緑の牧場から食卓まで

−サイボクの経営戦略−
(企画情報部 布野 秀隆 岡田 摩哉)


 台風11号が関東地方に大きな被害を与えた8月27日、埼玉県日高市にあるサイボク(轄驪ハ種畜牧場)を訪れ、創業者で社長の笹山竒 龍雄さんと長男で専務の笹山竒 能輝さんから、生産・加工・販売の完全一貫経営など当社独自の経営戦略についてお話を聞く機会がありましたので、その概要を紹介します。
平日1万人、週末2万人の来場者

 新宿から西武新宿線で50分の狭山市駅から、バスで10分ほどのところにサイボク
はあります。武蔵野の面影を残すとはいえ、東京への通勤圏でもあり、はじめはと
ても2千頭の豚を飼う畜舎があるとは思えませんでした。

 この日は、台風による暴風雨の影響で、牧場内にあるショッピングセンターもお
客さんがまばらでした。しかし、普段は平日でも1万人は下らず、なんと週末にも
なると2万人の家族連れでごった返し、店内は足の踏み場もなくなるとのこと。そ
して、海外からも多数の関係者が視察、研修に訪れるそうです。

 世間一般では、景気低迷や輸入牛肉の影響により豚肉の消費が伸び悩んでいると
いわていますが、ここでは全く無縁としか思えません。「年に何回か新聞の折り込
み広告をいれるほかは、ほとんど宣伝しない。お客さんがお客さんを連れてくる」
という。一体、何が消費者の心をつかまえているのでしょうか。


食肉の理想郷「ミートピア」

 埼玉県の日高牧場で原種豚を飼い優秀な種豚をつくり、鳩山牧場でその種豚に肉
豚を生ませます。さらにその肉豚を宮城県の東北牧場で「サイボクゴールデンポー
ク」という銘柄の豚として肥育します。東北牧場では豚3万頭のほか、黒毛和牛3
千頭の肥育も行っており、A5、A4規格を作出しています。肥育された豚や肉牛
は宮城県下の食肉センターでと畜・解体されたのち、日高牧場にある工場に運ばれ
て精肉に処理される一方、手作りのハム・ソーセージに加工されます。販売は場内
にあるショッピングセンターのほか、百貨店や通信販売でも行っています。また、
300人が収容できる巨大な山小屋風のレストランがあり、肉やハムなどをバーベキ
ュー、洋食、ステーキといった専門コーナーで直接味わうこともできます。

 このように、種豚の育種から始まり、直営牧場で肥育された身元の確かな肉豚を
使い、牧場内の直営工場で肉やハム・ソーセージにされるわけです。「『生まれ・
育ち』のきちんとした肉や加工品を一貫してつくり、自らの手で消費者に販売する」、
これがサイボクの提唱し続ける「ミートピア」という構想です。そして、経営スロ
ーガンが「緑の牧場から食卓まで」なのです。

 「この構想は、第1次産業(生産)、第2次産業(加工・製造)、第3次産業
(直売・レストラン)までを展開し、第1次から第3次までをトータルした際崩し
経済、つまり第4次産業を目指すもの」と笹山竒 龍雄社長は語っています。

 
種豚改良に40年

 おいしい豚肉をつくるためには、いい肉となる豚を産むことができる種豚が必要
です。こういう種豚を産む原種豚の系統作りがサイボクの基盤の仕事です。どの豚
とどの豚をどう組み合わせるか、試行錯誤を40年間積み重ねた結果が優秀な種豚の
生産とその結果のおいしい豚肉です。

 全国のだれよりも先駆けて、優秀な特徴を持った原種豚の血統を積極的に米国や
英国から輸入し、系統作りに活かしてきました。海外から視察に来た人の中には、
「これはうちの国の系統だが、もうどこにいってもない。是非、分けてくれ」と今
では逆に欲しがられることもあるそうです。サイボクでは、「外国ではすでに淘汰
された系統でも、ほかにない特徴を一部でも持っていれば保存し、系統作りに活用
している」。何十年も前に海外から買い付けた原種豚の血統が、今でも生きている
とのことです。
 
