが幾重にも重なり合って
根を張り、靴が埋まるか埋まらないか程度の短い草丈の葉がびっしりと密生してい
るのである。案内して下さった北川建造さんは、「野シバの草地は、この段階まで
くるとまったくの手間なしです」と語っていた。雑草、雑木はほとんど生えていな
いし、格別施肥することもない。草地の維持管理は、「牛が主役で人間は少しお手
伝いする程度です」と。

 北川さんは、夫婦二人暮らしである。北川さんが63歳、奥さんは61歳だから、間
もなく高齢核家族世帯の仲間入りだ。33歳になる北川さんのご長男は、大学を出て
大阪で独身のサラリーマン生活である。しかし、「都会のサラリーマン暮しを一生
続けるつもりはない。時期がくれば必ず帰郷してあとを継ぐから、お父さんは頑張
れるだけ頑張っていて欲しい」といっているそうだ。

 北川さんは、夫婦2人で16頭の繁殖牛牧場を営むほか、水田80アール、主として
借地の転作田70アール、畑10アールを耕作している。自家水田の稲わらと転作田の
イタリアンは、冬場の粗飼料の補給に欠かせない。イタリアンの作付けは、水田裏
作と転作田を併せて約1ヘクタール、主として乾草利用である。

 北川さんは、毎朝1回呼鈴を鳴らして放牧の牛を牛舎に集め、牛たちを観察し、
濃厚飼料を与える。濃厚飼料の給与量は、親牛は1日1キログラム、育成牛は2キ
ログラムが標準だそうだ。冬場だけは、イタリアンの乾草が補給飼料として追加さ
れる。牛たちは、食べ終るとまた山へ帰っていく。畜舎での作業は、あとは糞出し
くらいのものだ。種付けは牧牛による自然交配だし、分娩も牧場内の自然分娩で手
がかからない。イタリアンの乾草調製作業も、金と手間のかからない簡便なしかけ
が工夫してあった。スノコを床に敷いたビニールハウスが畜舎の隣に建てられてい
て、稲わらもイタリアンもこれにほうりこんで、乾草に仕上げるという。動力農機
具は、カッターとモアーの各1台で充分、とのことだ。まさにLISA(LowInputSus-
tainableAgriculture;低投入・持続的農業)型畜産の典型といってよかろう。

 北川さんは、「今のやりかたであれば、これから夫婦が歳をとっていっても、た
ぶん90歳位まで無理なく、楽しみながら続けられると思います」と明るく笑ってい
た。

先憂後楽の草地造成と管理

 北川さんの牧場経営は、今ではすっかり安定感に満ちているが、ここへくるまで
が波乱万丈であった。その苦悩の過程の中に、尊い教訓が含まれていると思う。

 昭和40年に構造改善事業の助成を受けて、北川さんら5戸共同の農事組合法人清
水川牧場が発足した。これが北川さんの牧場の前身である。今の畜舎もそのときに
建てた共同畜舎を引き継いだものだ。31ヘクタールの国有林を共同で借り入れ、大
型繁殖経営を目指す牧場づくりが進められた。当時の草地造成は、機械開墾方式で、
牧草はオーチャードグラス、ケンタッキー、レッドクローバなど西洋牧草の5種混
播だった。北欧型の改良草地を手っとり早く直輸入しようとしたかに見える。しか
し、これは雨の多い西南暖地には向かなかった。エロージョンを引き起こして、表
土が流れ、底の赤土がむき出しになった。播種した牧草は容易に定着せず、育ちが
悪かった。牛は繁殖、育成併せて36頭でスタートしたものの、粗飼料の供給力不足
で不妊牛やへい死牛が続出した。子牛価格の低迷の影響もあって、経営成績は長期
不調となり、共同経営も解体を余儀なくされた。ピーク時約1千万円にのぼる負債
の償還に悩んだ北川さんは、ひところは関西方面に出稼ぎに出て、苦しい資金繰り
のつじつまをあわせたという。

 同志が次々脱落していく中で、北川さんはあきらめなかった。そして、あたかも
地獄で仏に会うように、昭和50年ごろ、野シバによる山地酪農の先駆者岡崎正英氏
(故人)とめぐりあい、その指導を受けて、草地造成のやり直しに着手した。借地
だった国有林野は昭和54年に払い下げを受けることができた。岡崎式の野シバ草地
の造成法は、シバ苗をおよそ1坪に1株の密度で、鍬で土を堀り起こしては埋め込
んでいく根気のいる手作業だから、機械開墾のように一挙に進捗しない。苗を植え
付けてから、ランナーが伸びてシバ草が地面を覆い尽くすまでに順調でも3、4年
はかかる。その間は雑草との闘いである。それらの雑草をこまめに掃除刈りしない
と、野シバ草地はものにならない。「我ながら、よう頑張ったと思います」と北川
さんは苦しい時代を回顧した。

