私の農村調査の思い出

(財)食料・農業政策研究センター理事長 並木 正吉


 当事業団では、去る5月14日、(財)食料・農業政策研究センター並木正吉理事長を講師に、農村調査の基本的な考え方、方法等についての研修会を開催しましたので、その概要を掲載します。
稲葉泰三さんとの初めての農村調査

 昭和22〜23年にかけて、私の前の職場・農業総合研究所で蚕糸業の調査をするこ
とになりました。製糸はマーシャルの経済原論を翻訳された馬場啓之助さんが担当
され、私は養蚕の責任者でした。当時、私は養蚕について西も東もわからなかった
のですが、桑園の面積、使われる農機具の種類、蚕に桑をやる時に使う蚕篭の枚数
などを記入する調査表をつくって、農村調査をすることになりました。

 みんなで手分けして調査したのですが、私は稲葉泰三さんと一緒に農家をまわる
ことになりました。稲葉さんは、現在も農水省で実施している農家経済調査の基礎
をつくられた方です。ある農家を調査した時、稲葉さんが「お宅の蚕篭はどういう
のですか、見せてくれませんか」とたずねました。すると、農家の人が奥から持っ
てきて見せてくれました。普通、蚕篭は四角が多いのですが、時には丸いものがあ
るので確かめたとのことです。初めて農村調査をする私には、農家の人に「そんな
ことも知らないのか」と言われそうな気が先に立ち、とても「蚕篭を見せて下さい」
とは言えませんでした。ところが、ベテランの稲葉さんは、実にスムーズに「蚕篭
を見せて下さい」とお願いしたのです。

 なるほど、農村調査というものは、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」だと
痛感しました。「とにかく調査にいったら、分かっていても分からなくても、何に
も分からないという立場で質問していいんだ」と思いました。これが初めて調査し
たころの忘れ得ない思い出です。

森住伍郎さんと社会学者ジンメル

 森住伍郎さんは、昔、農業総合研究所の新進三羽ガラスの一人といわれ、社会学
者ジンメルの勉強をしていました。ジンメルの社会学というのは形式社会学といわ
れ、社会の成り立ちや発展を、例えば「結合」とか「分離」とか、極めて抽象的な
言葉で表現しています。「結合」や「分離」といわれたって、何のことかよくわか
らないのですが、森住さんは一生懸命勉強していました。

 しかし、不幸な出来事があり、若くして亡くなった時、馬場啓之助さんが森住さ
んの追悼の文章を書きました。その文章を読んでわかったのですが、馬場さんは、
「森住君はジンメルを勉強していたが、まずい選択をした。結合とか分離とかいっ
ても、経験がなければわからない。経験豊かな人はいろんなことを想像することが
できるが、若くて経験の未熟なものが形式社会学を読んでも分かるはずがない」と
はじめは思っていたそうです。ところが、森住さんは農村調査を非常によくやり、
いろいろな経験を積んでいた。農村調査で得た経験をもとに、ジンメルの形式社会
学を理解していたのです。「森住君は実にジンメルの理解が正確であると思ってい
たが、その鍵は実は農村調査にあった」と馬場さんは最後に書いていました。

 これを読んで、私は「なるほどなあ」と思いました。同じように、「兼業農家率
が70%」といった数字をみても、どういう農村を具体的にイメージできるかは、本
当に農村を知っている人でないとできません。数字をみて、どこまで中身を読み取
ることができるかは、現地での経験がないとうまくいかないと思います。

調査の基本は5つの「W」と2つの「H」

 調査に行って、どういう質問の仕方をするかですが、一般的には5つのWと2つ
のHといわれています。聞き取りをする場合の常識といわれていますが、「Who」、
「Whom」、「When」、「Where」、「What」という5つを思い出しながら聞いてい
ると、大体聞きもらしがありません。ところが、興味があることに引かれて調査し
ていると、この5つのどれかを聞き漏らすことが起ります。やはり、一人でなくて
二人で調査にいって、チェックすることができれば一番良いと思います。また、2
つのHとは、「How」、「How much」ですが、これも農村調査のポイントになりま
す。