 現在、所有する原種豚から生産される種豚の8割が全国の養豚業者に販売され、
残りの2割を自社用に飼育しています。

表 埼玉種畜牧場の原種豚の輸入と改良の歴史
1946年(昭和21年) 久星産業株式会社霞ヶ関農園としてスタート
1951年(昭和26年) 英国から中ヨークシャー、バークシャーの原種豚を輸入
1955年(昭和30年) 株式会社埼玉種畜牧場として独立
1961年(昭和36年) 英国からランドレースの原種豚17頭を輸入
1962年(昭和37年) 英国から大ヨークシャー10頭を輸入
1968年(昭和43年) 全米グランド・チャンピオンの栄冠に輝いたハンプシャーを輸入
1969年(昭和44年) 国内で初めて種豚のオークションを開催。SPF豚センターを開設
1972年(昭和47年) 第7回全国豚共進会で農林大臣賞を受賞スキャノグラム(背脂肪測定器)を日本で初めて輸入
1973年(昭和48年) 第1回埼牧グループ・トラックロードショウ(集団肉豚共進会)を立川市場で開催
1976年(昭和51年) 全米グランドチャンピオンのデュロックを輸入

生産者の顔が見えるショッピングセンター

 専務の笹山竒 能輝さんに、ショッピングセンター内を案内していただきました。
同じ敷地内には2千頭を飼養する豚舎があるのですが、毎日、数千人に及ぶ来訪者
に配慮し、「豚の臭気がないよう、ハエが飛んでいないように知恵をしぼっている」
そうです。

 カフェテリアもある店内には、ロース、バラ、ももといったあらゆる種類の豚肉
や牛肉のほか、ロースハム、ポークウインナー、ベーコン、ハーブ入りのソーセー
ジなど様々なハム・ソーセージが冷蔵ケースに並んでいます。新鮮さを大切にし、
店頭に並んでいる商品はすべて今日の日付けのものです。

 周りには有名ゴルフ場がいくつかあります。「ゴルフ場に出店しては?」と聞い
たのですが、「新鮮な商品を管理するのが難しい。それに、出店しなくても、ゴル
フのお客さんが自ら買いに来てくれる」と専務。「手狭になったのでいずれは売場
面積を拡張しなければ」と羨ましい悩みです。

 肉のほかにもいろいろあります。「ハム・ソーセージにパンは付き物」と、パン
の販売コーナーもあります。本場ドイツの製パン技術を取り入れているという手作
りの工場を売場からも見ることができます。

 また、日高牧場の堆肥を使って地元農家でつくられた有機野菜や「農民天国」と
いうブランドの有機米も販売されています。特に、ここで売られている野菜は牧場
周辺の農家と提携して生産されたもので、「顔の見える商品」であることを大切に
し、大根1本にも農家の名前が書かれています。その名前に消費者が信頼感を持っ
てくれるようです。

 ほかにも、小岩井農場と提携した乳製品、豚肥による狭山茶やドレッシング、焼
き肉のタレ、ステーキソースなどオリジナルの製品が盛りだくさんです。肉やハム
などの関連食品として860余りのアイテムが直売されています。


愛らしい豚の絵

 店内を見学したとき、豚の絵を対象にした「ちびっこ絵画展」が開催されていま
した。「豚肉はなじみのある食品だが、豚はトンマとか豚野郎とか世間一般にあま
り好ましくないイメージが強い」。このため、「子供たちに絵を描くことで少しで
も豚を見てもらい、豚に親しみを持ってもらおう」と始めたのがこの絵画展だそう
です。

 今年の応募総数は1千3百点にものぼり、審査も大変だったとのこと。子豚に触
ったり一緒に遊べるコーナーが敷地内にあるのですが、そこで写生した子供もいる
そうです。ちょこまかと動く子豚を描くのは、さぞかし難しかったことしょう。愛
らしい豚が思い思いに描かれており、なかには「Jリーグ」ブームを反映してか、
サッカーをしている豚たちの絵も……。