 野シバの草地造成は、初めの3、4年間は苦労が多いけれども、それを過ぎると
楽になる。その段階に入ると、北川さんがいうように、放牧している牛自体が草地
造成と維持管理の主人公となる。牛たちが、自分の都合に合わせて草地を仕上げて
くれるのだそうだ。7ヘクタールの野シバ草地を下から見上げると、不規則な亀の
甲のヒビ割れにも似た紋様が草地の全面に浮かんで見える。「あれは、牛が自然に
踏み固めてできた牛の道です」と。草地の施肥も、周年放牧の牛自体が適当に糞尿
を落としているので、格別人手をかける必要がない。糞出し作業は、牛たちが濃厚
飼料を食べるために山を下りて畜舎に入っているときの分だけですむ。

 いったん仕上がった野シバの草地は、シバ草地に馴れた自家育成牛を適正密度で
放牧しておれば、永久草地として利用できる。西洋牧草による改良草地は、普通5、
6年たてば更新工事を必要とするが、野シバの草地にはその必要がない。北川さん
の牧場は野シバで草地造成をやり直してすでに14、5年を経過している。いまでは、
立派な永久草地として完成した段階を示している。

 参考までに、北川さんの肉用牛経営の平成2年度の実績について、高知県畜産会
が調査分析した結果表を掲げておこう。北川牧場の実績値は、県畜産会が設定して
いる改善目標の指導値をすでに大きくクリアしているのである。野シバ草地という
省力低コストの生産基盤、周年放牧による健康で長寿の母牛(最多産牛は17産)、
簡易で省エネの資本装備などの諸条件がこれをもたらしている。

北川牧場の経営分析値(平成2年度)
項     目 北川牧場 県畜産会指標値
販売子牛一頭当り生産費 購入飼料 63,643円 70,470円
自給飼料 9,247 24,340
家族労働費 81,528 104,250
減価償却費 20,015 58,000
その他費用 19,605 30,110
   計 194,138 287,170
技術数値 平均産次数 6.7産 3産以上
分娩間隔 10.8か月 13か月以内
所 得 1人1日(8時間)当り 11,838円 5,920円以上
成雌牛1頭当り年間 217,040円 137,000円以上
資料;高知県畜産課『シバ草地の造成と利用』(平成4年3月)

U LISA型山地酪農

南国市の斎藤牧場

 北川牧場を訪ねた翌日、南国市北部の山中でやはり野シバ草地を基盤とする山地
酪農を営む斎藤陽一さんの牧場を訪問した。斎藤さんは、昭和35年頃から同市内平
場の水田酪農としてスタートし、ひところは県下一の産乳量を達成するところまで
規模拡大を進めていた。しかし、平場での近代化酪農の性格に疑問を感ずるように
なり、43年にもと入会林野だったこの山を購入して、山道を開き、草地造成を行っ
て今の山地酪農の新牧場を建設した。

 国道32号線から分れて斎藤牧場へ通じる道は、舗装はされているが車がやっと通
るほどの狭い山道である。両側はうっそうとした雑木林で緑濃い木下闇が続く。3.5
キロメータほどのこの急な山道を登り切ると、斎藤牧場のみごとなシバ草地が視界
いっぱいに広がる。

 道路から少し下った位置に、南面して斎藤さんの住宅がある。応接間の窓から真
正面に急な斜面に展開する野シバの草地が一望できる。北川さんの草地の景観もす
ばらしかったが、斎藤牧場の草地はさらに一段スケールが大きく、牧歌的情緒豊か
なるものが感じられた。 奥さんが搾りたての牛乳を、大きなコップになみなみと
我々一行にふるまって下さった。起伏に富む山の斜面の放牧地を眺めながらいただ
く新鮮な牛乳は、また格別の風味だった。

斎藤牧場の経営収支(平成元年1〜12月)
費    目 金額(千円) 構成比(%)
収入 乳代 販売代金 11,580 72.1
自家消費 200 1.2
個体
販売
廃  牛 1,090 6.8
スモール 2,550 15.9
その他 タケノコ販売 264 1.6
その他雑収入 65 0.4
消費税 310 1.9
合   計 16,059 100.0
支出 種 苗 費 95 1.3
肥 料 費 365 5.1
購入飼料費 2,456 34.2
水道光熱費 224 3.1
種 付 料 151 2.1
診療衛生費 139 1.9
資 材 費 266 3.7
農機具修理費 451 6.3
小農具費 159 2.2
賃 借 料 351 4.9
家畜共済費 126 1.8
公租公課 175 2.4
減価償却費 705 9.8
燃 料 費 538 7.5
支払利子 332 4.6
その他経費 638 8.9
合   計 7,171 100.0
差 引 所 得 8,888
所 得 率(%) 55.3
乳 飼 比(%) 20.8
資料;前掲表に同じ

