天皇杯受賞農家を訪問して−群馬・長坂牧場(酪農)−

乳業部 土屋恒次、企画情報部 沢口 充


 群馬県高崎市内から車を30分程走らせた丘陵地に長坂牧場があります。ここ高崎
市は、都市化が著しく進み、現在では商工業地として大きく発展しています。急な
坂をのぼりきると、思いのほか平坦な農地が存在しています。長坂牧場は58年、市
街地からこの地に移転し、本格的な酪農経営に取り組み始めました。62年には、都
市型酪農における優良種畜生産経営の確立、自給飼料の効率生産等が評価され、農
林水産祭において天皇杯を受賞しました。

 我々は、当牧場において、受賞後、現在に至るまでの経営の変遷、更なる向上へ
の展開等について、場主長坂喜義さんから聞き取り調査を行う機会を得ました。こ
こではその概要についてレポートします。

受賞以前の経営概況

 長坂さんは、昭和47年、果樹との複合経営から果樹を切り捨て酪農専業の道を歩
み始めました。当時、労力不足が深刻な問題となり、この問題を解決するため優良
種牛を導入し少数精鋭化と飼養管理の改善策を図り、1頭当たりの乳量を増大する
ことで収入を維持しつつ、労力の低減を可能としました。この切りかえに数年間を
要したということですが、以降、優良種畜生産を重要視し、独自の経営を展開して
きました。昭和56年、農地が公共施設の建設予定地に含まれ、経営規模の縮小を迫
られましたが、地元公共団体等の協力により現在の土地に移転し、規模拡大を図る
ことができました。経産牛頭数は58年から38頭前後を維持しています。一方、乳量
は年々順調に伸び、昭和60年には平均乳量が10,000s/頭を達成しています。また、
飼料作についても計画的に土壌改良を行い10haの土地にアルファルファ、トウモロ
コシを主体に生産し、自給率は40% (TDN換算) となっています。

天皇杯受賞の特色

 受賞の主たる特色を以下にあげてみますと、

1 都市型酪農における優良種畜生産経営の確立

 優良種畜生産を重視し、入念な繁殖、育成を進めてきた結果、全日本ホルスタイ
ン共進会において優等賞他、多数の賞を受賞している。また、これらの良牛は、農
林水産省の後代検定牛としても買い上げられており、種畜改良に果たす役割も高く、
県内はもとより関西方面へも多くの牛が基礎牛として販売されている。一方、先端
技術の応用も積極的に取り入れ、県畜産試験場と協力し、受精卵移植も実施してお
り、技術普及に多大な貢献をしてきている。

2 良質粗飼料生産技術の確立

 長期間放置され、地力が不均一であった農地を、入念な土壌改良を行い地力向上
に努めた結果、10a当りトウモロコシ7t、アルファルファで8tの平均収量を達成
するに至っている。

3 高能力牛の造成

 牛群検定成績の結果では、昭和57年頃から年々着々と向上し、受賞時には、搾乳
量が搾乳牛1頭平均について都府県平均7,200s程度であるのに対し、10,000sを
上回り、平均乳脂率は都府県平均3.63%に対し、3.8%前後、平均無脂固形率も8.
50%を上回る成績をあげ、繁殖・飼養管理の技術向上への努力が顕著に成績に反映
されている。

年間成績、県内トップクラスを維持

 平成元年度以降、3年間の牛群検定成績をみると、経産牛頭数は受賞当時とほぼ
変わらず38頭前後で推移しているものの、優良牛群生産への努力が絶え間なく続け
られ、乳量では、経産牛1頭当たり平均9000sを超える高生産量を維持し、乳脂率
では、平成3年次4.0%を達成、平均無脂固形率でも、平成3年以前の8.6%に対し、
最近の検定結果では8.98%と技術改良の成果が顕著に現れていることがわかります。
また、体細胞数については、最近の検定結果をみると、県内平均21万個/ml (平成
3年度) を大幅に下回る15万個/mlへと減少させています。これも家畜衛生管理を
重視し、牛舎の環境改善等に力を入れた成果の現れであるといえます。特に昨年秋、
飼養方式をスタンチョンからフリーストールに換えたことが好影響を与えているよ
うです。

 技術改良に関連して、「スーパーカウについてどう思いますか」という問いに対
して、「ブリーダーとしての自覚も高め、独自の経営を確立してきたことから大変
興味はあるし、今まで培った技術をもってすれば経産牛全てをその能力に高めるこ
とは可能です。が、牛群としては、全部を全部スーパーカウにする必要性はありま
せん。なぜなら、スーパーカウを多く持つことは、伝染性の疾病に対してのリスク
を負い、また、個体管理においても、神経質にならざるを得ないから」とのことで
した。特に、前者の懸念から、危険率を低下させるためにスーパーカウにはこだわ
ってはいないようです。むしろ、これからは増頭にともない1頭当たりの泌乳量を
8000s程度にセーブし、最終目標を年間120万s (110〜115頭搾乳) までもってい
きたいとのことです。

