★ 巻頭言


食の変化と畜産物

(財)食品産業センター理事長
(財)外食産業総合調査研究センター理事長
森 實 孝 郎


1.かれこれ20年前、日本人の胃袋は飽和状態に達した。摂取カロリーからみても、
 又PFCのバランスから見てもほぼ好ましい状態が実現されたのである。然し、
 再度のオイルショックを乗り越えて日本の経済は大きく成長し、食に関する支出
 も又確実に増加し続けた。

  今日、食に関する支出は、個人消費支出の中の食料費だけでなく、主人や主婦
 の小遣、交際費、行楽費から贈答費に迄及んでいるし、又法人支出の中でも、交
 際費は勿論、会議費等の中でも高い比重を占めている。然し、日本人の摂取する
 カロリーが特に増加した訳でもないし、動物性蛋白や脂肪の摂取量が若干過大と
 なって来ているという見方はあっても、PFCのバランスががらりと変ったとい
 うようなものでもない。一方、この20年間の世界の農産物市況を見ると、20年間
 で5割というかってない反収の増加(これは20年間で4割を超える人口の増加を
 上廻るものであり、ローマクラブの悲観的予測を覆した。然し、今後の世界の食
 糧需給については、今迄の様な一本調子の反収の増加を期待することには、制約
 もあるし、不安材料も少くない。)に支えられて、基調としては軟調を持続した。
 満杯の胃袋、安定した農産物市況、それにも拘らず増加し続ける食に関する支出
 の増加、この一見矛盾した現象を結び付けるものは、日本人の「生きる為の食」
 から「楽しむ為の食」への脱皮である。端的に言えば食に関する支出の増加分は、
 「質の向上」と「サービス経済化」に振向けられたのである。又この変化を加速
 定着させた要因として、丁度この時期に、日本人のライフスタイルが大きく変化
 したことも重要である。特に婦人の社会的進出の定着、核家族や単身世帯の増加、
 老齢化の進展、人間のモビリティの増大と情報化の進展は日本人の食の在り方に
 大きな変化をもたらした。

2.食に係る「質志向」と「サービス経済化」とは一体何であろうか。その解析は
 暫く置いて特徴を挙げてみよう。「質志向」としては@食味重視(特に日本の特
 長として鮮度志向もその極めて重要な要素である。)、A健康美容志向(これも
 若干のミネラルやビタミン類を除けばマイナスの志向即ち低カロリーや消化吸収
 効率を下げること、つまり食べても肥らないことが重要なのである。)、Bファ
 ッション性重視(色どり、香り、形等の重視)、C調理と素材の国際化の進展
 (食文化を構成する要素は、その国の歴史と風土が規定するアイデンティティ
 (日本でいうなら所謂日本型食文化)と文明の連環性即ち国際化の2つであり、
 この二者同化作用の中でその国のその時の食文化が形成されると考えるべきであ
 るが、この国際化と同化の作用が、今総ての先進国において急速に加速されつゝ
 ある。)、の4点が挙げられる。又、「サービス経済化」としては、@外食更に
 は中食の急速な増加、A加工食品における高次加工品の決定的増大(調理或は半
 調理の冷凍食品やレトルト食品、レンジ食品、即席めん、二次調味料、生菓子半
 生菓子、調理パン、惣菜食品、清涼飲料、アルコール飲料に通ずる1人用の缶飲
 料、等々が今日の加工食品の大宗であり、在来型の一次加工品は高次加工品の原
 料となりつつある。)、B消費者の多品種少量購入の定着(日本人は昔から生鮮
 食品についてはこの傾向が強かったが、今日加工食品についても確実に多品種少
 量の当用買が主力となった)、の3点が挙げられる。

  こういった傾向は、消費者の意向調査からも明らかである。最近数年間に農水
 省や食品産業センターが行ったどの調査でも、消費者の食料品購入の判断指標と
 しては「食味」と「便利さ」と「安全性」と「内容(即ち質と添加されているサ
 ービス)と価格のバランス」の4項目が決定的なウェートを占めている。