 斎藤牧場の現況をかいつまんでのべると、ご家族は、斎藤さん(58歳)と奥さん
(54歳)のご夫婦に獣医師でもある後継者の次男(31歳)と市内にお勤めの長女の
4人暮らし。牧場の労働力は、ご夫婦と次男の3人で、時々研修生を受け入れてい
るほかには雇用労働力はない。純家族経営牧場といっていい。乳牛は、経産牛26頭、
自家育成牛18頭。その主たる飼料基盤は、30〜35度のかなり急な山の斜面に造成さ
れた約23ヘクタールの野シバ草地である。これを補完する飼料作物として、自家専
用飼料畑180アールのほか、酪農家グループ5戸共同で平場の園芸団地農家の集団
転作田550アールを借りての、イタリアンとシコクビエの栽培がある。共有の大型
動力作業機を使用料の協定を結んでうまく使いこなしている。この園芸団地と酪農
家グループの「土つくりとえさつくりのタイアップシステム」は、昭和53年に発足
して、かれこれ15年に近い。安定したいわゆる地域複合経営の好事例でもある。

 斎藤さんが一昨年高知で開かれた技術情報交流セミナーで発表されたときの資料
に、同牧場の経営収支の一覧表がある。これをそのまま転載して参考に供したい。

 家族労働力3人、搾乳牛25頭規模の酪農経営の成果として、斎藤さんは、「自然
を楽しみながら健康な生活をすごすことができるのを考えあわせれば、都会のサラ
リーマンに比べ遜色のない数字ではないかと考えている」と語っていた。この斎藤
さんのご感想にあるように、ここでは、一般の近代化酪農では求めても得られない
所得水準プラスアルファが大きい。その意味での物心両面の総合的な経営成果のレ
ベルが高く、しかも、そのサステイナビリテイ(持続性)が高い。乳量は、一頭平
均4,000キログラム台で一般の「家畜工場」的酪農の乳量レベルをはるかに下回る
けれども、所得率の55パーセント、乳飼比の20パーセントという数値が、これを裏
付けている。まさに、LISA型酪農の模範事例といってよかろう。

市民グループに好評なホンモノ牛乳

 斎藤さんの山地酪農が、ここへくるまでの建設期は、北川さんの場合と同じよう
に、大変なご苦労があった。建設資金200万円の調達に際して、あの当時の系統金
融機関は、シバ草地の山地酪農などには無理解で、説得するのが並たいていではな
かった由だ。シバ草地が仕上るまでにかなりの年月がかかるのは、北川さんの例と
同様である。その間は、かなり長い間、生活を切り詰めたとも語る。「斎藤は、い
つ山を降りてくるか」という陰口も聞かれたという。山地酪農の先輩である岡崎正
英、乾竹雄の両氏、シバの権威猶原恭爾博士の適切な助言、指導、ことに乾氏の親
身なお力添えはありがたかった、と回顧されていた。

 斎藤さんは、シバ草地による山地酪農の長所と短所について、次のように語られ
た。まず長所としては、シバ草地ができあがってからの維持管理にほとんど手がか
からず、永久草地として利用できること、急傾斜地でもエロージョンの心配がない
こと、シバは栄養価が高く牛の嗜好性も高いこと(推定生草単収は2.5トンだが、
成分としては西洋牧草の5トン分に匹敵)、放牧の牛はピロプラズマ病にかからず
健康長寿であること、などの諸点を指摘されていた。

 反面、短所については、草地造成期間3〜4年間は手間がかかる反面、収入が少
なく忍耐を要すること、冬場の粗飼料対策に苦労すること、そして乳量と乳質に難
点があることを挙げられた。

 斎藤さんが短所に挙げられた乳量と乳質の問題については、若干のコメントを必
要としよう。斎藤牧場の放牧地は30度を越える急傾斜地である。泌乳量の大きい大
型の乳牛は放牧に適さない。斎藤さんは、草地も牛も痛めないように、せいぜい体
重が500〜600キログラムまでの比較的小柄の乳牛(ホルスタイン種)を自家育成し
て放牧している。したがって、乳量もさほど多くを望まず、「4,000キロにこだわ
ってきました」と。乳質の面では、昭和62年の取引基準の改正(乳脂率3.5パーセ
ント以上、無脂固形分8.4パーセント以上、細胞数、細菌数とも30万以下)に関連
して、斎藤牧場では特に無脂固形分の基準値をクリアするのが容易でない。放牧に
全面的に依存する夏場では、どうしても無脂固形分は8.2パーセント程度にとどま
らざるをえないのである。