新システムに賭ける

 昨年夏から秋にかけて、当牧場ではフリーストールとミルキングパーラーの建設
を行いました。これは、生産力の向上、労力削減を目指し、規模拡大を図ろうとす
るいわゆる「平成5年度の農林水産省の新規施策」として取り上げられた“新シス
テム”ですが、長坂牧場にとって、これまでの優良種畜の自家生産、少数精鋭主義
による安定した経営形態を一新する抜本的改革です。昭和58年にこの地に移転して
以来、最大の経営転換です。こうした決断の背景には、安易に更なる所得の向上や
“楽農”の実現を目的とするのではなく、牛肉輸入自由化以来の個体販売の暴落、
初妊牛の取引の停滞等による副産物収入減がこれまでの経営形態に大きな打撃を与
えたことによるものです。

 牧場主は、声を大にして、「これは今後酪農を続けられるか、最後の賭です」と
今回の決意を語っていました。ここで、天皇杯受賞当時の経営をみると、総収入の
中で個体販売から得る収入の割合は確かに一般の酪農家に比べ高く、輸入自由化が
当牧場に与えた影響は大きいと思われます。しかし、受賞の特色をみるに、優良種
畜の生産能力の評価は、あくまで受賞理由の一部であり、主たる理由は、経営の主
力である生乳生産における産乳能力の向上を追求し、飼養管理及び飼料生産等の生
産基盤を充実させ、一般酪農家に比較した生産性・技術の高さが高く評価されたこ
とにあります。こうしたトップクラスの経営を行いながら、今後の生き残りをかけ、
フリーストール方式による規模拡大を最後の道として選んだ長坂氏の心境が、今日
の極めて困難な状況に立たされた酪農の現状をうかがい知らされました。

酪農にむける情熱

 長坂牧場の場主は、天皇杯受賞を経て今日の経営を築き上げ、今も現役で経営を
担っています。 

 「何を行動の指針にしているのですか」という質問に対し、「それは、多くのひ
との話に耳を傾けることです」という言葉がかえってきました。人の意見をコヤシ
にこれほどまでの水準にまで高められるのか、と一瞬思いましたが、要は、それを
自分のものにする、自家に適合した技術に変換するセンス、これが何よりも需要な
要素として長坂牧場の経営を向上させているのでは、と感じました。

 長坂さんは都市型酪農において独自の経営を確立し、天皇杯受賞後も名誉に甘ん
じず、常に地道に周囲の動きに対応し、微修正を加えながら経営を展開しています。
また牛肉自由化以降の厳しい状況の中でも、慎重な事前調査を積み重ね、今回の規
模拡大の決意を実行にうつしています。他の酪農家との大きな違いは、国内外を問
わず視察の機会を多くもち、鋭い観察力をもって先見の目を養い、技術面での躍進
を図っていることであり、こうした努力が場主に限らず、夫人も経営の良きパート
ナーとして、また、経営を引き継ぐ長男夫婦に至っても酪農に熱い情熱を傾け、ま
さしく家族一丸となって経営を守り立ていることにあると思われます。

 また、地域への貢献、リーダーとしての活躍に関する質問には、当人の性格上、
自分から進んで人前にでることはあまり無いようですが、熱意をもって見学に来る
人に対しては、それ相応の情報、及びアドバイスを提供しているとのことです。人
と同様、経営も十人十色であり個々のセンスが経営に反映される、ということを付
け加えられました。

 後継者問題については、「農業に限らず、職業に自信・熱意をもって取り組むこ
とがなによりも重要である」とのことです。実際、長坂牧場でも長男仁さんは後を
継ぎ、次男将君は削蹄技術を身につけ独立し、三男幸夫君も現在日本大学農学部に
在籍し、畜産を学んでいます。

個人経営にもチャンスを

 調査の中で、これから酪農経営を進めていく上で、国・関連団体等へどのような
要望があるかについてうかがったところ、個人経営者への施策の充実を図ってもら
いたいとの意見がありました。当農場は、経営面積は借地を含め10haと粗飼料生産
能力には限界があり、さらに規模拡大を図るには飼料の購入が必至です。そこで、
この不安定な国際情勢のなかで飼料が安定的に供給でき、為替相場の変動に脅かさ
れずに経営を行えるよう、飼料価格に対する一層の制度・政策の改善を望んでいま
した。

 また、都市型酪農で最大の問題となっている糞尿処理問題に対しても補助制度の
充実を希望していました。平成5年度の農水省畜産局における新規施策に環境保全
型畜産の確立対策事業として糞尿の処理・保管利用等の施設の整備が盛り込まれて
いますが、長坂牧場のように都市型酪農として位置づけられるような酪農家にとっ
ては、周囲の酪農家も少なく、施設の共同利用は不可能であり、規模拡大に必要な
施設の設置は個人単位で備えざるを得ない状況のようです。このため、糞尿処理等
の施設設置について、個人でも経営事情に応じて援助対象になるような助成制度の
確立を強く望まれていました。


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