 私の前任の所長で渡辺兵力さんという人がいました。渡辺さんは、農村調査をい
ろいろやられた方で、「農村社会調査論」という本も書かれています。ある時、渡
辺さんに、「農村調査のポイントは、5つのWと2つのHをいかにして聞くことで
すね」というと、「君は便利な言葉を知っているね」といわれたのが忘れられない
思い出です。

 次に、畜産経営では、具体的にどういう点が農村調査のポイントになるのか、私
の経験を踏まえてお話したいと思います。

養豚経営 ― 母豚1頭当たりの子豚出荷頭数

 養豚経営が儲かるかどうかの最大のポイントは、母豚一頭当たりの子豚出荷頭数
です。農家はこの点を最も気にしています。S種畜場のSさんは、「利益がでるか
どうかの65%はこれで決まる」といっていました。また、デンマークに調査にいっ
たときも、1頭当たり何頭生まれて、死亡率がいくらで、結果として出荷頭数がい
くらか、この死亡頭数を1頭下げれば増えた分がボーナスになるとのことでした。
「1頭当たりの出荷頭数を増やすために一番大切なことはなんですか」と聞いてみ
ると、「12時間以内に母乳を飲ませること。母乳に食いつくことができない子豚に
は、母乳を冷凍して貯蔵しておいたものを注射してやる。12時間経過すると、腸が
堅くなってだめになる」とのことでした。一頭当たりの子豚出荷頭数は、以前、日
本は低かったのですが、最近の統計では20頭近くになっているようです。ヨーロッ
パでは、だいたい20頭超えているのが常識で、前述のデンマーク農場では24頭でし
た。

 糞尿処理についても農家は気にかけていますが、必ずしも充分に対処できていな
いこともありますから、いいたがらない部分でもあります。ですから、この部分か
ら聞きはじめると、相手は途端に警戒します。この話を最初に持ち出すとまずいこ
とになります。

 養豚農家の調査では、「1頭当たりの出荷頭数はいくらですか」から始まって、
大体打ち解けてきたら「糞尿処理の方はどうされていますか」と苦労話を聞くのが、
一番いいやり方ではないでしょうか。

肉用牛経営 ― 乳用種ではB3の比率、和牛ではA5かA3か

 北海道で1万5千頭の乳おすを肥育している牧場を視察した時、そこの経営主は、
「現在、B3が6割を占めているが、これを65%までにしたい」といっていました。
乳用種の場合、B3の比率が普通30%台ですが、これを50%あるいは60%以上にす
るかが収益に一番影響するようです。調査の時も、この辺から聞くと苦労話を割に
してくれるように思います。

 また、和牛の肥育経営をM県に視察した時、5千頭を若令肥育しているS畜産で
は、A3が80%、A5が20%でした。一方、同じ県のT畜産ではA5が80%を占め
ていました。SさんとMさんはM県では肉用牛の肥育では両横綱で、お互いにツー
カーでやっているようですが、やっぱり内心競争心が非常に強いようです。S畜産
は5千頭という多頭肥育でA3が中心の考え方ですが、M畜産は750頭で優秀な種
牛をもっていることを前提にした精鋭肥育という考え方です。農家の経営方針とし
て、どちらに比重を置いているかを調べることが、和牛の肥育経営調査の一つのポ
イントと考えています。

採卵経営 ― 販売面での工夫をどうしているか

 採卵経営では、技術係数が調査の一つのポイントになりますが、1万羽以上の経
営ですと、標準化してしまっています。一羽当たり年間産卵量は18s、鶏卵1キロ
に対して餌を何キロ必要かという飼料要求率は2. 2台になっています。ですから、
調査する場合、生産面よりは販売面でどういう工夫をしているか調べることが大切
です。

