活性化を目指す岡山和牛

(財)農政調査委員会専門調査員 山本 文二郎


200年の歴史を持つ三名蔓の一つ

 若葉がもえ始めた和牛のふる里・岡山県の県北地方はまだ農村の昔の面影が残さ
れていた。中国山地の東の一角には兵庫の但島、岡山の苫田郡、鳥取の八頭郡、西
の一角には岡山の阿哲・真庭郡、鳥取の日野郡、広島の比婆郡、島根の仁多郡が、
この山深い里でそれぞれ特徴のある和牛が育てられてきた。

 その一つ阿哲郡神郷町のまた奥まったところにある竹の谷で「竹の谷蔓」ができ
たのはもう200年も超える昔のことだ。近親交配などを繰り返しながら優良形質の
維持、改良、固定に努め、その中でも優良形質を強力遺伝する系統を蔓と呼んだ。
但馬の周助蔓、比婆郡の岩倉蔓と並んで竹の谷蔓は日本の一番古い三名蔓の一つに
数えられた。この竹の谷蔓が今日の岡山和牛の基礎になったのである。

 昨年秋に大分県湯布院町で全国和牛能力共進会が開かれた。第六回目である。共
進会はいわば各県の和牛のコンクールである。共進会での成績がその県の和牛が優
れているかどうかの指標となるだけに、各県はその大会を目指して改良を重ねてい
く。この共進会の第一回が実は岡山市で開かれている。昭和41年のことであった。
しかも、出品された岡山和牛のほとんどが上位を占め、全国制覇をするほど高く評
価された。当時の岡山和牛はいまでは考えられないほどの実力を持っていた。

 岡山和牛の特徴は、系統によって多少の差はあるが、一般的に体が大きく発育成
績に優れ、中躯から尻にかけての背腰に幅があってがっしりしている点にある。た
だ、肉質でやや劣るのが難点だ。肉質は優れているが、小柄で体の後半が貧弱な但
馬牛とは対照的だ。岡山和牛は鳥取系に似ている。

 岡山和牛の系統は現在、守1系、高庭系、糸藤系の三つに大きく分かれる。守1
系、高庭系には肉質の改良を図るために、但馬系の血が導入されている。守1系は
県北西部の阿哲郡に、高庭系は県北中央の真庭郡、糸藤系は東北部の津山市と苫田
でそれぞれ活躍している。この三系統をさかのぼっていくと、大正時代に名牛とし
て名をはせた神郷町生まれの第13花山へ、さらにたどれば竹の谷蔓に行き着く。


兼業化とともに繁殖和牛が急減

 第一回全国共進会で最優秀の成績に輝いた頃が岡山和牛の絶頂だった。日本の経
済は30年代からの高度成長で大きく変貌する。岡山県も瀬戸内沿岸に水島工業地帯
が造成され、農家の兼業化が著しく進み、耕うん機の普及で役用としての和牛の価
値が急速に低下したのもそのころだ。30年代後半から農業取材で岡山の村をよく回
ったが、工業地帯への労力集めにマイクロバスが村に入ると、代わってトラックに
乗せられ村からでていった牛の寂しそうな姿がいまでも目に焼き付いている。

 岡山県の和牛は最高時の昭和30年頃には12万頭にいま一息、飼養農家数も9万戸
を超えていた。40年前後からつるべ落としに減り始め、50年には乳用種を含めて6
万9000頭、3万2000戸へと減った。岡山県の特徴は子牛生産にあった。30年代以前
は和牛農家数はほぼ繁殖農家数とみてよい。平成4年をみると、育成牛を含めた繁
殖牛頭数は8800頭と9000頭を割り込み、農家数も3400戸に激減している。いまや子
牛繁殖地帯は中国高速道路か姫新線の北側の山間地帯になってしまった。

 子牛価格もさえない。近年のピーク時は平成元年だっが、その年の岡山県の8カ
月齢の平均子牛価格は一頭当たり45万円だった。今年1月には30万4000円、3月に
は26万2000円に大幅に値下がりしている。この値下がりは自由化の影響を受けた全
国的現象だが、岡山和牛は他県に比べて低い。今年1月の価格をみると、最高が岐
阜の57万8000円、次いで佐賀の51万2000円、兵庫の46万6000円、40万円台には島根、
岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、大分、宮崎と並び、30万円台そこそこの県は鳥取、
北海道、静岡、長崎などで、岡山牛は全国的にみても評価が低い。かつての和牛王
国の栄光が消えてしまったのである。


