わが国における動物遺伝資源の保全の現状と今後の活用

農業生物資源研究所 動物探索評価研究チーム長 小畑 太郎


はじめに

 畜産業の成熟に伴い、経済性に優れた極めて限られた数の品種に飼養が集中し、
それぞれの時代において家畜品種の構成が大きく変化している。例えば約30年前に
は、飼育される豚の80%以上は中ヨークシャー種であったが、現在では0.1%にも
達していない。逆に種雄豚の約50%を占めるデュロック種は、20年前の畜産統計に
は現れていない。また、75年前に約7000頭いた木曽馬の頭数は、その後減少し100
頭余りになっている。

 現在主流になっている品種は、多様な品種の遺伝形質を取り込み長い年月をかけ
て改良され、頭数が増加してきた。一方、主流でない家畜の経済価値は一般的に低
く、集団の維持が困難になっているものが多い。しかし、家畜育種の発展は、品種
間や品種内の遺伝的変異が基本である。近い将来、畜産業や畜産生産物を取りまく
状況が変化した時、主流でない品種の持つ遺伝的変異が、非常に大きな力を発揮す
る可能性がある。本文では、わが国の動物遺伝資源の保全の現状と今後の活用につ
いて述べた。

在来家畜の保全の現状

 わが国で飼養される家畜のうち、乳牛、豚、羊、鶏(採卵鶏・ブロイラー)は外
国から輸入した品種であり、和牛は在来品種と輸入した品種との交雑から作出され
た。江戸時代の鎖国政策以前(1603年)にわが国に導入され、今日まで飼養されて
いる主な在来家畜には、在来馬(北海道和種、木曽馬、対州馬、野間馬、御崎馬、
トカラ馬、宮古馬、与那国馬)、在来牛(見島牛、口之島再野生化牛)、在来山羊
(シバ山羊、トカラ山羊)などが、在来の家禽としては日本鶏がある。図には在来
家畜品種の地理的分布を示した。

 在来家畜の保全対策は品種によって異なる。在来馬と見島牛については、現地の
保存会が中心になって保存が行われている。在来山羊は、反芻家畜の実験動物とし
て現地以外の試験研究機関で飼養されている。日本鶏は、熱心な愛好家によって各
地で少羽数飼育されている。いずれの品種も利用が限定され経済性に乏しいことか
ら、現地における保全にはいくつかの課題がある。

 飼育管理面では、在来家畜飼育の技術や関心を持つ人の高齢化の問題がある。後
継者が育ち、飼育技術が失われないようにする対策が必要である。一般に在来家畜
の飼育規模は極めて小さい。動物を小さい集団で飼育した場合、近親交配により遺
伝的に均一な集団が作成される利点はあるが、同時に不良遺伝子が固定される確立
も高まる。近親交配の弊害は近交退化として、繁殖性や強健性などに現れる。これ
を避けるには、集団の大きさを拡大したり集団の数を増やすことが望ましい。

 しかし、飼育場所の関係で集団のサイズを大きくするには限度がある。一部の保
存会では、特定の場所で飼育を継続しながら、農家や愛好家へ子畜を配布し、飼育
する場所を広げることを考えている。在来馬を乗馬用に販売して利益を上げるには
限界があるなど、飼育から得られる収入は不安定である。そのため、これらを個人
で永久的に維持するには、経済的な負担が大きくなる可能性がある。これからは、
在来家畜をどのように活用するか、活用できるかを真剣に考える必要がある。最近、
地域活動に在来家畜を取り入れた事例が見られるようになってきた。今日では、子
供も大人も家畜を身近に飼育し触れ合う機会がほとんどない。そこで学校や動物公
園などで在来家畜・家禽を飼育し、同時に飼育や乗馬などの教室を開催している。

