文化運動をベースに新たな有畜複合農業

−アイガモと赤牛の熊本県矢部町−
(財)日本農業研究所研究員 赤嶋 昌夫


原点は青年文庫

 幕末に造られた巨大なアーチの水道橋“通潤橋”で知られる熊本県上益城郡矢部
町は、阿蘇外輪山南麓の中山間地帯農村である。御多聞に漏れず高度成長期から過
疎化が進んできた。昭和30年と平成2年の国勢調査人口を比較すると、2万6千人
から1万4千人に半減ちかい減少ぶりである。人口構成の高年齢化が進み、65歳以
上の老年人口比率は平成2年に20%を超えた。町農業委員会が昨年8月に実施した
全町農家アンケートの結果をみると、1,416戸のうち、農業後継者のいない農家が
417戸(29.4%)、未定が566戸(40.0%)を占めている。農業の将来に希望を見出
しえない若者が多数派を占める現状を端的に反映しているといえよう。

 ところが、そういう中山間地帯農村の暗いムードをはねかえすかのように、町内
布田地区の農業青年グループが中心となって昭和55年にユニークな農村文化運動を
起こした。その積みあげのうえに矢部町有機減農薬研究会が生れ、消費者グループ
との特別栽培米“通潤米”の産直、アイガモ農法の導入など多彩な運動の輪が広が
りをみせるにいたっている。昨年3月、この農村青年グループ活動は全国農業新聞
賞を受賞し、グループに内閣総理大臣賞が贈られた。

 この運動の拠点となったのは、昭和56年7月に開設された青年文庫という名のさ
さやかな図書館だった。町中心部浜町地区の電気商のご主人がこの運動に共鳴し、
店舗の3階を文庫に提供している。ここで毎週定期的に若者たちの読書会、学習会
が続けられてきていたのである。文庫は、この7月から広く町民にも開放された形
の「本で結ばれる親子の場」としての「子ども図書館」に生まれ変わった。グルー
プ員27名は、ほとんどが夫婦そろっての加入である。文庫が発足したころは独身の
20歳台だったが、いまでは皆さん結婚して何人かの子持ちである。文庫の「子ども
図書館」への改組は自然の成り行きでもあった。しかし原点の「青年文庫」の看板
はそのまま残されている。七夕会をかねた「子ども図書館」開館式の当日午前、九
分通り準備の調った文庫を参観した。明るくゆったりとしたスペースに、内外の絵
本や童話が豊かに取揃えられていた。見事な作りの本立て、書棚の一式は、メンバ
ーの手作り品と聞いて感歎した。


フルタイムの中耕除草機 ―― アイガモ農法

 青年文庫の呼びかけ人の一人で、昭和63年に発足した矢部町有機減農薬研究会の
代表者でもある上田博茂さん(35歳)のお宅を訪ね、アイガモ放飼の水田を見学し、
特別栽培米制度による消費者グループとの産直運動についてお話を伺った。

 上田さんのご家族は、ご両親とご夫妻と子供3人の7人家族。農業は水田2ha、
ハクサイ・キュウリなど露地野菜約1.5ha、繁殖和牛の赤牛1頭といった、矢部町
としては標準的な複合多角経営である。お父さんは主として赤牛の世話と山仕事、
上田さん夫妻は水稲と野菜の両部門を担当するとともに、研究会グループ活動の要
役として、さらに今年から全国合鴨米流通協議会の会長も務められており、お忙し
い毎日である。

 新緑の山合いに段丘状に開かれた水田の一角が上田さんの水田である。そのうち
農道の上手の約25aと下手の35aほどの田圃に、腰ほどの高さのナイロンのネットと
電気柵を組み合わせた囲いが張りめぐらされており、それぞれ2、30羽のアイガモ
が放されている。クズ米のエサ箱をもった上田さんが、道路傍に立って田圃に向か
い、「オーイ、オイ、オイッ」と声を掛けた。すると、いたいた。青田原のあちこ
ちから稲の葉波をかき立てながら中雛ほどに育ったアイガモ君たちが一目散に上田
さん目指して泳ぎ寄ってくる。上田さんが2、3つかみのクズ米を田面に撒くと、
独特の鳴き声を上げながら争ってついばんでいる。クズ米のエサ撒きは、上田さん
の毎朝の日課だそうだ。

 アイガモ君は、フルタイムの中耕除草機の役目を果たしてくれる。雑草と害虫を
食べて排泄する糞は稲の有機質肥料となる。「アイガモを入れた田は、田の水がい
つもこのように濁っているのです。こういう状態が稲の成育にいいようです」と上
田さんは目を細める。クチバシで稲の株根をつつくので、稲の草型が“ご開帳型”
に仕上がる、とも聞いた。