 私はある農業賞の審査をしたことがあるのですが、鶏卵の販売面で工夫している
事例としてKさんのことが印象に残っています。Kさんの息子さんは、小児まひを
患いました。Kさんは彼を一人前にするため、「たまご村」という看板を掲げて卵
の直販をさせたのです。しかも、「洗わない卵」を産みたて卵として、その日に売
り切るという販売をはじめました。卵は汚れやすいので、水で洗って仕分けし、詰
めていく一貫生産が普通ですが、この方法では鮮度が落ち易く、生臭くなるといわ
れています。このため、「洗わない卵」がいいわけです。コロコロと落ちてきた卵
に糞が落ちないよう、卵の集める回数を増やすなどいろいろ工夫しています。また、
売り方も卵の大中小で分けることなく、いろいろな規格を混ぜて1キロいくらで売
っています。年間9千万円ほどの売上がありますが、それを身体障害者の男の子一
人がやっています。お客さんは彼が身体障害者であることが分かっていますから、
彼の手が届かないときは自分でとってくるとか、売り切れるとお客さん自らが倉庫
から持ってくるという固定客もいます。「あそこの卵は絶対間違いない、おいしい」
と評判になって、遠いところからは1時間半もかけて車で買いに来ます。買いに来
るときは隣近所の注文も一緒に取って来ます。

 Kさんは息子さんを一人前にするにはどうしたらいいかと大変な苦労をされたと
思いますが、卵の販売は非常に息子さんの自信になり、表情も明るくなったとのこ
とです。Kさんに、「息子さんのおかげでここまでこれましたね」と聞くと、「本
当にそのとおりです」という答えが返ってきました。

 このように、採卵経営では、いかにして卵をつくっているかとともに、いかにし
て卵を売っているかです。技術係数も一応調べなくてはなりませんが、1万羽以上
の経営規模では、技術係数よりも販売面でどういう工夫をしているかが調査のポイ
ントであるように思います。

酪農経営 ― 搾乳量だけに目がいってはいけない

 私は、優秀な酪農家のコンクールの座長を十数年間していたことがあります。審
査のポイントとして、経産牛1頭当たりの搾乳量が重要であることはいうまでもあ
りません。今ですと7千キロ、8千キロは普通で、中には1万キロを上回るスーパ
ー乳牛もいます。しかし、その場合、1万キロを搾ったことにより、経営的な採算
が良くなったかどうかをチェックしないと、酪農経営については総合判断できませ
ん。1万キロを搾るため、飼料その他でかなり無理をしている場合があります。経
営的には、9千キロの方がいい場合もあります。1万キロは1つの目標であって、
その目標を実現したという意味で評価するのはいいのですが、経営的に悪くなれば
元も子もなくなります。

 それから、経産牛1頭当たりの所得がもう一つのポイントになります。経営のい
いところですと、1頭当たり40万円位の所得があります。40万円の内訳としては、
1つは生乳で稼ぐ、もう1つは肉で稼ぐということになります。今まで、肉で稼い
でいた農家は、子牛や廃牛が高く売れていたので、経営的にはよっかたのですが、
牛肉の輸入自由化によりこれらの値段が下がったことにより、経営も苦しくなって
います。反対に、生乳を中心にしていた農家は非常に強い。乳肉複合経営が推奨さ
れてきたけど、酪農経営の調査では、やはり生乳の方を中心に考えることが一つの
ポイントではないでしょうか。最近のような状況を考えますと、特にそう思います。

好奇心旺盛な人ほど農村調査向き

 農村調査にも、人により向き不向きがあります。例えば、外でサイレンがなった
時、窓際に走っていき、「なんだろう」と外を見るような人が調査には向いている
ようです。こういう人であれば、実際に農村調査にいっても、いろんなことを農家
から聞き出すことができると思います。好奇心が強く、なにごとにも興味を持つ人
が調査マンとしては適任のようです。


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