第7糸桜は岡山の血が60%強

 こうしたところかから、県としては岡山和牛の復活を目指して振興策に積極的に
取り組み始めている。岡山県は三名蔓を造成しただけあって、優れた形質を持った
系統ができている。その一つが島根県のスーパーブル・第七系桜にあらわれている。
糸桜はいまさら述べるまでもなく、肉質がよく、それが産子に強力に遺伝し、しか
も産肉成績が優れている。糸桜の血が入っているというだけで子牛が高く取引され
るので、凍結精液は取り合いになったことは有名だ。糸桜を使って多くの種雄牛が
生産され、全国の和牛の改良に大きな功績を残し、島根和牛の名声を一挙に高めた。

 糸桜の父親は実は岡山産の第14茂である。第14茂は、ウランで名高い人形峠から
流れ出る吉井川が苫田郡の奥津温泉に入った辺りで生まれている。この牛は糸藤系
の元になる藤良系に属する。母牛の第9いとざくらは但馬と島根の牛を掛け合わせ
たもので、母牛の母は島根の牛に岡山の牛を掛け合わせている。糸桜を遺伝子から
みると、岡山が62. 5%、兵庫が25%、島根が12. 5%となっている。系統がきちっ
と固定化された藤良系に別系統の島根の牛を交配することで、ある面では雑種強制
的な強みを発揮し、岡山の遺伝子が島根で花咲いたといえる。

 30年代から40年代にかけて、岡山の優れた種雄牛が九州や東北など系統造成の遅
れていた県に買われていった。当時は増体成績よい赤肉系への改良が奨励され、こ
の波に乗って鳥取とともに岡山が重宝がられたのである。小振り増体成績の悪い但
馬牛の評価は低かった。そのころは岡山で生産された子牛の70%くらいが県外に流
出していった。岡山和牛は日本全体の和牛改良に大きな功績を残したのである。だ
が、50年代に入るころから、牛肉の市場開放圧力が高まるに伴って肉質が重視され、
各県が求める種雄牛が岡山や島根から但馬へと大きく変わっていった。

 九州や東北など新興県は自県に改良の基礎となるような系統が確立していない。
ある面ではそれぞれの改良方針にしたがって、白地のうえに中国山地の特色ある系
統を導入していけばよい。だが、岡山など昔からの種雄牛生産地帯では、増体成績
や体積、肉質など形質にそれぞれ特徴があって、伝統ある遺伝子を基礎に改良を進
めていかざるをえない、という制約がある。その制約を大きく踏み外せば岡山和牛
ではなくなってしまうのだ。


増体性維持を基本に肉質改良

 岡山県の一貫した改良方針は、岡山和牛の特徴である増体成績を維持しながら、
肉質をいかに改良していくかにある。守1系、高庭系、糸藤系の三つの系統を基礎
とし、それに肉質の優れた但馬の血を入れていこうしている。純粋但馬の遺伝子を
ストレートで入れると、小ぶりになりバラつきがでやすくなる。但馬を交配する場
合も、岡山和牛の体型を崩さないように、但馬の血が四分の一くらいに薄まったタ
ネを使うようにしている。そこに岡山県の改良の難しさがある。

 しかも、40年代から50年代にかけての衰退過程がいまになって和牛振興に空洞化
をもたらした。例えば、藤良系に典型的にみられる。優良系統の藤良系が肉質重視
の流れから、一時は遺伝子が消えかけていた。第七糸桜のタネを島根から買い戻し、
藤良系のメスに交配してできたのが糸藤であった。初めは評価されず、一時は廃用
の話さえでていた。糸桜の名声が上がるに伴って糸藤が見直され、現在県の総合畜
産センターに係留されている種雄牛のうち3頭がこの子どもである。いま活躍中の
種雄牛の平田は、ひらたに糸桜をかけたもので、その子の2頭も若い種雄牛として
これからの活躍が期待されている。現在、岡山は藤良系に大きく依存する傾向がみ
られる。

 ところで、牛肉の自由化に直面して、全国的に但馬系の種雄牛への依存が異常に
深まっているが、20〜30年前は増体重視で岡山、鳥取が高く評価されていた。求め
られる形質が時代とともに変わるのが常である。いずれ増体成績が重視される時代
を迎えるだろう。和牛の究極の改良目標は、体積があり増体成績もよく、そのうえ
優れた肉質が兼ね備えた牛をつくることだ。国では和牛の形質の平準化を進めてい
るが、それには特質を持った多様な系統がきちっと造成・維持されていることが前
提になる。いちばん重要なことは時代の変化に左右されずに、長い歴史の中で形成
された多様な系統を保存していくことにある。