 上田さんがアイガモ農法に取り組んで、今年で3年目になる。初年度は、千葉県
の孵化場から仕入れたヒナが斃死したり、犬やカラスにやられたり、思わぬ事故が
あった。野犬対策は電気柵で完ぺきとなったが、空から襲うカラスには手を焼く。
案内子を立てるのもある程度有効だが、決め手はヒナを丈夫に育て、敏捷にカラス
の空襲を避けられる状態で放飼することだそうだ。また、田面の水位に少しでも差
があると、アイガモたちは深いところに集まりやすい習性があって、中耕除草機能
がまんべんなく働かないことも学んだという。3年目にして、上田さんはアイガモ
農法をいちおうマスターできたと思う、と語っていた。ヒナについても、今年から
自家育雛に切替え、成功した。この秋からは、アイガモの燻製やソーセージを手が
ける予定だという。

 上田さんのお宅の二階の一部屋が、博茂・啓子ご夫妻の居間兼事務所の観があっ
た。パソコンやファクシミリが並び、各種の文献・データがところ狭きばかりに積
まれていた。消費者との産直“通潤米”は、熊本市内を主体とする約500世帯に毎
月宅配便で配送される。10s詰め米袋のトレード・マークに矢部町出身の柔道の山
下泰裕さんの笑顔のイラストがあしらわれてある。そしてこの宅配便には、必ず
「通潤米通信」が添えられる。7月3日付の「通信」の文面に、「……この雨の中
でも元気のいいのが合鴨君達です。最近よく見かける風景に、母子の乗った車が合
鴨の入っている田んぼの横に止まって、二人でニコニコしながら見ているのにであ
います。それを見ながら、合鴨君達は地球をやさしく、人間の心をもやさしくする。
うれしいなあと思います」とあった。心温まる豊かな感性のにじむ一文である。聞
けばやはり、啓子さんのご執筆であった。

 “通潤米”の会員には啓子さんファンが多いそうだ。電話がかかってきて博茂さ
んが出ると、相手から「啓子さんのご主人ですか」と言われることが珍しくない、
と博茂さんは苦笑いしていた。産直は消費者との信頼関係づくりが基本である。
「信頼関係の主役はやはり女性です」と啓子さんは語る。「取引にトラブルはつき
ものだが、それを問題にまで発展させないできたのは、女性の力ではないでしょう
か」と啓子さんは控え目に感想をのべたのが印象に残る。今では、グループの“通
潤米”産直は、すっかり安定して根づいた。会員希望が増え続けているが、供給能
力に限りがあるので、新規会員をお断わりせざるをえない状態だという。


“安全な赤肉”にかける夢 ―― 坂本牧場

 グループの14戸の農家のうち、赤牛がいないのは2戸だけだ。3、4頭の繁殖用
赤牛を飼養する農家が多いが、一昨年来仔牛の市場価格が落ち込んできた。平成2
年の平均価格(矢部家畜市場)は1頭平均約36万円(s当たり約1,200円)だった。
それが今年5月には、1頭平均18万6千円(s当たり617円)という低落ぶりであ
る。赤牛飼いの一般ムードは暗い。

 グループ14戸中の最多頭数飼養は、坂本幸誠さん(35歳)である。繁殖赤牛7頭
と肥育牛5頭、それにジャージー種乳牛の1頭、計13頭を飼っていらっしゃる。坂
本さんのお宅を訪ね、1qちかく離れた小山の上の飼養現場をご案内頂いた。うっ
とうしい梅雨空が続いていたが、現場を訪れたとき、束の間の梅雨晴れ模様となっ
た。坂本さんが畜舎の柵の棒を抜いてやると、牛達がうれしそうにパドックに走り
出た。畜舎は間伐材のログハウスで、パドックに向けて床面に緩やかな勾配をつけ
るなど目くばりのきいた設計が施されている。しかも、木材をはじめ建築資材はほ
とんど自賄い、設計、施工は坂本さんの自前と聞いて驚き入った。実は前日、開館
前の「子ども図書館」を訪ねたとき、出来上がったばかりの漆塗りの見事な手作り
の本立て2基を運び込んでいたのが坂本さんだったのである。あの本立ても、この
ログハウスの畜舎も手わざの芸術作品といってよかろう。