 一般の近代化酪農の指導指針からすれば、斎藤牧場の乳量や乳質は、むしろ劣等
生であるかにみえる。しかし、ホンモノのおいしい牛乳のサステイナブルな生産と
いう観点からすれば、斎藤牧場のそれは第一級品に位置づけられていいと思う。ま
た、そのような認識をベースとして、5、6年前に高知市に「山地酪農を愛する会」
という名の市民グループが生まれ、斎藤牧場の牛乳は一括してそこに引き取られ、
好評を得ているという。今では、「愛する会」のメンバーは、四国4県に広がって
増えており、牛乳の出荷価格も一般の水準よりも若干有利に設定されている、との
ことであった。

V おわりに

 北川牧場と斎藤牧場を視察して教えられるところが多かったが、両者を通ずる総
合的な感想として、特に次の2点を付け加えておきたい。

 その一つは、シバ草地による放牧畜産の農法的性格とその普及指導の姿勢につい
ての感想である。在来の野シバによる草地造成とこれを基盤とする放牧畜産の経営
技術は、我が国固有の風土に根ざす篤農の経験農法として誕生した。岡崎さんや乾
さんら傑出した篤農家が、自前で試行錯誤を重ねながらその原型を踏み固められて
きていた。今回、はじめて高知県下の実情を見開したが、今やこれは、単なる試行
錯誤の過程にある篤農の経験農法の域を脱していると評価されてよかろう。

 明治このかたの我が国農業の技術革新のあとをふりかえるとき、明治期の稲種籾
の塩水選種法にしても、昭和戦前期の保温折衷苗代にしても、地に足のついた普及
可能な革新技術であればあるほど、篤農の経験農法と近代農学理論に立つ試験場技
術との合作であった点が想起される。高知県の畜産試験場が、岡崎牧場のシバ草地
の造成と利用技術に着目し、早くも昭和50年頃から地道な調査と試験研究を重ね、
この篤農技術に科学的解明の光をあて、畜産行政のサイドでも普及可能な革新技術
として、問題点と対策を体系的に究明されてきたことは、特筆に値しよう。畜産の
みならず、LISAをめざすこれからの農業技術革新の道にとって、在野の篤農技
術と官の試験場技術の合作という基本視点は一層重視されなければなるまい。

 もう一つの感想として、LISAの担い手のメンタルな特質について、改めて考
えさせられた。

 宮本常一氏の名著『忘れられた日本人』(岩波文庫)に収められている「土佐源
氏」は、戦前に土佐の中山間地帯になわばりをもっていたバクロウの生涯の思い出
話を、宮本さんが直接聞き取って紹介された貴重な記録である。大部分はお色気話
に終始しているのであるが、そのなかに、バクロウという遊民稼業の目からみた常
民像、ホンモノの百姓像が随処に顔を出している。例えば、こういう一節がある。

 「人をだましてもうけるものじゃから、うそをつくことをすべてばくろう口とい
うて、世間は信用もせんし、小馬鹿にしておった。それでも、・・・・・わるい、
しようもない牛を追うていって、『この牛はええ牛じゃ』いうておいて来る。そう
してものの半年もたっていって見ると、百姓というものはその悪い牛をちゃんとえ
え牛にしておる。そりやええ百姓ちうもんは神様のようなもんで、石ころでも自分
の力で金(きん)に変えよる。」

 北川さんと斎藤さんの牧場のあの急な斜面にひらかれたみごとなシバの草地を見
たとき、私は「土佐源氏」のあのバクロウの述懐が思い起こされた。近代化畜産の
目でみれば「石ころ」同然の山を、お二人とも「金」の山に変じている。しかもこ
れを可能にしたのは、これまでの近代化畜産における手法、人為が自然を克服する
タイプの手法によってではない。いわば、「人と自然の共生」的手法の成果なので
ある。お二人に接して、多くの企業的農業者とは一味ちがったメンタリテイが感じ
られた。その、目先の利益を追うことなく永続性を重する常民の営農姿勢、山の自
然や牛たちに対する敬虔なまでに謙虚な農業観には、心温まる印象深いものがあっ
た。そういう人間像こそが、21世紀に期待されるLISAの担い手にふさわしい。
このような人間像を“忘れられた日本人”にしてはなるまい。

 なお、最後になったが、今回の調査にご協力頂いた高知県畜産課、西部家畜保健
衛生所の皆さんには厚く感謝いたしたい。


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