「ミートピア」劇場の舞台装置

 「ミートピア」の根底は「安全でおいしい本物の食を提供すること」にあります
が、「今の日本はハイテク時代の感性社会であり、消費者ニーズに応えるためには、
ショッピングエリアが楽しいものでなくてはならない」という。このため、「絵に
なる畜産ディズニーランド」を模索しています。その実例をいくつか紹介しましょ
う。

 県道に面したところに、虹色の明るい八角形の屋根の「レインボーレストルーム」
と名づけられたトイレがあります。普通、駐車場の端とか店内の目立たないところ
にひっそりとあるもの。しかし、ここでは玄関入口のもっとも良い位置に建設され
ています。トイレは施設のシンボルであり、清潔で明るく、安らぎと憩いの場でな
ければならないと考えられています。お母さんが赤ちゃんのおむつをかえられる母
子ルームを整備するなど、特に女性を重視した設備となっています。近い将来にお
いて、太陽熱でお湯の出るトイレ、美しいメロデイが流れる施設、そして、錦鯉が
泳いでいる池、流れる落ちる滝の音や小川のせせらぎが聞こえる美しいレストルー
ムの完成に夢をかけています。

 このほかにも、全国各地から集めた銘木や銘石を配した四季折々の花が咲く庭園、
手作りフランクフルトソーセージの炭火焼き暖炉、子供たちが子豚と一緒に遊べる
「トントンハウス」など、サイボクならではの美・感・創・遊が調和した、新しい
感動を覚えるガーデンオアシスの建設が進んでいます。ショッピングセンター、レ
ストラン、畜舎、事務所は勿論、これらすべてが周りの自然とうまく調和し、「ミ
ートピア」劇場の舞台装置となっているわけです。


実践哲学から生まれた「養豚大成」

 笹山竒 社長の名著「養豚大成」(養賢堂)は、昭和28年に発刊されました。国
内はもとより国外の関係者にも、「養豚のバイブル」としてあまりにも有名です。
版を重ねること43版、40年たった今なお出版されており、数十万部売り上げている
ベストセラーです。しかし、「私の実践と勉強のメモをまとめた記録が、そのまま
活字になっただけ」と笹山竒 社長。豚とともに生活し、肌でとらえて体得した養
豚経営の実践と倫理を集大成したものというわけです。

 また、「体験による実践哲学から湧き出たカンというか、ヒラメキには素晴らし
いものがあり貴重だ」という。筆者も技術屋の一人であるが、「君たち技官は、こ
うだ!という結論を導くのが下手だ。いつまでたっても結論がでない。結論を導き
出すためのカンやヒラメキというものは大事だ」とお叱りを受けました。

 この実践哲学の精神が「ミートピア」構想にも生かされていることは間違いあり
ません。


「人生は自己創造のドラマ」

 「究極するところ、人生は自分のドラマを創作し実演してロマンの花を咲かせる
ことではなかろうか。自分で選んで自分で歩き出した道を、一貫して極めることが
人生ではなかろうか」と、笹山竒 社長は著書の「楽農文化の時代」の中で述べて
います。

 牧場創設以来40有余年、いくたびのピンチに直面し、危急存亡の試練を受けてき
ました。しかし、初志貫徹を信念として、ここ武蔵野に「ミートピア」というドラ
マを創作し実演してきたわけです。これも「人類の生活文化の発展は、食生活が基
点」と考えたからです。

 サイボクは、21世紀を先取りする「楽農文化」のモデルとして、今まさに、花咲
き、実を結びかけようとしています。
 
≪参考文献≫
「夢牧場物語」(東明社・川合栄)
「楽農文化の時代」(ダイヤモンド社・笹山竒 龍雄)
「埼牧草創−35年の歩み」(埼玉種畜牧場)
「ミートピア創造の詩」(商業界・笹山竒 龍雄)
「養豚大成」(養賢堂・笹山竒 龍雄)


元のページに戻る