 橘もそうだった。従来種の亀の尾や旭以来、各種の遺伝子を保存し、それを交配
することで新しい品種を生み出し、その上にコシヒカリやササニシキ、最近それを
超える優良品種がでてきたのである。遺伝子は文化財のようなもので、いったん失
われれば復活が不可能になる。


国も県も挙げて遺伝子保存を

 岡山県の種雄牛は県総合畜産センターに集められていて、現在16頭係留されてい
る。兵庫県や鹿児島県など先進県でははるかに多い種雄牛がつながれていて、それ
ぞれ特徴ある種雄牛の交配によって後継種雄牛の造成につとめている。層の厚さが
改良にとって極めて重要な意味を持つ。伝統ある岡山和牛を再活性化するためには
種雄牛の保有数がやや寂しい。県としても優良種雄牛の造成に積極的に取り組んで
いるが、世界に誇る和牛の振興のためにも県を超えて国も含めた体系的な取り組み
が強く求められるようになっている。岡山や鳥取のこれまでの歩みは特徴ある遺伝
子保存の在り方への警鐘でもある。

 種雄牛造成と平行して、県が強く推進しているのが優良メス牛の増殖と保留であ
る。農家の間には優良種雄牛のタネさえ交配すれば、よい子牛が生まれるという考
えが強く、メス牛の改良への関心が薄い。昨年、一昨年の県枝肉共進会で2位に入
った肥育牛は兄弟牛で、2頭の成績が枝肉重量490キロ、歩留まり63〜65%、脂肪
交雑11〜12、規格A−5、ロース面積53〜57平方pの好成績だった。父牛はいま人
気絶頂の平田で、その父は糸桜だ。母牛の父は糸藤である。優良系統で固定されて
いる繁殖メス牛に優良なタネを交配すれば、岡山和牛でもこれだけ優れた子牛が生
まれる。県では優良メス牛の増殖と保留を農家に呼びかけている。

 こうした県の種雄牛の造成や優良メス牛の保留への働きかけに対応するように、
繁殖農家に新しい動き目立つようになってきた。繁殖牛頭数が依然減少傾向にある
中で、ひところに比べると減り方がかなり鈍ってきた。なかでも育成牛の頭数が4、
5年前に比べると倍以上も増えてきている。そうした中で、力強いのは経営規模の
拡大に積極的に取り組む農家が増え始め、中には30頭を超える大型農家もみられる
ようになってきたことである。


受精卵移植を活用する大型繁殖経営

 その一人が津山市の藤井牧場だ。藤井賢次さんは現在、繁殖牛を14頭飼っている
が、今年中に20頭牛舎を新設し、繁殖牛を20頭規模に拡大し肥育にも手掛ける。子
牛市況が悪いときには肥育に回わす一貫経営を目指している。藤井さんは「岡山の
特質である体型と増体成績を維持し、それに肉質の改良を手掛けていきたい。その
ためには、あくまで県の種雄牛のタネに依存していく。そして優良メス牛の保留に
努めていきたい」という。

 そこで藤井さんが手掛けたのは受精卵移植技術の利用である。津山市農協の中に
受精卵移植研究会があって、繁殖牛農家10人、酪農家25人が参加している。藤井さ
んが平成2年にメス牛から採卵した8個を酪農家が乳牛に移植、オス4頭とメス1
頭が生まれた。このメス牛は、両親とも糸藤系で優れているので、藤井さんは市場
にでるとすぐ買い戻して保留した。藤井さんは津山地区で受精卵移植利用の第一号
だ。受精卵移植で繁殖農家は優良メス牛を確保できるし、酪農家は子牛を高く売れ
る。両者ともメリットがあるとして、だんだん普及するようになってきた。

 真庭郡の湯原温泉の奥で、繁殖牛の放牧経営しているのが宮地吉男さんである。
自宅の近くの山に補助事業で草地を11ヘクタールを造成、現在15頭の繁殖牛を放牧
している。放牧期間は4月中旬から11月末にかけて、その間子牛に購入飼料を少し
与えるだけだ。ただ、冬季間の粗飼料については家周辺の採草地で生産している。
極めて省力化しているうえに、生産費が大変に安い。こうした末開発の放牧適地が
真庭、阿哲の山地には多い。

 宮地さんは経営に積極的で守1系、高庭系の優れた繁殖牛を揃えており、受精卵
移植に取り組んでいる。和牛と乳牛のF1を購入して、自家飼養の優良メス牛の受
精卵を平成3年の春に移植、昨年生まれた子牛は放牧地で元気に飛び跳ねていた。
湯原町には受精卵移植協議会があるが、宮地さんは同町の受精卵移植第一号だ。同
町で3年度に移植した頭数は51頭、その後もこのテンポで移植が進められている。