 畜産業は食糧生産が主な目的であるが、食糧生産を目的としない産業も別の意味
で重要である。

農林水産ジーンバンク事業の取り組み

 国の内外の遺伝資源を探索、収集、調査、保存、管理する事業(農林水産ジーン
バンク事業)が昭和60年度に始まり8年を経過した。平成5年度からは第2期目の
事業として再出発する。このうち動物遺伝資源部門は、センターバンクの農業生物
資源研究所と、畜産試験場、家畜衛生試験場、蚕糸昆虫農業技術研究所、家畜改良
センターのサブバンクが連携して推進している。これまでに多くの関係者の支援を
受け、約700点の遺伝資源を収集し保存することができた。その内訳は、馬(木曽
馬、対州馬など)、牛(見島牛、無角和種など)、豚(中ヨークシャー、バークシ
ャーなど)、鶏(名古屋種、東天紅など)、実験用動物(ピグミー山羊、ジャワマ
メジカなど)、昆虫(蚕、みつばち)と多岐にわたっている。

 収集した動物遺伝資源は、現在それぞれの場所が分担して特性の調査を行ってい
る。これは遺伝資源を産業や研究に活用する場合に不可欠の情報になる。特性調査
する項目は大きく三つのグループ(1次、2次、3次項目)に分けマニュアル化し
ている。1次項目には、毛色など外観から観測できるもの、2次項目には、発育値
などや生理特性に関するもの、3次特性には、畜産に重要な乳量など経済形質に関
連するものが含まれている。これまでに収集した動物遺伝資源の特性を集大成した
印刷物が、近く刊行できる予定である。

 生体で収集した動物遺伝資源については、繁殖を行い産子を生産するとともに、
凍結精液や受精卵の採取と凍結保存に努力している。しかし、動物種によっては、
生殖細胞の凍結保存が困難なものがいる(豚の胚など)。そこでこれらの動物種の
長期安定保存のための研究を実施している。また、動物遺伝資源を、細胞やDNAの
形態で保存する方策についても検討を始めている。

 今後の取り組みとしては、遺伝子的な特徴に富む動物が多く分布する地域、周辺
の環境の変化により本来生息している動物が消失する恐れがある地域、潜在的な動
物遺伝資源を発掘できる可能性がある地域などを主体に、動物遺伝資源の調査、収
集および保存を進める計画である。

動物遺伝資源の保全の考え方

 実用的に改良された経済的能力の高い家畜は、産業的に重要視されているため、
現時点ではその保全に特別に配慮する必要性はない。これに対して、経済価値が乏
しい在来家畜や、産業的に重要視されていない動物品種に対しては、早急に適切な
保護と保存対策が重要である。

 遺伝子の保存という観点からは、生体、精子、卵子、胚、細胞、遺伝子のどの形
態においても有効である。特に保存にかかる費用を軽減し、保存中の遺伝的変化を
防ぎ、疾病や事故などによる危険を避けるには、生体による保存よりも生殖細胞の
凍結保存の方が優れている。

 ただし、動物遺伝資源の保全は、生殖細胞を凍結して保存するだけでは完全では
ない。凍結した生殖細胞を解凍し、同じ品種の雌の子宮に戻し子供を生産する。こ
のことができてはじめて保存ができたことになる。また、生殖細胞のみの保存では、
社会的には存在感が乏しい。在来家畜の文化・歴史的観点からも、生体維持が持つ
意義は大きい。

 いくつかの純粋種を生体で維持できない状況では、交雑集団(ジーンプール)を
作り維持することも考えられる。これは異なる形質を有する複数の純粋種を一定の
順序で交配し、交雑種の中に必要な遺伝子を保有する方法である。維持されるのは
元の純粋種ではない。しかし、その動物は保存したい遺伝子を保有している。この
方法の利点は、凍結した生殖細胞からは味わえない、品種の存在感が得られること
である。このような動物遺伝資源の新しい維持法についての研究も始めている。

おわりに

 世界的に、遺伝資源と称される多くの動物の品種系統の数が減少している。この
ような品種系統が、将来の遺伝や育種研究においてどのような真価を発揮するかは、
今の段階で判断することはできない。我々が共有している貴重な人類の財産を利用
できる形にして、21世紀に引き継げるよう、動物遺伝資源の収集と保存を積極的に
行いたいと考えている。

 今後のわが国畜産業の発展のためにも、動物遺伝資源の収集・保存に対して、本
誌読者をはじめとする畜産関係者の御理解と御協力をお願いしたい。


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