 坂本さんのご家族は、祖母とご両親、幸誠・みさこのご夫妻、それに小4の長男
を頭に4人の子供たちの9人家族である。お父さんは書道の師範である。立派な玄
関の正面の壁に風格のある書体の「以和爲貴」の篇額が見られた。明るい応接間で、
幸誠さん夫妻のお話を伺った。

 坂本さんの営農は、水田3ha、成牛13頭の畜産、イタリアンを中心に1.4haの飼
料作。一昨年まで50aほど葉タバコを栽培していたが“通潤米”に本格的に取り組
むようになって、タバコは吸うのも作るのもやめたという。坂本さんもまた、3ha
の水稲作のうち、約1haにアイガモを放飼している。

 坂本さんが繁殖ばかりでなく、赤牛の肥育を手がけるようになったのには、黒牛
のサシ信仰に反発する彼なりの信念がある。4年ほど前に、安易に輸入粗飼料を買
って牛に与えたところ、下痢が止まらず、流産するといった事故があった。人間で
も牛でも、食べ物は直接目の届く安全確実な生産方式が一番で、長い目でみればき
っとその点が高く評価されるにちがいない、肥後の赤牛も、「安全な赤肉」に徹し
てまちがいない、と坂本さんは熱っぽく語っていた。コストダウンの課題について
は、放牧方式が有利ではあるが、堆肥の供給源を重視しなければならぬ有畜複合経
営としては、舎飼いのメリットは捨て難いという。大型投資・大型畜産でスケール
メリットを追求する道もあろうが、坂本さんは LISA(低投入・持続的農業)型の
ホンモノ農業を追求する姿勢を堅持していらっしゃるとお見受けした。


農の再生への希望の光 ―― アートとしての農業

 肥後の赤牛の歴史はそう古いものではない。大正時代までの矢部地方は馬産地だ
った。明治38年に軍馬の種馬所支所が浜町に開設されてもいた。畜牛畜産組合が生
れ、在来和牛に外来種のシンメンタール種を交配して今日の赤牛に改良し始めたの
は大正期に入ってからだった。そして赤牛が本格的に農家に普及するようになった
のは、かの昭和初頭の農業恐慌期であった。政府が恐慌対策として打ち出した農村
経済更生運動の営農改善面のスローガンは、「自給化・多角化・共同化」だった。
そしてこのスローガンに結びつけて「有畜農業」が全国的に奨励された。肥後の赤
牛は、有畜複合多角経営の一環として、以来半世紀余にわたってそれなりに根づい
てきていたものである。それがいま、国際化時代の激浪を受けて、大きな苦難の時
期に際会しているのである。

 矢部町の青年グループのユニークな運動を現地に見聞して、ほのぼのとした希望
の光を見た感が深い。その希望的要素を私なりに2点にしぼって指摘しておきたい。
 そのひとつは、アイガモ農法をはじめグループが切り拓いている新しい農業の道
を追求する基本姿勢についてである。そこでは、阿蘇山麓の緑と水の豊かな固有の
風土にマッチした LISA 型の有畜複合経営農業の原点を大事に守りながら、しかも
時代の変化に応じた前向きの改良に積極的に取り組んでいらっしゃる。その姿勢は、
柳田国男流にいえば、「伝統を保持しながらの改良」なのである。矢部町きっての
郷土史研究者井上清一先生によれば、当町の水稲作の起源は弥生時代前期にさかの
ぼるという。江戸期には「阿蘇の水を作る」(富山和子 『水の旅』 文春文庫所収)
一大植林の偉業があった。今日の矢部の水田は、その歴史的蓄積を体現するかけが
えのない伝統文化財でもある。「伝統と改良」の精神でこれを堅実に次代につない
でほしい。

 もうひとつは、このグループ活動の一番魅力的な特色は、農村ならではの感性豊
かな文化運動にベースを置いている点である。たんなる農事改良の研究グループで
はない。だからこそ、それをベースに次々に幅広い新しい活動分野が展開するであ
ろう可能性を秘めている。とりわけてそこから、経済優先の目では見えにくいアー
トとしての農の原点の価値が見えてくる。その点が市場原理社会に疲れた都市生活
者の心の琴線に触れて、“通潤米”の産直の絆を強め、その輪を着実に広げてきて
いると評価されよう。お会いしたグループの皆さん、みな明るく、活き活きとして
いらっしゃる。農の再生の見地から、心暖まるひとすじの明るい希望の光を見たお
もいがする。

 最後になったが、今回の調査に協力いただいた矢部町役場の方々を初め、グルー
プ農家の皆様方にこの場をかりて御礼申し上げる次第である。


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