 岡山県では新しい技術である受精卵移植がようやく先進農家の間で普及し始めて
きたが、この技術は今後の和牛改良と繁殖経営に大きな構造変化をもたらしそうで
ある。まず、これまでは生産された子牛が優れているかどうかは肥育してみないと
確実に分からない。新しい技術を利用すれば、優良メス牛から卵を数個採取して、
受精卵移植すれば子牛が多数生まれてくる。この子牛の肥育成績をみながら優良メ
ス牛の保留ができる。こうして優良メス牛を早く、しかも多く揃えることができる。
この技術を積極的に活用すれば、生産される子牛の改良が進むとともに、種雄牛の
造成にもプラスになるだろう。


繁殖経営の構造を変える新技術

 繁殖の経営形態を大きく変える可能性が大きい。これまでの経営は優良メス牛を
多数揃える必要があった。だが、受精卵移植が軌道に乗れば、優良メス牛を数頭に
絞って、そこから採卵して移植すればよい。供卵牛は優れたメス牛でないといけな
いが、従来のように多数必要としなくなるだろう。一方、受卵牛は普通なら淘汰さ
れるような牛でもよいわけで、しかも和牛でなく乳牛でもよい。数頭の優良メス牛
を核に多数の一般メス牛を組み合わせる経営形態へと変わっていく可能性がある。
停滞的だった繁殖経営も技術革新によってこれまでにない変革期を迎えそうだ。

 岡山県の弱点の一つは繁殖部門に傾斜して肥育部門が弱い点にある。肥育部門に
厚みがないと、生産された牛の肉質などが的確につかめない。肥育牛のデータがき
ちっと農家にフィードバックされるようになれば、肉質のどこに問題があるか分か
る。そうなれば改良方向も明らかになってくるだろう。

 繁殖県である岡山にもようやく肥育経営が増え始めてきた。その一つが阿哲郡哲
多町の荒戸山牧場だ。標高760メートルの荒戸山の麓に展開するこの牧場は肥育和
牛520頭、繁殖和牛80頭、ブロイラー10万羽の大規模経営である。岡山経済連の久
世家畜市場で取り引きされる子牛の10%近くがこの荒戸山牧場が買い付け、子牛価
格の維持にも役立っている。

 小坂社長は岡山和牛の振興には極めて熱心で、肥育素牛は県内で購入した岡山産
の子牛だ。出荷された肥育牛の肉質などのデータはその素牛を生産した農家にフィ
ードバックするようにしている。とくに小坂社長が強調する点は肥育技術が遅れて
いる点だ。生後17カ月くらいが分かれ目になり、それ以後も食欲旺盛な牛はサシが
よく入るとともにロース芯が大きくなるが、食欲が落ちる牛はサシの入り方が少な
くロース芯も小さくなる。そのためには、子牛の段階で粗飼料をたっぷり給与して
運動させ、胃を十分に発育させないといけない、そうしないと、餌の食い込みが弱
くなってしまう、という。

 小坂さんは「岡山の牛は市場評価が低いが、それは需要に合った子牛生産と肥育
がなされていないからだ。なんでも良いタネをつければよいのではない。繁殖農家
は自家保留のメス牛についてはきちっとした系統内交配で優良牛をつくり、コマー
シャル牛は系統間交配するなどが大切だ。しかも、小太りの子牛が高く売れると考
える農家が多いが、粗飼料を十分に食べさせ、その後の肥育に耐えられる牛をつく
ることが大切だ。そうすれば岡山和牛の評価が高まる」と自信をもって語る。


再生へ動き始めた岡山和牛

 岡山和牛は古い歴史の中で素晴らしい形質を持つ牛として形成されてきた。日本
経済の驚異的な発展に伴う農業の環境変化で衰退をたどっていたが、今再生のチャ
ンスをつかもうとしている。その再生の好条件は@経営意識と技術水準の高い規模
の大きな繁殖農家が育ち始めてきたA受精卵移植などの新技術によって、従来と異
なった優良牛の生産ができるようになり、繁殖経営の形態も大きく変わる可能性が
でてきたB県や農協など関係機関が優良種雄牛の造成や農家に優良メス牛の保留呼
びかけ、また肥育牛のデータのフィードバックなどに組織的に取り組んでいる、な
どが挙げられる。かつての岡山和牛の栄光を一日も早く取り戻すことを期待し、若
葉が萌え始めた県北を後にした。


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