3.この「質志向」と「サービス経済化」の流れを畜産物の生産に投影してみると
 どういうことになるだろうか。言う迄もなくそれは畜産物毎の良質化高級化を勧
 めることであり、又高級加工品の加工技術を育てゝ行くことである。私事で恐縮
 だが昭和55年の年末、全く思いも寄らずに畜産局長を拝命することゝなった。そ
 れから数ケ月、調整油脂の輸入規制問題、原料乳の価格据置、そして飲用乳価の
 安定等、渦巻く牛乳紛争の解決に追いまくられた。然しその中で何とか中長期の
 課題として、高級畜産物の生産の本格化を軌道に乗せたいと考えた。そういった
 考えから、@バークシャーその他高級銘柄豚の育種の強化と肥育方式のマニュア
 ル化、A地どり更には地卵の生産方式の確立、Bプロセスチーズの原料にするこ
 とを棚上にして日本人の嗜好に合ったソフトなナチュラルチーズの本格的生産と
 全乳ヨーグルトの拡大、について局内の技術者に検討を求めると共に、関係業界
 の皆様に相談を持ちかけてみた。メーカーや市場関係者の中には、積極的に賛意
 を表し、ビジネスとして取り組んで貰える方々も少くなかったが、局内では極く
 少数の人々以外は仲々腰が入らないで、多少がっかりした想い出がある。こう言
 ったテーマは仲々制度や予算になり難いし、量としてもまとまらないし、又種付
 と出荷迄は兎も角、流通や消費の話になると皆目見当がつかないと言うのが本音
 だったらしい。何年かたって役所を辞めてから、農畜産物のマーケッテングとか
 村づくりとか或は最近では食品メーカーとか外食の立場から、じっくり地方を見
 て歩く事も多くなったが、畜産物に関して言えば、今述べた3つの取組みが大体
 当っていたし、又このことによって関係農家の生産やマーケッテングについての
 創造性や自発性も大きく育てられたと実感している。行政の立場から言っても、
 特段の市場介入や財政負担を要しない自由な領域が殖えて来ていることは良いこ
 とだと思っている。

4.さて、こういった畜産物の高級化の流れの中で、これからどんなことが課題に
 なっていくのだろうか。その1つは内食の変化を先取りする外食や中食の市場の
 動向を充分解析することであり、その2はメニューと結び付けて消費の促進を行
 えることではないかと思う。

  外中食のメニューと内食メニューの相互関係は仲々複雑であるが、特徴的な流
 れが2つある。伝統的な和食メニューについては「手間が掛かる」、「少人数だ
 と反って不経済」と言うことから何時の間にか「和定食」が外食メニューの重要
 な柱となり、「和風惣菜」がデパートやスーパーの売れ筋商品となって来ている。
 所謂「おふくろの味」の外部化である。逆に洋華風のメニューや肉や乳製品を主
 材とした食品では外食メニューの売れ筋が一歩遅れて家庭に普及し、家庭向冷凍
 食品やレトルト食品の売れ筋となる傾向が顕著である。此処で注目しなければな
 らないのは消費者が一義的に関心を持つのは食素材自体ではなくメニューである
 と言うことである。(朝、出掛けの御主人に家庭の主婦が「今晩何にします?」
 と聞くのは、第一義的にはメニューであって食素材ではないのである。)、すき
 焼きやステーキは通常食素材が牛肉であると言うことなのである。

  畜産物の消費の拡大を現実的に進めて行くためには、「今消費者にとって魅力
 的なメニューは何か」と言うことを見極めることが出発点であり、次に外中食メ
 ニューの売れ筋を育て、これを家庭向けに普及させるための商品開発と宣伝に努
 めることが大切である。そして同時に銘柄豚(特にSPFのそれ)や地どりや高
 級乳製品の安定供給と市場評価の確立(これには、消費者に支持されるネーミン
 グや表示も大切である。)が大切である。これは消費者にとって魅力的なメニュ
 ーの巾を大きく拡げることになることを重視しなければならない。銘柄SPF豚
 は「豚しゃぶ」を魅力的なメニューとするし、地鶏は「鳥鍋」を復活させただけ
 でなく、大人も楽しめる美味しいメニューとしてローストチキンやフライドチキ
 ンを再評価させることになるのである。


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